秋雨が降っていた。009-7 榊レイナは、東京郊外のニュータウンに来ていた。1980年代に開発された住宅地。そこには、かつて自分が暮らしていた家があった。表札は変わっていない。《榊》。そういえば住宅ローンを返すのが大変だったっけ。胸が妙に苦しくなった。「……帰ってきた、のか」だが足が動かなかった。今の彼女は、銀髪の美少女サイボーグだ。戸籍上、榊 恒一は死んでいる。妻も娘も夫と父を葬っている。そこへ後ろから、「無理なら帰るぞ」 004アルベルト・ハインリヒだった。心細かったので付き添ってもらっていた。009-7は苦笑した。「……怖いんだよ」 「珍しいな」 「還暦前のおっさんが、家族に“実は美少女になって生きてました”って説明するんだぞ」 「確かに無理があるな」 「だろう?」 004は少し考えた後、静かに言った。「だが会わなければ、後悔する」009-7は目を閉じた。そしてインターホンを押した。足音がして玄関の扉が開いた。現れたのは疲れた顔をした妻だった。十年以上、歳を取って見えた。その事実が、009-7の胸を刺した。「……どちら様ですか?」009-7は声が出なかった。
当然、信じてもらえなかった。 「主人を知っているんですか?」 「ええと、その……」 警戒される。当たり前だ。突然現れたプラチナブロンドで赤い眼をした美少女が、「死んだ夫です」などと言っているのだから。009-7は深呼吸した。「君が大学時代、研究室で爆発事故を起こして泣いてた時、私は隠れて後始末した」 妻の表情が止まった。 「……どうしてそれを」 「娘が小学校の時、夜中に高熱を出した。病院まで背負って走った」 「……」 「あと、へそくりは台所の床下」 「あなた……?」 妻の声が震えた。 009-7は静かに笑った。「久しぶりだ」 妻は椅子へ崩れ落ちた。「……信じられない」 「本人が一番驚いている」 そこへ娘が帰宅した。「ただいまー……え?」 娘は凍りついた。美少女が母と向かい合って手を取り合って泣いていた。意味不明だった。「誰?」 009-7はぎこちなく笑った。母は言った「……お父さん、らしい」 「は?」 娘は004を見た。「え、外国人?」 「違う」 「何この状況!?」
数時間後、ようやく最低限の説明は終わった。だが娘は頭を抱えていた。「無理無理無理無理」 「そりゃそうだよな」 「なんでお父さんが私と同じくらいの美少女になってんの!?」 「私が聞きたい」 妻はまだ混乱していた。だが時折、009-7を見る目が昔に戻った。癖、喋り方、コーヒーの持ち方、確かに夫なのだ。娘はジト目で言った。「……中身、お父さんなんだよね?」 「そうだ」 「じゃあ今の見た目で変なこと考えたりしてないよね?」 「娘に何を疑われてるんだ私は」 004が横で咳払いした。 「……帰るか?」 「待て。置いていくな」
「せっかくだし、外食でも行こうか」 妻の提案だった。009-7は驚いた。「いいのか?」 「……まだ整理つかないけど」 妻は小さく笑った。「あなた、生きてたんだもの」 009-7は目を伏せた。その言葉が嬉しかった。一家はレストランへ向かった。だが、009-7は目立ちすぎた。銀髪、赤い眼、人形のような美貌。周囲がざわついた。「芸能人?」 「モデル?」 「外国の子?」 娘が半笑いになった。「お父さん、めちゃくちゃ注目されてる」 「やめろ」
家族で料理を待っているとスーツ姿の男が近づいてきた。 「失礼、お嬢さん」 「はい?」 「芸能界に興味ありませんか?」 「ありません」 「ぜひうちの事務所に――」 「ない」 しかし男はしつこかった。 「絶対売れます! 世界級です!」 「いや私は――」 「SNSだけでも!」 009-7のこめかみに青筋が浮いた。004が静かに席を立とうとした。だが、その前に009-7がやらかした。「……しつこい」 その瞬間、 店内の全電子機器が停止した。照明点滅、スマホ再起動、レジフリーズ。男のタブレットの画面に巨大な髑髏マークが浮かび『接触を中止しろ』 低い電子音声がした。男は青ざめた。「ひっ……!」 009-7は微笑んだ。「次は無い」 「すみませんでした!!」 男は逃げ出した。娘が呆然と呟いた 「……お父さん、怖」
これは失敗だった。数日後。 政府の情報機関・特別分析室。一人の女性エージェントがモニターを見ていた。「……また出た」 異常な電子干渉。完璧すぎるデータ改竄。監視AIが追跡不能になる痕跡。人間技ではない。「以前のブラックゴースト事件と酷似しています」 部下が言った。「位置は?」 「都内西部」 彼女は目を細めた。「……ようやく見つけた」 画面には、防犯カメラ映像。 銀髪の美少女。そして一瞬だけノイズが走る。まるで電子そのものが彼女を隠そうとしているようだった。「面白いじゃない」 エージェントは笑った。「会いに行きましょうか」 その頃。 009-7は盛大に頭を抱えていた。 「……やらかした」 004はコーヒーを飲みながら答える。 「ああ」 「絶対面倒になる」 「ああ」 「助けてくれ」 「無理だ」 「冷たい!」 だが004は少しだけ笑っていた。 平和は、まだ遠そうだった。