女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF 作:IGLOO(いぐるー)
ほとんど眠れない日が続いている。無理矢理寝ようとベッドに入ってみても、瞼が重くなるどころか、どんどんと頭が冴えてくる。ふっと色々なことが思い浮かんでは消える。そもほとんどがスティルとの思い出、そして後悔。昔の思い出を辿ってみても、すぐにスティルともう会えない今に行きついてしまう。幼いスティルと行った公園、海、展望台、でももう行けない。スティルと一緒に作って食べたお菓子、スイーツ、でももう出来ない。病院に行こうとも考えたが、すぐに却下した。ウマ娘にはときどき不思議なことが起こりますからね、で終わるのが目に見えている。不毛な時間にしかならないので、諦めて仕事をする。過去のデータ、対戦相手の情報収集などは自宅でも出来る。スティルがああなってしまった以上、レースに出さないというのも難しい。走らせまいとすれば、どんなことをしでかすかわからなかった。
エリザベス女王杯でライバルと目されるのは当然アドマイヤグルーヴだった。しかしそれだけではない。今回、2つ上の世代が強敵として出走メンバーに加わっている。GⅠ2着3回、薔薇一族のウマ娘、2年前のオークス馬娘、そのあたりが筆頭格だ。みな、強力な末脚を持っている。単なる末脚比べではスティルに分が悪い。どの位置につけ、どこで加速するのか…。そんな作戦を練り、一応スティルにも共有する。これも聞いているのかいないのかわからない反応だったけれど、伝えないよりはきっと良いはず。出来るだけのことはして迎えたエリザベス女王杯本番だった。
「おはよう、お姉様。」
「スティル…おはよう、早いんだね。」
今日もまともに眠れなかった。京都でレースが開催される際のトレセン御用達ホテルのベッドが悪いわけではない。相も変わらず自分の体調のせいだ。空が明らんできたことは覚えている。さっきまでうつらうつらしていた気がする。ノックの音で目が覚め、扉の外にはスティルが居た。
「早いところレース場へ向かおうと思って。お姉様も早いほうが良いでしょう?」
「そうだね、日が昇ってからだときついかも。」
荷物をまとめ、さっさとホテルをチェックアウトする。朝食は食べられる気がしなかったので、ハナから宿泊プランから抜いてある。
「朝食、要らないの?」
「うん。最近、朝あんまり食べないから。スティルこそ要らなかったの?」
「ええ、要らないわ。」
嘘だった。最近は朝どころか食事そのものをまともにとっていない。ただスティルはこうなってから食べるのが早くなったし、量も増えたはず。それは気になったけれど、指摘はしないでおいた。彼女自身、それで万全なのだと判断したのだろう。
しかし、スティルが気を遣ってくれたことは良いものの、私の身体はもう限界だった。自分自身、なぜこうまでするのかわからなくなっていた。ただ、スティルが走る、だから支える。自分を労わろうだとか、この辺でやめておこうという自制心みたいなものはとうに無くなっていた。朝日は身を焦がし、サングラス越しに目を焼かれるようだった。歩くのでも精一杯だった。確か結局すぐにタクシーを捕まえた気がする。
気が付けば京都レース場の控室に居て、勝負服姿のスティルが目の前に居た。
「あれ、スティル…?」
「待っていてね、お姉様。もうすぐ、ひとつになれるから。」
キスでもするのかという距離にスティルの顔がある。紅い瞳が視界を覆う。
「えっと、うん…?」
「それじゃあ、いってきます。」
「いって、らっしゃい…。」
晴れやかな様子のスティルを見送る。もう、椅子から立ち上がることすら困難だった。
「スティルさん、貴女、いえ、貴女たちはおかしいわ。」
レース前、地下バ道でスティルインラブに声をかけてきたのはアドマイヤグルーヴだった。
「出会い抜けに随分なご挨拶じゃない?アルヴさん。」
鬼気迫る雰囲気のアルヴ。普通のウマ娘ならここで気圧されて物を言うことすら難しかっただろう。スティルはしかし、そんな威圧感もどこ吹く風といった様子。
「私は貴女たちが羨ましかった…認めるわ。だから、だからこそ、今の私は貴女たちに負けない。負けてはならないの。」
「ふぅん。せいぜい頑張ってね。ワタシはワタシの愛を手に入れるだけだから。」
お互い、会話をしているようでしていない、一方的に言葉をぶつけているだけにも聞こえた。
ファンファーレを耳にしながら、足を引きずってなんとかコースと観客とを隔てる柵の前に辿り着く。ゲートが開く直前。何とか間に合った。
ゲートが開く。霞む目でスティルを追う。内目の枠だったこともあり、すんなりと中団の内を取れている。スティルをマークするかのように有力ウマ娘らがその後ろに付ける。先日スティルに話した作戦通りだった。柵に縋りついてレースの様子を追う。もう既に立っていることでさえ苦痛になっていた。視界が歪む。それでもスティルから、紅く美しい獣から目を離したくなかった。一団はそのまま殆ど隊列が動くことなく最終コーナーに向かう。スタンドはきっと大歓声が起きているはずだけれど、もう何も耳に入ってこなかった。スティルはスムーズに外に出せた。しかしアドマイヤグルーヴが猛然と追い込んでくる。もう捉えられそう。声を上げようとした。でも、応援したくても、もう声が出なかった。
(スティル…勝って…全部、あげるから…全部…。
…あれ、何を、あげればいいんだっけ。私……あ、れ…。)
目の前が真っ暗になった。ぷつり、と何かが切れた感じがした。
スティルインラブは最終コーナーから直線へと駆けていた。
(お姉様!お姉様!スティルとお姉様はもうすぐ一つになるの!だから、全部全部ちょうだい!お姉様が全部くだされば、スティルも全部あげるわ!勝利も、栄光も、ワタシ自身も!だから、だから!……え。)
直線、左から徐々に視界に入ってきたアドマイヤグルーヴ。しかしスティルの意識はそちらへ向けられてはいなかった。彼女が視界にとらえたのは、崩れ落ちるトレーナーの姿。そして、何か繋がりが切れるような感覚。
アドマイヤグルーヴの視界に入ったのは、驚愕に目を見開くスティルインラブ。しかしそれは、彼女を打ち負かした自分へ向けられてはいなかった。何かを叫びながら半狂乱になってスタンドへ駆けていく彼女。周りには既に人だかりができている。彼女はトレーナーを抱きかかえて何かを叫び、泣き喚いている。何がどうなっているのか。ただ一つだけわかったのは、自分は彼女に勝ったのだということだった。
「あ、れ…。」
目が覚めると見知らぬ真っ白なベッドに寝ていた。身体には力が入らない。横を見るとスティルが私の手を握ったままベッドに伏して眠っていた。
「スティ、ル…。」
右手に少し力を入れる。温かく、柔らかい感触が伝わる。彼女の両耳がピクリと動く。
「ん…はっ、お姉ちゃん、目が覚めた!?」
「おはよう、スティル。」
「待っていて、今お医者様を呼んでくるから。」
ちらと顔を見ただけで、泣き腫らした様子がわかった。呼び止めようとした頃にはもうぱたぱたと部屋から出て行ってしまったスティル。心配かけちゃったな、何かお詫びをしないと、そんなことを考えていてやっと気が付いた。スティルが私のことを「お姉ちゃん」と呼んだことに。
「元の…スティルに…戻ってる…?」
その後すぐに看護師と医者が到着し、色々な説明を受けた。要約すると倒れた原因は過労だろうけれど、精密検査はしておこうということだった。その間、スティルは私の視界に入らないところに立っていた。顔を合わせるのが気まずいとでも言うように。
「本当に、ごめんなさい…。」
医者たちが去った後、意外にもすぐにスティルが口を開いた。それも謝罪の言葉を。
「なんでスティルが謝るの。ね、顔を上げて。本当に謝らないといけないのは私なんだから。」
顔を上げたスティルは頬に涙を伝わせた。きっと私が意識を失っている間、泣きじゃくっていただろうに、まだ涙は枯れていないようだった。
「わた、私が、悪いんです…。あの子を、解き放ってしまって、それで、お姉ちゃんの命を吸ってしまった…。」
「私の、命?」
「獣と、ひとが、同じになれるわけなんてないのに。この子には、それがわからなくて…でも、最初に、勝ちたいからと、醜く願ったのは、私で。私が、私が悪いんです。」
支離滅裂でよくわからないことを言うスティル。よっぽど混乱しているのだろう。でも、なんとなくわかった。わかってしまった。私とスティル、そして内なるスティルがどうなっていたのか、どうなろうとしていたのか。彼女と近づきすぎたせいなのか、感覚で少し理解できた。あの子は、私をあの子の世界に引き込もうとしていたのだと。ただいずれにせよ、今はスティルを宥めることが先決だった。
「ねえ、スティル、聞いて?私たちね、どこか少しずつ、すれ違ってしまっていたと思うの。ちょっと離れていたせいかな…。スティルのことは何でもわかると思ってたけど、とんだ自惚れだった。待って、最後まで聞いて?ね?それで、一旦レースの事とかは忘れて、2人の時間を過ごしてみない?結論を出すのはそれからでも遅くないと思うの。だからとりあえず、明日もお見舞いに来て…は難しいか。授業あるもんね。ていうかここ京都だし。じゃあ、毎日、レインして欲しいな。朝でも夕方でも寝る前でも良いから。だめかな。」
「それ、は…。」
「さっきは自惚れって言ったけど、やっぱり少しはわかってると思うな、私。スティルが何をしようとしているのか…なんとなくわかるから。」
「お姉ちゃん…。」
スティルが責任を感じて私の元から去ろうとしていることはすぐにわかった。なぜそう理解したのかはわからない。さっきもスティルの言葉が分かったように、もしかしたら、今回のことでスティルとの繋がりが深くなって…みたいな、オカルトとかスピリチュアルみたいなことが本当にあるのかもしれない。ただ理由は何であれ、スティルの反応から図星であることはわかった。スティルの、引っ込み思案な割に変な方に思い切りのいい性格からすれば、さもありなんというところか。可愛げはあるけれど、今思い切られては困る。
「言っておくけど、私、貴女のそばを離れるつもりはないから。スティルがどうかは知らないけど、そんなこと関係無い。スティルがどこに行こうと這ってでも追いかけるし、地獄の果てだって行ってみせる。覚悟しておいてね。」
「私…だって…貴女のそばを離れたくなんてありません…!でも…!」
「でももだっても無いの。ね、スティル。こっち見て。もう大丈夫、私は。倒れたそばからこんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど…。ね、私の目を見て。」
スティルの頬に手を伸ばす。靄が晴れたように頭の中がすっきりしていた。今では、スティルのため、スティルのためと色々と考えていたことが馬鹿らしく思える。本当にスティルのためを想うなら、私の意見や意地、想いを通すことが時には大事だったのに。今ようやくわかった気がする。
「とりあえず、普通に過ごそうよ。それからでも遅くはないでしょう?色々決めるのは。私はそれまでに貴女を信じさせてみせるから。お願い、スティル。」
涙こと流れていないものの、潤んだ瞳でこちらを見つめるスティル。薔薇よりも鮮やかで、濃い情熱の色をした瞳。私はこの瞳が大好きだ。目を逸らさず、見つめ合う。それでも首を縦に振ってくれないスティル。
「ねえ、スティル。一生のお願いだから。」
ふと、記憶が蘇った。幼い頃の記憶。旅行か帰省か、そこまでは覚えていないけれど、私がどこかに行って数日スティルと会えないときがあった。帰ってきたときに、スティルに抱き着かれて大泣きされた。もうどこにも行かないで!ずっとスティルのそばにいて!そう言われた。
『わかった、お姉ちゃんずっとスティルのそばに居るから。』
『ずっと居てくれる?』
『うん、ずっと。』
『約束だよ。一生の約束!』
『わかった、一生の約束ね。』
『うん!』
「…一生のお願いなら、聞いてあげないといけませんね。」
スティルはまた涙を流していた。同じ記憶を、蘇らせていたのかもしれない。
「ありがとう、スティル…。」
いつの間にか私も涙声になっていた。衝動のまま、スティルを抱き寄せた。
「お姉ちゃん…。」
「それと、言わなきゃいけないことが、まだあるの。大事なこと。…もう会えないと思ってた。おかえり、スティル。おかえり…。会いた、かった…。」
「うん…、ただいま、お姉ちゃん…。」
2人の嗚咽だけが、病室に響き続けた。