女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF   作:IGLOO(いぐるー)

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8話

 秋華賞の前哨戦、ローズS。春のティアラ路線で上位をにぎわせたウマ娘たちは必然的にここで揃うことになる。つまり、アドマイヤグルーヴと3度目の対戦になるということ。世間は既に神童への期待よりも史上2度目のトリプルティアラ達成に傾いていた。

「前哨戦とはいえ、ここで負けるわけにはいかないからね。しっかり勝っておいで。」

「はい。」

 ここまで当初のトレーニングが積めていたわけではない。また本番の秋華賞を見据えて仕上げ切っているわけでもない。それでも他のウマ娘との実績や実力の差を考えれば負けて良いレースでは無かった。しかし。

 やや前目のポジションだったものの、ペースを考えれば妥当な位置。あとは直線で伸びるだけのはずだった。それが一体どうしたことだろう。いつものスティルインラブではなかった。逃げたウマ娘は捕らえられない。後ろのウマ娘にもじわじわと抜かされていく。じりじりと脚を使いはしたが、結局掲示板を確保することが精一杯だった。およそ、ダブルティアラウマ娘がしていいレースではなかった。

「うそ…。」

 当然、スティルのあの走りが披露されることは無かった。最後まで普段のスティルが走っていた。何が起きたのか。遠目には身体の異変は見受けられない。精神面の問題か。頭の中がぐるぐると回った。

 引き揚げてきたスティルを出迎える。俯いたまま、何かぼそぼそと呟いている。

「おかえり、スティル。脚におかしなところは無いね?…うん、ぱっと見は大丈夫そうだね、良かった。とりあえず控室に戻ろうか。」

「…ありません。」

「えっ?」

「よく、ありません…!こんな、こんな…もうし、申し訳、ございません…!」

 涙を流しながら乞うように謝罪する彼女を、ただ見つめることしかできなかった。

「そっか、本能が出てこなかったんだ…。」

「は、い…。」

 控室に戻ってスティルを宥めた後、詳しい話を聞くことにした。拗ねたのか何なのか、もうひとりのスティルは今回出てきてくれなかったらしい。

「もう一度、話してみる必要があるかな。」

「いえ…少し、お時間をいただけませんか。私の、問題ですから…。」

「…スティルがそう言うなら。でも行き詰まったらすぐに頼ってね。そういうのは早いほうが良いから。」

「ありがとうございます…。」

 その日、結局スティルと目が合うことは無かった。

 何がスティルを支える、だ。結局私はスティルに何かを押し付ける責任から逃げていただけだ。その結果を直視するのが怖かったのだ。中途半端にふらふらして、漫然と時間を経過させただけ。本当にスティルを想うなら、もっと早くに決めさせなければならなかった。ちゃんと向き合わなければいけなかった。ダメなトレーナーだ。覚悟も何も無かった。次に会ったときには、伝えなければ。今ここで決めるしかない、と。全てを出して走るのか、走るのをやめるのか。その答えがどちらであれ必ず受け止めて、今度こそ支えてみせる。秋華賞まで、もう時間が無い。

 

(負けて、しまった。トレーナーさんに、お姉ちゃんに、勝利を差し上げられなかった。本能が走らなければ、こんなものなの?このままじゃ、また負ける?トリプルティアラも獲れない?お姉ちゃんとの約束を…守れない…?お姉ちゃんの心に、居続けられない…?そんなのは、そんなのは、嫌…嫌なの…私には、お姉ちゃんしか…。)

「負けちゃったわね。」

「どの口が…!」

「ねえ、どう思った?」

「何が…。」

「負けて、どう思ったかしら?」

「それは…。」

「アナタ、本当に欲しいものは何?トリプルティアラ?名声?栄誉?それとも大勢からちやほやでもされたいのかしら?」

「ち、違う…。」

「違うわよね。もう一度よく考えて?本当に欲しいもの。それ以外要らないもの。何?」

「…。お姉ちゃん…。」

「そうよね。あの方が欲しいのよね。あの方の心が。あの方の心に『スティルインラブ』だけが居て欲しいのよね?全てはそのための手段に過ぎないわ。そしてあの方はワタシの走りを、ワタシを受け入れてくださっているわ。じゃあ、アナタがするべきことはなに?」

「アナタを受け入れて、走ること…。」

「ええ、ええ、そうよね。それしかないわよね。ワタシが走れば、過去の栄光なんて塗り替えられる。トリプルティアラだろうがなんだろうが手に入れることができる。もちろん、あの方の心だって。」

「…。」

「お姉様の愛に甘えていたのよ、愛で勘違いしていたのよ、アナタは。あれもこれもなんて、そんなことが許されるような娘?それどころか、何もありはしないじゃない。だから、奪い取るしかないのよ、本当に欲しいものを。それだけなら奪えるわ。奪ってみせるわ。覚悟を決めなさい。迷っている時間も、理由も、もう無いでしょう?」

「…嫌だった。誰かから疎まれるのも、怖れられるのも、避けられるのも。でも、全部、全部、お姉ちゃんが傍に居てくれたから耐えられた。お姉ちゃんさえ居てくれれば、私は幸せ。だから…、私が本当に、嫌なのは…怖いのは…お姉ちゃんが、私の傍から居なくなってしまうこと。時が経ち、色褪せて、お姉ちゃんの心から…私が居なくなること。それだけは…それだけは、耐えられない。許せない…。…ええ、わかったわ。もう迷わない。惑わされない。私には、お姉ちゃんさえ居てくれればいいのだから。」

「よく言ったわ。ウフフ、それでは、捧げましょう?お姉様に。勝利を、栄光を。そして、ワタシの愛を。アハハハハハハハハ…。」

 

「トレーナーさん。」

「スティル、どうしたの?」

 どこか憑き物が落ちたかのような、朗らかな表情と声で彼女は話しかけてきた。あまりにも予想外な様子のスティルに、どうしたのなどと返事をしてしまった。何の話かはわかりきっているのに。

「大丈夫です、本番。」

「大丈夫、って?」

「本番になれば、本能を引き出して走れます。」

「折り合いがついたの?」

「はい。ですから、もう大丈夫です。」

 その顔、声色には一点の曇りもなかった。

「そう、なの?その、無理してるとかであれば…」

「いいえ。もう、大丈夫です。」

 力強く宣言する彼女は、これ以上の問答は要らないと言わんばかりだった。

「…そっか、わかった。でも、くれぐれも、無理はしないでね。」

「はい。それにいざというときは、お姉ちゃんが守ってくれますから。」

「こら、それ前提で無茶したら怒るからね。」

 大仰に眉をひそめて見せる。おどけてみせないと、あまりにも自分が情けなくて力が抜けそうだった。結局、私はスティルに何かしてあげられたのだろうか。

「うふふ…はい、無理はしませんから。」

 軽く握った右手を口に当てて笑うスティル。よくする仕草。いつものスティル。

「なら、いいけど…、それじゃあ、秋華賞までは当初の予定通りのメニューで進めようか。」

「はい、よろしくお願いいたします。」

 こちらが惨めになるくらい、朗らかなスティル。

「…ごめんね、スティル。」

 零してしまった。

「何が、でしょう…?」

「頼りない、お姉ちゃんで。」

 一体私は何を言っているのだろう。こんなことを口走るなんて、トレーナーも、大人も、まるで失格だ。

「…っ。申し訳、ございません。」

「えっ、な、なんでスティルが謝るの。」

「お姉ちゃんに…そんな顔をさせてしまった。私が不甲斐ないばっかりに。でも、見ていて。必ず、お姉ちゃんをトリプルティアラトレーナーにしてみせるから。」

 挙句、こちらが励まされている。一体全体私は何なのだろう。

「スティル…。うん、ごめんね!変なこと言っちゃって。夢まであともうちょっと。頑張ろう、一緒に!」

「…はい!」

 この空元気も、きっとスティルは察していることだろう。申し訳なさでいっぱいになる。ごめんね、情けないお姉ちゃんで。

 

 秋華賞まであと1週間と少し。今宵も紅い満月が私たちを照らしている。

「お姉様。見ていてね。ワタシを。貴女に栄光を捧げる、ワタシの走りを。」

紅い瞳が見つめてくる。合宿のときは目も合わせてくれなかったのに、どういう風の吹き回しだろうか。

「うん…。」

「…愛しているわ、お姉様。」

「うん…。…へっ!?」

ぼうっとしていたところにそんなセリフを投げつけられ、素っ頓狂な声をあげてしまう。

「ヒトの話をちゃんと聞いていないのかしら。スティルインラブは、貴女を愛している。何度でも言ってあげるけれど?」

「あ、ありがとう…?」

状況が飲み込めない。なぜ私は愛の告白をされているのか。

「ワタシは、ワタシの悦楽のために走る。けれど、同じくらい、いえ、それ以上に、貴女のために走るの。貴女を、ワタシのものにしたいから。」

 濃いローズウォーターのような瞳が、妖しく輝いて見える。やっとなんとなくわかってきた。どうやら、この子にも慰められているらしい。やっぱりスティルは優しいなと嬉しいやら、自分の不甲斐なさが情けないやらでおかしな気分になってくる。

「…ねえ、ワタシの…走り、好き?」

 私が何も言わないのが少し気に入らなかったらしい。少し怒っているような、或いは不安そうな声音。

「え?うん、好きだよ。とっても綺麗で。」

「…。うふ、それでいいのよ。よぉく見ていることね。その綺麗な瞳で。」

 そういうと走り出してしまったスティル。もう月下の魔物から目が離せない。一歩、また一歩と踏み込むたびに私の鼓動も焦がれるように早くなる。何度見ても高鳴りを抑えられない。いや、見るたびに渇きが強くなる。この世のものとは思えない走り。これなら、秋華賞は間違いない。京都競馬場はトリプルティアラを讃える拍手と喝采で溢れかえるだろう。全てを塗り潰すほどに。だってこんなにも―

「綺麗…。」

 私の全てを捧げて、それでスティルが勝てるのなら、迷いなくそうするのに。美しい走りに見惚れて、そんなことを無邪気にも考えていた。この走りを引き出すための、スティルの覚悟なんて、露知らずに。

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