7/1。
「おはよう、綾小路くん!」
「おはよう」
朝、オレは寮のロビーで一之瀬と会った。
「一緒に行かない?」
「喜んで」
一之瀬と並んで通学路を歩く。
「なんだか新鮮だな、一之瀬と2人きりなのは」
「あー、確かにそうかも?」
少し珍しいことだ。一之瀬は常に周りに誰かがいるので、2人になるのはもしかしたら初めてかもしれない。
「ねえ、プライベートポイント振り込まれてた?」
「いや、0だな。中間テストでクラスポイントの変動は無かったのかもしれない」
「ううん、私も───Bクラスも振り込まれてなかったの」
「そうなのか……学校側で何かあったのかもな」
「それか……クラスポイントに影響を与えるような、生徒間のトラブルとか?」
「それは怖いな。うちには問題児がいるし」
「おーい一之瀬~」
後ろから男子生徒が呼んでいる。
一之瀬との2人きりの逢瀬は、ほんの数分で終わりを告げたらしい。
Dクラスは83ポイントを得たが、プライベートポイントの振り込みは遅れているようだ。
その原因を、オレはその日の夕食後に知った。
須藤と櫛田が部屋にやってきて、須藤がCクラスの石崎、小宮、近藤たちを殴ってしまい訴えられているからなんとかしてくれと頼んできたのだ。
オレたちは、いたかもしれない目撃者を探すことに。
須藤が先に帰り、部屋にはオレと櫛田の2人だけになった。
合鍵を他人が持っていることが判明したので、チェーンを掛けておく。
「綾小路くん。なんていうか、あんまり乗り気じゃない?」
「ああ。この件、要点はどこだか分かるか?」
「え? えっと、小宮くんたちが嘘を吐いているってことかな?」
オレはベッドに腰掛けながら、首を横に振った。
「違う。須藤が一方的に暴力を振るってしまっている点だ。その上で訴えられている以上、須藤が無罪はあり得ない」
「でも、小宮くんたちが、嘘を吐いているって認めたら?」
櫛田もオレの隣に座ってくる。
「それもあり得ない。そいつらはもう嘘を吐き学校側を騙して巻き込んでしまっているからな。認めたら重罪を背負うことになる。突っ走るしかないだろ」
「そっか……」
「これが、Cクラスが須藤を陥れるために行った罠だと証明できたら、暴力の件が同意していたものと見做されて無罪の可能性はあるかもな。何度も言うが、あり得ない」
「じゃあ、綾小路くんは手伝わないの?」
「櫛田は協力するんだろ?」
「うん、もちろんだよ!」
「ならオレも、せめてこれ以上罰が重くならないようにはしよう。須藤に任せたせいで罪が増して、クラスポイントにまで大きな影響が出たら嫌だからな」
「ホント!? ありがとう綾小路くん!」
櫛田はオレの手を握り、本当に嬉しそうな表情をする。
「ところで、どうして今もその仮面を被っているんだ? ここにはオレしかいないが」
「それはほら、普段からこうしていないといざって時にボロが出るから?」
「櫛田がいいなら、別にいいんだ。オレに心を許せないのは仕方ない」
オレは携帯をベッドに放り、録音などしていないことを示した。
「……はぁ。ホントはウザいに決まってんじゃん。私たちに迷惑かけんなクソ須藤って思ってるよ」
「そうだな、須藤が暴力を振るわなければ、今よりずっと軽い問題だったろう」
実際には、指示を出しているであろう龍園が石崎たちを傷付け、その怪我でもって須藤を訴えた可能性は多いにあるが。
だが今は櫛田に共感しておこう。
「目撃者探しとか超面倒。しかも根拠もクソ曖昧だしさ」
口調の乱暴さに引っ張られて仕草も荒っぽくなったのか、櫛田はバフンとベッドに寝転がった。
「本当にな。これで他学年とかだったら見つかる見込みは無しだ」
「最悪なのは須藤の勘違いだったって場合だよ」
「間違いない」
俺も背中からベッドに倒れる。
すると櫛田が横に転がって、オレへ体を向けてきた。
「ねえ、なんかとっとと解決する方法とかないの?」
「あるにはあるが、まだ使えないな」
「どういうこと?」
「オレが思いついている作戦は、相手に時間を与えたら瓦解する程度のものだ。つまり審議の直前に仕掛けたい」
「じゃあ目撃者探しはしなくてもいい?」
「いや、須藤にこれは教えない。態度に出るだろうからな。櫛田は須藤に頼られるから、目撃者探しはしなくちゃいけないと思うぞ」
「うげぇ」
櫛田は露骨に嫌な顔をして、また天井へ向き直った。
翌日。
部活レギュラーのために問題を広めたくなかった須藤の意思とは反対に、朝にはそれが周知されてしまった。
「俺は何も悪くねえ、正当防衛だ正当防衛」
須藤のそんな主張は、櫛田の擁護があっても、クラスメイトでさえほとんど信じない。
この件の問題の根幹が如実に表れていた。
「あなたは今どちらが先に仕掛けてきたのかを焦点にしているようだけど、そんなことは些細な違いでしかない。そのことに気が付いてる?」
そのこと───問題の根本は須藤の日頃の態度であると理解している堀北は、協力をきっぱりと拒絶する。
そして放課後から、平田のチームと櫛田のチームで目撃者探しを行うことになった。
オレはもちろん櫛田グループだ。池と山内も一緒である。
「じゃあどこから行こっか?」
「Bクラスがいいんじゃないか」
「どうして?」
「Bにとって、DよりもCの方が脅威だ。つまりこっちに協力してくれる可能性が高いだろ?」
「ならAクラスでもいいんじゃないのかな?」
「Bクラスの方が、オレも櫛田も友人が多いだろ」
「それもそうだね!」
そういうことで、Bクラスへ向かうことに。
櫛田を先頭に廊下を歩いていると、オレは池と山内に左右から肩を組まれ、絡まれた。
「おい綾小路、お前なんでそんなに櫛田ちゃんと仲良いんだよ」
「そうだぜ。付き合ってねーだろうな」
「オレが櫛田と? 釣り合わないだろ」
「まそりゃそーか」
「じゃあ俺たちが櫛田ちゃんと仲良くなるの手伝えよ」
「……あー、いいぞ」
池と山内は、櫛田に大きなストレスを与える人間だろう。
櫛田がストレスを抱えれば、オレと素の状態で関わる機会が増える。
「行こっ、綾小路くん!」
「ああ」
Bクラスに着く。オレは池と山内を引っ張って櫛田の後に続いた。
教室の中には、10数名しか残っていなかった。一之瀬もいない。
「おっ、櫛田ちゃん、綾小路くん」
「こんにちは、網倉さん!」
「ああ。少し聞きたいことがある」
櫛田が、須藤のことをBクラスに残っている生徒たちに説明したが、収穫は無かった。
「今いない人にも聞いてみるね」
「うんっ、よろしく! ありがとね!」
「ねぇ、ところでこの後空いてる? 遊び行かない?」
「いや、暫くは目撃者探しであまり放課後時間は無いだろうな」
「そっか、残念。頑張ってね」
網倉に手を振って、オレたちはBクラスを後にした。
池と山内は終始緊張していて、何の役にも立たなかった。
その、十数分後。
「───お久しぶりです綾小路くん。8年と141日ぶりですね」
Aクラスにも聞き込みに行った後、オレは神室という女子に呼び出され、見知らぬ少女と対面していた。
名は坂柳というらしい。
「悪いが、お前のことは知らないぞ」
「ふふ。そうでしょうね。私だけが一方的に知っていますから」
カツン、カツンと杖の音が遠ざかっていく。
オレの顔を見たかっただけなのか? 何にしろ用件を話す素振りがないので、オレも立ち去ろうとした。
「ホワイトルーム」
囁くように呟かれた単語が、オレの足を縫い留める。
心中で疑念を渦巻かせながら振り向けば、ちょうど彼女と目が合った。
「Aクラスのお友達からお名前を聞いて、もしかしたらと思ってはいたんです。そして今日、あなたの姿を見て確信しました」
オレを知っているという言葉に、どうやら嘘は無いらしい。視線と声音に確信が満ちている。
「それを伝えて、何がしたいんだ?」
「警戒なさらないでください。あなたのことは
「……何がしたいのかと聞いている」
オレには今、友人がそれなりにいる。
そんな中で坂柳にオレのことを言いふらされると、いやに目立ってしまうことになりかねない。
「他人に邪魔されたくないんです。偽りの天才を葬る役目は私にこそ相応しい」
目的は、オレを打ち負かすこと、か。
「構わないぞ」
「え?」
「他人にオレのことを話さないこと。勝負は2人だけで行うこと。それを守れるならいつでも挑んできて構わない」
「……今からでも?」
「何で競うんだ?」
神室の呼び出しで櫛田たちとは別行動になれたので、今日はもう目撃者探しに付き合う必要が無い。
「ではチェス。チェスをしましょう。私はあなたとチェスがしたかったのです」
「構わないが、セットはあるのか」
「図書室に置かれているんですよ。早速行きましょう」
杖をつく坂柳の遅い歩調に合わせて歩き、並んで図書室へ入る。
坂柳の代わりにチェスセットを持ち出して、駒を配置した。
「では、始めましょう」
───結果は、
「チェックメイトだ」
オレの勝利。
しかし容易くはなかった。ホワイトルームで相手をした、プロの講師とされていたその誰よりも強かったのは間違いない。
ゲームは淡々と進めたが、内心では坂柳を称賛していた。
「ふふふ。私の負けですね。まいりました」
「思ったよりも素直なんだな」
「私はあなたと白黒つけたかっただけですから。もちろん悔しさはありますが、不平不満は漏らしませんよ」
「そうか、好ましいな」
オレはチェスを片付けると、携帯を起動した。
ホーム画面にはチェスのゲームアプリのアイコンが表示されている。
「坂柳、これで終わりではないだろ?」
「はい。また挑ませていただくつもりです」
「ならこれからはオンラインでやらないか。図書室に来るまでの間に、ボードゲームのアプリをいくつか見繕っておいたんだ」
「構いません。チェスは趣味、楽しい娯楽ですから。気楽に遊べるならそれに越したことはありません」
坂柳にアプリをインストールさせ、フレンド登録しておく。
こうすれば、ゲームを起動していなくても、対戦リクエストが通知として相手に届くのだ。
ついでに、同じ会社の別のボードゲームアプリも入れておいた。
「秘密のお友達、ですね」
「そうだな。オレにとってもお前は特別だ」
実力を見せた、という意味では、勉強を教えているみーちゃんに次いで2人目か。
しかし何らかのことで全力を出したのは、今の一局が初めてだ。
「でも、交流がオンラインだけでは寂しいですから。普通に、会って遊びにも行きましょう」
「ああ。いつでも誘ってくれ」
「あの、綾小路くん。終わりましたか?」
寮へ帰るため、坂柳と2人して立ち上がったところで、本棚の陰から椎名がひょっこりと顔を覗かせた。
「椎名、いたのか」
坂柳との一局に集中していて、近くにいたことに気付かなかった。
まあそもそも、図書室に入った時点で椎名がいることは確認していたし、彼女なら無闇に言いふらさないと分かっていたので気にしていなかっただけなのだが。
「はい。声をかけようかと思ったのですが、真剣な様子だったので対局が終わるのを待っていたんです」
「すまない、待たせたな」
「綾小路くん、こちらは?」
「Cクラスの椎名ひよりだ。オレの読書友達だな。5月に入ってプライベートポイントが心もとなくなってからは、結構頻繁に放課後を共にしている」
「もしかして、図書室に椎名さんがいることは予想していたのでは?」
「いると思っていたし、実際いることは確認していた。だが椎名は人に言いふらすような性格じゃないし、配慮のできる生徒だから邪魔されることもないと分かっていた。なら今は、坂柳を満足させることの方が優先だと判断しただけのことだ」
「私は別に、オンラインでも構いませんでしたよ?」
「いや、待ちきれないという雰囲気がオレにも感じ取れたぞ」
「そ、そうでしたか」
坂柳は少しだけ頬を紅潮させた。
「椎名、こっちは……」
「Aクラスの坂柳有栖さん、ですよね。龍園くんから名前を聞いたことがあります」
「初めまして、椎名ひよりさん。是非仲良くしましょう」
「はい、坂柳さん。ところで本は好きですか?」
「人並みには。ですが綾小路くんも好きだというのなら、私ももっと手を出してみようかと思います」
「いいですねっ。好きなジャンルは───」
読書仲間を見つけた椎名が、目をキランキランと輝かせた気がした。
気丈な振舞いをする坂柳が、椎名のテンションに気圧されている。これが微笑ましいという感情だろうか。
「椎名、まだ残るのか」
「あ、いえっ。私ももう帰るところです。少し待っていてください」
椎名が早足で離れていく。
坂柳は、近くの椅子を引いて腰掛けた。
「第一印象より、激しい方でした」
「普段はほとんど落ち着いているけどな。たまにああいった姿を見せる」
「……なんだか、分かり合っているという様子ですね」
「どうだろうな……正直、一緒にいる時もそれぞれが読書しているだけだから、会話は少ないと思う。好きなものとか、そういうのもあまり分からないしな」
「ああ、その話を聞いて思い出しました。椎名さんの登場で、大事なことを忘れていたんです」
坂柳はそう言うと、そばに立つオレの手を包み込んできた。
冷房の効いた図書室の中、右手だけが温もりに覆われる。
「人は触れ合うことで温かさを知ることができる。それはとても大切なもの。人肌の温もりも、けして悪いものではありません。覚えておいてください」
「どういう意味だ」
「遅くなった、私からのメッセージです」
少女の体温。柔らかな質感。滑らかな手触り。
しかし、それらの物理的な情報以外、オレには感じ取れない。精神的な温もりを、オレは見つけられなかった。
「お待たせしました。では帰りましょうか」
椎名が戻って来たのを察知して、坂柳が手を離す。
オレたちは歩行にハンデのある坂柳を真ん中に並んで、寮への道をゆっくりと歩いていった。