その頃、日本で。梅雨前の湿った夜風がマンションの廊下を吹き抜けていた。009-7の甥――高校生の拓也は玄関の前で固まっていた。 「……なんでまた来てるの。」 目の前には三人の美少女。まず、金髪碧眼のCIAエージェント、エミリー。相変わらずモデルみたいだった。 「護衛任務よ。」 次、銀髪のロシア系少女、FSB工作員、アナスタシア。本人は腕を組んで言った。 「アーニャと呼べ。アーニャがいい。」 最後、黒髪ポニーテールの公安エージェント、詩織。 「久しぶり。」 微笑んだ。少年は頭を抱えた。 「また女子だらけ……。」 リビングでは三人は既にくつろいでいた。エミリーは冷蔵庫を確認し、アーニャはゲーム機を見つけていた。詩織はお茶を淹れていた。完全に慣れていた。 「えっと……今回、本当に何?」 少年が聞くと詩織が真面目な顔になった。 「中東自由連邦で大規模な麻薬組織との戦いが始まる。」 空気が少し変わった。エミリーが窓の外を確認しながら言った。 「カルテルは報復や脅迫を普通にやる。」 「親族を狙うのは定番。」 アーニャも頷いた。 「009-7の家族は価値が高い。」 少年は少し黙った。やっぱり任務、当然だ。自分は009-7の親族なのだから。危険はついて回る。でも、エミリーがふっと笑った。 「まあ、任務抜きでも来たかったけど。」 「え?」 「日本楽しいし。」 詩織も頷く。 「ご飯美味しい。」 アーニャは真顔だった。 「あと、お前といると退屈しない。」 少年は顔が熱くなった。 「な、なんだよそれ。」 エミリーがニヤニヤした。 「照れてる。」 「照れてない!」
その夜、少年はスマホで通話していた。相手は従姉妹――009-7の娘の美由紀だった。 「……というわけで、また来てる。」 『また!?』 「CIAとFSBと公安。」 『意味わかんない環境。』 「だろ?」 だが声は少し誇らしげだった。 「しかも全員美少女。」 『自慢!?』 「ちょっとだけ。」 電話の向こうで呆れた声がした。 『青春してるなぁ。』 「してない!」 『いやしてるでしょ。』 少年はソファを見た。三人が普通にくつろいでいた。エミリーはポテチ。アーニャはゲーム。詩織はテレビ。世界トップクラスの諜報機関エージェントたちとは思えない。でも、なんだか楽しかった。普通じゃないけど、危険もあるけど。それでも、「……悪くない。」 『ん?』 「いや、なんでもない。」 その時。 アーニャがゲームしながら言った。 「聞こえてるぞ。」 「うわっ!?」 エミリーが笑い転げた。 「青春だねぇ。」 詩織もくすっと笑った。少年は真っ赤になった。 「だから違うって!」
だが、笑い声の裏でエミリーのスマホには暗号通信が届いていた。 【カルテル系工作員、日本潜入の可能性】 アーニャも視線だけでそれを確認した。詩織の目も静かに鋭くなった。楽しい時間、平和な日常。それを守るために自分たちはここにいる。エミリーは少年をちらりと見た。屈託なく笑っていた。夜の東京は、静かに更けていった。
翌朝、009-7の“おっさん時代の妹”――つまり甥っ子の母は朝から妙に機嫌が良かった。 理由はリビング。 「お母様、荷物持ちます。」 「これ安いですね。」 「夕飯は何を作りますか。」 CIA、FSB、公安。各国の精鋭女性エージェント三人が、なぜか普通にエプロン姿で会話していた。母は内心で大混乱だった。 (なにこれ。) (天国?) (うちの息子、何したの!?) そもそも、三人にとってこれは護衛任務だった。対象家族に自然に接触し警護する。そのため生活圏に同行する。極めて合理的。だが、一般家庭の母親視点では、“絶世の美少女が三人も息子についてきている” ようにしか見えなかった。しかも、「お母様。」 この呼び方は破壊力が高すぎた。母はスーパーで天に上りそうだった。 「お母様、これも買います?」 「え、ええっ♡」 エミリーが微笑んだ。アーニャが当然のようにカートを押した。詩織がお惣菜を見ていた。周囲の主婦たちがざわついていた。 「なにあれ……。」 「美少女すぎない?」 「芸能人?」 「しかも“お母様”って。」 母のテンションは限界突破していた。
そして、近所には例のおばさんがいた。何かとマウントを取ってくる難敵である。 「うちの娘、医者の彼氏が〜」 「うちの息子、タワマン買って〜」 いつも微妙に自慢してくる。だが今日は違った。おばさんが目を丸くした。 「あら、その子たち……?」 母は、ふふんと微笑んだ。 「うちの息子のお友達なんですよ。」 後ろではエミリーたちが綺麗に会釈していた。破壊力が高かった。 「えっ。」 「海外の子もいて。」 アーニャが無表情で頭を下げる。 「よろしく。」 おばさんが固まった。母はさらに畳みかけた。 「そのうち、お嫁さんになるかもしれませんねぇ♡」 拓也が吹き出した。 「お母さん!?」 エミリーが笑いを堪えていた。詩織は顔を赤くした。アーニャだけは真顔だった。 「可能性はあるよ。」 「アーニャ!?」 おばさんは完全に敗北した顔だった。 「そ、そうなの……。」 母の心の中でファンファーレが鳴っていた。 (勝った。) 帰宅後、拓也は頭を抱えていた。 「なんで否定しないの!?」 エミリーがソファで笑った。 「面白かったし。」 詩織は苦笑いした。 「お母さん嬉しそうだった。」 アーニャは淡々としていた。 「家族を安心させるのも任務。」 「絶対違うだろ!」 すると台所から母の鼻歌が聞こえてきた。 妙にご機嫌であった。しかも夕飯が豪華。 「今日はすき焼きよ〜♡」 「機嫌良すぎる……。」 エミリーが小声で言った。 「お母様かわいい。」 「やめて、調子に乗るから。」 だが、母は本当に幸せそうだった。夫を亡くし、苦労しながら息子を育ててきた。その息子の周囲にこんなに明るい若者たちがいる。それだけで嬉しかった。
その夜、母はこっそり009-7へメッセージを送っていた。 【お兄ちゃん】 【息子モテ期来てる】 数分後、返信。 【気のせいでは?】 【気のせいじゃない】 【CIAとFSBと公安】 【国際色豊か】 しばらくして、009-7から短い返事。 【……青春だな】 母は満足げに頷いた。その頃、甥っ子本人は三人の美少女に囲まれながら宿題をしていた。まったく落ち着かなかった。