終紋の王   作:持麻呂

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この作品は著者の自己満足と、こんな作品読んでみたいという欲望から出来上がっております…


第一章 辺境の少年と地下の遺産
第一話


第1章:辺境の少年と地下の遺産

第1話:錆びた世界と前世の知恵

鼻腔を突くのは、むせ返るような腐葉土の匂いと、空気を舐めるように漂う酸化した鉄の臭気だった。

空はどんよりと鉛色に濁り、分厚い雲の隙間から時折、病的なまでに青白い陽光が地上へと細い糸のように垂れ下がっている。鬱蒼と生い茂る巨大なシダ植物や、異様にねじ曲がった樹木の群れ。その大自然の暴力的なまでの生命力に飲み込まれるようにして、かつて「超高層ビル」と呼ばれていたであろう巨大なコンクリートの残骸が、天に向かって墓標のように突き出していた。

九百年。

旧文明が終末戦争によって自壊し、灰と化してから経過した途方もない時間。

人類が築き上げた栄華はとうの昔に朽ち果て、今やこの世界は、自然の猛威と放置された旧文明の遺物が入り交じる、奇妙で歪な廃墟と化している。

 

「…………」

 

そのコンクリートの残骸の影、苔むした瓦礫の間に身を潜め、十四歳の少年リンは息を殺していた。

薄汚れた灰色の貫頭衣に、継ぎ接ぎだらけの革のズボン。足元は、廃タイヤのゴムを切り取って作った手製のサンダルだ。まだ成長途中の細い体躯は、周囲の威圧的な風景に比べるとあまりにも頼りない。

リンは、手にした双眼鏡のピントを慎重に合わせた。

双眼鏡の筒は木と真鍮の粗末な作りだが、はめ込まれているレンズだけは旧文明の軍事施設から発掘された超高純度のガラスだ。レンズの端に走る亀裂を松ヤニで塞いだだけの歪な道具だが、遠くの熱源を赤外線で捉える機能はいまだに生きている。

この世界における技術水準は、徹底的に狂っていた。

人々は火を起こすのに火打ち石や摩擦を使い、泥と木材で家を建てる。移動手段は徒歩か、遺伝子操作生物の末裔である使役獣だ。完全に中世かそれ以前の暗黒時代の生活様式である。

だが一方で、首から下げているのは超精密なナノマシン医療器具であり、街の広場を照らすのは永久機関で稼働するホログラムの光なのだ。基礎技術や科学の知識を完全に喪失した人類は、残された超技術の残骸を、ただの「魔法の道具」として崇め、すがり、消費して生きている。

リンの胸元でも、銀色の小さな筒――『シリンジ』が鈍い光を放っていた。

ターミナルと呼ばれる謎の遺物から排出される、無針注射器。この世界に生まれた者なら誰もが持っている、命を繋ぐための、そして力を得るための唯一の道具。

 

「……来たな」

 

リンの呟きは、風の音に溶けて消えた。

双眼鏡の視界の先、シダ植物をなぎ倒しながら「それ」が姿を現した。

旧文明の遺物、小型戦闘機械。

狼の骨格に昆虫の装甲を継ぎ接ぎしたような、冒涜的なフォルム。全身は風雨に晒されて錆びついた銀色の特殊合金で覆われ、四肢の関節からは歩くたびに微かな駆動音が漏れている。頭部にあたる部分には、周囲の生体反応を探る赤い単眼のセンサーが、不気味な明滅を繰り返していた。

大きさは大型犬ほど。だが、その戦闘能力は並の野生動物の比ではない。成人男性であっても、複数人で囲まなければ容易く喉笛を噛み千切られる。

リンは双眼鏡をそっと置き、傍らに引き込んでいた太いワイヤーを両手で握りしめた。

じわりと、右腕に汗が滲む。

リンの右腕の皮膚には、幾何学的な直線を組み合わせたような、ごく単純な『紋様』がうっすらと浮かび上がっている。

これが『紋数』。体内に宿る神結晶(ナノマシンの集合体)の量によって決まる、強さの絶対的な階級。

リンの紋様は、下から二番目の**『壱紋』**。一般的な成人が到達する最低限のレベルであり、十四歳の少年としては標準的だが、戦闘機械と正面から殴り合うにはあまりにも非力な階級だ。

もしあの機械の視界に入れば、壱紋のリンなど数秒で挽肉にされるだろう。

しかし、リンの瞳に恐怖はなかった。あるのは、冷徹なまでの計算と、獲物を狩るための異様なまでの集中力だけだ。

彼には、武器があった。

それは高位の紋数がもたらす暴力的な身体能力でも、遺構から掘り出されたビーム兵器でもない。

脳の奥底に朧げにこびりついている、**『前世の記憶』**というチートだ。

 

(あいつの重量はおよそ百五十キロ。歩行の癖からして、右前脚のサスペンションがイカれてる……重心は常に左寄りだ)

 

リンの思考は、この世界の人々のそれとは決定的に異なっていた。

誰もが戦闘機械を「古代の魔法で動く化け物」と恐れる中、リンだけはそれを「物理法則と工学に基づいて作られた機械」として認識している。

前世の自分が誰で、どんな生活を送っていたのか、詳しいことは思い出せない。だが、「滑車」や「テコの原理」「摩擦係数」「重力加速度」といった、この世界では失われた『科学の概念』だけは、息をするように自然に理解できた。

赤い単眼のセンサーが、リンが仕掛けた囮――血抜きをして内臓を露出させた野兎の死骸――を捉えた。

 

ギュィィィン……

 

小型戦闘機械が低い駆動音を鳴らし、警戒することなく真っ直ぐに囮へと近づいていく。高度なAIを持たない小型機は、本能的に生体エネルギーを喰らって自身のバッテリーを補填するようプログラムされているのだ。

 

あと三歩。

 

二歩。

 

一歩。

 

機械の左前脚が、野兎の死骸のすぐ手前にある、不自然に盛り上がった腐葉土を踏み抜いた。

その下には、リンが廃材のバネと鉄板を組み合わせて作った感圧式のストッパーが仕込まれている。

カチリ、と小さな音が響いた瞬間。

 

「落ちろ……ッ!」

 

リンは全身の体重を後ろに掛け、両手で握っていたワイヤーを力任せに引き抜いた。

それは、上空の樹木の枝に仕掛けられた**『動滑車』**のロックを外すための引き金だ。

リンのような壱紋の非力な子供では、到底持ち上げることも動かすこともできない数百キロの旧文明の鉄骨(H鋼)。それが、動滑車の原理と重力エネルギーを味方につけ、樹上の死角から振り子のように猛スピードで落下してくる。

 

ガキィィィィィンッ!!!

 

森の静寂を切り裂く、鼓膜を破るような金属の衝突音。

質量と重力加速度を乗せた巨大な鉄骨の直撃を側面に受け、小型戦闘機械は悲鳴のような金属音を上げながら数メートル吹き飛んだ。

装甲がひしゃげ、内部の配線が引きちぎれ、青白い火花が散る。

完璧な一撃だ。普通の生物なら即死している。

だが、旧文明の兵器はこれだけでは沈まない。

 

ギ、ギギ……ギュィィィン!

 

ひしゃげた装甲を引きずりながら、小型機械は狂ったように赤いセンサーを明滅させ、立ち上がろうと四肢をもがかせた。ダメージにより姿勢制御ジャイロが狂っているが、その殺意の矛先は明確に、罠を仕掛けたリンの方向を向いている。

リンは間髪入れずに瓦礫の陰から飛び出した。

その手には、自身の背丈よりも長い槍が握られている。柄はただの丈夫な木の枝だが、穂先には遺構から発掘した**『超振動合金』**の破片が括り付けられていた。

本来、この超振動合金は高位の紋数を持つ者がセキュリティを解除して初めて、分子を断ち切るほどの切れ味を発揮するチート武器だ。壱紋のリンが持っても、ただの「異常に重くて硬い鉄の塊」に過ぎない。

だが、それで十分だった。

 

(重力に従って、ただ真っ直ぐに落とすだけだ!)

 

リンは倒れた機械の背後へと回り込み、重すぎる槍を渾身の力で上段に振りかぶった。

機械が振り向き、赤いセンサーがリンを捉えた瞬間。

その開かれた顎から、高圧電流が放たれるよりも早く。

 

「はぁぁぁッ!!」

 

リンは槍の重さに自身の体重を乗せ、ひしゃげて隙間ができた装甲の継ぎ目――首の関節の駆動部へと、一直線に穂先を突き立てた。

 

メシャァッ!

 

硬質な破壊音が響き、穂先が機械の中枢回路を物理的に貫く。

青白い火花がリンの顔面を掠めたが、構わずさらに深く槍を押し込んだ。

ビクン、ビクンと痙攣を繰り返したのち。

小型戦闘機械は、プツンと糸が切れたように赤い単眼の光を消滅させ、完全に沈黙した。

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

荒い息を吐きながら、リンは槍から手を離し、どさりとその場に座り込んだ。

心臓が早鐘のように鳴っている。少しでもタイミングがズレていれば、あるいは滑車のワイヤーが切れていれば、死んでいたのは自分の方だ。

この命懸けの綱渡りが、リンの日常だった。

彼は五歳の時に、今日のような戦闘機械の群れが街を襲撃した際、両親を目の前で殺された。天涯孤独となった彼がこの過酷な世界で生き延びるには、こうして己の知恵を総動員し、死と隣り合わせの狩りをするしかなかったのだ。世間からは底辺の職業、スクラッパー(廃材屋)と蔑まれようとも。

 

「よし……解体だ」

 

呼吸を整えたリンは、腰のベルトから工具袋を引き抜き、すぐさま機械の死骸に取り付いた。

長居は無用だ。戦闘の音や、機械の放つ油の匂いを嗅ぎつけて、他の個体や肉食の魔獣が寄ってくる危険がある。

手慣れた手つきで装甲のボルトを外し、外装を引っぺがす。

狙うは胸部の奥深く、メインコアユニットだ。

ここには稀に、**『神結晶』**と呼ばれる淡く光る結晶体が眠っていることがある。凝縮されたナノマシンの集合体。これこそが、人々が紋数を上げ、超人的な力を得るための唯一のソースだ。もし小型機から神結晶が出れば、数ヶ月は遊んで暮らせるほどの金になる。

期待と祈りを込めて、リンはコアユニットのカバーをこじ開けた。

 

「…………チッ。空っぽか」

 

そこにあったのは、焼き切れた基盤と黒ずんだ配線だけだった。

小型機が神結晶を持っている確率は低い。わかってはいたが、やはり落胆の息が漏れてしまう。

それでも、収穫がゼロというわけではない。

リンは気を取り直し、無傷だった関節部の駆動モーターと、特殊合金の装甲板を何枚か切り出した。これだけでも、換金所の親父のところに持っていけば数日分の食料にはなる。

自身の体重ほどもある重厚なパーツを布で包み、背負子に括り付ける。壱紋の身体能力であっても、この程度の重量なら背負って歩くことが可能だった。

ずっしりと肩に食い込む重みを感じながら、リンは立ち上がり、森の出口の方角を見つめた。

木々の隙間から、彼が住む街**《テラタス》**の姿が遠くに見える。

人族国家の最辺境に位置するその街は、なんとも歪で醜悪な姿をしていた。

高い防壁の向こう側に見えるのは、泥と木材で作られた無数の貧民街のバラック。だが、街の中心部にそびえ立つ領主の館や一部の施設だけは、旧文明の『永久磁場リアクター』によって莫大な電力が供給されており、真昼間から青白いホログラムの光やLEDの強烈な照明を放っている。

一部の特権階級だけが超技術の恩恵を独占し、圧倒的な治癒能力や武具を保持している世界。

街の中心部に鎮座する『ターミナル』を管理する弐紋の領主は、その力で周囲の土壌を浄化し、水を綺麗にしているが、リンたちが住むスラムのような外縁部は、その恩恵の境界線の外だ。水は濁り、冬は凍えるほど寒い。

 

「このままじゃ、いつか絶対に野垂れ死ぬ……」

 

リンは背負子の紐を握りしめ、自身の右腕に浮かぶ壱紋の紋様を睨みつけた。

零紋から壱紋になるには神結晶が十五個で済む。だが、壱紋から『弐紋』に昇紋するには、気の遠くなるような数の神結晶が必要だ。一生をかけても到達できない者の方が多い。

それでも、這い上がらなければならない。

弐紋になれば、中型機械を単独で倒せるようになる。遺構の武器のロックを解除して使えるようになる。ターミナルを管理して、安全な領域を作り出せるようになる。

 

「絶対に『弐紋』になって……いつか、俺だけの村を作ってやる」

 

誰にも搾取されず、理不尽に命を奪われない、自分だけの居場所。

その遠すぎる夢を胸の奥で燃やしながら、リンは重い足取りで、錆びついた廃墟の森を抜け、歪な街《テラタス》へと帰路についた。

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