休日の昼下がり。009-7榊レイナは日本のかつての自宅でリビングのソファに寝転がっていた。テレビでは昼の情報番組。妻は買い物、娘は学校。久しぶりに静かな時間だった。 「暇だなあ」 誰もいない部屋で呟いた。ふと、脳裏に懐かしい風景が浮かんだ。秋葉原、電子部品、ジャンク屋、怪しいパーツ、古い無線機。おっさんだった頃、研究者だった榊恒一は、学生時代から秋葉原に通っていた。給料日になるとふらりと出かけ、使い道のない部品を買っては妻に怒られていた。 「そういえば最近行ってないな……」
思い立ったら早かった。レイナは立ち上がった。最近003に鍛えられたおかげで服装もまともになっている。白いブラウス、チェックのスカート、軽い上着。普通の女子大生みたいな格好だった。 「ちょっと秋葉原行ってくる」 妻にメッセージだけ送った。数秒後『004さんに言った?』 「言ってない」 『言いなさい』 「子供じゃないんだから」 『あなたの場合は言いなさい』 「はい」 妻は強かった。
電車に乗る前から異変はあった。駅でレイナがホームを歩いた。周囲の男性たちが何度も振り返る。 「……あれ?」 最近こういうことは増えていた。映画、CM、ニュースで世界的有名人になってしまった。しかし今日は妙だった。スマホを見ている人が多い。何かを確認していた。そしてちらちらこちらを見た。嫌な予感がした。
秋葉原の電気街口。懐かしい景色だった。 「おお……」 思わず感動した。変わった店、変わらない店、電子部品屋、ジャンクショップ、ゲーム屋。昔と違うところも多いが、それでも秋葉原だった。レイナは幸せそうに歩いた。 「おお、まだある」 「懐かしいなあ」 「これ学生の頃に買ったやつの後継機か」 完全におっさんであった。本人だけは幸せだった。
最初に気づいたのは電子部品店を出た時だった。後ろに人がいた。振り返ると若い男性と目が合った。固まってスマホを落としそうになっていた。 「……?」 男性は慌てて逃げた。 変な人だな、と思った。五分後には十人くらいになった。どんどん増えた。 「……あれ?」 レイナは振り返った。ぞろぞろと人が歩いている。全員こっちを見ていた。 「え?」 さらに聞こえた。 「本物だ……」 「マジで?」 「レイナたんだ……」 「銀の魔女だ……」 「やばい」 「可愛すぎる」 「神だ」 最後の方は意味がわからなかった。レイナは逃げようとした。
しかし、すでに遅かった。曲がり角を曲がった瞬間。 「レイナたん!」 声が飛んだ。 全員が振り向いた。視線が集まった。そして「本物だああああ!」 大騒ぎになった。三十分後にはレイナは囲まれていた。完全包囲であった。年齢層は幅広かった。高校生から白髪のおじいさんまでいた。 「レイナたん握手お願いします!」 「写真いいですか!」 「応援してます!」 「映画見ました!」 「世界を救ってくれてありがとう!」 「サインください!」 大混乱だった。レイナはかなり困っていた。顔には完全に出ていた。 「えっと……」 「はい……」 「どうも……」 「ありがとうございます……」 それでも断れない。困った顔をしながら一人一人に対応した。すると、妙なことが起きた。相手が感動し始めたのである。 「本当に優しい……」 「テレビのままだ……」 「偉い人なのに普通だ……」 「俺、泣きそう」 「神対応だ……」 レイナはますます困惑した。何がそんなに嬉しいのかわからない。中年の男性が言った。 「昔からサイボーグ009読んでたんです」 「はい」 「まさか本当にいるとは思わなかった」 「私も思いませんでした」 会場が爆笑した。別の若者が言った。 「世界中で有名なのに秋葉原来るんですね」 「え?」 「いや普通来ないでしょう」 「なんで?」 「なんでって……」 レイナは首を傾げた。 「電子部品見たいし」 再び大爆笑。 「親近感しかない」 「俺らと同じ生き物だ」 「いや違うだろ」
その頃、004は頭を抱えていた。スマホにはSNS通知が洪水のように届いていた。 『レイナたん秋葉原降臨』 『発見』 『神』 『聖地巡礼』 『可愛すぎる』 『秋葉原に集結せよ』 「……何をやっている」 004は深いため息をついた。夕方、ようやく解放されたレイナは駅へ向かった。別れ際に誰かが言った。 「レイナたん!」 「はい?」 「また来てください!」 周囲が拍手した。レイナは少し考えて微笑んだ。 「うん。また来るよ」 歓声が上がった。その日の夜、SNSには大量の写真が投稿された。秋葉原で困った顔をしながら笑顔で対応する銀髪の少女。その姿は世界中に拡散された。