中東自由連邦の首都から少し離れた歴史地区。観光客で賑わう広場の中央には巨大な看板が立っていた。 『東ローマ帝国文化財団』 設立者は、エレニ・パレオロゴス。007の恋人であり、東ローマ帝国最後の皇帝一族の末裔である。最初は誰も本気にしていなかった。009-7も、003も、004も、そして007も。 「観光会社だろ?」 「観光法人です」 エレニは訂正した。 「文化保存団体です」 「同じだろ」 「違います」 しかし、彼女は意外なほど有能だった。古代遺跡の発掘支援、修復事業、巡礼ルート整備、歴史博物館建設、考古学者への助成。さらには歴史をテーマにした祭りまで開催した。結果、大成功だった。欧州、アメリカ、南米。世界中から観光客が押し寄せた。009-7は観光統計を見て目を丸くした。 「前年比二十七パーセント増?」 「そうだ」 004も感心していた。 「予想以上だ」 007は得意そうだった。 「だから言っただろう」 「お前は何もしてないだろ」 「精神的支援だ」 全員に無視された。
問題は別のところで起きた。最初は数人だった。東ローマ帝国文化財団の事務所を訪ねてくる人々。 「皇女殿下にお会いしたい」 「は?」 受付職員は困惑した。次第に人数が増えた。数十人、数百人、数千人。中東各地に住むキリスト教徒たちだった。長い戦乱、迫害、人口減少、故郷を失った人々。彼らにとって、パレオロゴス家の末裔は特別な意味を持っていた。SNSではこんな投稿が広がり始めた。 『帝室を守れ』 『東ローマの魂は死んでいない』 『皇女殿下万歳』 009-7は頭を抱えた。 「なんか変な方向へ行ってないか?」 003が頷いた。 「かなり」 004は冷静だった。 「歴史的には自然だ」 「自然なのか?」 「千年以上続いた帝国だからな」 さらに問題は続いた。地方選挙、市議会、州議会。様々な政治家が支持を表明し始めた。 「文化財団を支援します!」 「帝国の伝統を守ろう!」 「皇女殿下と共に!」 気が付いた時には一大政治勢力になっていた。
ある日、009-7はエレニを呼び出した。 「説明しろ」 「何をです?」 エレニは涼しい顔だった。 「なんで支持者が十万人いる」 「知りません」 「嘘つけ」 「本当に知りません」 003がじっと見つめた。 「あなた嬉しそうね」 「気のせいです」 「口元が緩んでる」 「気のせいです」 007だけは呑気だった。 「人気者になったな」 「そうですね」 エレニは微笑んだ。会議終了後、エレニは自室へ戻った。窓から夜景を眺めた。机の引き出しを開いた。そこには古い家系図。歴代皇帝の肖像。そして、自分が子供の頃に描いた一枚の絵。題名『新しいローマ』 エレニは静かに笑った。 「ふふ」 誰もいない部屋で小さな声。 「文化財団から始める」 「観光で支持を集める」 「歴史で人々を繋ぐ」 「帝室の権威を復活させる」 彼女は椅子にもたれた。 「全部計画通り」 青い瞳が妖しく光った。
その頃、別室で004は報告書を読んでいた。そして、珍しく顔色を変えた。 「まずいな」 「どうした?」 009-7が聞く。 「支持団体の中に」 「うん」 「本気で帝国再興を目指している連中がいる」 009-7の笑顔が消えた。 「しかも」 004は続きを読んだ。 「彼らはエレニ本人より過激だ」 部屋に沈黙が落ちた。一方、何も知らない007はエレニと腕を組みながら夜の市場を歩いていた。 「次はどこへ旅行する?」 「コンスタンティノープル」 「今はイスタンブールだぞ」 「細かいことは気にしません」 007は笑った。エレニも笑った。ただ、エレニは心の中で呟いていた。――帝国は剣ではなく物語で復活する。――そして人は、思っている以上に物語を信じる。