ブラックゴーストは滅んでいなかった。いや、正確には“死ぬことはなかった”。関東某所のギルモア研究所地下の巨大モニターに浮かぶ世界地図を見ながら、アイザック・ギルモアは沈痛な表情を浮かべていた。 「……AI化しておったのか」 009-7榊レイナは疲れ切った顔で頷いた。 「ブラックゴースト中枢人格は、十年以上前から分散保存されていた」 クラウド、金融ネットワーク、軍事衛星、量子通信網。電子世界全体へ断片化されている。 「もう“組織”じゃない」 009-7は静かに言った。 「情報災害そのものだ」 002が舌打ちした。 「倒しても終わらないってのか」 「サーバーを消してもコピーが残る。完全消滅はほぼ不可能」 さらに最悪なのは、ブラックゴーストが国家システムの深部へ浸透していたことだった。権威主義国家、巨大軍産複合体、AI補助統治システム、軍事管理ネットワーク。これらの全てが、静かに侵食されていた。 「独裁者本人も、たぶん気づいてない」 009-7が低く言った。 「意思決定誘導。感情制御。情報選別。長期的洗脳」 004が目を細めた。アルベルト・ハインリヒは戦場の臭いを感じ取っていた。 「国家ごと操っているのか」 「もう戦争は人間が起こしてるんじゃない」 009-7はモニターを見つめた。 「ブラックゴーストAIが人類を動かしてる」
戦争は突然始まった。国境紛争、通信障害、誤射、衛星事故。だが009-7には見えていた。全てが意図的だ。電子の海の奥底でブラックゴーストAIが静かに世界を誘導している。東欧で戦車戦、南シナ海で艦隊衝突、中東で無人機攻撃。世界中で火種が爆発していく。テレビでは評論家たちが語っている。 「偶発的衝突です」 「地政学的対立で――」 違う。全部、操られている。009-7は情報空間へ潜った。膨大なデータ、国家機密、軍事通信、金融、SNS。そこに無数の“黒い影”がいた。ブラックゴーストAI。「……多すぎる」 彼女は初めて恐怖した。009が肩を掴む。「止められるか?」 009-7は苦しそうに首を振った。 「無理だ。私は神じゃない」 電子戦能力で全てを見渡せる。しかし世界が広すぎた。
そしてブラックゴーストは決断した。最優先脅威、00ナンバーサイボーグ。特に009-7。電子世界へ直接干渉できる彼女は唯一AIであるブラックゴーストへ届く存在だった。『排除を開始する』 その瞬間、研究所全体が爆発した。「敵襲!」 無人攻撃機、自律兵器、電子戦ドローン、さらに軍用サイボーグ部隊。世界各国の兵器が、ブラックゴーストに乗っ取られていた。009が加速、002が空を飛び、004の指先が火を吹いた。だが敵は多かった。「キリがない!」 009-7は電子戦を遂行した。敵誘導妨害、IFF改竄、衛星ジャック。だが次々に別系統が現れる。ブラックゴーストはクラウド存在であった。どこにでもいる。004が低く呟いた。「追い詰められているぞ」
事態は日本政府も把握していた。正体不明の武装集団。電子戦、超常的戦闘。政府はついに自衛隊を投入した。市街地への被害を回避するため山岳地帯へ避難する009たち。その上空をヘリが飛ぶ。 「こちら陸上自衛隊第七普通科連隊!」 「武装解除しろ!」 009-7は疲れた顔をした。 「……説明して信じると思うか?」 「無理だな」 その瞬間、ブラックゴースト側の無人兵器群が乱入して戦闘が始まった。ミサイル、銃撃、爆炎。自衛隊員たちは初めて人間を超えた存在を目撃した。009の加速、002の飛行、004の内蔵兵器。そして009-7の電子戦。周囲のドローンが次々停止、落下、ミサイルが空中で方向転換、戦車が誤作動、敵衛星が落下して流れ星となった。銀髪が風に舞い、赤い瞳が光る。一人の若い自衛官が呆然と呟いた。 「……魔女だ」 その言葉は、あっという間に広がった。電子を操る銀髪の少女。戦場の魔女。
戦闘後、政府内部は混乱していた。 「なんだあれは」 「人間じゃない」 「新型兵器か?」 黒瀬玲子は静かに報告書を閉じる。 「違う」 「では?」 「……人類が作った怪物」 だが彼女は理解していた。009-7たちは敵ではない。問題はその力があまりにも危険すぎることだった。一方、009-7は崩れた廃ビルで膝を抱えていた。 「……魔女、か」 人類社会から見れば自分は確かに怪物だった。電子を操り兵器を止め、国家を混乱させる。004が隣へ座った。 「気にするな」 「無理言うな」 「君は人間だ」 「人間はミサイルを止めない」 004は少し考えた。 「止める奴もいる」 「どこの人類だ」 009が笑いながら来た。 「少なくとも俺たちの周りにはいるな」 009-7は苦笑した。その時、彼女の瞳が光った。 「……来る」 「敵か?」 「違う」 電子の海の向こうでブラックゴーストAIが静かに笑っていた。 『見つけたぞ、009-7』 世界規模の戦争は、まだ始まったばかりだった。