終紋の王   作:持麻呂

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第二話

大森林の鬱蒼とした境界を抜け、赤茶けた荒涼たる土漠へと足を踏み出す。

 

ひび割れた大地には、かつて「アスファルト」と呼ばれていたらしい黒い物質の残骸が点在し、その隙間から毒々しい赤紫色の蔦が這い回っている。空は相変わらず病的な鉛色をしており、太陽の輪郭は分厚い雲の向こう側でぼやけていた。

自身と同じほどの重さがある背負子を背負い、リンは黙々と歩を進めた。

 

数時間の行軍の末、地平線の向こうに、彼が住む街――人族国家の最辺境都市の一つである**《テラタス》**の異様な全貌が姿を現した。

そこは、過去の栄華と現在の絶望が、グロテスクなまでに継ぎ接ぎされた「パッチワーク」の街だった。

 

街をぐるりと囲むのは、旧文明の分厚いコンクリート壁と、廃墟から剥ぎ取った巨大な鉄板を太いボルトで強引に繋ぎ合わせた防壁だ。所々に空いた大穴は、魔獣の骨や土嚢で塞がれている。

武装した門番に通行税代わりの安い鉄くずを渡し、重い鉄格子をくぐると、外の土漠以上の熱気と異臭がリンを包み込んだ。

 

街の光景は、あまりにも歪なコントラストを描いている。

 

大通りの両脇にひしめき合っているのは、木材、泥、トタン板、そして使役獣の骨で骨組みを作った、中世の貧民街を思わせるバラック小屋だ。道は舗装されておらず、人々が捨てた泥水と汚物が混ざり合い、ひどい悪臭を放っている。行き交う人々の服装も、獣の毛皮やボロボロの麻布を纏っただけの原始的なものだ。

 

しかし、その上空を見上げれば、光景は一変する。

 

街の広場や大通りには、錆びきった旧文明の街灯が等間隔で立ち並んでおり、そこから青白い**『ホログラム』**が虚空に向かって投影されているのだ。とうの昔に意味を失った旧文明の文字列や、色鮮やかな幾何学模様の広告が、ジリジリとノイズを混じらせながら空中で明滅している。

地下深くから掘り出された**『永久磁場リアクター』**。それを無理やり街の配電網に繋いでいるため、電線はボロボロに千切れかかり、時折青白い火花を散らして通行人の頭上に降り注いでいるにも関わらず、一部の照明だけが煌々と街を照らし続けている。

 

基礎技術を喪失した人類が、ブラックボックスである超技術の残骸だけを強引に利用して生き延びている、それが今の世界の常識だった。

 

「お、リン。今日も死なずに帰ってきたか」

 

薄暗い路地裏に店を構える換金所のカウンターに背負子を下ろすと、無精髭を生やした店主の親父が片目を細めた。カウンターの奥では、真空管のような旧文明のパーツが鈍いオレンジ色の光を放っている。

 

「おう。親父さん、これ査定してくれ」

 

「どれどれ……ほう」

 

親父は、リンが布包みから取り出した小型戦闘機械の駆動モーターと、特殊合金の装甲板を見て、感心したように口笛を吹いた。

 

「相変わらず、見事に『抜いて』くるな。普通の《スクラッパー》は力任せに装甲ごとブチ壊しちまうから、中の部品や配線までイカれちまうってのに。お前の獲物は傷が少ないし、モーターのコイルも生きてる。……銀貨三枚ってとこか」

 

「助かるよ。これでしばらくは食いつなげる」

 

銀貨三枚。数日分の黒パンと、少しの干し肉が買える程度の金額だ。命懸けの対価としてはあまりにも安いが、壱紋の子供が稼げる額としては破格でもあった。

 

リンは受け取ったくすんだ銀貨を皮袋にしまいながら、換金所の奥――街の中心部にそびえ立つ、黒い大理石のような巨大なモノリスへと視線を向けた。

 

 

**『ターミナル』**。

 

 

どの種族の街や村にも必ず存在する、神の遺物。

この世界では、新しい命が産まれると、人は必ずこのターミナルに触れる。すると、未知の技術によって体内の心臓付近に『神結晶』の核が生成され、同時にターミナルから銀色の**『シリンジ(無針注射器)』**が一つ排出される。現代科学を凌駕する超高度な医療器具でありながら、世の中の誰もが当たり前のように首から下げている日用品だ。リンの首元でも、革紐に通されたシリンジが冷たい感触を放っている。

 

リンたちの視線の先、ターミナルへと続く石畳の大通りを、豪奢な毛皮と旧文明の特殊繊維を纏った初老の男が、重武装の取り巻きを連れて歩いていくのが見えた。

 

この《テラタス》を治める**『参紋』の領主**だ。

領主がターミナルを管理することで、周囲半径一キロメートルほどの土壌は豊かになり、水は浄化され、気温すらも人間が過ごしやすい状態に一定に保たれる。参紋の力は強力で、街の中心部に行けば行くほど、ここは本当に荒廃した世界なのかと錯覚するほど緑が溢れ、美しい花すら咲いている。

 

だが、その恩恵は決して平等ではない。

 

「……見ろよ。また領主様の取り巻きが、怪我の治療をしてやがる」

 

換金所の親父が、忌々しそうに顎をしゃくった。

大通りでは、魔獣の討伐から帰還したらしい護衛の兵士が、腕の肉を大きく食いちぎられた痛々しい姿で座り込んでいた。しかし、従者が一枚の半透明なシート状の物体を傷口に貼り付けた瞬間、奇跡が起きた。

 

**『使い捨てナノマシン・パッチ』**。

遺構からごく稀に発掘されるその超技術のパッチが、兵士の血液と反応して青白く発光したかと思うと、失われた腕の肉と骨が泡立つように再生し始め、わずか数秒で傷痕一つ残さず元通りになってしまったのだ。兵士は何事もなかったかのように立ち上がり、領主と共に笑い合っている。

 

一方で、リンのすぐ背後の汚泥にまみれた路地では、たかが風邪をこじらせて肺炎になったスラムの子供が、抗生物質ひとつ手に入らずに母親の腕の中でひっそりと息を引き取ろうとしていた。

 

この街の技術は、医療すらも絶望的に歪んでいる。金と権力を持つ高位の紋数持ちは神のような治癒力を享受し、持たざる者は原始的な病で虫けらのように死ぬのだ。

 

「恩恵の境界線は残酷だな。……金持ちどもは、俺たちが命懸けで取ってきたパーツや遺物でヌクヌク生きてるんだ」

 

「世の中そういうもんさ、リン。お前さんも早く神結晶を集めて、弐紋に成り上がることだな。……無理して死なねぇ程度にな」

 

親父の忠告に短く頷き、リンは換金所を後にした。

市場で石のように硬い黒パンと、少しだけ水気の多い果実を買うと、自身のねぐらへと足を向ける。

街の中心部から離れるにつれ、ターミナルの恩恵は目に見えて薄れていく。

足元の石畳は消え去り、ぬかるんだ腐葉土と泥に変わる。空気が急激に冷たくなり、人々の顔からは生気が失われていった。

 

街の最外周。防壁のさらに外側に近いスラムのどん詰まり。そこがリンの帰る場所だ。

 

家といっても、旧文明のコンクリート製の小さな監視小屋の廃墟を、トタン板と防水布で補修しただけの粗末な代物である。隙間風が吹き込み、雨の日は天井から泥水が滴る。

冷たい風が吹きすさぶ中、リンは手製の鍵を取り出し、扉の南京錠を開けようとした。

しかし、鍵穴に金属を差し込む前に、違和感に気づく。

南京錠のフックが、すでに外されていた。

 

「……ッ!」

 

反射的に腰のナイフに手を伸ばし、身構える。

空き巣か、あるいは貧民狩りのならず者か。リンは息を殺し、軋む扉を足で勢いよく蹴り開けた。ナイフを構えて暗い室内へ飛び込む。

 

だが、そこにいたのは、予想だにしない人物だった。

 

「おやおや。今日も泥だらけだねぇ、リン」

 

フフフと、暗闇に鈴を転がすような笑い声が響いた。

薄暗い小屋の中。唯一の家具である粗末なベッドの上に、この埃っぽいスラムには到底似つかわしくない美貌を持つ女性――**ネイト**が優雅に腰掛けていた。

 

肩口まで切り揃えられた色素の薄い白髪が、隙間から差し込むわずかな光を反射して銀糸のように輝いている。暗がりでも妖しく光る、深い紫色の瞳。外見年齢は二十代前半から半ばに見えるが、纏っている空気はひどくミステリアスで、どこか浮世離れした妖艶さを放っている。

 

彼女が着ているのは、旧文明の特殊繊維で作られたであろう、黒を基調とした滑らかなライダースーツのような服だ。身体のラインにぴったりと沿ったそれは、彼女の無駄のないプロポーションを際立たせている。

 

「ネイト……また勝手に入って。鍵、かけてたのに」

 

「ふぅん? あんなもの、ヘアピン一本あれば赤子の手をひねるより簡単さ。それに、可愛い隣人の顔を見に来てあげたんだ。刃物を向けるなんて、もう少し歓迎してくれてもいいんじゃないかい?」

 

リンはため息をつきながらナイフを鞘に収め、警戒を解いた。

ネイトもまた、リンと同じ同業の《スクラッパー》を名乗っている隣人だ。

だが、リンは彼女が外で泥に塗れて仕事をしている姿を一度も見たことがない。にもかかわらず、彼女は時折、中型や大型の戦闘機械のレアなパーツを平然と街に持ち込んで高値で売り捌くため、街のならず者たちも彼女の得体の知れない雰囲気に気圧され、手を出そうとはしなかった。

 

「ほら、お土産だよ。今日はいいものが入ったからね」

 

ネイトが放り投げてきた銀色のパッケージを、リンは慌てて両手でキャッチする。

ずしりとした重み。表面には旧文明の言語で何やら成分表のようなものが印字されている。

それは、旧文明の完全栄養食(レトルトパウチ)だった。泥水のようなスープしか飲めないスラムにおいて、これ一つで数日分のカロリーと栄養、さらには失われたビタミンやミネラルが完璧に補給できる超高級品だ。市場に出せば、リンが今日稼いだ銀貨三枚など軽く吹き飛ぶ価値がある。

 

「こ、こんな高いもの……いいのか?」

 

「構わないさ。君が手作りの奇妙な罠で、泥水啜りながら必死に機械の足を引っ張ってる姿を見るとね、なんだか昔飼っていた小動物を思い出して……つい、餌をやりたくなっちゃうんだ」

 

「小動物ってなんだよ……俺はペットじゃないぞ」

 

口を尖らせるリンを見て、ネイトはさらに楽しそうに目を細めた。

リンにとって、ネイトは『恐ろしく強い人』だ。彼女の右腕に紋様が浮かんでいるのを見たことはないが、その立ち振る舞いの隙のなさや、持ち帰る獲物の質からして、もしかすると街の領主と同じ『参紋』か、それ以上の実力者なのではないかと推測している。

 

「へぇ……今日は中々いい動きをしてたじゃないか。あの空から鉄骨を落とす仕掛け。君のその奇妙な知識と戦い方は、見ていて本当に飽きないねぇ」

 

「……見てたなら手伝ってくれよ。死ぬかと思ったんだぞ」

 

「おやおや、それは野暮というものさ。少年が泥に塗れながら己の牙を研ぎ澄ましていく過程こそ、美しいんだからね」

 

ネイトは音もなく立ち上がった。

足音一つ、衣擦れの音すらさせず、すっとリンの背後に回り込む。

気がついた時には、泥だらけのリンの頬を、細く滑らかな指がツーッと撫でていた。

 

「っ……」

 

その無機質なほどに冷たい指先の感触と、彼女から微かに香る旧文明の芳香――錆びた鉄と甘い花の匂いが混ざったような未知の香り――に、リンはどきりと心臓が跳ねるのを感じた。

まるで、生き物ではない何かと対峙しているような、底知れない凄み。それなのに、彼女が放つ妖艶な魅力から目を逸らすことができない。十四歳の少年にとって、彼女の存在はあまりにも刺激的すぎた。

 

「君は、もっと強くなるよ。……私を楽しませておくれ、リン」

 

耳元で甘く囁き、謎多き美貌の隣人は、からかうようにリンの鼻先をツンと弾く。

そして、まるで幻でも見ていたかのように、風のように小屋から出て行った。軋む扉の音だけが、彼女が確かにそこにいたことを証明している。

残されたリンは、銀色のレトルトパウチを握りしめたまま、熱くなった頬を誤魔化すように深くため息を吐いた。

 

「……ほんと、得体が知れない人だ」

 

しかし、ネイトが時折見せるその圧倒的なまでの『余裕』は、リンにとって強さの象徴でもあった。

ターミナルの恩恵を独占する領主も、底知れない隣人も、皆『紋数』という絶対的な力を持っている。

自分もいつか、あんな風に誰にも脅かされない強さを手に入れたい。誰もが平等に安全な水を飲み、理不尽に命を奪われない、自分だけの街を作りたい。

 

「絶対に『弐紋』になってやる……!」

 

リンは手元の旧文明の食料を見つめながら、己の内に燻る這い上がりへの渇望を、さらに強く燃え上がらせていた。

明日もまた、命懸けの狩りが待っている。大森林の奥深く、死と隣り合わせの領域で、彼は生きるために知恵を絞り続けるのだ。

 

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