それは地図にも曖昧に描かれている場所だった。二つの小国の国境地帯。どちらの政府も十分に管理できていない。武装勢力が入り込み、密輸組織が活動し、時折、小競り合いが起きる。そして、一番被害を受けるのはいつも一般市民だった。難民キャンプではその日も砲声が響いた。人々は逃げ惑った。テントが燃え、医療施設が破壊された。子供たちが泣いた。それはこの地域では珍しくない悲劇だった。だが、今回は違った。数時間後、武装勢力は突然撤退した。さらに翌日、 食料車両が到着し、医師が来た。浄水設備が設置された。仮設学校まで建設され始めた。難民たちは戸惑った。 「何が起きたんだ?」 そこで初めて見慣れない旗を目にした。あの観光都市の旗だった。現場にいたのは、例の「東ローマ帝国軍」を名乗る義勇兵たちだった。彼らは検問を設置し、武器の持ち込みを禁止し、医療支援団体を護衛していた。結果として、治安は劇的に改善した。難民キャンプの子供たちは目を輝かせた。新しい学校、新しい井戸、十分な食料。彼らにとってはそれが全てだった。一方、大人たちは複雑だった。助かった。だが、誰がこの土地を管理するのか。誰が責任を負うのか。誰も分からなかった。
数日後の国連の緊急会議。 「状況は改善している」 「しかし、国際法上の立場はどうなる」 「統治権は誰にある」 議論が続いた。一方、観光都市では004が報告書を読んでいた。そして静かに机へ突っ伏した。 「やっぱりこうなった」 009-7が覗き込んだ。 「でも人は助かったぞ」 「そこが問題なんだ」 004は顔を上げた。 「結果が良すぎる」 「良いことじゃないか」 「良すぎる成功は政治を動かす」 009-7は黙った。それは理解できた。難民たちは感謝する。周辺住民も歓迎する。地方商人も協力する。すると、行政機能が生まれるのだ。税に似たものが生まれ、警察に似たものが生まれ、学校ができる。 病院ができる。そして、地図が変わり始める。誰も宣言していないのに。エレニは報告を読み終え、しばらく何も言わなかった。窓の外を見た。遠くで子供たちが遊んでいた。救われた人々もいた。だが、その代償も見えていた。 「私は領土なんて欲しくなかったのに」 004は苦笑した。 「歴史上、その台詞を言った支配者は結構いる」 エレニは本当に人助けをしたかった。その結果として、人々が集まり、組織が生まれ、権威が生まれ、勢力圏が広がっていった。そして世界中の外交官たちは、また同じ報告書を読んでいた。 『観光都市による人道支援地域が事実上の自治地域化』 報告書を閉じた担当者が呟いた。 「また観光か……」 そして誰もが薄々理解し始めていた。歴史は確かに動いていた。だが、それを動かしているのは軍隊でも革命家でもなく、観光と文化と人助けから始まったのだ。