女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF 作:IGLOO(いぐるー)
「その…。お姉ちゃん、なんでスティルのために、ここまでしてくれるの…?」
「ん〜?そりゃあ、スティルは私の大切な妹だから。血がつながってないとかは関係無いよ。」
「そう…なんだ。じゃあ、スティルが…もしトレセンに入れたら、お姉ちゃん、スティルのトレーナーさんになってくれる?」
「中央の、トレーナー…。…うん、もちろん。お姉ちゃんはスティルの担当トレーナーになるよ。」
「本当…!?約束、してくれる…?」
「わかった、約束。」
「約束!」
なぜ彼女のことをそこまで気にかけていたのか、いや、今でも気にかけているのか。明確な理由は自分でもわからない。ただ1つ確実なのは、スティルのことが大好きだということ。それだけは昔から変わらない想いだった。
---
「うぅ…んぅ…。うぅん…。んぁ…いたっ。…えっ、どこ。…玄関?」
寝ぼけた頭に、首からの電気で目が覚めた。気が付けば私は玄関で倒れるように寝ていたらしい。全身に不快感と違和感がある。頭も痛い。それよりも昨夜のことだ。首筋の痛みが夢ではないと主張していた。
「スティル!」
私は咄嗟に玄関から飛び出した。スティルがそこに居るはずもないのに。しかし。
「あ…。」
「えっ。」
居た。驚愕の表情を貼り付けて目をまん丸にしているスティルインラブが。
「…。」
数瞬の沈黙。お互い固まってしまって次のアクションが起こせずにいた。
「えぇと…ええと…。ごめんなさい!」
視線を泳がせたあと、脱兎の如く駆けだすスティル。
「あっ、スティル、待って!」
一歩目が遅れればヒトがウマ娘に敵うわけはない。それは階段があっても結果に大差はない。私は足早に去るスティルインラブを見下ろすことしか出来なかった。
しかし私には確信があった。待てば会える、と。つまり未デビューのトレセン生である以上、模擬戦にずっと出ないということは許されない。それの手伝いをしていれば、いつかスティルインラブは姿を現すしかないということだ。もちろん教室に押しかける方法もあったが、それはあまりにスティルの心に土足で踏み込む行為で嫌だった。変な噂が広がることも避けたい。本人にはある程度観念してもらってから向き合いたかった。
そのときはじきに訪れた。ある週末の模擬レースにスティルの姿があった。彼女も私のことは認識しているようで、努めて視線を合わせないようにしているらしかった。
「あれ…ひとり足りないな。…居ないのは5番か?」
「走らないのなら…それで…」
相変わらずの体質なスティル。当の本人は何かもごもご言っている。気にせず担当の教官に彼女の存在を伝える。
「5番も準備完了していますよ、ここに。」
「ん?…ああ、気付かず申し訳ない!皆揃っていたな、では、枠入りしてくれ。」
目を見開いたあと、恨めしそうな、悲痛そうな顔を向けてくるスティル。目配せで早く枠に入れと催促する。やがて彼女は足取り重くゲート入りした。
そしてレースが始まった。初めこそぎこちない走りだったスティルだが、中盤から様子が変わった。人格が変わったように苛烈な走り。周囲のウマ娘が圧倒されているのが遠目にもわかる。かと思えば終盤には萎んでしまい、結局最後方でのゴールとなった。
(やっぱり…スティル…。)
「こんな…こんな姿…いや…っ!」
何か叫んだかと思うと、スティルはそのままどこかへ駆けだしてしまった。
「やば!」
反応が遅れてしまい、追いかけようにも完全に見失ってしまった。とりあえず手当たり次第探して回る。
(よく遊んだ場所ならだいたいどこに行くかわかるんだけどな…)
ひとりになれそうなところを闇雲に探していると、いつの間にか派手な見た目とは裏腹に静かな雰囲気を纏った不思議なウマ娘が目の前に居た。
「ネオユニヴァースは“クルーメイト”なんだ。だから-わかるよ。『伝える』をする。“HRUP”、集中して、『掬って』。“あの子”の“本能”を。目を閉じて-耳を澄まして。『想って』-“スティルインラブ”を。」
何を言いたいのか殆どわからなかったが、何をすればいいかはわかった。スティルインラブを想う。だんだんと思考が定まらなくなる。昔は自然とスティルの居場所がわかったのに…なんで。スティルとの繋がりみたいなものが切れてしまったのだろうか。
(スティルはもう私のことを好きじゃない?そんなのは…嫌だ。)
頭が痛くなる。ノイズと囁きで思考が埋め尽くされていく。頭の中に響くそれらはだんだんと纏まっていき…。
《コ こ ま で き テ》
頭痛を堪えながら、ふらふらと足を動かした先で、彼女はひとり悶え苦しんでいた。
「秘めて、いたのに…。」
『秘められるはずがない。』
「汚らわしい、はしたない…!」
『それがワタシ。』
「あの人に、見せてしまった、見られてしまった…!」
『受け入れなさいな、わたし。ワタシはアナタ。アナタはワタシ。本能のままに貪り、悦楽に溺れ、蹂躙に耽る、ふしだらな魔性…。大丈夫、嘆くことはないわ。愛しのあの方は、どんなアナタを見たとしても…。』
「スティル!」
私の考えが甘かった。スティルの走る姿は、抑えきれない本能だとかそういう生易しいものではないとここにきてようやくわかった。スティルには、もうひとりの人格と呼べるものがあるのだと。あまりに苦しみ悶える彼女の姿に我慢できなくなった私は、声をかけてしまった。
「おねえ、ちゃん…。なんで…ここが…。」
「貴女のお姉ちゃんだから。それ以上の理由が必要?」
謎のウマ娘…ではなくネオユニヴァース、彼女の助けがあったことまで言う必要は無いだろう。スティルは一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに俯いてしまった。私は、彼女が喋ってくれるのをただ待った。
「…。失望…いえ、嫌悪、しましたよね…。あんなひどい姿…。わた、私は、ああいうウマ娘なんです。みられ、たく、なかった…。おね、えちゃん、だけには…。見られたく、なかった…!でも、だからといって、お姉ちゃんを避けて…酷いことを、してしまいました。私は、醜い、醜い、ウマ娘なんです。ほんとうに、ごめ、ごめん、なさい。」
嗚咽混じりに言葉を紡ぐスティルインラブ。私は無意識に、彼女を抱きしめていた。
「えっ…。」
「うん、私から逃げ続けたのは結構本気で怒ってる。そのうち埋め合わせしてもらうつもりだから。そしたら許してあげる。」
「うめ、あわせ…?」
「そうだな、手始めにまず、担当になってほしいな。私の担当ウマ娘に。」
「たん、とう…?」
頭が混乱しているのか、オウム返ししか出来なくなっているスティルに苦笑しつつ続ける。
「あのねスティル。私が今更そんなことで貴女のこと嫌いになると本気で思ってるの?だったらそれこそ心外なんだけれど。私の想いは、今でも変わってないよ。大好きなスティルの担当トレーナーになりたい。そのために今ここに居るんだから。それにね?貴女の走り、とっても綺麗だった。怖いくらい、綺麗だった。」
「…っ。」
スティルが息を呑むのがわかった。
「だから、お願い、スティル。私を、貴女のトレーナーにさせて?」
「いいん、ですか…、こんな、私でも。」
「貴女がいいの。」
「迷惑を、かけるかもしれません…。」
「可愛い貴女になら、いくらでも。」
「名誉も、あげられないかも、しれません…。」
「私とスティルなら、どんなレースだって勝てる。」
「どうして、そこまで…。」
「何回言わせるの、もう。貴女が、大好きだから。それ以上の理由なんて無いよ。」
「う、うぅ、うぇ、うっ、ぐす。うぅ、う、うあ、うわぁぁぁぁぁん…」
泣き止むまでスティルを抱きしめ続けた。抱きしめ返される力が強くて痛かったけれど、それ以上に、愛おしかった。
『どんなアナタでも、愛してくれるわ。』
「本当にごめんなさい…。」
「色々とね。」
どのくらいそうしていたのか、もう日が落ち始めていた。私の上着はスティルの顔から出るほぼ全ての液体でびしょびしょになっていたし、私たちはとりあえずトレーナー室まで来ていた。
「門限まではまだあるし、色々と聞かせてもらえる?貴女のこと。」
「はい…。」
それから色々なことを聞いた。本能のスティルのこと。月と狂気のこと。いつからそうなったのか。隠し続けたこと。
「話してくれてありがとう。さっさと話してくれればこんな遠回りしなくて済んだのにって気持ちもあるけど…遠回りしたからこそ、より深く貴女のことを知れたのかなとも思うよ。」
「お姉ちゃん…。」
「じゃあ、最後に聞かせてほしいな。さっきの返事を。」
「その話なんですが…。」
「なに、まだ何かあるの。」
さっきのやりとりを経てまだ抵抗するか!とは口に出さなかった。
「いえ、その、やっぱり、お姉ちゃんに迷惑をかけるのは嫌で。それだけはほんとうに嫌だから…だから。」
「じゃあ、貴女の本能を多少でも制御できれば、OKくれるってこと?」
「そう、です…。」
スティルの気持ちは理解できたし、こう見えて一度決めたことは頑として曲げない性格だということもよくわかっていたから、素直に聞き入れることにした。
「了解。でもとっかかりがなぁ。」
先ほどのことを思い出す。スティルのそれが重人格的なものとして、ふたりはたしかに会話をしていた。全く別の存在、という感じではないらしい。
「…そうだ、スティル、本能の自分と会話してたよね?私も話せるかな?」
「うん…えっ?」
これが糸口かもしれない、そう感じた。
数日後、私たちはいつかの広場に居た。頭上では満ちた月が地上に冷たい光を注いでいる。
「…スティル?」
先ほどから黙っているスティルに、我慢できず話しかける。
「なぁに?」
纏う雰囲気が違う。獣を前にしているような冷や汗が背筋を伝う。
「…貴女、スティル、なの?」
「ええ、ワタシはスティルインラブ。そしてそれに流れる原初の血、その獣。」
瞳が妖しく光った気がした。いつもの控えめで大人しい彼女とは対極。艶やかで、大胆。姿はそのままなのに中身がまるで違う。異様な雰囲気の彼女に呑まれそうになるのをどうにか堪えて話を切り出す。
「…ねえ、私の言うことを、聞いてくれないかな。私たちはレースに勝ちたいの。貴女も、そうじゃないの?」
「ワタシはただ飢えを満たしたいの。喰らいたいの。邪魔をするのなら、貴女も、食べてしまおうかしら。」
「…ッ。」
「ウフフ、アハハハハハハハハハハ!!!」
一瞬怯んだのを見破られ、高笑いとともに駆け出してしまうスティル。見れば見るほど、背筋の凍るような美しさ。止めるのも忘れて魅入ってしまいそうになる。
パチン、と両手で頬を叩き、己を鼓舞する。
(スティルの担当トレーナーになるんだから…!)
何をすればいいかは検討もつかなかった。だから、ただ叫んだ。呼びかけた。今は眠っているスティルの意識に対して。根拠なんて無かった。だけど、スティルは私が呼んだらいつも嬉しそうに微笑んで振り向いてくれた。スティルなら、応えてくれる。そんな気がしたから、力の限り、叫んだ。
「スティルーーーッッッ!!!聞こえてる!?目を覚まして!貴女は弱くない!強い心を持ってるんだから!だから!目を覚まして!スティル!私は!貴女のトレーナーになりにここまで来たの!スティル!!!私を貴女のトレーナーにさせて!スティル!スティルーーーッッッ!!!!!!」
自分でも何を言っているのかよくわからないまま、めちゃくちゃに思ったことを叫び続けた。思いつかなくなったらただひたすらスティル、スティルと叫び続けた。
(戻らなきゃ…どこへ?お姉ちゃんのところへ。戻る…なぜ?お姉ちゃんが待っているから。この世界で、お姉ちゃんだけは私を心から愛してくれている。私たちを愛してくれる。周りの視線も、雑音も、不快なだけ。それ以上は無い。お姉ちゃんさえ居てくれれば。一度逃げたくせに?もう逃げない。お姉ちゃんが私を見つめてくれる限り、私も目を逸らさない。ワタシから、私の醜さから、目を逸らさない。私を愛してくれるお姉ちゃんのために、私は!)
「はっ…、お姉ちゃん!」
「スティル!?」
「お姉ちゃん…!スティルは、ここに…。」
立ち止まった彼女の許へ急いで駆けつける。間違いなく、理性が本能を抑えることに成功したのだ。
「スティル、良かった…。」
「愛してる?」
「えっ。」
「愛してる?アイシてるアイシテル?愛しテるあいしてるあいしテる愛してる愛してる?愛してる愛してる愛してる愛してる?愛してる。
だって貴女は……ワタシの、運命のヒト。」
骨が軋むような強さで肩を掴まれる。ニタリと笑ったソレが、大きく口を開けたところで…彼女は、崩れ落ちるように倒れた。
「う…ん…。」
「気がついた?」
「お姉ちゃん…わっ。」
自分が膝枕をされていることに気付いたスティルは飛び起きた。立ち眩みのようにならないかと咄嗟に身体を支えようとしたが大丈夫らしかった。
「えっと、私、どうなって…。」
「走ってる最中に、一瞬意識を取り戻したんだよ、覚えてない?」
「ああ、そう…そう。お姉ちゃんの呼んでる声がして…起きなきゃって。あの子に邪魔されたけれど…それでも起きられた。でも無理やりだったから疲れて、また眠ってしまった…。」
「今まで自分の意思で戻れたことはあった?」
「いえ、あんな風には、一度も。」
「完全ではないけど、一歩ずつ進めば、課題はクリアできそうじゃない?」
私はただがむしゃらに呼びかけていただけだが、それにも効果はあったはずだ。私が、呼んだから。これは決して自惚れではないはず。
「…は、い。」
「じゃあ、もう一度、聞くね。」
一度大きく深呼吸をして、息を整える。
「私の、担当に、なってくれる?」
「は、い…!不束者ですが、よろしく、お願いします。」
「よろしくね、スティル。」
「はい…!私の、私だけの、トレーナー、さん。」
今にも泣きだしそうなスティルを抱きしめる。彼女の温もりと、どくどくという鼓動の早さが伝わってくる。きっと彼女も、私の緊張の早鐘を感じていることだろう。私たちは、ふたりの鼓動がゆっくりと重なるまで、抱きしめ合った。頭の痛みを、こらえながら。