その時、世界中に衝撃が走った。銀の魔女、009-7、中東自由連邦元首で世界最強の電子戦サイボーグ。その正体が五十代の日本人男性だった。世界中が混乱した。ニュース番組、SNS、動画サイト、全部その話題だった。『脳が追いつかない』 『情報量が多すぎる』 『俺の初恋が五十代男性だった件』 『どう受け止めればいいんだ』 そして、一番困っていたのは家族だった。
日本の009-7の自宅で娘の美由紀が頭を抱えていた。 「お父さん」 「なんだ」 「呼び方どうしよう」 「今さらだな」 009-7も真顔になった。確かに問題だった。戸籍上、父親。記憶上、父親。人格上も父親。しかし、見た目は絶世の美少女。意味が分からない。 「お父さんでいいだろ」 「いや」 美由紀は真剣だった。 「学校で言うと変な空気になる」 「そうか?」 「なる」 美由紀は机を叩いた。 「友達にね!」 「うん」 「お父さん美人だねって言われるの!」 「そうか」 「そうかじゃない!」 009-7は少し考えた。 「じゃあ母さん二号」 「嫌」 「ママ」 「母さんがいる」 「お袋」 「お袋じゃない」 全く解決しなかった。 その頃、妹の家では甥の拓也も悩んでいた。 「伯父さん」 「なんだ」 「伯父さんって呼びにくい」 「今さらか」 「だって」 拓也は真面目な顔をした。 「伯父さんって聞いて振り向くのが美少女なんだぞ」 「まあそうだな」 「脳が混乱する」 「私もする」 「なんで平然としてるんだ」 「慣れた」 慣れるものなのか、拓也には理解できなかった。
結局、家族会議になった。テーマ『009-7を何と呼ぶべきか』 非常にくだらない議題だったが当人たちには重要だった。そこで誰かが言った。 「専門家に聞こう」 「専門家?」 「LGBTとかジェンダーの」 「なるほど」 確かに、世界でも珍しい事例だが、近い話はあるかもしれない。数週間後、専門家とのオンライン会議。説明を聞いた専門家は沈黙した。「前例がありますか?」 009-7が聞いた。 「ありません」 即答だった。専門家は頭を抱えながら言った。 「基本的には」 「はい」 「本人と家族が自然に感じる呼び方が一番です」 全員が黙った。 「つまり」 美由紀が聞く「好きに呼べと」 「そうなります」 拓也も聞いた「解決してませんよね?」 「してませんね」 専門家も認めた。何も解決しなかった。数日後、美由紀は結論を出した。 「めんどくさい、お父さんでいいや」終了。 学校でも、家でも「お父さん」 変わらなかった。友達は混乱した。 「お父さん?」 「うん」 「銀の魔女?」 「うん」 「分からない」 「私も」 美由紀も諦めていた。
00ナンバーサイボーグたちはシンプルだった。003が言った。 「009-7、コーヒー飲む?」 「飲む」 「はい」 普通だった。002も普通「おい009-7」 「なんだ?」 「行くぞ」 「分かった」 004は「君」 「なんだ?」 「解析結果だ」 「ありがとう」 誰も悩まなかった。なぜなら、彼らにとって重要なのは見た目ではなかった。戦場で共に戦った仲間、それだけだった。ある日、美由紀が003に聞いた。 「003さんは迷わなかったんですか?」 「何を?」 「お父さんのこと」 003は少し考えて笑った。 「別に」 「え?」 「009-7は009-7だもの」 あっさりしていた。 「女性に見えるとか」 「見えるわね」 「元男性とか」 「そうね」 「気にならないんですか?」 003は首を傾げた。 「だって」 「?」 「仲間でしょ?」 美由紀はしばらく黙った。そして、少し笑って言った。「そうですね」 その夜、帰宅した009-7に美由紀が言った。 「お父さん」 「なんだ」 「やっぱりお父さんでいいや」 「そうか」 「だってお父さんだし」 「そうだな」 絶世の美少女、世界的英雄、銀の魔女、中東自由連邦元首、肩書はいくらでもあったが、娘の美由紀にとっては宿題を見てくれて悩みを聞いてくれて家族を守ってくれた父親だった。009-7は少し照れ臭そうに笑った。 「じゃあ父の日のプレゼント期待してるぞ」 「調子に乗ってる!」 美由紀のツッコミが飛んだ。
美由紀は自室でスマホを眺めていた。相手は003だった。 『こんばんは』 『こんばんは』 今ではすっかり仲良くなっていた。年齢は離れているが、相談相手としては頼りになった。しばらく雑談した後、美由紀は思い切って送った。 『ちょっと相談があります』 すぐ返信が来た。 『なあに?』 美由紀は少し悩んだ。 『お父さんのことです』 『うん』 『やっぱり変なんです』 『変?』 『お父さんって呼んでますけど』 『身体は女性だし』 『見た目も女性だし』 『もう完全に女性ですよね?』 少し時間が空いた。そして003から返信が来た。 『そうね』 あまりにもあっさりしていた。美由紀は思わず画面を見つめた。 『そうなんですか?』 『うん』 『00ナンバーのみんなはどう思ってるんですか?』 003は少し考えてから答えた。 『女性として扱ってるわ』 『え?』 『普通に』 美由紀は混乱した。 『でも元は男性ですよ?』 『そうね』 『お父さんですよ?』 『そうね』 『なのに女性?』 『女性よ』 美由紀は頭を抱えた。意味が分からない。003が続けた。 『だって身体は本当に女性だもの』 美由紀は手を止めた。その言葉は少し意外だった。 『そういう考えなんですか?』 『ええ』 『脳は昔のままだけど、身体は完全に女性、生物学的にも女性、社会的にも女性、見た目も女性。だから私は女性だと思ってる』 美由紀は画面を見つめた。 確かに、考えてみれば自分はずっとお父さんだから男性と考えていた。だが、実際には目の前にいるのは銀髪の美少女だった。父親の人格を持った女性。そう考えた方が自然なのかもしれない。 『なんか』 『うん?』 『少し納得しました』 『よかった』 『お父さんは女性になった、そんな感じです』 003は笑顔のスタンプを送った。 『私はそう思ってる』 『009もそう、004も。みんなそんな感じ』 美由紀は驚いた。 『そんなに自然なんですか?』 『戦場ではもっと変なことがあったから』 『それもそうですね』 美由紀は思わず笑った。
その頃、リビングでは009-7が「くしゃみが出た」 ソファでくつろいでいた。 「風邪?」 妻が聞く。 「違うと思う」 本人は全く気付いていなかった。自分が世界中のジェンダー研究者を混乱させていることも美由紀が悩んでいることも。00ナンバーの仲間たちが、かなり前から女性扱いしていることも、特に認識が甘かった。 翌日、003が声をかけた。 「009-7」 「なに?」 「この服どう?」 「似合ってるな」 「ありがとう」 「その色は肌に合う」 003は少し笑った。 「あなたも最近そういうこと言うようになったわね」 「そうかな?」 「昔は言わなかった」 009-7は首を傾げた。 「そうだったかな?」 「そうよ」 003は面白そうに続ける。 「だんだん女性になってるわ」 「何を言ってる」 「本人だけ気付いてないのよね」 009-7は理解できなかった。しかし、離れた場所でLINEを見ている美由紀は少しだけ思った。003さんが正しいのかもしれない。お父さんは、お父さんのまま女性になった。それが一番近い表現なのだろう。美由紀はスマホを閉じた。そしていつものようにリビングへ向かった。 「お父さん」 「なに?」 振り向いたのは、銀髪の美少女だった。やっぱり少し変だった。だが、それでも間違いなく自分のお父さんだったのである。