1学期、期末テストの1週間ほど前。
「堀北、期末も須藤たちの面倒見るのか?」
「ええ、当然でしょう。ここで退学者を出したら、中間テストや先日の件で助けた意味が無くなるもの」
とある授業終わりに聞くと、堀北はそう答えた。
本当はもっと早く始めるべきだったが、須藤の喧嘩騒動があったので、だいぶ開始が遅れてしまっている。
「声をかけてくるわ」
堀北が勉強会へ誘うため、帰り支度を始めている須藤たちの下へ向かった。
だが、
「はぁ……今度は彼らとはね」
中間テストで堀北に惚れた須藤は了承したが、池と山内は逆に中間テストでの成功体験が悪い方に作用し、堀北の誘いを拒絶してしまったのだ。
「また櫛田に頼むか?」
「そんな一時的なモチベーションではダメだと、たった今証明されたでしょう。この先、テストがある度に櫛田さんにお願いするわけにもいかないのだし」
「じゃあどうするんだ」
「何か案は無いの?」
「こういうのはどうだ。名付けて『勉強する奴はモテる作戦』」
「は?」
「平田や他の女子に協力してもらって、平田が女子から人気な理由が勉強できるからなのだと勘違いさせる作戦だ」
「それ、長期的な成果は見込めるの?」
「さあ?」
「真面目に考えないと、また体に穴が空くわよ」
「あ、いいことを考えた」
「何かしら」
「お前が優しく振舞って、櫛田と同じように、あいつらがお前からの誘いなら受け入れるという人気者になればいい」
「出来ると思って言っているのかしら?」
「いや、まったく痛ッ!」
腕に穴が空いた。
「そもそもこれは難しい問題だぞ。危機感を煽るなら1人でも退学者が出れば違うだろうが、長期に作用するモチベーション作りなんて、簡単にできたら苦労はない」
「はあ、そうよね。別に期待していなかったわ」
「なら何故刺した」
オレと堀北が教室の隅で話していると、平田が近付いてくる。
「堀北さん。少し遅れていたけど、今回の期末テストでも勉強会をやるんだ。部活組とそうでない人たちで時間帯を分けるつもりなんだけど、部活をしていない人たちの方を任せられないかな?」
平田もサッカー部に入っているので、部活組側の勉強会にしか参加できない。
「いえ、私は両方参加するわ。期末テストは過去問のような抜け道は無いでしょうし、須藤くんが心配だから」
「そっか! それはありがたいよ」
「あなたから櫛田さんに声かけを頼んでくれる?」
「うん、任せて」
平田が離れていくと、堀北はオレへ目を向けた。
「あなたも手伝いなさい」
「部活してない組だけな」
Dクラスでオレと仲の良い女子は、櫛田、松下、みーちゃん、佐倉あたりだが、全員部活には無所属だ。
部活組は、やはり放課後を共にする機会が少ないので、話しはするが親しいという程の相手はいない。
「いつからやるんだ?」
「今日、今からよ」
櫛田が呼びかけたことで、勉強会にはほとんどのクラスメイトが集まった。池と山内もいる。
「幸村くん、あなたも教える側に回ってくれるかしら」
「ああ、分かった」
教師役は、堀北と幸村。そしてたまに櫛田。
そうなると、自然と男女で分かれていく。男子の質問は幸村へ、女子は堀北へ。
例外は、何かにつけて櫛田に声をかけるバカ2人と、オレだった。
「綾小路くん、どうかな」
「ここで間違えてる。正しいのは───」
オレは佐倉に勉強を教えていた。彼女には他に知り合いがおらず、分からないところがあっても気軽に堀北や櫛田を呼べるような性格ではないからだ。
そして、オレは勉強を教えるのが得意ではないので、説明役にみーちゃんもいる。
「えっと……?」
「佐倉さん、ここはね───」
成績の悪い生徒は、何をどうして理解できないのか。
そこが分からなければ、人に勉強を教えることなどできない。
だからオレは、みーちゃんが佐倉に説明しているところを、興味深く観察させてもらっていた。
「綾小路くん」
ポンポンと肩を叩かれて振り向けば、後ろには松下がいた。
なんだか男子たちから敵意の視線を集めている気がするが、きっと気のせいだろう。
「自分の勉強、しなくていいの?」
「オレが点数を落とさないことより、佐倉の点数を上げることの方が重要だ」
「ん、どうして?」
「実力主義を謳うこの学校が、下位の生徒にどんな試練を課してくるか分からない。実際、退学という通常ありえないペナルティが用意されているからな」
「これからもっと厳しくなるって考えてるの?」
「夏休みのバカンスのことは聞いただろ? 一之瀬の予想では、そこでクラスポイントの変動が生じる何かがあるかもしれないらしい」
「無人島で、学力が必要になったりするでしょうか?」
話を聞いていたみーちゃんが、会話に入ってくる。
「オレが言いたいことはつまり、これから学校の試練が加速していくってことだ。万が一にも佐倉がふるい落とされてしまわないように、今のうちから、せめて学力くらいは引き上げておきたい」
身体能力やコミュニケーション能力よりも、学力は比較的上げやすい。
「へえ、佐倉さんのためにね」
「佐倉のためと言うより、自分のためだ。佐倉がいなくなったら悲しいからな」
「カッコいいこと言うね」
「そうか? むしろ情けない台詞だと思ったんだが」
佐倉の方を見ると、深く俯いて手を止めてしまっていた。
どの部分で悩んでいるのか、オレにはまるで分からない。
「あの、綾小路くん。そういうことだったら、夜、佐倉さんも呼ぼうよ」
「夜って?」
みーちゃんの言葉に、佐倉と松下が首を傾げる。
この2人なら問題無いか。松下は分別のつく奴だし、佐倉は言いふらす相手がいない。
むしろみーちゃんの許しがあるのなら、オレは歓迎だ。
「みーちゃんとオレの部屋で勉強会する約束をしていたんだ」
「え……よ、夜、綾小路くんの部屋で、2人っきりで、ですか……?」
「……そういう関係だったの?」
「言っておくが、
学力を隠している、という疚しいことがあったのを思い出して、オレは言葉を詰まらせてしまった。
それが、2人に何やらズレた確信を抱かせてしまったらしい。
「わ、私も行っていいですか!?」
佐倉はテンパって少し大きな声を出してしまう。教室の面々から視線を浴びて、彼女は真っ赤になり縮こまってしまった。
「私も行っていい?」
「みーちゃんがいいならオレは構わない」
「はい。私は大丈夫です」
こうして、オレはこの期末テストの期間中、夜に3人と勉強会を開くことになった。
何故か、それからは佐倉の勉強が一向に進まなかった。
その夜。夕飯を終えた7時過ぎ。
オレは自室へ、みーちゃん、佐倉、松下を招き入れていた。
「こんばんは、綾小路くん」
「お邪魔しまーす」
「おっ、お邪魔、しますっ」
折り畳みのテーブルをカーペットの上に出す。
「悪い、小さいか」
「このテーブルじゃ、4人はちょっと狭いですね」
「綾小路くんとみーちゃんは佐倉さんに勉強教えてあげなよ。私は単語帳でも見てるから」
この集まりの趣旨を理解している松下が、自分と佐倉の接点が一番無いことも考慮して、最適な配置を即座に言い出す。
「えと、じゃあ、よろしくお願いします」
「教えるのは、主にみーちゃんだけどな」
「任せてください!」
佐倉がテーブルに教科書とノートを広げ、オレとみーちゃんがその左右に腰を下ろす。
松下は躊躇無くオレのベッドに寝転がって、自分で言った通り単語帳を捲り始めた。
それを見た佐倉が頬を赤くする。
「あ、綾小路くんのベッドに……」
「そんなにいいものでもないだろ」
「ううん。他人のベッドって、なんか新鮮でいい感じだよ」
「新鮮って、松下はもう何度か使ってるじゃないか」
オレがそう言った途端、部屋の空気が固まった。
松下は呆れたような顔をオレに向けてきて、佐倉とみーちゃんは顔を真っ赤に染めていた。
「……別に、いかがわしい意味じゃないぞ?」
「そっ、そうだよね!?」
「わ分かってるよ!?」
明らかに分かっていない。
「2人とも、安心して大丈夫だよ。綾小路くんは連れ込むだけ連れ込んで何もしないから」
「まるでオレが積極的に女子を部屋へ呼んでいるみたいに言うな」
「でも、綾小路くんの部屋に女子が遊びにくること結構あるでしょ?」
「友人が部屋へ遊びにくる頻度は、一般的だと思っている」
「綾小路くん、男子の友達いないじゃん」
「いやいるが? 平田に、柴田に、渡辺……」
まあ、女子の方が少し多いか。男子は部活動をしている生徒が多いからな。
それにオレは女子との関係の方を優先しているので当たり前のことだ。
「よし、この話は終わりだ。勉強しよう」
分が悪くなってきたので、オレは手を叩いて話題を中断させた。
「あ、佐倉さん」
「な、なんですか?」
ベッドに寝転がったまま、松下が佐倉の耳元へ顔を寄せる。
「勉強頑張ったら、綾小路くんがご褒美なんでもくれるって」
「へっ?」
そんなことは一言も言っていないが、それで佐倉がやる気を出せるならまあいいだろう。
松下の言葉は、オレの想定以上に、佐倉へモチベーションを与えていたらしい。
「少し休憩しよう」
佐倉の集中力が切れてきてオレがそう言ったのは、10時頃だった。佐倉は約3時間も勉強に集中していたのだ。
「つ、疲れた~……こんなに長い時間勉強したの、生まれて初めてかも」
佐倉が背中から床に寝転がろうとする。
脳が疲労しているせいで、みーちゃんや松下に対する緊張も忘れているようだ。
頭のつく場所にはカーペットが届いていなかったので、クッションを差し出した。
「あ、ありがとう綾小路くん」
「いや。よく頑張ったな佐倉」
「なんだか、いつになくやる気が湧いてきたの。私が頑張ったって言うよりも、多分環境のおかげ───じゃなくて、その、綾小路くんがいてくれたおかげ、だよ……?」
「佐倉の力になれたならよかった。まだ頑張るか?」
「うん、やる気があるうちにやっちゃいたいって思うから」
「そうか、ならコーヒーでも淹れてこよう」
立ち上がると、ベッドの上が目に入る。
集中していた佐倉は気付いていないが、松下は少し前から寝てしまっていた。体を横向きにして、静かな寝息を立てている。
「みーちゃんもコーヒーでいいか?」
「うん。ありがとう」
キッチンでインスタントコーヒーを用意して戻ってくると、佐倉も床で寝てしまっていた。
「寝ちゃったみたいです」
「慣れない勉強で疲れたんだろう」
佐倉のノートや教科書を閉じて脇へやり、テーブルにカップを置く。
「みーちゃんもありがとう。佐倉に勉強を教えてくれて。オレができればよかったんだが」
「ううん、気にしないでください。綾小路くんの役に立てれば嬉しいから」
オレとみーちゃんは寝ている2人を起こさないように、ベッドを背もたれにして寄り掛かる。
「でも、2人に明かさなくてよかったの? 頭がいいこと……」
「今日は佐倉に教える会になるって分かってたからな。上手く教えられないオレは必要無いだろ」
「必要無いなんてことないよ。佐倉さんも、綾小路くんのおかげで頑張れたんですし」
「だが、折角のみーちゃんとだけの秘密なんだ。無闇に明かすこともないだろ?」
「あ……そう、ですね」
みーちゃんが少し尻の位置をずらして、オレの方へ寄ってくる。腕と腕が触れ合った。
「今日はお泊りになりそうだね」
「床で寝させるのは心苦しいんだけどな」
「ベッド1つに、4人は入れませんから……」
次第に、みーちゃんもウトウトしてくる。
勉強を頑張ろうとしている佐倉はともかく、みーちゃんまで夜更かしさせるわけにはいかないので、彼女に渡したコーヒーはノンカフェインのものを使っていた。
「ごめんなさい、少し……眠くて……」
ころんとみーちゃんが倒れてきて、オレの足の上に肩から乗っかって占領してしまった。
勉強会は完全にお開きだな。
オレはみーちゃんをそっと持ち上げて、松下の隣に寝かせる。
シャワーで体を流すと、3人から少し離れた床で横になった。
床で寝たせいで、目覚めは早かった。
陽光の様子から、5時かそこらだろう。
と、そんな推測をするよりも早く、オレの視界には松下の顔が映り込んでいた。
「おはよう、綾小路くん」
「おはよう松下。何してるんだ?」
「膝枕だよ? ベッド使っちゃって悪いなって思ったから」
そんな話をしながら、松下は携帯を持った手を斜め上へ伸ばし、パシャリとシャッターを切った。
「おい、何を撮った」
「綾小路くんが私に膝枕されてるところ」
「恥ずかしいから消してくれ」
「誰にも見せないよ、多分」
友人関係に罅を入れかねない写真は本当に望ましくないんだが……
しかし、ここで頑なに消せと言えば、松下に嫌がられてしまうか。
オレは体を起こした。
「もう起きるの?」
「お前たちは朝のうちに部屋へ戻るだろ? その前に朝食でも振舞おうと思ってな」
「お、やった。綾小路くんの手作り」
「何がいい?」
「お米とか炊けてないでしょ? 簡単なものでいいよ」
「そうだな……」
女子に振舞うのだから、例えばジャンクなものは少し憚られる。
オレはネットで美容にいい朝食メニューを検索し、その中から作れるものを選ぶことに。
出来上がる頃には、佐倉とみーちゃんも目を覚ましていた。
「綾小路くん、料理上手だね……!」
「4月から、節約のために練習していたからな。無料定食はまずいから」
「美味しいよ!」
「ほとんどスーパーの無料食材なんでしょ? また食べに来てもいい?」
「いつでも来てくれ」
6時前には、朝食を綺麗に食べ終わる。
「また今夜」
同じ階の男子生徒が廊下に出てこないうちに、3人は自分の部屋へ戻っていった。