10人目のサイボーグ   作:れぷとん

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第118話 銀の魔女と日常生活

世界が知る英雄で中東自由連邦の元首。ブラックゴーストを撃退した、伝説のサイボーグ。

その正体は――。

「お父さん、お風呂空いたよ」

「……ああ」

返事をした瞬間、娘が吹き出した。

「やっぱり、まだ慣れない」

「何が?」

「その声と顔で『ああ』って言われるの」

鏡の前に座っていた009-7――榊レイナは、深いため息をついた。鏡の中にいるのは、絶世の美少女だった。腰まで届く銀色の髪、透き通るように白い肌、鮮やかな赤い瞳、どこからどう見ても十代後半の少女にしか見えない。だが、その中身は五十七歳の元研究者である。

「私だって、いまだに慣れん」

「もう三年くらい経ってるじゃない」

「そういう問題ではない」

娘はとうとう声を上げて笑い始めた。009-7は、さらに深いため息をついた。日常生活というものは、意外に難しい。

 

ある朝、009-7はゴミ袋を片手に、近所の集積所へ向かっていた。昔からの習慣だった。会社員だった頃も、研究者だった頃も、家のゴミ出しは自分の担当だった。だから今でも、何も考えずにゴミを持って外へ出る。

「あら、おはようございます」

「お、おはようございます」

近所のおばちゃんだった。昔からの知り合いである。ただし、相手はいまだに009-7を見るたび、少し緊張する。理由は単純だった。今のレイナが、美少女すぎるのである。

「今日はお休みなんですか?」

「ええ」

「それにしても、本当にお綺麗ですねえ……」

「ありがとうございます」

口にしてから、自分でも妙な気分になった。五十七歳のおっさんだった頃、近所のおばちゃんから「お綺麗ですねえ」などと言われたことは一度たりともない。むしろ言われていたのは「最近ちょっと太った?」とか「髪、薄くなった?」とかそんなものだった。人生とは、実に不公平である。

 

さらに困ることがあった。服であった。休日の朝、娘が009-7を見るなり、真顔で言った。

「お父さん、その格好やめて」

「何故?」

「何故じゃないよ」

009-7は黒いジャージ姿だった。研究者時代から愛用している、何の変哲もないジャージであった。だが、問題が一つあった。着ている本人が、世界最高と評されてもおかしくない美少女なのだ。ただジャージを着て近所を歩いているだけなのに、なぜかアイドルのオフショットのように見えた。実際、近所の高校生がスマートフォンを向けかけたこともあった。

「楽なんだが」

「お父さんが着ると危険なんだよ」

「意味がわからん」

「世界が混乱する」

娘は本気だった。

 

その日の午後、今度は妻に捕まった。

「服を買いに行きます」

「まだあるだろう」

「女の子らしい服がありません」

「私は女の子ではない」

「戸籍上も、見た目も、完全に女の子です」

「ぐっ……」

そういえば戸籍も変更していた。反論できなかった。

 

ショッピングモールで009-7は、死んだ目をして歩いていた。

「これなんかどう?」

妻が一着のワンピースを手に取った。009-7は即答した。

「いやだ」

「似合うと思うけど」

「いやだ」

「絶対似合うって」

「だから、いやだと言っている」

五分後の試着室。

「……」

鏡を見た009-7は固まった。恐ろしいほど似合っていた。どう見ても、ファッション誌のモデルだった。妻と娘は満足そうに何度も頷いた。

「可愛い」

「やめろ」

 

さらに事件は続いた。スーパーで買い物をしていた時のこと。

「すみません」

若い男性が声をかけてきた。

「はい?」

「その……よかったら、連絡先を――」

ナンパだった。009-7は固まった。人生で初めてである。五十七年間生きてきて、一度も経験したことがなかった。隣にいた娘が吹き出した。

「ぶはっ!」

「笑うな!」

「お父さん、ナンパされてる!」

若い男性は困惑していた。目の前にいるのは、息を呑むほどの美少女、なのに喋り方だけが、妙におじさん臭いのである。

 

帰宅後、レイナはソファに沈み込み、ぐったりしていた。

「疲れた……」

妻が笑った。

「そんなに?」

「世界征服を企む秘密結社と戦っていた頃の方が楽だった」

「それはさすがに嘘でしょ」

「いや、本当だ」

電子戦、ミサイル迎撃、国家運営、テロ組織の壊滅。そのあたりなら、もう慣れた。

だが、女性服売り場だけはいまだに慣れない。

 

その時、テレビからニュースが流れ始めた。国際紛争、武装勢力、緊張する世界情勢。009-7の表情が変わった。赤い瞳が鋭く細められ、わずかに光った。電子戦モード。戦場の天使、銀の魔女の顔だった。妻と娘は、そんなレイナを横で見ながら顔を見合わせた。

「やっぱり格好いいね」

「うん」

しばらくして、レイナは通信を切った。

「解決した」

「三分?」

「三分だ」

「相変わらず化け物だね」

「褒め言葉として受け取っておく」

そう言うと、レイナは再びソファに沈み込んだ。

「そういえば」

「ん?」

「明日、町内会の草むしりだった」

「そうだね」

「行きたくないな」

「どうして?」

009-7は嫌そうな顔をした。

「また老人会の皆さんが妙に張り切る」

去年は参加者が三倍になった。

なぜか隣町からまで人が集まってきた。理由は明白だった。全員、009-7目当てであった。本人としては、実に複雑だった。妻と娘は大笑いした。

「お父さん、大人気だもん」

「私はそういう人気はいらん」

「諦めて」

夕暮れのリビングに、家族の笑い声が響いた。

 

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