女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF 作:IGLOO(いぐるー)
スティルインラブとの夏合宿が始まった。夏の上がりウマ娘という言葉があるように、ウマ娘は夏に飛躍を遂げることがある。そういったウマ娘に負けないよう、スティルもこの夏に心身ともに進化しなければならない。とはいえスティルは強い日差しが得意ではない。暑さと紫外線の両方によく気を配る必要がある。そして私もスティルに影響でもされたのか、最近なんだか日差しを受けているとどことなく気分が悪くなるようになってしまった。スティルには必要なものは全部こちらで揃えるからと伝えたけれど、あの子のことだから色々と持ってくることだろう。
「スティル、それは?」
「レモンのはちみつ漬け、です。暑さ対策に…。涼しいところで保管すれば長持ちしますし。」
「そっちは?」
「塩飴です。塩分補給に良いかと…。」
「全くもう。」
「すみません、その、私も何か持って行かなきゃと思って…。」
「ま、わかってたけどね。ありがとうスティル。使わせてもらうね。」
「!はい、是非…。」
なんて嬉しそうな顔をするんだろう。私の役に立てることがそんなに嬉しいんだろうか。私がスティルの役に立たないといけないというのに。
「じゃあ改めてスティル、これから約2か月、頑張ろうね。」
「はい!…必ず、貴女にトリプルティアラを捧げてみせます。」
スティルの強い覚悟とは裏腹に、トレーニングは順調とはいかなかった。スティルにとってベストとはいえない環境とはいえ、あまりにも消耗が激しかった。タイムは想定より詰められず、トレーニングの本数も予定より少なくなっていた。初めはこの春の疲れが抜けきっていないのかとも思ったが、どうにも違うようだった。
「ねえ、スティル。もしかして、喧嘩してる?」
「えっ…、は、はい。」
私の言葉が足りず、一瞬何を言われたかわからないという反応をしたが、すぐに察したらしい。つまり、自分同士で争っているせいで消耗が激しいのではないか、と。
「そっか…。衝動が、抑えられなくなってるんだ?」
「はい…、走っていると、すぐに昂ってしまい…。」
「わかった。とりあえず、今日はここまでにしようか。」
「え、でも…。」
「私も最近日差しがきつくてさぁ、疲れちゃった。今日はゆっくりしたいなあ…、だめ?」
「…うふふ。トレーナーさんがそう仰るのなら、仕方ないですね。」
「やった~。じゃ早速アイスでも買って涼もう。そうしよう。」
「うふふふ。」
無理をしていると、身体だけではなく心にもダメージが出てしまう。差し当って出来ることは、心身の休養を設けることだった。とはいえ何もしないと焦燥で心が疲れる。「何かする息抜き」が必要だった。
「なんと涼しくて気持ちのいいことよ~。」
「はい。」
この日は一日休みにして、近くの林道を歩いていた。林道というより森の入り口といった雰囲気で、成長した木々に空を覆われ、昼間でも汗をかきすぎることは無い快適な空間だった。頭上から日差しの代わりにと降り注ぐ蝉の大合唱がうるさいことを除けば。そしてそんなことよりも私が先ほどから気になって仕方がないことがある。
「ねぇ、スティル。な~んで後ろを歩くの?」
「え、っと。」
何か気まずいことがあるとすぐに些細なことから遠慮するのはスティルの悪い癖だった。どうせトレーニングが順調にいっていないことにバツの悪さを感じているに違いない。
「私がゆっくり歩いたらもっとゆっくり歩いちゃってさ…。私の隣はお嫌だったかしら。」
「そ、そんなことは…。」
「はいストップ。」
「え。」
ひょいとジャンプしてスティルの隣に立つ。そしてすかさず彼女の手を取る。目をぱちくりさせている彼女を無視して声をかける。
「ほら、こっから歩き辛いし、手握って。行こう。」
「…はい。」
スティルの手はいつ握っても温かい。
道は整備されているものの、太い木の根が侵食していたり、適度に勾配もある道で散歩にしては良い運動にもなる。途中、小さな沢の近くに来ると、涼しい風がそよいで心地が良く、少し足を休めることにした。
「石めくったら沢蟹とか出てくるかな?」
「どうでしょう…あまり水量は多くありませんし…。」
「わ、やっぱり冷たいな~。ほら。」
「ひゃっ!」
湧き水で冷え切った両手でスティルの頬を包んだ。驚いて後ずさった彼女は可愛らしく頬を膨らませている。
「もぅ、お姉ちゃん?」
「あははは、ごめんごめん。」
「わ、でも本当に冷たい。」
「ね~。」
「お返し!」
「きゃ!?」
首筋に冷たいスティルの手が触れる。まさか仕返しをされるとは思っていなかったので油断していた。いたいけな少女のような悲鳴が出てしまった。我ながら恥ずかしい。
「く、くっそ~。」
「可愛らしい悲鳴でしたね?」
「ぐぬぬ…。ふっ、あはは。」
「うふふ、あははははは。」
こうしてレースと関係無く過ごしていると、私が昔から知っている穏やかで優しいスティルのままだった。
満月の夜。私とは話したくない、話すことは無いと言わんばかりにスティルは駆けて行ってしまった。夜とはいえ海辺にはちらほらと人影がある。変な噂にはなるだろうけれど…致し方ない。
海を見ると、濃紺の中に一条の光が伸び、照らされた水面は陰影で波を表現していた。この光を辿って行けばスティルの狂気の源に到れるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていた。トレーナーとしてスティルにトリプルティアラを獲って欲しいというのは当たり前の想いだ。それでもスティルが傷付くようなことはしたくない、これもお姉ちゃんとしての嘘偽りない想いだ。一挙両得というわけにはいかないのだろうか。虻蜂取らず、二兎を追う者は一兎をも得ず。故事からの警句は色々とある。であれば選択はスティルに任せるしかない。どちらを選んだとしてもお姉ちゃんとして、トレーナーとして、スティルの支えになるだけだ。例えもう走りたくないと、諦めてしまうことになるとしても。
スティルインラブは入江から満月を見上げていた。数時間前に海中から浮上した満月はもう高いところまで来ている。海風で空気が澄み、ウサギが餅をついている様子も良く見える。
「ねえ、貴女。どうしても、言うことを聞いてくれないの。」
「珍しくアナタから求めてきたと思ったら…。いい加減しつこいわね。アナタだってわかっているでしょう?この衝動は抑えられない。レースの美味しいところだけいただいてはいサヨウナラなんて、出来るはずがないじゃない。一度昂ったものはそう簡単に終えられないの。」
「でも…。」
「アナタはワタシ。ワタシはアナタなの。結局、求めているものは同じなのよ。何を躊躇うことがあるのかしら。何を怖がることがあるのかしら。」
「…。」
「はぁ…。いつまでも同じことを繰り返して。じゃあ無理矢理にでも抑えてみなさいな。それでどうなるか、思い知るといいわ。」
「えっ、待って、それはどういう…。」
彼女の問いは空虚に、波の音にかき消されていった。
合宿は終わりを迎えていた。ここ1,2週間は調子が上がってきたように見えたスティルはしかし、気分は下向きといった雰囲気だった。どうしたのか聞いてもはぐらかすようにして答えてはくれない。決して思い描いた合宿の内容ではなかったし、結局最大の課題は解決できなかった。一抹どころではない不安を抱えて秋シーズンが始まる。秋華賞まではあと1ヶ月と2週間。諦めずに出来る限りのことをしていかなければならない。まずは前哨戦のローズステークスが3週間後に控えている。ここでダブルティアラウマ娘に相応しい走りを披露して、本番へ弾みを付ける、はずだった。
「あ、あぁ…。」
血の気の引いた顔、見開いた眼で着順掲示板を見上げる深紅のウマ娘。その一番下で点滅している「11」の表示。スティルインラブは5着に終わった。