絶えて叶わぬ願いの果てに   作:百合うおおお!

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前編

 森の中を流れる川のほとりに、少女の姿があった。

 

 黒いローブととんがり帽子、宝玉をあしらった身長と同じくらいの杖を持っている。この国では一般的な魔法使いの恰好だ。

 

 彼女の名はスタリィという。とある仕事のために首都を離れ、近くの小さな村に滞在している。今のところ仕事は順調で、今日は七日に一度と決めた休日だった。

 

 首都にはない豊かな自然を見て回ったり、気さくな村人たちとおしゃべりをしたり、休みの予定はあるにはあった。

 

 しかしいざその日が来てみると、何もやる気が起こらない。かろうじて散歩には出たけれど、朝からずっと川辺で膝を抱え、じっとしているだけだ。

 

「お姉ちゃん、何してるの?」

 

 昼になると村の子供たちが川に遊びに来た。

 

 スタリィはそちらを見もせずに答える。

 

「休んでる。今日はお休みだから」

「ふーん。暇なら、冒険の話してくれよ」

「お父さんたちが言ってたよ。お姉ちゃん、あの塔のてっぺんまで行ったすごい人なんだろ」

 

 子供たちは興奮気味に、あれ、と一つの方向を指さす。

 

 その指の先にあるのは、空を割る真っ白な線だ。頂上は空の彼方に吸い込まれてとても見えない。

 

 この国のどこからでも見えるそれは、『流れ星の塔』と呼ばれている。内部の迷宮には目も眩む財宝が眠る他、危険な怪物を初めとした様々な脅威に満ちている。そうしてあらゆる苦難を乗り越え頂上に至ると、流れ星の女神に謁見できる名誉を得るのだ。

 

「女神様、どんな人だった? かわいい?」

 

 そして女神は、上り詰めた人々に褒美を与える。

 

「どんなお願い、叶えてもらった?」

 

 流れ星の権能を使い、願いを叶えてくれる。この国を治める王の祖先が、国を作りたいと願ったように、どのような願いも叶う。

 

 誰もが知る願いの奇跡に目を輝かせる子供たち。

 

 一方、スタリィは無気力に、

 

「どうだったかな……忘れちゃったよ」 

 

 そう答えたきり黙り込んだ。

 

「じゃあ魔法見せて! てっぺんまで行ったすっごい魔法!」

「別にすごくない。三人チームだったし。本当にすごいのは単独登頂した人で──」

「知ってるー! 最近『白色矮鬼(ホワイトフィーンド)』って人が一人で登ったんだよね! 行商のおじさんが言ってた!」

「お姉さん、白色矮鬼と会ったことある?」

「ない」

 

 ばっさりと、会話の流れが断たれた。

 

「じゃあ守護騎士団は? 国で一番強い人たち、ほんとに強そうだった?」

「知らない。あの人たちお城から出てこないし」

 

 再びばっさり。

 

 子供たちは諦め悪くスタリィのローブを引っ張ったり、帽子を脱がせたり着けたりして話をせがんだが、スタリィはだんまりだ。

 

 やがて「ケチー!」と言い捨てて去って行った。

 

 そうして無為に迎えた夕刻。

 

 夕日がきらめく川面をぼうっと眺めていると、さすがのスタリィでも見過ごせないものが流れてきた。

 

「……えぇ?」

 

 人間だ。

 

 同じ年ごろの少女だろうか。仰向けで水面に浮かび、ゆっくりと流れていく。ぐったりとしていて意識はない。

 

 死体にせよ遭難者にせよ、見て見ぬふりが出来るほどスタリィは器用ではなかった。

 

 脇に置いておいた杖を持ち、軽く振るう。杖先の宝玉が水色に輝く。

 

 すると目の前の水面が盛り上がり、流れ行く少女の体を持ち上げた。水の腕はゆっくりと川辺までやってきて、少女の体を横たえる。

 

 小さな銀髪の少女だった。簡素なシャツとズボンだが生地の質は良く、孤児の類ではなさそうだ。手足は一見細く頼りないけれど、しなやかに引き締まっている。

 

「おーい、生きてる?」

 

 呼びかけながら、杖先の宝玉を少女の胸板にくっつけた。

 

 水色に宝玉が輝き、水の魔法が発動。少女の肺に溜まった水を無理やりに動かす。

 

「げほっ、ごほっ!」

「生きてるね。大丈夫?」

 

 水を吐き出し、せき込む少女。

 

 覗き込むと、少女の目がわずかに開かれた。濡れた銀のまつ毛に縁取られた瞳は深みのある青色で、ぼんやりとスタリィを見やる。

 

「……ぁ」

 

 掠れた声を上げるのが限界だったようだ。少女は再び目を閉じ、意識を失った。かすかに胸が上下しているので、生きてはいるようだ。

 

「うーむ」

 

 スタリィは腕を組んで唸る。特に理由もなく助けたはいいが、連れ帰って世話をするか、それとも村人に預けるか。

 

 結論はすぐに出た。

 

「持って帰るか」

 

 ちょうど時間を持て余していたところだ。仕事の合間の暇つぶしにはちょうどいい。

 

 杖を振ろうとして、思いとどまる。先ほどのように水で運べば体が冷えるし、風で浮かせてもやはり冷える。土を腕の形にすれば汚れがついてしまう。弱った人を優しく運べる魔法が思いつかない。

 

 スタリィはため息をついて、少女の体を抱え上げる。

 

「重っ……いけど思ったほどじゃないな。ちゃんと食べてんのかな~」

 

 横抱きにした少女の体は薄くて細く、ちょっと心配になった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 村はずれの空き家がスタリィの今の住まいだ。数年前に引退した木こりが住んでいたらしいそこは、外見こそ古びているが中身はしっかり整備されている。

 

 まずは少女の服をはぎ取り、水と火の魔法で体と服の両方を乾かし、温めておく。生白い少女の体に大きなケガはなかったものの、右の二の腕に抉られた痕のような傷痕が残っていた。

 

 少女をベッドに寝かせ、暖炉に火を入れた。まだ寒さの残る春先の空気が温められていく。

 

 青白かった少女の顔に少しずつ血色が戻ってきた。この様子なら放っておけば目が覚めるだろう。村に一人しかいない医者を呼んでくる必要はなさそうだ。

 

 スタリィは自分の生活に戻ることにした。魔法の杖の手入れをして、魔法学の本を読む。日が落ちて真っ暗になると、明かりをつけて夕食を作る。

 

 村人たちからもらった野菜を一口大に切り、鍋に入れて煮込む。目分量で塩と胡椒を入れ、そこで思い出して干し肉をいくつか投入した。雑な肉と野菜スープのいい匂いが部屋の中に漂う。

 

「うーん……?」

 

 その匂いにつられたのか、少女が目を覚ました。

 

 ベッドの上で身を起こし、呆然と周囲に視線を巡らせ、スタリィとばっちり目が合う。

 

 宝石みたいに青く、きらきらした丸い瞳だった。

 

 思わず見入っていると、少女は目を見開いて慌てだす。

 

「だっ、誰!? ここどこ!? なんで裸なの!?」

 

 ベッドのシーツで体の前を隠す少女。

 

 その問いにスタリィが答えるより早く、大きな腹の虫が鳴った。

 

 少女のお腹からだ。どうやら思ったより元気らしい。

 

 赤面して黙り込む少女に苦笑して、スタリィはスープを二人分、器によそった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 よほどお腹が空いていたのか、少女は用意したパンとスープを夢中で食べ始めた。

 

 行儀はお世辞にも良いとはいえない。スプーンでスープをすくっては何度もスプーンを取り落とし、テーブルが汚れた。右腕に刻まれた傷跡の影響なのか、手の力が弱いようだ。

 

「すみません……」

 

 落ち込む少女に「ん」と気のない返事をしながら、汚れたテーブルと食器を片付ける。

 

 夕食を終え、二人で向かい合って座った。

 

「あたし、ノヴァっていいます。よろしくお願いします!」

「スタリィだよ。ここは東の辺境にある小さな村。あなたが川に流れてきたから拾った。元々着てた服はそこ」

 

 自己紹介と共に矢継ぎ早に告げた。

 

 ノヴァにはスタリィのシャツを貸していた。身長差のため上だけをワンピースのように羽織っていて、襟から肩と胸元がはだけ、裾からは白くしなやかな生足が伸びている。

 

 先ほど全裸を見たとはいえ、ちらちら覗く肌色を妙に意識してしまう。

 

 そんなスタリィに構わず、ノヴァは頭を下げた。

 

「スタリィさん、助けていただきありがとうございました!」

「どういたしまして」

「はい! で、どうして私が川を流れてきたのか気になりますよね。実は深い事情がありまして……」

「別に無理には聞かないけど」

「事情がありまして!」

 

 聞いてください、と言わんばかりに身を乗り出してきた。

 

 話したいなら話せばいいのに、あくまでもスタリィから尋ねてほしいらしい。

 

「……どうして流れてきたの?」

「実は……」

 

 もったいぶって数秒の間を置くノヴァ。

 

 めんどくさいなこの女。と、スタリィがうんざりし始めた頃、ノヴァが言った。

 

「身投げしたんです。上流にある滝つぼに」

 

 瞬間、思考が止まった。

 

「身体強化を完全に切って、生身で身を投げました。あの高さなら助からないって思ったんです。でも死に損なって、人に迷惑かけて……あはは、最低ですね」

 

 自嘲するように笑うノヴァ。スタリィは返事もできない。

 

 自殺未遂、という重たい内容に圧倒されたわけではない。

 

 スタリィが絶句しているのは、ノヴァの態度だ。いかにも思いつめたようなわざとらしい顔で、目に涙を湛えて縮こまっている割に──慰めを期待しているような視線を、ちらちらと投げかけてくる。

 

「最低じゃん」

「えっ」

「自殺するようなバカ、放っておけばよかった」

 

 こちとら、惨めで哀れで死にたくてしょうがなくなっても、ぎりぎりのところでどうにか生きているのに。

 

 あっさりと死を選び、そのくせ同情を誘うノヴァの態度が、スタリィには心底気に入らない。

 

 荒々しく席を立つ。

 

「あーあ、気分悪い」

「えっ? あれ? かわいそうって思わないんですか? そんなに辛いことがあったんだねって──」

「知るか。甘ったれんな死にたがり。こちとら生きるので忙しいんだよ」

 

 吐き捨てると、またもノヴァは奇妙な顔を見せる。

 

 精一杯の強い言葉で突き放したにもかかわらず、なぜかノヴァは目を輝かせ、頬を赤く染めている。

 

「……好き」

「は?」

 

 テーブルを回り込み、スタリィの手を両手で包み込むノヴァ。

 

「あなたのことが好きです! 世界で一番大大大大好き!」

 

 絶句した。

 

 意味不明だ。期待とは正反対の返しをした相手に愛の告白をする思考回路がまるで分からない。滝つぼに身投げして頭でも打ったのか。

 

「気持ち悪……放して。って、力強いな!?」

 

 手を振り払おうとするが、ほそっこい見た目とは裏腹な怪力だった。しかも右手にはほとんど力が入っておらず、左手一本でスタリィを抑え込んでいる。

 

 ノヴァはむふー、と得意げに胸を張る

 

「力持ちなのが取り柄なんです! ね、スタリィさん見た感じ魔法使いでしょ? あたし、前に出て戦えるし、魔法の本とか材料とかたくさん運べますよ!」

「いらない! あなた、怖い! 何考えてるのか分かんなくてキモい!」

「キモ……えへへ!」

 

 まるで愛の言葉を囁かれたみたいに、罵倒を受けて嬉し気に微笑むノヴァ。

 

 スタリィは血の気が引いた。ちょっとした親切心で、おそろしい化け物を拾ってしまったかもしれない。

 

 一呼吸おいて、冷静に思考を回転させる。

 

「……すごい元気そうだし、出て行ってくれない?」

「ごほごほ、体が冷えて風邪かもです。頭と古傷とその他色々が痛いです。やばいです」

 

 わざとらしい咳でごね始めた。

 

 想定通りだ。ここまでの会話から、すぐに追い出そうとしても居座ろうとするのは予想できた。ようやく得た想定内の反応に小さく安堵する。

 

「分かった。あなたを拾ったのは私の責任だから、しばらくはここにいていい」

「ほんとっ!?」

「本当。だから手、放して」

 

 ノヴァは名残惜しそうにしながら、やっとスタリィを解放した。

 

 スタリィは恐ろしい獣から距離を取るようにじりじりと後ずさり、ぱっと背を向けて部屋を出る。

 

「どこ行くの?」

「お風呂! ついてこないで!」

「一緒に──」

「入らない!」

 

 最大限の拒絶を込めて叫んでいるにもかかわらず。

 

 背後では心から嬉しそうな「ふへへ」という笑い声が聞こえてきて、スタリィは鳥肌が立った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「おはよーございます!」

 

 翌朝。

 

 きんきん頭に響く高い声が、スタリィの重い瞼をこじ開けさせた。

 

 目を擦って起き上がると、外見だけは銀髪美少女の形をした怪生物こと、ノヴァが胸を張って立っている。どこから見つけてきたのか、シャツ一枚の上にピンクのエプロンを付けている。

 

 昨夜は散々だった。こんな化け物に一つしかないベッドを使わせてなるものかと押し問答を経て、結局ノヴァの怪力に押し負けて同衾する羽目になった。スタリィの背中にぴたりとくっついたノヴァは数分で寝息を立て始めたものの、スタリィは緊張と恐怖でとても眠れない。鳥の鳴き声が聞こえ始めるころになってようやく眠りに落ちたのが二時間前のことだ。

 

「あなたさぁ……む?」

 

 不調の元凶たるノヴァを睨みつけたところで、気づく。

 

 肉と野菜、塩気の混じった香ばしい匂い。ノヴァのエプロン姿。まさかこの女。

 

「朝食を作りました! 冷めないうちに食べてください!」

 

 嫌な予感が当たった。飛び起きてキッチンに向かう。

 

 計算して保存しておいた一か月分の食料と調味料が、ごっそりと使われていた。頭が痛くなってきて額を抑える。

 

「このおうち、すごいですね。首都でも見たことのない魔道具がいっぱいで、煮るのも焼くのも自由自在じゃないですか。もしかしてスタリィさん、領主様ですか? それとも貴族?」

「……仮に私が貴族だったら、あんたを盗みの罪でこの場でぶっ殺してる」

「怖い! 好き!」

 

 恍惚として頬を朱に染めるノヴァ。更に頭痛がひどくなってきた。一晩寝てもこの女は理解できそうにない。

 

 諦めてテーブルに向かう。干し肉とジャガイモを炒めて胡椒を振った料理とパンが二人分、用意されていた。

 

 席に着き、荒々しく口に運ぶ。ほどよく火の通ったジャガイモは香ばしく、ほろほろと崩れて甘い。その甘味を干し肉の塩気と胡椒が引き締めて、絶妙なうま味を出している。

 

「おいしいですか?」

「まあまあ」

「厳しい! 私もいただきます!」

 

 遠慮なく炒め物を頬張るノヴァに、スタリィは歯噛みする。まずかったら魔法をぶっぱなしてでも追い出すつもりだったのに、毒気を抜かれてしまった。

 

 とはいえ食材に罪はない。しっかりと味わいながら食事を平らげ、スタリィは身支度に取り掛かる。

 

 およそ三十分後、いつもの黒いローブととんがり帽子、杖を身に着けて、スタリィは家を出た。

 

「どこ行くんですかっ?」

 

 当然のようにノヴァもついてくる。風になびく長い銀髪が木漏れ日の中できらめいて、腹の立つほど絵になっている。

 

「仕事」

「どんな?」

「……」

「うーん、魔法使いさんの仕事というと、魔道具を作ったり、塔を攻略したりでしょうか。でも塔はあんなに遠いし……あ、もしかしてあの家の魔道具をたくさん作って、村で売ってるんですか?」

 

 無視しても勝手に推測をまくしたててくる。舌打ちして先を急ぐと、嬉しそうにニコニコして歩調を速めた。

 

 昨日ノヴァを拾ってしまった川を下り、橋を渡る。しばらくするとのどかな農村が見え、畑を耕していた村人たちが手を振ってきた。

 

「おっはよーございまーす!」

 

 軽く手を振るスタリィの横で、ノヴァは全力で両手を振りながら笑顔を振りまいている。

 

 驚きで固まる村人たちに内心で謝罪しつつ、進む。

 

「やあスタリィさん、おはよう。その子は友だちかな?」

 

 すると、がっしりした体つきの男性が二人を呼び止めた。スタリィは軽く頭を下げる。

 

「おはようございます、村長。これは昨日森で拾ったただの行き倒れです。どうぞ無視してください」

「はいっ! スタリィさんの大親友、ノヴァといいます! よろしくお願いします!」

 

 互いの言葉に被せて言う二人。スタリィが睨み、ノヴァがにっこりと受け流す。

 

 村長は目を丸くしながらも、気にしないことにしたようだ。

 

「仲がよさそうで何より。スタリィさんのお仲間ならきっとお強いのだろう。仕事の助けになるなら、村長としてはありがたい」

「もちろん、私がいれば百人力ですよ! で、何をすればいいですか!?」

「あーもー! 教えるからもう黙って! 行くよ! 村長さん、失礼します」

 

 これ以上村長をノヴァの妄言に付き合わせるのは気が引けた。一礼すると、スタリィはノヴァの手を引いて歩き出す。

 

 村を抜け、緩い傾斜のある山道を登っていく。その間、不自然に黙り込むノヴァを訝しんで視線をやると、スタリィとつないだ手を恥ずかし気に微笑みながら見つめていて、スタリィの方まで少し恥ずかしかった。

 

 そうして山道を進んでいくと、ようやく目的地にたどり着く。

 

「え、なんですかこの……壁? 崖? 変なの」

 

 二人の目の前にあるのは、巨大な土の壁だ。見上げるほどに高い壁が山中に突如現れ、木々をなぎ倒して左右に続いている。

 

 不自然な外見が示す通り、自然の産物ではない。

 

 スタリィが杖を掲げる。宝玉が黄色に輝き、壁の一部がにゅっとせり出した。そこに乗ると、小さな足場が二人を壁の上方へ運んでいく。

 

「スタリィさんが魔法が作ったものなんですか!?」

 

 頷く。村人からの依頼を受け、土魔法で拵えた防壁だった。

 

 何を防ぐためのものか。その答えは壁の上から見ることができる。

 

 壁は奥に向かって傾斜していて、ねずみ返しになっている。そこから壁の下を見ると、夜空が広がっていた。

 

 夜の暗黒にきらめく星々が、壁にせき止められるようにして犇めいている。その夜空はよく見れば一塊ではなく、犬、鯨、狼、人、あるいはポンプ、冠など、種々雑多な形をした個体の群れだ。

 

 星空の欠片が壁に押し寄せる光景を前に、ノヴァは呻くようにつぶやく。

 

「星獣……!」

 

 星獣。空から降ってくる怪物の名だ。

 

「一か月前、この山を越えたところに星が降ってきたんだって」

 

 夜空に輝く星々は、頻繁に落ちてくる。落ちた星は星獣を生み、地上を明るく照らす人々を夜空で塗りつぶす。言い換えれば人の集団を嗅ぎつけ、捕食するのだ。

 

 落ちた星がもたらす災害は星害と呼ばれ、広大な領土のあちこちで発生している。大きな町や首都の近くに集中して落ちてくるが、稀に小さな村の元にも星が落ち、人知れず村民の暮らしが破壊されてしまう。

 

 これを阻止するのがスタリィの受けた仕事だった。一か月前、旅の途中に立ち寄ったこの村で、村長に依頼されたのだ。

 

 スタリィは話を聞いてすぐに防壁を築いたが、もし一日でもそれが遅れていれば、村は押し寄せる星獣に営みの痕跡一つ残さず押しつぶされていただろう。

 

 ノヴァは唖然とした。

 

「一か月前? ってことはその間ずっと放っておいてこんなにたくさん?」

「んなわけあるか。二日おきに退治してるよ」

「二日……二日で溜まる量なんですか、これ」

 

 スタリィは閉口した。

 

 土魔法の防壁は、斜面を横断する形で数キロにわたって聳えている。その左右の見渡す限りに、夜空の色をした化け物がうじゃうじゃと押し寄せていた。一部では星獣が何十体も積み重なり、ねずみ返しを乗り越えかねないところもある。

 

「なんか多い気がする、かな」

 

 正直な感想を口にした。

 

「なんか、って。自信なさげですね?」

「だってこんな仕事受けるの初めてなんだもん。星獣が多いか少ないかなんて分かんない」

「あっ、拗ねてる。待って押さないで、落ちる!」

 

 スタリィは経験が浅いのだ。魔法使いとして優秀な自負はあるが、こうした仕事は今回が初めて。圧倒的な数の星獣を見ても、異常か正常かは分からない。

 

 さりげなくノヴァをつき落とそうとするのを諦め、ため息。

 

「もうしばらく耐えれば減ってくよ。星害ってそんなもんでしょ」

 

 口をついて出たのは一般論だ。落ちてきた星は次第に輝きを失い、それにつれて生まれる星獣の数も減る。やがて星獣を生む輝きがなくなると、星はひとりでに空へ戻り、星害は終わる。それまで星獣が村に来ないよう防衛するのがスタリィの仕事だ。

 

「それはそうですけど、星が空に戻るまで星獣たちほっとくんですか? 壁、壊されちゃいますよ?」

「分かってる」

 

 杖を掲げ、魔力を込める。宝玉が黄色に輝く杖の石突で、足元の壁を突く。

 

「定期的に全部倒せばいいのよ」

『特級魔法:土石砕流(レイジングアース)

 

 瞬間、爆音が轟く。

 

 長大な防壁が左右から順に爆破されているのだ。土くれと岩塊が大質量の砲弾と化し、眼下の星獣たちを押しつぶしていく。あらかじめ防壁に仕込んでおいた大規模魔法だ。

 

 連鎖する爆発がスタリィたちの元に届く前に、杖を掲げる。宝玉が緑に輝き、二人を突風が包み込んだ。ふわりと宙に浮かび、上空へ退避する。

 

 長い銀髪をばさばさとはためかせ、ノヴァがはしゃぐ。

 

「すっごーい! 魔法使いってこんなにすごいんですね! あんなにたくさんいた星獣が、一瞬で!」

「ふふん。ただの魔法使いじゃ難しいかな。私は中でも優秀な魔法使いだから」

「スタリィさんすごい、最強です!」

 

 悪い気はしなかった。ふんぞり返って得意げにしておく。

 

 すっかり気を良くしたスタリィは、鼻歌まじりに空を飛び、生き残りの有無を確認していく。土煙だらけで分かりにくいが、きっと全部倒せただろう、たぶん。

 

「わわっ!?」

 

 油断していたところに突風が吹きつけ、バランスが崩れる。山頂から吹き下ろす風が激しく、ある程度高度を上げると飛べなくなってしまうのだ。

 

 どうにか体勢を立て直すと、ノヴァが「あっ」と声を上げる。

 

「あそこ! 三体、生き残ってます!」

「どこ?」

 

 指さした先を見ても、土煙だらけで何も見えない。

 

 真上に移動して風魔法を発動。しかし上空の自然風で威力が削がれ、地上の土煙に届かない。

 

「やばい、村の方に向かってる! スタリィさん降ろして!」

「え? あんた一人で下ろしたって……」

「早く!」

 

 初めて見る真剣な顔で急かすので、スタリィはしぶしぶ風魔法を一部解除。風に支えられていたノヴァの小さな体が落下していく。

 

 ノヴァが土煙の中に消えたかと思うと、視界が晴れた。着地の衝撃で煙が吹き飛んだのだ。

 

 ノヴァは犬の形をした星獣の上に立っていた。どうやら踏みつけて早速一匹退治したらしい。ぐったりした一匹の姿が滲み、消えていく。

 

 その前後から同時に、同じく犬型星獣が襲い掛かる。輝く星空の爪がノヴァに迫る。

 

 ノヴァは一歩も引かず、それどころか前に踏み込んだ。星獣の前足を紙一重で躱しつつ、殴り抜ける。

 

 吹き飛び、消滅する星獣。すかさず真後ろに足を蹴り上げると、背後に迫った爪が上方に弾かれた。

 

 隙を晒す最後に一体に、振り返りざまの回し蹴り。弾かれたように吹っ飛んで、星獣は消えた。

 

 半身で残心を取るノヴァ。重心の低い姿勢と鋭い視線には、武術的な心得がある。

 

「えっ、つよ」

 

 思わずつぶやくスタリィ。

 

 降ろせと言うからには何か考えがあるだろうとは思った。しかし単純にここまで武力に秀でているとは、ひ弱そうな見た目からは想像もつかなかったのだ。

 

「スタリィさーん! もう大丈夫、気配はありませーん!」

 

 なんか気配とか言ってるし、実は優秀な経歴の持ち主なのかもしれない。

 

 手を振るノヴァの元に降り立ち、しげしげと視線を送る。

 

 それに気づいたノヴァは、照れ笑いして頬をかく。

 

「へへ、結構強いでしょ。この子何者? って思いましたよね。分かりました、教えましょう。実は私──」

「いやどうでもいい。興味ない。死ぬほど興味ない。昨日の天気くらいどうでもいい」

「辛辣!」

 

 こんなイカレた構ってちゃんの来歴なんて、たとえ気になったとしても知りたくない。

 

「でもそんなところが好きです!」

 

 重要なのは、ノヴァがやけに懐いていること。おそらくこのまま流れで付きまとわれそうなこと。

 

 だったら利用すればいい。先ほどのように、ちょっとした仕事の見落としを処理させるには十分な戦力がある。最大限使い倒してボロボロしてから、報酬だけ全部自分のものにしてノヴァだけ捨てていくのだ。

 

 そっけないふりをして、ノヴァに背を向ける。予想通りノヴァはとことこと付いてきた。

 

「帰るんですか?」

「防壁を作り直すの。時間かかるから、どっか行ってていいよ。むしろどっか行け」

「行きません。終わるまで待ってます!」

 

 純真無垢な笑顔のノヴァ。

 

 まあ中身は意味不明な化け物でも、外見は銀髪美少女で、うるさい以外の害はない。無料の駒として使えるなら悪くないだろう。

 

 スタリィはノヴァの存在を完全に忘れて防壁の再構築を始め、汗だくで作業を終わらせた夕刻、変わらぬ笑顔で「お疲れさまです」と労ってくるノヴァに若干の恐怖を覚えつつ、二人で村はずれの家に戻ったのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ノヴァの使い勝手は非常に良かった。

 

 毎日決まった時間に防壁へ出向き、壁の向こうにノヴァを放り込む。壁を破ろうとしている星獣たちを素手でノヴァが蹂躙すると、スタリィが回収して村に戻る。星獣を壁ごと爆破する従来のやり方に比べ、壁を再構築する手間がいらないため、スタリィにはまとまった時間ができた。

 

 とはいえ、その時間にやりたいことがあるわけでもない。

 

 魔法使いとしての鍛錬はあるにはあるが、さほど時間は取らないのだ。

 

「スタリィさん、それ何してるんです?」

刻印(プリキャスト)

 

 杖先の宝玉に意識を集中し、魔力を一定のパターンで刻み込んでいく。

 

呪文詠唱(キャスト)と同じ効果のある印を宝玉に刻んで、魔力を込めるだけで使えるようにしてる。定期的に刻まないと薄れちゃうから」

「へー。かっこいい呪文は唱えないんですか?」

「《火よ 槍となり 敵を穿て》」

「わぁびっくりした!」

 

 周りをちょろちょろして鬱陶しいノヴァに火の魔法を放つが、あっさり避けられた。

 

 刻印と呪文、両方とも魔法を使う主流の手法であり、スタリィは発動速度の面から刻印を好んでいる。定期的に刻印を繰り返すのも、魔力操作の鍛錬になるため嫌いではない。

 

 そうして魔法使いらしい行動を終えれば、他に予定はない。

 

 強いて言えば川辺でぼうっと水面を眺めるだけだ。

 

「スタリィさん、遊びましょう!」

 

 言うまでもなく、ノヴァに目を付けられた。

 

「見て分からない? 忙しいの。どっか行け」

「はいウソー! どう見ても暇人ですー! 晩年のおばあさんじゃないんですから、暇なら遊びましょう! あっ、返事はいいですどうせ『あっち行け』なの分かってますし。見ててください、スタリィさんが遊びたくなるような面白いもの持ってきます!」

 

 と息巻いて、ノヴァは風のように去って行った。

 

 数分後、帰ってきたノヴァは獲物を誇らしげに突きつけて見せた。

 

「見てください、カニです! 川で捕まえました!」

「うん」

「エビです、アユです!」

「はあ」

「ミミズですカエルです!」

「うわっ」

『初級魔法:火炎球(スピットファイア)

 

 うねうね、てらてらしたものは生理的に苦手だ。反射的に魔法を発動、炎の球が放たれる。

 

 ノヴァは当たり前のように細い足を蹴り上げ、炎の球を上空に逸らした。

 

「おかしいでしょ!? なんで魔法を蹴りで弾いてんの!?」

「知りません、なんかできました! それよりほら、ミミズとカエルですよ!」

「やめて、キモい!」

 

 杖をぶんぶん振り回し、笑顔で迫りくるノヴァをどうにか追い払う。

 

 ノヴァはむっとして口を尖らせた。

 

「わがままばっかり。じゃあ何が欲しいんですか? リス? 鹿?」

「何も……」

 

 いらない、放っておけ。

 

 と言っても聞かないのは予想がついた。スタリィに構ってもらうまで嬉々として貢物を用意し続けるだろう。

 

 スタリィは深々とため息をつき、ついに観念した。

 

「遊んであげる。何したい?」

「やったー! じゃあ水切りしましょう水切り! やったことあります?」

「ない」

「じゃあ石の選び方から教えてあげますね」

 

 瞳を輝かせるノヴァの水切り講座を大人しく聞く。どうせ他にやることもないのだ。便利なうるさい道具を黙らせるためなら、くだらない遊びに付き合ってやるのもやぶさかではない。

 

 平たい石を選び、手首のしなりを利かせて水面に対し平行に投げ入れるだけの簡単な技なんて、複雑な理論に裏打ちされた魔法に比べると文字通り児戯だ。ノヴァの指導に従い、おざなりに第一投を放つ。

 

「は?」

 

 ぼちゃん、と石が沈んだ。思わず低い声が出る。

 

「あっれー? この川辺で最高級の石だったのになぁ」

「不良品だったんだ。間違いない。石が悪かった。次!」

 

 川辺にさっと目を走らせ、適切な形をした石を選別し、集める。

 

 姿勢を低くし、水面と平行に、手首をしならせて投げ入れると──

 

「ここらへんの石は何? 鉛でも入ってんの?」

 

 石は一度として跳ねることなく水没していった。

 

 肩を震わせていると、ノヴァがおもむろに足元の石を拾い上げる。ごつごつとした角形のそれは、どう見ても水面を跳ねそうにない。人に教えたくせに、まともな石も選べないのか。

 

 内心であざ笑うスタリィの視線にかまわず、ノヴァは石を投げ放つ。

 

 たたたた、と小気味よい音の連続。角ばった重たい石は、水面を十七回跳ねて沈んだ。

 

 唖然とするスタリィをノヴァが指さして笑う。

 

「スタリィさんへたっぴー!」

「はぁあ!? ズルでしょ、ズルしたんだ! あんなごつごつ石が跳ねるはずないじゃん!」

「手首と指で回転かければ割と何でもいけるんですー! どうです? 私の弟子になりませんか?」

「なるかっ! 見てなさいよ、魔法使いの意地見せてやるんだから……」

 

 帽子を脱ぎ捨て、ローブの裾と袖をまくり上げ、サイハイブーツを脱ぐ。杖はその辺の岩に立てかけておく。魔法使いの本気野外遊びスタイルだ。

 

 川辺をせかせか歩き回り、まくり上げたローブを袋にして平たい石を集めて回る。

 

 そうして十分に集めた弾丸を川に発射していくが、やはりことごとく水没していく。ノヴァのお手本を頭の中で何度も反芻し、完璧な角度で投げ入れているにも関わらず、石は一度として跳ねない。

 

「やっぱ石がおかしいんだって!」

 

 地団太を踏むスタリィ。

 

 それに対し、ノヴァは無言で石の一つを手に取り、軽い動作で投げた。

 

 たたたん、と見事に水面を切る石。

 

 スタリィはぷるぷる震えてノヴァを睨みつけることしかできない。

 

「あたし、運動神経がすごくいいみたいです。スタリィさんを見てたら初めてそう思いました」

「それって私が運動音痴ってこと?」

「……」

「その目やめろ!」

 

 かわいそうなものを見る目だった。

 

 その後もスタリィが意地になり、不格好な投法で石を川底に衝突させるだけの作業を続け、数時間。

 

 スタリィは汗だくでへたり込んだ。腕が肩まで痛い。普段使わない筋肉を使ったせいだ。

 

「一旦休憩しましょう。もうおやつの時間ですよ」

「あとちょっとだけ……」

「あーっ!」

 

 諦め悪く石を手に取ろうとすると、声。

 

 見ると、村の方向から三人の子供たちがやってきた。

 

 時間は昼下がり。畑や家畜の世話を終え、三人そろって遊びに来たのだろう。

 

 わんぱくそうな少年がスタリィを指さす。

 

「ぐうたら魔法使いが動いてる!」

「明日は星が降るね~」

「もう降ってますよ」

 

 スタリィとはすでに顔見知りだ。仕事以外の暇な時間を何もせず川でじっとして過ごすスタリィは、すっかりぐうたら魔法使いとして有名だった。

 

「そっちの姉ちゃんは誰だっけ?」

「ノヴァです。スタリィさんの大親友です、よろしく」

「だ、誰が……ぜえ、はあ……親友……げほっ」

「スタリィさんって友だちいたんだね~」

「しっ、ダメですよ」

 

 自己紹介の間に聞き捨てならないやり取りがあった気がするが、スタリィは疲れてそれどころではなかった。

 

 ノヴァが水切りで遊んでいたことを説明すると、子供たちが目を丸くする。

 

「昼からずっと練習して一度も跳ねない!? ウソだろ!?」

「根本的に間違ってるのかも~」

「こんぽんって何ですか?」

 

 好き勝手に言いながらスタリィの周りに集まってくる。一回投げるように要求されたが、もうスタリィは腕が上がらない。

 

「なーんだ、教えてやろうと思ったのに。代わりにノヴァ、教えてやろうか?」

「あたしはいいや。だって──」

 

 受け答えの片手間で石を投げ、もう見飽きた見事な水切りを見せつけるノヴァ。

 

 唖然とする子供たちに、得意げに胸を張る。

 

「もう達人だし」

「すげー! やるなお前!」

「強敵登場~! 勝負だ~!」

 

 へたり込むスタリィに子供たちは興味をなくし、ノヴァにじゃれついていく。ノヴァは満更でもなさそうにむふふと笑み、子供たちと水切り勝負を始めた。

 白熱する勝負を尻目に、スタリィは悪態をつく。

 

「ふん、たかが遊びに夢中になっちゃって。こっちは仕事でこの村にいんのよ。遊んでる暇なんてないんだから……」

 

 帽子を拾い、魔法の杖に寄りかかり、よたよたと頼りない足取りで村はずれの小屋に帰って行った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 水切り事件以降、スタリィは空いた時間を川辺で過ごすのを止めた。あの日の翌日に全身筋肉痛で動けなくなり、仕事に支障が出たので、あんな遊びに二度と夢中にならないようにだ。決してうまくできなった悔しさを思い出してしまうからではない。

 

 代わりに家でぼうっとしたり、村を散歩したりするようになった。ついでに村長に相談し、家に届けてくれる食料の量を増やしてもらうよう話をつけた。住まいと食料は仕事の報酬の一部なのだ。

 

 ノヴァはその間も引っ付いてきたが、子供たちに気に入られたらしく、仕事が終わるとスタリィの元を離れ、日が暮れてから帰ってくることが多くなった。帰宅すると手馴れた様子で夕食を作り、村での体験を楽しそうに語るのだ。

 

 子供たちと木登りをした。かくれんぼ、鬼ごっこ、魚釣りをした。子供たちの名前はそれぞれ○○、××、▽といい、○○の家で家畜の世話の手伝いをやらせてもらった。鍛冶屋の▼の家ではもうすぐ子供が生まれるとかでおめでたい雰囲気が漂っている、など。

 

 ノヴァはほんの数日で村人全員と打ち解け、愛されていた。天真爛漫で表情豊かな彼女には、誰からも好かれる愛嬌があった。

 

 だからこそ、余計に分からない。

 

「ノヴァ。私、あなたが嫌い」

「知ってます。だから好きです!」

 

 ノヴァはなぜか、スタリィとの暮らしを止めなかった。

 

 その気になれば、村長に話を通して村のどこにでも住めるほどの信用と立場があるにも関わらず、スタリィの元を離れない。

 

 あくまでも仕事に使える便利な駒として、冷たく扱うスタリィを好きだと言い張る。

 

 そして何より、出会いのきっかけである身投げについて。

 

 底抜けに明るくて、誰からも愛される性格をしているくせに、どうして命を投げ出そうとしたのか。共に過ごせば過ごすほど、ノヴァのことがよく分からなくなっていく。

 

 そうして疑問を募らせて一か月。

 

 夕食を終えた薄暗い部屋の中。ランプが灯る食卓を挟み、ノヴァが一日の出来事を話し出すのに先んじて、

 

「どうして自殺したの?」

 

 スタリィは直球で踏み込んだ。

 

 理解不能、意味不明な化け物の心情に配慮するのは馬鹿らしく思えたからだ。気になったならさっさと聞けばいい。

 

 ノヴァは虚を突かれたように固まると、ふっと相好を崩した。

 

「あたしに興味持ってくれるなんて嬉しいな。でも、もっと優しい聞き方あるんじゃないですか?」

「めんどくさいもん。で? 人生楽しくて仕方ないって感じの性格してるくせに、なんで身投げしたの?」

「ひっどい言い草」

 

 おかしそうにくすくす笑うと、ノヴァは肘をついて視線を落とす。

 

「どうしてと聞かれると、『誰も私を見なくなったから』なんですけど」

「意味不明」

「ですよね。じゃあ最初から順を追って話します。悲しいお話なので、泣く準備しといてください」

「前置きはいいから早く」

 

 つっけんどんな言葉にノヴァはやはり嬉し気に笑みを深め、語り出した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ノヴァは辺境の貧しい村の出身だった。

 

 幼い頃から力が強く、その頑強な体を売りにして、口減らしにあった。違法な人買いに売られたのだ。

 

 首都で買い手がつくのを待っている間に、力づくで檻を壊し、小さな貧民街で浮浪児として暮らした。幸い、生来の怪力を使えば食べ物には困らなかった。強引に盗み、走って逃げるだけで誰も追いつけない。

 

 その手際の良さから『白色矮鬼』の悪名が轟き、衛兵に狙われ、同じ貧民たちにすら煙たがられて情報を売られ、首都では知らぬ者のいない嫌われ者になった。道行く者の誰もが、ノヴァの銀髪と矮躯を見るなり憎悪と侮蔑、嫌悪の視線を向けるようになった。

 

 ノヴァに悪意はなかった。ただ自分にできる方法で飢えを満たし、生きてきただけだ。それが周囲の迷惑になるとは想像もつかず、気づいたときにはもう手遅れだった。ノヴァは誰からも相手にされなくなった。

 

 周囲を見れば、人々はみんな一人ではない。友だちがいて、家族がいて、仲間がいて、楽しそうに笑っている。ノヴァのような一人ぼっちはどこにもいない。

 

 寂しくなったノヴァは、塔を目指した。

 

 流れ星の塔。国のどこからでも見える真っ白なその塔のてっぺんには、女神様が住んでいて、願い事を叶えてくれる。

 

 そうしてノヴァは一人、塔を上った。迷宮を乗り越え、危険な星獣を力で跳ねのけ、たった一人で頂点に至り──願いを叶えた。

 

 友だちがほしい、家族がほしい、仲間が欲しい。優しくされたい、愛されたい。

 

 そんな思いを込めて、こう願ったのだ。

 

『誰からも愛されたい』

 

 

 

ーーー

 

 

 

「その後、しばらくはすっごく楽しかったです。あたしを目の敵にしてた衛兵さんも、闇討ちばっかりしてくる貧民の子も、みーんなあたしに優しくしてくれるんです。お腹空いてないか、困ったことはないかって心配してくれて……塔を一人で登ったのはすごいって、パーティーを開いてくれたり。みんなみんな、私を愛してくれました」

 

 ノヴァが息を呑んだ。

 

「で、でもね」

 

 続く言葉を紡ごうとするが、一文字ごとに喉につっかえて、うまく出てこない。

 

「みんな……っ、あたしを見てない。願い事を、見てる。だって……っ、おかしいもん。初めて会った人が、初めて話す人が、めちゃくちゃ優しくしてくれてっ、私がお腹鳴らしたらっ、食べきれないくらい、料理を持ってきてくれて……この村の人たちだって、あたしが何かしたいって言えば、何でも聞いてくれる。会って数日のあたしを、大事な家族みたいに見て……あたしじゃない。女神が叶えた願いに、優しくしてるだけ……」

 

 絞り出された言葉は震えて、小さな嗚咽が混じっている。

 

 イヤイヤをする子供みたいに首を振り、続ける。

 

「違う……あたしはただ……寒い日に寒いねって、寄り添ってほしいだけだった……疲れていたら、大丈夫? って聞いてほしいだけだった。心配されたかった。かまってほしかった。ちゃんとあたしを見てほしかった」

 

 ノヴァは顔を覆い、俯く。小さな肩が弱弱しく震えている。

 

「もう誰もあたしを見ない。女神がくれた願い事しか見えてない。あんなに欲しかったものは、もう絶対に手に入らない。そう思ったら全部虚しくて、それで──だけど」

 

 ゆっくりと顔を上げた。俯きがちの顔にかかった銀髪の隙間から、涙にぬれる青い瞳が覗く。

 

「あなたに会えた。あたしをちゃんと嫌ってくれる。願い事じゃない、あたしを見てくれる人。気持ち悪いって言ってくれる人。だから好きなんです。スタリィさんのことが」

 

 言葉が途切れ、小さな嗚咽の音だけが部屋に響く。

 

 スタリィは知らず硬直していた体を自覚し、小さく息をついた。

 

 白色矮鬼の名は、首都で活動していたスタリィも聞いたことがあった。数百年ぶりの単独登頂を達成したというのも知っていた。

 

 けれど願いの内容や本人の所在は知らなかったし、まさか川に身を投げるほど拗らせていたとは想像だにしなかった。その名の由来が悪名だったことも。

 

 縋るような目で見上げてくるノヴァ。

 

 それに対しスタリィは少し迷い、率直な思いを口にする。

 

「気持ち悪いやつ。あと、情けない」

 

 目を眇め、ノヴァを睨む。

 

「ずっと欲しかったものを願って、やっと手に入れたんでしょ。だったらその結果から逃げるなよ。自分じゃなく願いだけを見てるって? だったら塔に頼るんじゃなく、自分の力でそうしてもらえるように努力すればよかったのに。悲劇の主人公みたいな言い草が気持ち悪いし、情けないわ」

「……ああ」

 

 心の底から染み出てきたような吐息を漏らし、頬を緩めるノヴァ。

 

「やっぱり、大好きです。スタリィさん」

「あっそ。私は大っ嫌いだよ」

 

 笑顔のままぽろぽろと涙をこぼすノヴァの頭に、スタリィはつい手が伸びる。銀髪に触れる直前でやっと気づき、決まり悪そうに手を引っ込めた。

 

 それからしばらく、ノヴァの涙が止まるまで二人は向き合って座っていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 夜が更け、やっとノヴァが泣き止んだ頃。

 

「そういえば、どうしてスタリィさんには願い事の効果がないんです?」

 

 前々から気になっていたことを聞いてみた。

 

 流星の塔の力は絶対だ。誰からも愛されたいと願ったノヴァは、この世界のたとえどんな偏屈な人間からも愛され、優しくされる。

 

 にもかかわらず、スタリィは出会った当初からノヴァに対し公平だ。同情も憐れみもかけず、ノヴァという少女と率直に向き合っている。

 

 もしかして、流れ星の願いすら無効化する物凄い魔法でも使っているのだろうか。

 

 すると、スタリィは「ああ、それは」となんでもなさそうに言ってのける。

 

「私も願ったから。あなたの願いとかち合って、相殺してるんだと思う」

「えっ!?」

 

 ノヴァが身を乗り出した。

 

「スタリィさんも塔上ったんですか!? えー! 相殺!? どんな願いを!?」

「うるっさい。なんで言わなきゃなんないの。つまんない話聞いてこっちはもう眠いんだよ。さっさと風呂入って寝ろ、拗らせ構ってちゃん女」

「はう、辛辣! 大好き!」

 

 ゴミを見る目で拒絶され、ノヴァは胸がキュンキュンした。

 

 悶絶するノヴァを放置してスタリィはさっさと一人で入浴の準備に向かい、優しさの欠片のないその態度に追い打ちで胸が高鳴る。

 

 興奮のあまり疑問が吹き飛び、結局スタリィがどんな願いを叶えたのか知るのは、もう少し後になるのだった。

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