女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF   作:IGLOO(いぐるー)

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6話

 オークスは桜花賞から800mも距離が延びる。この壁に泣くウマ娘は多い。桜花賞、オークスのダブルティアラを達成したウマ娘は10年も前に遡るし、GⅠを5勝したメジロドーベルでさえ、桜花賞は逆に取りこぼしている。そういう側面もあり、桜花賞で差し届かなかったウマ娘はオークスで支持を集めやすく、逆に先行して桜花賞を善戦したウマ娘は着順ほど支持を集めない傾向がある。今回がまさにそうだった。スティルインラブは桜花賞を完勝したというのに、世間のオークスへの期待はアドマイヤグルーヴ一色と言っても過言では無かった。どこの週刊誌が報じたのか、エアグルーヴとの師弟オークス制覇、などという言葉も飛び交っている。

 

「仕方のないことです。私は…目立ちませんから。」

 人気の話をすると、悲しみと諦めをない交ぜにして、スティルは困ったように笑ってみせた。

「でも桜花賞ウマ娘はスティルでしょ。…悔しいな。」

「悔しい…ですか?」

 桜花賞直後から世間の期待は既にオークスウマ娘アドマイヤグルーヴの誕生へ移行していた。確かにあの末脚は素晴らしいものがある。けれどティアラウマ娘になれたのだから―

「貴女はもっと愛されるべきなのに。」

「!た、確かに…そうなったら、嬉しい…ですけれど…。私は…お姉ちゃんさえ見ていてくれれば…。」

 小声でふと漏れた本音といったところだろうけれど、聞き流すことはできなかった。

「私はいつだって、いつまでだってスティルのことを見てるよ。臆病だけど、人一倍優しくて、人一倍頑張り屋さんなスティルを。だからこそ、多くの人に愛されてほしいって思うの。」

「お姉ちゃん…。ただ、やっぱり…。」

「距離適性?」

「は、はい…。」

「それに関しては、しっかりトレーニングを積んだし、作戦も立てた。だからまあ、厳しかったら厳しいでいいんじゃない?」

「…えぇ!?」

 目を丸くして珍しく素っ頓狂な声をあげるスティル。珍しいものが見れた。

「距離が原因なら諦めもつくでしょ?」

「そ、そうかもしれませんが…。」

「だから、思い切り走っておいで。」

「!」

「そうすれば貴女は必ず勝てる。」

「…はい!約束、させてください。…今日も、勝つと!」

 

(お姉ちゃんはああ言ってくれたけれど…私が欲しいのは、お姉ちゃんからの祝福だけ。そして、勝利をささげて…喜んでくれれば、それだけでいい。)

「そう…喰って、喰らって、喰らいつくしてしまいましょう。そして、あの方をワタシだけのものにするの…。」

 

 レースは圧倒的だった。縦長になった隊列も、焦らず途中まで中団内で脚を溜めていたスティルインラブ。最終コーナーに差し掛かると、桜花賞の時も感じたような、ぞわりとした悪寒と同時に外に持ち出した。そのまま直線で派手に外を回し、あの脳髄が痺れるような鮮烈な疾走を見せ、最後には大外一気でまとめて飲み込んでしまった。

「スティル…最高、最高だよ…!」

「アハハハハハハハハハハハ!!!!!!」

 静まり返った東京レース場にスティルインラブの歓喜の叫びが響く。アドマイヤグルーヴは大出遅れから結局掲示板外に沈んだ。それもあったとは思うけれど、何よりもスティルの異質さが白日の下に晒されてしまった。はっとして慌てて大声で声をかける。

「スティル!」

 ゆっくりと戻ってきたスティルに駆け寄ると、妖艶な笑みと熱のこもった視線とかち合った。

「す、スティル…?」

「アナタ、その目…、ウフフフフフフフ。それで、どうだったかしら?お姉様。」

「最高、だったよ。」

「えぇ、ええ。その目を見ればわかるわね。」

 その顔に浮かんだのは慈しみの笑みなのか、捕らえた獲物への大口なのか。頬をすると撫でられた。目がどうしたのか気にはなったがそれどころではなかった。そして、見つめ合った紅い目の焦点が揺らいだ。

「はっ、わ、私…。」

 スティルに待っていたのは、戸惑いとざわめきだった。

「何、アレ…」「ヤバすぎでしょ…」「化け物」

「…っ!!」

「行こう、スティル。」

 ぱらぱらと起きてはいる拍手を背に、逃げるように地下バ道へ降りてゆく。

「申し訳、ございません…このような、大舞台で、あのような醜態を…私…。も、申し訳…ございません…!」

「スティル。お疲れ様。素晴らしい走りだったよ。」

「ですが…。」

 ゆっくりとかぶりを振る。この偉業は誰にも否定させない。誰にも。

「貴女の努力が実を結んだの。ダブルティアラ、おめでとう。」

「…っ。ありがとう、ございます…!」

 控室に戻ると、とにかくスティルを安心させることに努めた。水を飲ませ、向かい合って座ると、手を握る。微かに震えている。お互いの呼吸が合うまでゆっくりと時間をかける。しばらくすると、手の震えも収まっていた。小さい頃から、スティルを落ち着かせるときはこうするのが習慣になっていた。怖い夢を見たの、と布団に潜り込んできたこともあった。そのときも同じように手を握って、一緒に眠りについた。話の流れは覚えていないが、一番落ち着く場所を聞いたときには、お姉ちゃん、と言われて笑ったこともあった。

「ふぅ…。落ち着き、ました。」

「今日は抑えきれなかったかあ。」

「はい…あまりにも昂ってしまい…全く言うことを聞いてくれませんでした。…あの、もう、手、大丈夫、ですから、その。」

「だーめ。」

「はぅ…。」

「でも、本当に、よく頑張ったね。」

「…。」

 少し表情に翳が差す。考えていることはだいたいわかる。

「はあ、どうせ、でも走ったのはこの子で、勝ったのもこの子の力だしな、とか考えてるんでしょう。」

 とん、と心臓の当たりを指さす。

「えっ…と、は、い。」

「それも確かに事実だけど…さっきも言ったけどね、普段のスティルの努力あってこその結果だから。つまり、スティルがすべてを出し切ったから勝てたんだよ。だから、もっと誇って?」

「ありがとう、ございます…。」

 スティルはこんなに頑張っているのだから、報われるべき…いいや、報われなければならない。スティルを悲しませた観客に八つ当たり気味に腹を立てつつ、何をお祝いにしてあげようか考えていた。クラシック期に入ってから今日まで食事制限が長く続いたから、スイーツビュッフェか何かで思う存分好きなものを食べさせてあげよう、それが真っ先に思いついた。

 

 翌週末、早速スティルとデートに出かけた。こういうところには殆ど来ないものの、来たら来たで楽しい。まず見た目が良い。色とりどりにデザインされた多種多様なスイーツが整然と並んでいる。これだけで満足度がある。SNSでもよく映えることだろう。そして見た目が良ければ当然味への期待も高まる。口の中が潤ってきた。

「今日は思う存分食べてね。制限時間はあるけど。」

「はい!」

 無邪気にスイーツを選んでいるスティルを見ると安心する。普段は歳不相応に落ち着いた子だけれど、こういった一面もちゃんとある。過度に自分を抑える癖は、出来れば治していきたい。そのためにももっとしっかり本能と折り合いをつけられるようにならなければいけない。この夏で私もスティルも成長しなければ、そう思った。

「世間の声も、だいぶトリプルティアラ誕生に傾いてきたね。」

「そのようですね…。」

 スポーツ紙での取り上げられ方や競馬関係の話題はそういった声が多くなった。また、ここまで素晴らしいパフォーマンスを見せているスティルのルームメイト、ネオユニヴァースとのダブル2冠にも期待が高まっている。明日はダービーの応援に行く予定だ。

「気負わなくていいからね。寧ろどんと構えて!私がトリプルティアラウマ娘だぞって。」

「まだわかりませんよ。」

 昔から敬語だったりそうでなかったりする喋り方をする癖があったけれど、最近は特に顕著になってきた。対トレーナーさんモードと対お姉ちゃんモードの境目が無くなってきたよう。私としては学園関係者の前でお姉ちゃんとさえ呼ばれなければ、常時ため口でも特に気にしないのだけれど、そこはスティルなりの線引きらしい。

「ファンレターとか、いっぱい来るかもね。」

「…そう、でしょうか。」

「そりゃあ。秋華賞でも応援の声は多く、大きくなるよ。」

「…、お姉ちゃんさえ、応援して、見ていてくれたらそれでいい、のは本心です。けれどやっぱり…。」

「怖いものは怖いよね。だから、夏合宿で成長しよう。肉体的にも、精神的にも。」

「精神的に…。」

「トリプルティアラはもう目の前なんだから。」

「そう、ですね。」

「それに、何度でも言うけど、世界中が敵になったって、私はスティルの味方だから。どんなことがあっても、必ず守ってあげる。だから、安心して。」

「お姉ちゃん…。」

「さ、時間無くなっちゃうし、食べようか!私はこのいちじくのタルトから~。」

「うふふ…。」

 改めて、スティルの本能との折り合いをつけることが最重要課題だと感じた。秋華賞までにスティルの本能とも納得のできる話し合いが出来たら、そうすればスティルが困ることもなくなるし、レースでももっと上を目指せる。どうすればいいか、まだわからないが方法は必ずあるはず。

 

 次の満月は、それからまた1週間後だった。目の前には既に、高貴な夜の魔物が居る。

「オークス、おめでとう。」

「えぇ、とても悦かったわ…。アナタのおかげ、かしらね。」

「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。」

 もうすっかり素直に感情や思ったことを口にしてくれるようになったこちらのスティル。やっぱり根っこは同じスティルインラブなんだと安心する。私をお姉様だなんて呼びだしたのも、そういうところが影響しているのだろう。

「それで、ワタシに何か言いたいことがあるのでしょう?」

「…よくわかるね。」

「ワタシに隠し事は通用しないわ。」

 そしてやっぱり聡い。相手の感情の機微を感じとったり、そこから心の内を読んだり。本当に、スティルに隠し事が通じたことは無い。

「じゃあ単刀直入に。どうしたら貴女の激情を抑えられるかな?」

「つまり、走るだけ走ったらワタシはもう用済みと言いたいのね。」

「いや、そこまでは言わないんだけど…。抑えてくれたらな、って。」

「ウフフフフ…興奮してワタシに駆け寄ってくるようなアナタに言えた義理かしら?」

「ぐぅ…。」

「抑えるなんて無理ね。それよりも、この子が受け入れればいいのよ、ワタシを。」

「平行線、か。」

「不公平、ね。」

「えっ?」

 意外な言葉が飛び出した。

「ワタシには色々と注文しておいて、この子には何も言わないのね。」

「それ、は…。」

「この子とワタシは別の存在というわけじゃないの。どちらもスティルインラブ。あなたはそれを理解しているのかしら。」

 紛れもなく嫉妬だった。兄弟姉妹への親の接し方が異なることで、片割れへ嫉妬するような。厳しくされている子は甘やかされている子へ、甘やかされている子は厳しくされている子へ、より親からの愛を受け取っているのだと嫉妬する。これはまさしくそういう感情の表出だった。これに対する答えは間違えてはいけない。けれど、言うべきことは決まっていた。

「…私はね、愛されてほしいの。」

「は?」

「スティルインラブというウマ娘が、多くの人に愛される存在であってほしいの。胸を張って。いいえ、愛されるべきなの。その資格もある。これまでずっと苦労して、苦しんで、そしてレースであんなに美しい走りをすることができる。ただ、今のままだと…。」

「ワタシはそんなことお願いしてないわ。愛される?誰に。愛なんてひとつで十分だわ。」

「…そっか。押しつけがましかったかな。ごめんね。」

「…。」

「普段のスティルとももう一度話してみるよ。」

「…はぁ、興ざめだわ。」

 そう言うと彼女はいつものスティルに戻っていた。このままではどちらのスティルも苦しむことになりかねない。とはいえ、それを避けるにはもうどちらかが折れるしかない。

「頼りないお姉ちゃんだな…。」

 いったい私に何ができるのだろう。スティルを寮まで送った後、無力感が口からこぼれた。

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