女トレーナーと幼馴染スティルインラブのIF 作:IGLOO(いぐるー)
秋華賞本番。世間の期待は、久々のトリプルティアラへの期待が最高潮に達している、というわけでもなく。どちらかというとアドマイヤグルーヴの豪脚一閃、初GⅠ獲得を期待している声のほうが大きかった。余計なプレッシャーがかからないという意味では楽さもあるが、それよりスティルインラブの世間の評価がその程度なのかと、その程度にさせてしまっている自分に腹が立った。でも、それも今日まで。今日このレースで、スティルは認められる。
あの月下の走りを見れば、秋華賞獲りの確信は抱ける。しかし結局、スティルの内面に対して何かしてあげられたとは思えなかった。心の支えだとか、そんなものにすらなれていないような気がする。だからこそ、限られた時間で出来ることは全てやった。対戦相手、コース、過去のレースの研究、もちろんスティルの体調面のケア。他にも、考えつくことは全て。
「いよいよだね。」
「…はい。」
そのスティルは、とてもこれから大一番があるとは思えないくらいに、何か悟りでも開いたかのように落ち着いて、微笑んでいた。
「随分と落ち着いているね、スティル。」
「お姉ちゃんは、今までにないくらい肩に力が入っているんじゃないですか?」
「あはは、お見通しか。」
「大丈夫、勝ちます、私は。お姉ちゃんが力をくれる限り。」
「私が?」
「お姉ちゃんが居てくれるだけで、私は力を得て、レースでは誰も勝てないくらい強くなるの。だから応援していて。私の、トレーナーさん。」
「もちろん…。応援だけじゃない、何か他に、私に出来ることがあったら言ってね。」
少し首をかしげて考えるスティル。
「じゃあ…ぎゅってしてください。」
「…わかった。」
スティルの広げられた両腕に吸い込まれるように身体を重ねる。互いの呼吸と心臓の音が聞こえる。どくどくと怱忙とした私の鼓動。どく、どくと悠然としたスティルの鼓動。呼吸のリズムも、心臓の音も重なるまで抱きしめ合う。
「ありがとうございます。それでは、行ってきますね。」
スティルは、慈母のような顔をしていた。
「…っ。」
パドックへ向かう中、スティルはアドマイヤグルーヴと目が合った。
「これだけは私が貰うから。それじゃ。」
「いいえ。」
返事が来ないものと思っていたのか、予想外の返事だったのか、驚いたようにアルヴはスティルの顔を見つめる。
「貴女では…私に勝てません。」
「なっ!?」
「私は…ワタシは、あの方のために走るの。あの方さえ傍に居てくれればそれでいい。あの方の愛のためにワタシは走るの。それがアナタとの違い。とてもシンプルな理由。だからこそ、アナタにワタシは倒せないわ。」
「…っ、くだらない、くだらない!!!だったら、私のこれまでは何だったっていうの!?愛?ふざけないで!!そんなものに、否定されてたまるもんか!!!」
耳を絞り、これまで見たことがない気迫で激高するアルヴ。しかしスティルは全く動じていなかった。
「…レースで、わかることね。」
それだけ言うとスティルインラブはアドマイヤグルーヴに背中を向けた。
続々とウマ娘たちがゲート入りしていく。私は、誰に祈るでもなく、両手を握り合わせてスティルの勝利を祈っていた。
大外18番のウマ娘がおさまり、ゲートが開く。スティルは良いスタート、アドマイヤグルーヴも5分の出だ。中団後方に位置したスティルをピッタリとマークするように、真後ろにアルヴが付ける。そのまま縦長になり淡々と進む。
『スティルの持ち味はスタミナと根性。アドマイヤグルーヴとは、末脚勝負だけなら分が悪いけれど…、それなら、届かせなければいい。』
流れも、アドマイヤグルーヴが真後ろに居ることも、想定通りの展開。睡眠時間を削って研究に費やした甲斐があった。あとは、スティルが全力を出せば。
(お姉ちゃんに捧げるの。トリプルティアラの栄誉も、私の走りも、私の愛も、全部!だから、勝ちなさい!)
「言われなくとも、喰らい尽くしてあげるわ!!!」
淀の坂を上り切るか切らないかのところでスティルが仕掛けた。それでもアドマイヤグルーヴは冷静に仕掛けを一呼吸待った。紅の美しい獣が大外を回して大観客の正面へ向かってくる。氷の女王は依然真後ろ。
「いけええええええ、スティルーーーーーーッ!!!」
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。最早自分でも何を叫んでいるのかわからないくらいに叫ぶ。ゴールが近づく。あと100、あと50。しかしアドマイヤグルーヴとの差は縮まらない。先頭で、スティルが先頭で、ゴール板の前を駆け抜けた。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!」
静まり返った場内にスティルの悦楽に満ちた叫び声が響く。ここでやっと私は、本能のスティルであることに気が付いた。
緊張の糸が解け、力が抜けてがっくりと崩れ落ちそうになるのを堪えてスティルのもとへ駆け寄る。
「すてぃ…」
声をかけようとしたその瞬間、
「ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
大観衆の歓声が地響きのように伝わってきた。流石のスティルもびくりと身体を震わせて驚いた様子。
「見て…スティル、こんなに大勢の人たちが、貴女を祝福している。」
「ウフフ、そうみたいね。」
そう言うとスタンドに向かって恭しくお辞儀をするスティル。こうしていると、どちらのスティルだかわからないほどだった。
「トリプルティアラ達成、本当におめでとう、スティル。」
立っているのが限界で、控室の椅子に腰かけながら、どうやらまだ本能のままのスティルをねぎらう。
「ありがとう、お姉様。」
「一番きれいで、一番強かった。」
「当たり前ね。」
「満足できた?」
「ええ、甘美なレースだったわ。それに、一番欲しかったものも手に入ったし…。」
私の頬を愛おしそうに撫でてくるスティル。
「欲しかったもの?」
「ええ。うふふ…。」
「?ところで…いつものスティルとも話したいんだけど…。」
「嫌よ。」
「…え!?」
「あの子はワタシにこの身体を明け渡したの。この身体はもうワタシのもの。好きに使わせてもらうわ。」
「…どういう、こと?」
理解が出来なかった。いつものスティルはもう出てこないってこと?何かの間違いじゃ?ちゃんと説明して。口に出したい言葉はいくらでもあったのに、紅い瞳に見つめられてひとつも声に出せなかった。
「どういうこともそういうことも無いわ。というわけで、これからよろしくね?お姉様。」
頬を挟まれ、キスでもするかのような距離に顔を近づけられる。視界にはもう紅い瞳しか映らなかった。
後日、スティルの希望で有名なカフェテリアに来ていた。甘くて美味しいものが食べたい、と。ここはトリプルティアラのご褒美にと、秋華賞の前から色々あたりを付けていた店のうちの一つだった。オーシャンビューと背の高いフルーツパフェで話題になっているらしい。しかし、思い描いていた状況とは少し異なる。スティルは未だ本能を表に出したまま過ごしていた。警戒していたような、狂気的な素振りは鳴りを潜めて、それなりに普通の学生生活を送っているようだけれど、周囲からは当然違和感を抱かれている。私自身、どう対応して良いかわからずに今日まで過ごしてしまっている。
それに加え、私は寝不足で体調のすぐれない日々を送っていた。秋華賞前は緊張やらで不眠気味だと思っていたけれど、何か別の原因があるのか、習慣づいてしまったのか。夜しっかり寝られない日が続いていた。その寝不足のせいか、太陽がひときわ眩しく、煩わしく感じる。
「ねえ、本当に、なんでそんなことになったの?」
先日から答えてもらっていない疑問をぶつける。やはりこればかりは放置できない問題だ。
「しつこいと嫌われるわよ?それとも、お姉様はワタシとお喋りするのが嫌なのかしら。」
「嫌じゃないけど…。」
「じゃあ良いじゃない。」
「良くない。」
「はぁ…。勝つためにこうしたのよ。」
「勝つため?」
「ええ、必ず勝つため。勝ってくれるならこの身体をあげるって。ある程度お利口にする条件も付けられたけれど。」
「勝つこととそれとは全然繋がってないじゃない。」
「繋がっているのよ、それが。あの子は走る上では基本的に枷でしかないの。魂の解放…とでも言おうかしら。ワタシが完全に前に出ることで、十全な力が発揮できるということよ。あと、もうワタシにもどうすることも出来ないとは言っておくわ。」
「そんな…。」
理解が追い付かない。俄かには受け入れがたい話。だけど仮にその話が真実だとして、どうしてスティルがそこまでしたのか。たとえ勝利しても、こうなってしまっては意味が無い。まさか本当に全て、私に捧げるためだというのだろうか。そんなまさか。
『えへへ…それでね、お姉ちゃんをトリプルティアラトレーナーにするの。』
『私を?』
『うん、スティルの夢。』
『必ず、お姉ちゃんをトリプルティアラトレーナーにしてみせるから。』
今になってやっと思い至る。スティルはずっと、私をトリプルティアラトレーナーにすると言っていた。それを私は勝手に「スティルはトリプルティアラを獲りたいのだ」と変換していた。違った、全然違った。スティルの夢は初めから言葉通りで、自分がその栄光を戴きたいだとか、そんなことよりも私にその栄誉を捧げることが目的だったのだ。
「なんで…そこまで…。」
「なんでって。決まっているじゃない。」
「え…?」
「愛しているからよ、アナタを。」
「愛…って…。それなら、余計…」
「ワタシが強くなり過ぎたのかしらね。或いはアナタとの結びつきが強くなり過ぎたのか。もう一度言うけれど、もうワタシにもどうにもできないのよ。」
「そん、な…。」
「えっ!あ、あの、スティルインラブ、さん?」
視線を落として考え込んでいると、新しく入店してきた客がスティルに気が付いたらしく、声をかけてきた。プライベートのときは控えて欲しい行動だけれど、今はそれを咎められるような、まともな思考を働かせられず、ただ呆けてやりとりを見つめていた。
「ええ。」
「しゅ、秋華賞見てました!これからも頑張ってください!」
「ありがとう。」
ファンからの対応も卒なくこなしている。あの放縦な獣ぶりはなんだったのか。それとも猫を被るのが実は得意だったのだろうか。
「…もう、ヒトに気付かれないってことも、無いんだ。」
実際、今までスティルと外出した際、声をかけられたことも、気付かれた様子を感じたことも無かった。思い返せば、こんなことは初めてだった。
「ええ、この子と違ってね。まあ安心しなさいな。約束もあるし、別にワタシもアナタを困らせたいわけじゃないわ。だから、仲良くやっていきましょう?お姉様。」
この異様な状況が飲み込めずに、私は頭痛を覚え、ただ顔をしかめることしか出来なかった。結局、私はスティルを支えられなかったのだ。