ワシントンD.C.。地下深く。CIA分析局。会議室の空気は重かった。 「問題は軍事ではありません」 「では何だ」 大型スクリーンに映った。モスクワ、雪。そして、ロシア人若手研究者と並んで歩く009-7。 「……ロマンスです」 沈黙。だが、誰も笑わなかった。中東自由連邦。AI、量子技術、エネルギー。今や超大国ですら無視できない存在であった。その元首である009-7が、もし感情的にロシア寄りになれば地政学バランスが変わる。 「国家は、時に個人感情で動く」 「特に天才は」 分析官が真顔で言った。 「009-7は合理主義者ですが、“研究者として理解される”ことに非常に弱い傾向があります」 スクリーンに大量のデータ。過去の会話、脳波傾向、SNS分析、好きな話題、苦手な態度。 全部解析済みだった。 「……対抗馬を投入します」
数週間後の中東自由連邦で開催された国際科学フォーラム。そこへ、一人の男が現れた。 米国人、三十代後半、元MIT。量子神経工学の第一人者。しかも、ほどよく無精ひげ、知的、ユーモアあり、オタク気質。完全に“009-7好み”へ調整されていた。004は一目で察した。 『……臭いな』 002が首を傾げた。 「何が?」 『出来すぎている』 004は男を見て目を細める。 『視線』 『歩き方』 『会話の間』 『訓練されている』 スパイの匂いだった。だが、009-7はこういう方面は壊滅的に鈍かった。
「えっ、その理論知ってるの!?」 『もちろん』 「うわぁ話せる人いた!!」 数時間後、普通に意気投合していた。003が頭を抱えた。 『チョロい』 002が爆笑した。 「009-7、研究者相手だと警戒心ゼロだな!」 009-7は楽しそうだった。 「だって面白いんだもん」 004だけが険しい顔をしていた。
そこへ001が来た。赤ん坊の姿の超能力者。静かな瞳で001はそのCIA工作員を見た瞬間、全部読んだ。そして、夕食会。各国研究者が集まる穏やかな場で、突然、001が静かに言った。 『CIAの任務は順調ですか?』 全員停止した。空気凍結。CIA工作員の顔色が変わった。 『……何の話です?』 001は無表情だった。 『“009-7の対露感情中和計画”』 沈黙。 『恋愛傾向分析』 『親密度誘導』 『接触時間調整』 『好感度最適化会話』 全部読み上げた。CIA工作員は完全硬直。002が吹き出した。 「うわ本当にCIAだ!!」 003が額を押さえた。 『最悪……』 009は青ざめた。 『またロマンス工作!?』 009-7本人だけが 「えっ」 「……えっ?」 本気で理解していなかった。CIA工作員は観念したようにため息をついた。 『……半分事実です』 「半分!?」 『最初は任務でした』 009-7が固まった。周囲も静まり返った。だが、男は少し困ったように笑った。 『でも、あなたと話すのは本当に楽しかった』 それは嘘ではなかった。001も、それを読んでいた。 『……そこは本物』 妙にややこしかった。004は深いため息をついた。 『だから言った』 「もっと早く教えてよ!」 『お前が楽しそうだったからな』 「うぅ……」 009-7は本気で落ち込んだ。003は少し複雑な顔をした。 『……でも』 『?』 『国家とか任務とか抜きで、好かれるのは仕方ないと思う』 009-7が止まった。002も珍しく真面目だった。 「実際、お前めちゃくちゃ魅力あるしな」 「面倒くさいけど」 「危険だけど」 「変だけど」 「でも放っとけない感じある」 「褒めてる?」 「たぶん」
その夜、009-7はホテルの窓から夜景を見ていた。ロシア研究者、CIA工作員。世界中の思惑。全部ぐちゃぐちゃだった。 「……恋愛って、面倒だなぁ」 そこへ通信が入った。ロシアの若手研究者だった。 『今、時間ありますか』 009-7は少しだけ笑う。 「……うん」 少なくとも、あの青年の言葉は最初から本物だった。モスクワの深夜、雪が降っていた。ロシア科学アカデミーの若手研究者――セルゲイは研究室で一人量子演算ログを見つめていた。だが、頭の中は全く別のことで埋まっていた。009-7。未来みたいな女性。AI融合、国家元首。なのに、研究の話をしている時だけ妙に人間くさい。目を輝かせて、楽しそうに理論を語った。セルゲイは自分でも笑ってしまった。 「……本当に好きになってしまったな」 国家戦略でも打算でもない。純粋に、一人の研究者として惹かれていた。