月下の庭園で、お互いの脆さを曝け出し、不器用ながらも確かな約束を交わしたあの夜から、二人の距離は目に見えて縮まっていった。
ロズワール邸の朝は早い。
セリアが部屋の姿見の前で、自分の亜麻色の髪をどうまとめるべきか悩んでいると、小気味よいノックの音に続いて、聞き慣れた愛らしい声が響いた。
「セリア、起きてる? 入っても大丈夫?」
「あ、エミリア。うん、大丈夫だよ。入って」
扉が開くと、そこにはすでに完璧に身支度を整えたエミリアが立っていた。朝の澄んだ光を浴びて輝く銀髪が、彼女の白皙の肌をよりいっそう引き立てている。
「ふふ、おはよう。……やっぱり、まだ髪を結ぶの、慣れていないみたいね」
エミリアはセリアが手に持ったリボンと、少しボサボサになった亜麻色の髪を見て、いたずらっぽく微笑んだ。
セリアは少し顔を赤くして、小さく肩をすぼめる。
「う、うん。男――じゃなくて、昔は短かったから、どうにも上手くいかなくて。後ろに手が回ると、なんだかこんがらがっちゃうんだよね」
危うく「前世は男だったから」と言いそうになり、慌てて言葉を濁す。だが、エミリアはそんなセリアの動揺に気づく風もなく、「じゃあ、私がやってあげる!」と嬉しそうにセリアの背後に回り込んだ。
「えっ、エミリアにやってもらうなんて、悪いよ……っ」
「いいの。あの夜、私の手をぎゅってしてくれたお返し。……それに、女の子同士だもの。こういうの、すごーく憧れてたんだから」
エミリアのその言葉に、セリアはそれ以上拒むことができなかった。
ドレッサーの椅子の前にエミリアに促されて座ると、鏡越しに、自分の後ろに立つエミリアの姿が見える。エミリアは慣れた手つきでブラシを取ると、セリアの髪を優しく梳かし始めた。
さらり、さらりと、髪が解かれていく心地よい感覚。
それ以上に、エミリアの指先がセリアの耳の後ろや、うなじに微かに触れるたび、セリアの背中に甘い電流のような震えが走った。
(近い……近すぎる……)
前世が男だったセリアにとって、これほど綺麗な少女に髪を弄られるなど、心臓への負担が大きすぎるイベントだった。鏡に映る自分の顔が、みるみるうちに林檎のように赤くなっていくのが分かる。
「あら、セリア、お耳まで真っ赤よ? もしかして、まだお熱があるのかしら……」
エミリアが心配そうに顔を覗き込んできた。彼女の紫紺の瞳が、至近距離でセリアを見つめる。エミリアの吐息が頬に触れそうなほどの距離感に、セリアは完全にキャパシティをオーバーしそうになっていた。
「ち、違うの! 熱じゃなくて……その、エミリアが綺麗すぎて、緊張しちゃって」
本音が口を突いて出た。
それを聞いたエミリアは、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、やがて自分の頬をほんのりとピンク色に染めて、嬉しそうに目を細めた。
「もう、セリアったら、お世辞が上手なんだから。でも……ありがとう。セリアにそう言ってもらえると、私、すごーく自信が持てるわ」
エミリアの指先が、セリアの亜麻色の髪をいくつかの束に分け、丁寧に編み込んでいく。
「はい、できたわ。サイドを少し編み込んで、後ろでリボンを結んでみたの。どうかしら?」
鏡の中の自分を見る。
少し子供っぽさが抜け、上品で可憐な印象の少女がそこにいた。自分でも見惚れてしまいそうなほど、エミリアのアレンジは完璧だった。
「すごい……。ありがとう、エミリア。私じゃないみたい」
「ふふ、セリアは元々可愛いんだから、自信を持って。……ねえ、今度はセリアが、私の髪を梳かしてくれない?」
エミリアはそう言うと、セリアの手からブラシを受け取らせ、自らはセリアの足元の絨毯の上にちょこんと腰掛けた。セリアの膝の間に、エミリアの背中が収まる形になる。
「え、私が……?」
「ええ。私、セリアに髪を触ってもらいたいの」
エミリアが少し上目遣いで振り返る。その無防備で、絶大な信頼を寄せてくれている瞳に見つめられ、セリアの胸の奥がハチミツを溶かしたように甘く疼いた。
「……上手くできるか分からないけど、やってみるね」
セリアは慎重に、エミリアの銀髪にブラシを当てた。
絹糸よりも細く、まるで月の光をそのまま紡いだかのような美しい髪。触れるだけでも恐れ多いような至高の感触が、セリアの指先を通じて脳裏に染み渡っていく。
ゆっくりと、一本一本の髪を愛おしむように梳かしていく。
エミリアは心地よさそうに目を閉じ、セリアの膝に頭を預けてきた。
「……セリアの手、あったかくて気持ちいい」
「そう? エミリアの髪、本当に綺麗だね。ずっと触っていたくなっちゃう」
「ふふ、じゃあ、ずっと触ってていいよ」
冗談めかして言うエミリアの言葉が、セリアの心を優しく締め付ける。
男だった頃の自分なら、この状況を「ラッキーなラベコメイベント」として消費していただろう。だが、今のセリアにとって、エミリアの存在はもっと神聖で、同時に狂おしいほどに独占したい「一人の女性」だった。同じ少女という免罪符があるからこそ、この距離にいられる。その幸運に感謝すると同時に、胸の奥で育ちつつある、ただの「友達」の枠には収まりきらない熱情に、セリアは静かに身を焦がしていた。