ある日、国立研究開発法人の研究所で広報担当者が展示会の企画書を眺めていた。 「今年も地味だな……」 毎年同じ悩みだった。研究内容は素晴らしい。しかし、一般の人には伝わりにくい。来場者も限られる。予算も限られている。広報担当はため息をついた。 「そういえば」 ふと思い出した。かつて、この研究所に勤めていた研究者が今や世界的有名人になっていた。銀の魔女、009-7。しばらく固まった。 「いや、無理だろ」 さらに考えた。 「でもダメ元なら」 電話してみた。かつての自宅へかけると奥さんが出た。 「はい」 「その……」 「009-7さんに連絡を取りたいのですが」 沈黙の後 「本人に聞いてみますね」 数分後に連絡先が送られてきた。広報担当は震えた。
「本当に教えてくれた……」 恐る恐る電話した。数回の呼び出し音の後、 「もしもし」 出た。本物だった。広報担当は緊張した。 「その……研究所の広報です」 一瞬、沈黙した。そして「ああ!」 声が明るくなった。 「懐かしいな!」 完全に昔の職員だった。 「元気?」 「はい!」 話はあっさりまとまった。 「展示会ですか?」 「はい」 「いいよ」 ⸻ 「え?」 「協力する」 「え?」 即決だった。電話を切った後、広報担当は天井を見上げた。数秒後、「取れたああああ!」 研究所中に響いた。
展示会当日の学会会場は異常だった。参加者数が例年の五倍になった。会場周辺は人でいっぱい。学生、研究者、企業関係者は理解できたが、親衛隊、一般人、なぜかメイド。ファッション誌の記者まで来ていた。学会とは何なのか。わからなくなってきた。展示ブースに009-7が座っていた。人が集まりすぎて通路が埋まった。警備員が悲鳴を上げた。 「整理してください!」 誰も聞かなかった。その時、会場スピーカーから音が鳴った。全員驚いた。 「テスト、テスト」 009-7だった。いつの間にか会場システムへ侵入していた。当然のように 「みなさん来てくれてありがとー!」 歓声が上がった。 「でも並んでくださいね!」 さらに歓声。 「順番守ろうね!」 なぜか拍手。結果、整然と列ができた。サイン会、写真撮影会、握手会。完全にアイドルイベントになった。研究所職員は遠い目をした。「展示会とは何だったんでしょう」
翌日、本来の目的である学会発表を聞いた。009-7は久しぶりに研究者モードだった。普通に聴講したかった。しかし、発表会場では異常な緊張感があった。座長は震えていた。 「それでは発表を」 発表者はもっと震えていた。最前列に009-7が座っていた。元世界的研究者で今は世界的有名人。発表開始「え、えー」 声が裏返った。スライドを進める手も震えた。009-7は何も考えていなかった。純粋に聞いていた。 「面白いな」 本気だった。発表終了。座長が聞いた。 「ご質問は」 静寂。遠慮して誰も手を挙げない。009-7が手を挙げた。発表者は顔面蒼白。 「この実験条件なんだけど、ここをこうした場合は?」 純粋な研究の質問だった。意地悪でも難癖でもない。本当に興味を持っただけだった。しかし、答える発表者は「は、はいっ!」 声が裏返った。「その件につきましては!」 さらに裏返った。後で動画を見返したら可哀想になるレベルだった。
閉会して最後に記念撮影があった。全員並んだ。なぜか中央の一番前が009-7、両脇が学会長と理事長だった。完全に主役だった。カメラマンが言った。 「撮りますよー」 後日、その写真は学会誌に掲載された。研究成果よりも、中央で笑顔を浮かべる銀の魔女に目が行った。SNSでは『学会の記念写真というより映画のキャスト発表』 『学会長がファンに見える』 『なんのイベント?』 と言われた。一方、009-7本人は帰宅後「久しぶりに学会楽しかったな」 と満足そうだった。003は写真を見ながら言った。 「あなた、本当にどこへ行っても主役になるのね」 009-7は首を傾げた。 「研究発表が主役だろ?」 誰もそう思ってなかった。