女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF 作:IGLOO(いぐるー)
「スティル、最近調子良さそうだね。」
「はい、とても。本能とも折り合いを付けられている感じで…ありがとうございます、トレーナーさん。」
「私は何も。頑張ってるのはスティル自身だよ。」
「いいえ、トレーナーさんの支えがあってこそです。」
「あはは、じゃあそういうことにしとこう。」
「もう…。」
はにかむスティル。事実、ここのところスティルが暴走することは皆無に等しい。模擬レース中でもいいタイミングで出てきては、満足すればすぐに引っ込んでくれる。たまに満足いかなかったらしいときでも、宥めると不満げな顔はしつつも元に戻ってくれる。その代わりなのか…満月の夜はただ走るのを見守るだけだったのが、最近はボディタッチが増えてきている。顔を撫でまわされたり、首に腕を絡められたり…。本人がそれで満足そうにしている様子を見るに、心を開いてきてくれているようで満更でもなく思ってしまう。何より抗いがたい魅力、魔力が彼女にはある。自分を律さないとな…そう思いつつ抵抗できずにいる。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。」
「はい。」
スティルを寮まで送るのは日課。いつも他愛のないことを喋りながら短い時間を過ごす。
「桜花賞までもうすぐだね。この調子なら、スティル、勝てるチャンスはじゅうぶんあるからね。」
「はい。」
「そのためにはよく食べてよく寝ること。夜更かしせずに早く寝てね?」
「だ、大丈夫です…。もう子どもじゃありませんから…。」
「ふふふ、そうだね。じゃあスティル、また明日。」
「はい、また明日。」
(お姉ちゃんへの想いを綴っていたらつい夜更かししそうになるのだけれど…言えるわけがないわ。それよりも…桜花賞。勝てるチャンス、じゃいけない。必ず勝たなければ。)
『愛なんて。――なんの意味もない。』
(証明してみせる。貴方が間違っているのだと。そして、報いてみせる。お姉ちゃんに。)
「そう、全てを喰らって、勝って、あの方に捧げるの。ひとつになるために…。」
桜花賞当日。スティルインラブはあからさまに緊張していた。それも当然のはず、この大観衆の前で嫌っている自分の本能をさらけ出すというのは、怖いに決まっている。
「スティル。…怖い、よね。」
「…はい。…でも、それ以上に勝ちたい、です。…だから。」
「大丈夫。きっと大丈夫。貴女の勝ちたいって気持ちは本物。それさえあれば、大丈夫。貴女をずっと見てきた、私が保証する。だからまずは一冠、獲っておいで!」
「…はい!」
実際、私は彼女の暴走については全く案じていない。万が一のときは身体を張ってでも止めるつもりだけれど、そんなことにはならないという自信はこれまでスティルと積み重ねてきた時間が確信に変えてくれている。そして、力を出し切れば、アドマイヤグルーヴですら敵ではないという確信も。
レースは完ぺきだった。スタートダッシュを決めたスティルは、ペースが速いと判断したのだろう、道中少しずつ位置を下げるという優等生のレース運び。そして3コーナーに入るころに、私の背筋に冷たいものが走った。紅い瞳と目が合った気がした。まさか、そんなわけはないけれど。その獣の疾走は見事だった。先頭集団を切り裂くように直線抜け出し完勝。あまりの出来事に、レース場は一瞬静まり返った。直後、大歓声。桜花賞ウマ娘スティルインラブが誕生した。
「フフフフフフフ…ッ!」
恍惚とした表情で観客を眺めるスティル。止めてあげなきゃという気持ちと、とにかく早く喜びを分かち合いたい気持ちで駆け寄った。
「スティル!」
「どうだったかしら…?」
上気した顔も相まってより艶っぽい表情を向けてくるスティル。たまらず抱きしめて叫ぶ。
「最高だった!最高だよ!スティル!これで桜花賞ウマ娘だ!」
「ウフフ…。……。…えっ。あっ、え?お、おねえ…と、トレーナーさんっ、は、恥ずかしいです…!」
「あれ、スティル。いいじゃない!ほら、喜んで!」
観客席を指さす。その光景に勝利の実感が湧いたのか、顔を綻ばせるスティル。万雷の拍手がスティルインラブの勝利を祝福していた。
「スティルが桜花賞ウマ娘かぁ~。」
控室に戻って少し気が抜けたせいか、ここにきて泣きそうになってしまった。走ったわけでも重圧にさらされたわけでもない自分が泣くなんて、恥ずかしいやら情けないやらだけれど、この大きな大きな喜びが、次から次へと湧いてくるものを止めさせてくれなかった。
「お姉ちゃん…泣いてるの?」
「だって…嬉しいんだもん…。」
「…っ。」
「ぐす…暴走もすることは無かったし、完璧だったね。」
「それは…お姉ちゃんが駆け寄ってくれなかったら、ちょっと危なかったかもしれないけれど…それでも、変に思われてはいないようで。」
「あはは…ごめんね、さっきは。もう、興奮しちゃって…。」
「ううん。私も、本当に嬉しいから。ありがとう、お姉ちゃん。」
「とんでもない、私こそありがとう、スティル。」
「…次も、必ず勝ちます。」
スティルの声色は瞳に宿る炎は、決意とも違う、どこか悲壮感さえ感じられた。
「そうだ、スティル。何か欲しいもの無い?」
「欲しいもの、ですか?」
「うん、桜花賞勝利おめでとうってことで。」
翌日トレーナー室で、思い出したように言う。もちろん元々何かあげるつもりだったけれど、重くならないように余計な気を回してこういう言い方になってしまった。
「そう…ですね…、それじゃあ、尻尾を、漉いてもらえませんか?」
「え?そんなことで良いの?もっと服とか、小物とか…。」
「いえ、小さい頃してくれたように、して欲しいんです。ダメ…ですか?」
「わかった、じゃあこっち来て。」
そんな風におねだりされたら断れるわけがない。スティルからブラシを受けとり、隣に座ったスティルの尻尾を膝の上に乗せる。手入れの行き届いた綺麗な栗毛の尻尾は手触りが良く、漉くたびにほのかに甘い香りが漂う。昔は手入れと称して今みたいにスティルの尻尾を堪能していた。
ふと肩に感触があった。見るとスティルが頭をのせている。そういえば昔は何も喋らずに、ただこうして一緒に過ごすこともあった。ゆっくりと流れる時間。気が付けばスティルは寝息を立てていた。疲れがたまっているのは間違いない。気も張りっぱなしだっただろう。ヴェールを外して膝に寝かせると、一層気持ちよさそうにしているように見える。寝顔を堪能しながら頭を撫でる。髪もよく手入れされていて、手触りが良い。プレゼントは香油かなにかをあげよう、そう思いついた。
「スティル、大好きだよ。」
その後、起きたスティルが顔を真っ赤にして恥ずかしがった様子は、隠し撮りでもしておけばよかったと後悔するほど可愛らしかった。
数日後、満月の夜。一通り走ったあと、満足げにこちらを見つめる紅い瞳があった。
「どうだった?」
この質問はもちろん、先日のレースのことだ。
「悦かったわ…、とても。アナタも、悦かったでしょう?」
「うん…ありがとう、最高だったよ。未だに興奮して夜ちょっと寝られないもんね…。」
「ウフフ…次も期待していることね、お姉様。」
「え、お、お姉様?」
驚きすぎて素っ頓狂な声を出してしまった。まさかこの子にそんな呼ばれ方をするとは、考えもしなかった。
「あら、いけないのかしら。この子はお姉ちゃんと呼んでいるのに。」
「ええ…恥ずかしいな…まあ、そう呼びたいならどうぞ…。」
「よろしい。」
なんだかステレオタイプのお嬢様学校か、さもなくば変なプレイでもしているようで抵抗はあったけれど、逆らって良いことは無いので渋々受け入れるしかなかった。それに、気のせいかいつもより柔らかく微笑んでいる気がする。これが信頼の証なのだとしたら、悪い気もしないな、とそう思った。
空を見上げると、いつもより大きな月が、紅く輝いて見えた。