終紋の王   作:持麻呂

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第四話

視界を覆い尽くすほどの絶望的な質量が、宙を舞っていた。

太陽の光を遮り、リンの頭上から落下してくる六本脚の悪夢――中型戦闘機械。

重量およそ八百キロ。鈍色の超振動合金で覆われたその巨体が、重力という絶対的な法則に従ってリンを押し潰さんと迫る。

 

「……ッ!」

 

リンは全身のバネを弾けさせ、横方向へと無様にダイブした。

直後、彼が先ほどまで伏せていたシダ植物の群生の上に、中型機械が地響きと共に着地する。六本の鋭い脚部が腐葉土を深く抉り、飛び散った泥と石の破片が散弾のようにリンの頬や腕を掠めた。鋭い痛みが走るが、それに構っている暇など一秒たりともない。

着地の衝撃から姿勢を立て直すよりも早く、中型機械の背部からせり出したガトリング砲が、再びけたたましい駆動音を上げて銃身を回転させ始めた。

 

(銃身が回転し始めてから、初弾が発射されるまで約〇・五秒。……その間に射線から逃げる!)

 

リンは地面を転がりながら立ち上がり、すり鉢状の窪みの斜面を駆け上がった。

背後で空気を切り裂くような破裂音が弾け、毎分数千発の徹甲弾が地面を耕していく。弾丸が旧文明のコンクリートの残骸に命中し、火花と粉塵が爆発的に舞い上がった。砕け散ったコンクリートの破片がリンの背中や太ももに突き刺さる。

熱い血が流れ出す感覚があったが、アドレナリンが痛みを麻痺させていた。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

 

リンは巨大な高架橋の柱の裏へと滑り込み、荒い息を吐いた。

心臓が肋骨を突き破りそうなほど激しく脈打っている。壱紋の身体能力では、あの弾幕の雨を完全に避け切ることは不可能だ。あと数センチ射線がズレていれば、上半身と下半身が泣き別れになっていた。

 

ギュィィィン……ガシャン

 

足音が近づいてくる。

中型機械は焦ることなく、巨大な単眼の赤いセンサーを明滅させながら、リンが隠れた柱へとゆっくりと歩み寄ってくる。圧倒的強者の余裕だ。高度なAIを持たずとも、プログラムされた殺戮のロジックが「獲物は袋の鼠である」と判断しているのだ。

 

(落ち着け。相手は魔法の化け物じゃない。質量を持った、ただの機械だ)

 

リンは目を閉じ、前世の記憶を総動員して思考を加速させた。

相手は六本脚で安定性が高いが、それは裏を返せば「旋回性能」や「狭所での機動性」に劣るということだ。さらに、あれだけの重火器を連射すれば、必ず銃身のオーバーヒートを避けるための冷却時間(クールダウン)が発生する。

そして最も重要な弱点は、動力源の廃熱だ。中型機械の関節部からは、動くたびに青白い光と高温の排気が漏れていた。分厚い超振動合金の装甲で覆われた巨体の中で、あそこだけが物理的な装甲が薄い「隙間」になっている。

 

(俺の持っている『超振動合金の槍』は、壱紋の力じゃ装甲を貫けない。なら、あの排熱ダクトの隙間に、全体重と重力加速度を乗せて突き立てるしかない)

 

問題は、どうやってその隙を作るかだ。

リンは血のにじむ手で槍を握り直し、高架橋の柱の構造を見上げた。

九百年の風雨に晒され、内部の鉄筋(リブ)が剥き出しになった巨大なコンクリートの柱。それは、すり鉢状の地形の真上を通る、崩落しかけた天井部分を辛うじて支えている。

 

「……計算通りにいってくれよ」

 

リンは懐から、先ほどの罠の残骸から回収した「爆発性の粉末」が詰まった小袋を取り出し、槍の石突きの部分に括り付けた。

 

*ピピピピッ――【 Target Confirmed 】*

 

柱の裏側に回り込んできた中型機械の赤いセンサーが、リンを捉えた。

ガトリング砲の銃身が、容赦なくリンへと向けられる。

 

「こっちだ、ポンコツ!」

 

リンは柱から飛び出し、あえて直線的に走り出した。

罠ではなく、自分自身を囮にする。死と隣り合わせの愚行。

中型機械の砲身が火を噴いた。

凄まじい弾幕がリンの背中を追う。リンは蛇行しながら、すり鉢状の地形の奥深く――崩落しかけた高架橋の「最も脆い柱」の方向へと駆け込んだ。

 

ガガガガガガガッ!!

 

弾丸がリンの足元を抉り、土煙が舞う。

リンは目当ての柱の裏へと滑り込み、同時に、槍の石突きに括り付けた爆発粉末の袋を柱の根元に向かって力任せに叩きつけた。

 

ドガァァァンッ!!

 

激しい爆発音が響き渡り、火柱が上がる。

粉末の爆発力自体は、中型機械の装甲を傷つけるほどのものではない。だが、九百年もの間、限界ギリギリで天井の重量を支えていた劣化したコンクリートの柱を「破壊」するには十分すぎた。

「メシャァッ」という嫌な音が響いたかと思うと、リンの頭上の巨大なコンクリートの塊が、蜘蛛の巣のようにひび割れた。

 

*ピピピッ!?*

 

中型機械のセンサーが、頭上から降り注ぐ異常な質量を感知し、警告音を鳴らす。

ガトリング砲の連射が止まり、六本の脚が後退しようと地を蹴った。

 

「遅えよ!」

 

崩落が始まった。

数トンから数十トンに及ぶ旧文明のコンクリートの瓦礫が、土砂降りの雨のように中型機械の頭上へと降り注ぐ。

 

ガガァァァンッ!! ズドドドドッ!!

 

凄まじい轟音と共に、中型機械の巨体が瓦礫の山に押し潰された。

頑強な超振動合金の装甲はひしゃげこそしなかったものの、圧倒的な質量に身動きを封じられ、六本の脚がもがき苦しむように 虚空を掻く。

濛々と舞い上がる土煙の中、リンは崩れ落ちてくる瓦礫を縫うようにして、崩落の斜面を駆け上がっていた。

肺が悲鳴を上げ、足の筋肉が千切れそうになるが、歩みを止めることは死を意味する。

土煙の底で、瓦礫に半身を埋もれさせた中型機械が、怒り狂ったように赤いセンサーを明滅させているのが見えた。ガトリング砲は瓦礫に挟まって動かない。だが、その頭部と胴体を繋ぐ関節部――青白い光を放つ排熱ダクトが、無防備に上を向いて露出していた。

 

(あそこだ……!)

 

リンは瓦礫の山の頂点から、槍を真下に向けてダイブした。

重力加速度。十四歳の少年の体重。そして、旧文明の超振動合金が持つ圧倒的な硬度。

すべてを一点に集中させた、必殺のロジック。

 

「墜ちろおおおぉぉッ!!!」

 

空気を切り裂くような裂帛の気合いと共に、リンは槍の穂先を、青白く発光する関節の隙間へと一直線に突き立てた。

 

メシャァァァァァァァッ!!!!

 

硬質な破壊音が、森の奥深くに響き渡った。

分厚い装甲の隙間をすり抜けた槍先が、機械の内部にある冷却液のパイプを断ち切り、中枢の電子回路へと深々と突き刺さる。

途端に、中型機械の全身から高圧電流が逆流し、青白い火花が間欠泉のように噴き出した。

 

「ぐ、あああああッ!!」

 

槍の柄を伝って、強烈な電流がリンの身体を駆け巡る。

全身の筋肉が痙攣し、意識が白濁しそうになるが、リンは絶対に手を離さなかった。ここで引き抜けば、相手は必ず息を吹き返す。

己の命を燃やすように、さらに深く、限界まで槍を押し込む。

 

*ピ、ピピピ……ピィィィィィィィィ…………ッ。*

 

断末魔のような長い電子音を響かせた後。

中型機械の巨大な赤い単眼センサーが、ゆっくりと光を失い、完全に沈黙した。六本の脚から力が抜け、瓦礫の上にだらりと崩れ落ちる。

 

「……はぁっ……はぁっ……」

 

リンは槍から手を離し、瓦礫の上に仰向けに倒れ込んだ。

全身が火傷と打撲でボロボロだ。特に電流を浴びた両腕は、感覚が麻痺してまともに動かせない。肺から空気を吸い込むたびに、折れた肋骨が内臓に突き刺さるような激痛が走る。

だが、勝ったのだ。

壱紋の非力な少年が、単独で中型戦闘機械を討ち取った。

それは、この狂った世界において、奇跡という言葉ですら生ぬるいほどの偉業だった。

 

「やった……これで……」

 

リンは激痛に耐えながら、ふらつく足で立ち上がった。

目線の先には、沈黙した中型機械の胸部装甲がある。

中型機械は、必ず**『神結晶』**を宿している。これを手に入れれば、壱紋から弐紋への果てしない道のりを、大きく前進することができる。あわよくば、この神結晶の質によっては、一気に昇紋できるかもしれない。

リンは工具を取り出し、震える手で胸部装甲のロックを外そうとした。

その時だった。

 

――ズンッ

 

大地が、鳴動した。

先ほどの中型機械の足音ではない。もっと深く、地球のコアそのものが揺れたのかと錯覚するような、重く、底知れない振動。

 

「え……?」

 

リンの動きが止まる。

風が、生ぬるい突風へと変わった。周囲の木々が異常な角度にしなり、大森林の深淵から、幾千の魔獣が一斉に逃げ出していく気配がする。

周囲の空気が、まるでゼリーのように重く、粘り気を帯びたように感じられた。

 

――ズズンッ

 

二度目の地響き。

リンはゆっくりと、顔を上げた。

すり鉢状の窪みの縁。鬱蒼と生い茂る巨大なシダ植物と、崩落し残った高架橋の隙間。

 

そこに、**『山』**があった。

 

いや、山ではない。

それは、大森林の木々を眼下に見下ろすほどの巨大な体躯を持った、絶望の具現だった。

全長、およそ三十メートル。

旧文明の巨大建造物がそのまま動き出したかのような、圧倒的な威容。

黒鋼と超振動合金で構成された二足歩行の巨体は、神話に登場する巨人のようでありながら、全身に無数の砲塔とミサイルポッドを這わせた殺戮兵器の姿をしていた。

頭部には、先ほどの中型機械とは比べ物にならないほど巨大で、禍々しい深紅のマルチアイ・センサーが不規則に明滅している。

 

 

**大型戦闘機械**

 

 

この世界において、百人の武装した兵士が束になってようやく足止めできるか、あるいは肆紋以上の化け物じみた実力者でなければ単独撃破は不可能とされる、戦略級の遺物。

 

「嘘だろ……」

 

リンの口から、乾いた声が漏れた。

ガトリング砲の連射音。瓦礫の崩落音。そして起爆粉末の爆発音。

それらの巨大な戦闘騒音が、大森林のさらに深淵で眠っていたこのバケモノを呼び覚ましてしまったのだ。

 

*ピィィィィィィン……。*

 

大型機械の深紅のセンサーが、すり鉢の底にいるリンと、破壊された中型機械の残骸を捉えた。

何の感情もない機械の瞳。しかし、そこには明確な『敵対判定』の光が宿っていた。

戦う?

不可能だ。壱紋の物理法則など、あの圧倒的な質量の前では何の意味も持たない。重力も、テコの原理も、あの巨体の前ではただの戯言に等しい。

逃げる?

あの巨体の一歩は、リンの全力疾走の何十歩分にも相当する。逃げ切れるわけがない。

絶望が、冷たい泥のようにリンの胃の腑を満たしていく。

大型戦闘機械の右腕――巨大なプラズマ砲身が展開され、太陽すらもかき消すような眩い青白いエネルギーが収束し始めた。

 

「……あ、ああ……」

 

神結晶を手に入れ、弐紋になり、自分の街を作る。

そのささやかで、それでも必死に手を伸ばし続けた夢が、圧倒的な暴力の前に消し飛ぼうとしていた。

崩落する死の森で、辺境の少年の極限の逃走劇が、今、最悪の形で幕を開けようとしていた。

 

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