中東自由連邦、首都の旧行政庁舎。そこには書類の山があった。机の上に積まれた紙。床に積まれた紙。棚に積まれた紙。さらに外には順番待ちの人々。
「農業省の承認印が必要です」
「その前に財務省の確認を」
「担当者が休暇中なので三週間後です」
「国家元首の署名が必要です」
「私が元首だよ!」ついに009-7は叫んだ。
元々、最先端のサイバネティクス研究者である。
紙と判子と対面会議で国家運営など、彼女から見れば石器時代と変わらなかった。
その日の夜、親衛隊幹部、各省庁の責任者、技術者たちが集められた。
009-7は外向けのお嬢様モードではなかった。
「決めた」
全員が姿勢を正した。
「全部電子化する」
沈黙。数秒後。
「全部ですか?」
「全部」
「予算申請も?」
「全部」
「人事も?」
「全部」
「外交文書も?」
「全部」
「軍も?」
「全部」
技術者たちは目を輝かせた。行政官たちは青ざめた。
そこからが凄まじかった。009-7の脳はネットワークと直結している。さらにAIと一体化している。国家システムそのものを自分の神経の延長として扱えた。
各省庁のデータベースを統合。
予算システムを統合。
戸籍、税金、医療、教育を統合。
物流情報も統合。
発電所の出力から農村の井戸の水位までリアルタイム管理。
普通の国家なら十年以上かかる事業だった。一か月で終わった。
理由は簡単だった。
009-7自身がシステムに統合されていたからである。
会議も承認も不要。
迷うこともない。
脳内でAIを使って最適解を導き出し、そのまま実装した。
ある日のこと、財務大臣が予算案を提出した。普通なら数週間の審査が必要である。
端末に送信。三秒後。承認。修正点二十八箇所。
財務大臣は凍り付いた。
「もう見たんですか?」
「見たよ」
「全部?」
「全部」
「七千ページありますが」
「うん」
「三秒で?」
「三秒で」
「……」
財務大臣は頭を抱えた。
外交も同じだった。
隣国との貿易協定。通常なら何ヶ月も交渉する。
相手国の提案が届く。三十秒後。修正版が返信される。しかも双方に最大利益となる内容だった。
相手国の担当者は驚愕した。
「本当に人間なのか?」
という噂が広まった。残念ながらサイボーグだった。
最も変わったのは行政サービスだった。
出生届、一秒。
会社設立、三秒
建築許可、五秒。
病院の予約、入力した瞬間に返ってくる。
国民は混乱した。
今まで数ヶ月かかっていたものが一瞬で終わる。役所に行く必要はない。スマホで完結する。
経済も急成長した。
物流の最適化。発電の最適化。投資の最適化。教育の最適化。
AIが計算し、009-7が最終判断する。
しかも判断速度は人間離れしていた。
道路を一本作るだけでも、経済効果、人口推移、物流効率、安全保障、災害対策、すべてを考慮して決定される。
間違いがほとんどなかった。
二年後、かつて難民キャンプだった場所には高層ビルが立っていた。大学ができた。工業団地ができた。病院ができた。地下鉄まで走っていた。
海外の専門家たちは理解できなかった。
「普通なら二十年かかる」
「いや三十年だ」
「どうやった?」
誰も答えられなかった。
正確には、国家元首の脳が量子コンピュータと直結していたからである。
ある日、海外メディアの記者が質問した。
「中東自由連邦は民主国家ですか?」
会場が静まり返った。
確かに選挙はある。議会もある。裁判所もある。
だが最終的な意思決定は009-7が行っている。
記者は続けた。
「実質的には独裁ではありませんか?」
周囲の幹部たちがざわついた。
しかし009-7は平然としていた。
少し考えてから答えた。
「たぶんそうだと思う」
会場が固まった。
「え?」
「独裁だと思うよ」
さらに固まる。
「問題ありますか?」
記者は言葉を失った。
その時、後方にいた農業大臣が小声で呟いた。
「問題あります?」
隣の財務大臣が首を振る。
「ないですね」
「ないな」
「ない」
「全然ない」
「困ったことが一度もない」
周囲も頷いた。
失業率は下がった。治安は改善した。教育は向上した。経済は成長した。汚職は激減した。戦争にも強かった。
誰も損をしていない。
その夜、009-7は自宅で黒ジャージ姿のままソファに寝転がっていた。
アイスを食べながら行政システムを監視していた。
頭の中では数百万件の処理が同時進行していた。
「国家運営って楽になったなあ」
ぽつりと言った。
隣にいた003は呆れた。
「普通の人はそんな運営できないのよ」
「そうなの?」
「そうなの」
009-7はアイスを一口食べた。
窓の外では、中東自由連邦の街の灯りが広がっていた。
人々は平和に暮らしている。
その光景を見ながら009-7は満足そうに微笑んだ。
少なくとも今は、この国は確かに未来へ向かって進んでいた。