日本のかつての自宅で、009-7が二度目の帰宅を果たしてからしばらく経った頃。自分の身体についての問題は解決していた。最初は驚いた。五十代後半の研究者だった自分が気付けば銀髪の美少女になっていたのだから。だが年月は人を慣れさせる。サイボーグになり、戦争をした。国家を作り世界を飛び回った。そこまで経験すると「まあ、そういうものか」となる。もともと既婚の中年男性だったので、高校生のような初々しさもない。今さら鏡を見て赤面するような歳でもなかった。
問題は別にあった。風呂であり更衣室であった。どうにも落ち着かないのだ。女性の身体になったと頭では理解している。だが、長年染み付いた感覚は簡単には消えない。もともと自分は、女性に不安を与えないように警戒する側だった。不審者と思われないように距離を取り配慮する。それが当たり前だった。だから、女性ばかりの空間にいると未だに妙な居心地の悪さがあった。 「私、ここにいていいのかな?」 という感覚である。
ある日、003と一緒に入浴していた時、湯気の立つ浴場で他愛のない会話をしていた。ふと009-7は前から気になっていたことを口にした。 「あの」 「何?」 「聞いていいかな」 003が振り向いた。 「私は元おっさんだよね?」 「そうね」 「それなのに一緒に風呂に入って大丈夫なの?」 003は一瞬きょとんとした。 それから、思わず笑った。 「今さら?」 「いや、今さらなんだけど」 009-7は真面目だった。 「やっぱり気になるんだよね」 003は少し考えて答えた。 「確かに、あなたが元男性なのは知ってる」 「うん」 「でも今は完全に女性の身体でしょう?」 「まあそうだよね」 「それに」 003は肩をすくめた。 「いやらしい目で見てこないし」 009-7は苦笑した。確かにそうだった。女性になってから、そういう感覚は驚くほど薄れていた。というかほぼ消えていた。女性を見ても、美人だな、綺麗だな、とは思う。だが、それ以上ではない。昔とは違った。003は続けた。 「だから何も気にならないわ」 「そういうものかな」 「そういうもの」 003にとって009-7は仲間で友人だった。家族みたいな存在だった。それ以上でも、それ以下でもない。009-7は湯船に沈みながら考えた。不思議な話だった。おっさんだった頃、女性になるなど想像もしなかった。まして、003みたいな金髪美女と風呂に入りながら人生相談をするなど絶対にあり得なかった。人生はわからない。 「ねえ」 再び口を開く。 「何?」 「私、男性と付き合うのも想像できないんだ」 003は笑った。 「別に無理に考える必要ないじゃない」 「そう?」 「そうよ」 簡単な話だった。 「あなたはあなたでしょう?」 009-7は黙った。その言葉は妙にしっくりきた。元おっさん、今は美少女サイボーグ。世界的有名人。国家元首。肩書きはいろいろあった。だが結局、自分は自分だった。昔の自分を否定する必要もない。今の自分を無理に定義する必要もない。ただ、その時々の自分として生きればいい。003は立ち上がった。 「そろそろ上がるわよ」 「了解」 009-7も立ち上がった。まだ少しだけ女性ばかりの空間には落ち着かない。だが、昔ほどではなかった。少しずつ新しい自分にも慣れてきていた。
その日の夜、リビングでくつろぎながら009-7はふと思った。 「人間、案外なんとかなるものだな」 そして、その言葉を聞いた003は「あなたの場合は特になんとかしすぎなのよ」 と呆れたように笑った。