終紋の王   作:持麻呂

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第五話

世界が、青白く反転した。

大型戦闘機械の右腕に展開されたプラズマ砲身。そこに収束されたエネルギーが臨界点に達し、大気を焼き切るような高周波の耳鳴りがリンの鼓膜を突き破った瞬間。

リンは本能の赴くまま、全身の筋肉を爆発させて横方向へと跳躍した。

 

 

カッ――――!!!

 

 

音よりも早く、極大の熱閃光がすり鉢状の窪みを舐め尽くした。

直後、遅れてやってきた凄まじい轟音と爆発的な熱波がリンの小さな身体を紙切れのように吹き飛ばす。リンは宙を舞いながら、巨大なシダ植物の群生を突き抜け、泥まみれの地面をボールのように何度もバウンドして転がった。

 

「がはっ……!!」

 

肺から空気が強制的に絞り出され、血の味が口の中に広がる。

全身の骨が軋み、視界が明滅する中、リンは辛うじて顔を上げた。そして、己が先ほどまでいた場所の惨状を見て、息を呑んだ。

崩落したコンクリートの瓦礫ごと、リンが命懸けで倒した中型機械の残骸が、跡形もなく「蒸発」していた。

 

地面は巨大なクレーター状に抉り取られ、超高温のプラズマによって土壌のケイ素が融解し、ドロドロに溶けたガラスとなって赤黒い光を放っている。周囲の木々は一瞬にして炭化し、白い灰となって雪のように舞い散っていた。

 

「あ……俺の、神結晶が……」

 

壱紋から弐紋へ成り上がるための、唯一の希望。

あの瓦礫の下には、確かに中型機械の胸部コアがあったのだ。だが、それはもう存在しない。大型機械の理不尽な暴力によって、リンの命懸けの成果はチリ一つ残さず消し飛ばされてしまった。

絶望と喪失感が胸を締め付ける。

しかし、感傷に浸る時間は一秒たりとも与えられなかった。

 

ズズンッ……! ズズンッ……!

 

地響きが、再び迫ってくる。

三十メートル級の巨体を誇る**大型戦闘機械**が、赤熱するクレーターを悠然と踏み越え、こちらへ向かって歩みを進めていた。

頭部の巨大なマルチアイ・センサーが、ギラギラと血のような深紅の光を放ち、周囲の生体反応を探っている。

 

(逃げなきゃ……殺されるッ!)

 

リンは悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、這うようにして立ち上がった。

戦うなどという選択肢は最初から存在しない。あれは、壱紋の少年が知恵と罠でどうにかなる相手ではない。物理法則すらも捻じ伏せる、圧倒的な質量の暴力そのものだ。

リンは大森林のさらに奥深く、鬱蒼と生い茂る原生林の闇の中へと全力で駆け出した。

 

*ピィィィン――【 Target Confirmed. Initiating Pursuit Mode. 】*

 

背後で、無機質な合成音声が森中に響き渡る。

それを合図に、大型機械の追跡が始まった。

巨体が動くたびに、樹齢数百年の巨木が小枝のようにへし折られ、大地が悲鳴を上げて陥没する。大型機械は森を迂回することなく、自身の進路にあるあらゆる障害物を粉砕しながら、一直線にリンの背中を追ってきた。

 

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」

 

リンは肺を焼かれるような苦しみに耐えながら、道なき道を走り続けた。

背後からは、等間隔で鳴り響く絶望の足音。

その圧倒的な歩幅の差は歴然だった。リンが死に物狂いで数十歩走る距離を、大型機械はたった一歩でゼロにしてしまう。

このまま直線的に逃げれば、数分以内に追いつかれ、虫けらのように踏み潰されるだろう。

 

(直線の逃げじゃダメだ! 視界を遮れ! センサーを欺け!)

 

前世の記憶が、極限状態のリンの脳内で高速回転を始める。

相手の巨大なマルチアイはおそらく、可視光だけでなく赤外線(熱源探知)や動体探知機能も備えているはずだ。

リンは視線を巡らせ、鬱蒼とした大森林の中に、腐葉土が淀んでできた黒い沼地を発見した。

 

彼は躊躇うことなく沼に飛び込み、首まで冷たい泥水に浸かった。そして、沼の底の冷たい泥を両手で掬い上げ、頭から顔、腕、衣服の隙間に至るまで、全身に分厚く塗りたくった。

泥パックによって体表面の温度を強制的に下げ、赤外線センサーから熱源反応を隠蔽するという、映画というものでみたらしい前世の記憶にあった生存術。

直後、頭上の樹冠が凄まじい勢いでなぎ払われ、大型機械の巨体が姿を現した。

リンは沼の縁の巨大な倒木の陰に身を潜め、息の音すらも殺す。

 

深紅のセンサー光が、サーチライトのように森を舐め回す。光の束がリンの隠れる倒木を掠め、沼の水面を照らし出した。

リンは心臓が口から飛び出しそうな恐怖に耐え、目を固く閉じた。

 

頼む、通り過ぎてくれ。

 

祈るような数十秒間。

 

やがて、センサーの光が逸れ、大型機械は別の方向へと重い足音を響かせて去っていった。

 

「……助かっ、た……?」

 

泥水から這い上がり、リンは激しく咳き込んだ。

だが、安堵したのも束の間だった。

 

――ズズンッ

 

遠ざかっていたはずの足音が、再び向きを変え、こちらへと近づいてくる。

大型機械は諦めていなかった。熱源反応を見失っても、その超高度な演算AIは「目標がこの一定区画に潜伏している確率」を算出し、周辺を徹底的に絨毯爆撃する思考ルーチンに切り替えたのだ。

遠くでプラズマの爆発音が響き、森が炎に包まれるのが見えた。

 

「嘘だろ……あんなの、どうやって撒けばいいんだよ……ッ!」

 

リンは絶望に顔を歪めながらも、再び走り出した。

これが、地獄の三日間の始まりだった。

追跡は、夜になっても終わらなかった。

月明かりすら届かない漆黒の森の中を、大型機械は無数のサーチライトと深紅のセンサー光で真昼のように照らし出しながら、執拗にリンを追い立てた。

 

機械には疲労がない。恐怖もない。そして何より、旧文明の永久機関を動力とする彼らには「休む」という概念が存在しない。

 

逃げるリンの体力は、とうの限界を超えていた。

折れた肋骨が肺を擦り、呼吸をするたびに血の味がする。中型機械との戦いで浴びた電流のせいで、手足の末端は常に痺れ、自分の意志とは無関係に痙攣を繰り返していた。

泥と血にまみれ、衣服はボロボロに引き裂かれている。

 

(眠い……少しだけ、休みたい……)

 

二日目の夜。

木の根の洞に身を隠したリンは、強烈な睡魔と疲労に襲われ、意識が泥のように濁っていくのを感じた。

まぶたが鉛のように重い。ここで一時間、いや十分だけでも目を閉じれば、どれだけ楽になるだろうか。

だが、その甘い誘惑を断ち切るように、遠くからズズンッという地響きが鼓膜を打つ。

リンは己の太ももにナイフを突き立てた。

 

「っ……あああああッ!!」

 

激痛で強制的に意識を覚醒させる。

休めば死ぬ。立ち止まれば死ぬ。

リンの脳裏に、五歳の時の光景がフラッシュバックする。

炎に包まれた街。逃げ惑う人々。そして、巨大な機械の足の下敷きになり、赤い血だまりへと変わった両親の姿。

誰も助けてはくれなかった。この世界では、弱者はただ理不尽に命を蹂躙されるだけなのだ。

 

(嫌だ。俺はまだ、何も手に入れてない。こんなところで、犬死にするために生きてきたんじゃない……!)

 

リンの虚ろな瞳の奥に、暗く熱い執念の炎が灯る。

彼を辛うじて生かしているのは、その執念と、もう一つ――ネイトが置いていった『完全栄養食』の残滓だった。

あの旧文明のペーストがもたらした桁外れのカロリーとナノレベルの修復物質が、限界を超えたリンの細胞を強制的に稼働させ、餓死と過労死の淵からギリギリのところで引き留めていたのだ。

 

「あいつ……絶対、何か知ってて……あれを……」

 

リンは掠れた声で毒づきながら、再び立ち上がり、闇の中へと足を引きずった。

 

三日目の昼下がり。

大森林の景色は、明確な変貌を遂げていた。

鬱蒼とした木々はまばらになり、代わりに、ひび割れた旧文明の巨大なコンクリート構造物が、地形そのものとなってむき出しになっている。地面には錆びた太い鉄筋が墓標のように突き出し、巨大なクレーターのような陥没跡が無数に口を開けていた。

 

リンの足取りは、もはや歩行と呼べるものではなかった。

右足を引きずり、コンクリートの壁に手をつきながら、ゾンビのように前へと進むだけだ。

視界は赤く染まり、耳鳴りが全ての音を遠ざけている。全身の水分は枯れ果て、汗すら出ない。体温調節機能が壊れ、極度の悪寒と猛烈な熱さが交互にリンを襲っていた。

 

ガシャン……ガシャン……

 

背後から迫る足音は、もはや数キロの距離ではない。

 

すぐそこだ。

 

リンがよろけながら広大なコンクリートの広場――かつての旧文明の飛行場か何かであろう平坦な廃墟――に出た瞬間。

背後のコンクリートの防壁が、爆発するように内側から吹き飛んだ。

瓦礫の雨を掻き分けて姿を現したのは、全身を傷だらけにしながらも、圧倒的な威圧感を放つ**大型戦闘機械**だった。

 

三日三晩、大森林を破壊しながらリンを追い続けたその巨体は、装甲の一部が剥がれ落ち、内部の配線が露出しているものの、その殺意の矛先はいささかも鈍ってはいない。

 

*ピピピピッ――――【 Target Locked. Execution Phase. 】*

 

逃げ場のない平坦なコンクリートの広場。

大型機械の頭部の深紅のセンサーが、力尽きて膝をついたリンを明確に捉えた。

右腕のプラズマ砲身が展開され、致死の青白い光が再び収束し始める。

 

「……ここまで、か……」

 

リンは荒い息を吐きながら、空を見上げた。

鉛色の空。相変わらず、この世界は絶望的に濁っている。

 

 

弐紋になりたかった。

 

 

自分だけのターミナルを見つけて、誰にも脅かされない街を作りたかった。

あの底知れない白髪の隣人に、少しでも対等な顔で向き合ってみたかった。

だが、身体はもう一ミリも動かない。

前世の知識も、手作りの罠も、この圧倒的な暴力の前では完全に尽きた。

プラズマのエネルギーが臨界点に達し、大型機械の砲口が白く閃光を放った、その時ーー

 

――ピキィィィィンッ!

 

リンの足元のコンクリートから、奇妙な亀裂音が響いた。

それは、九百年もの間、風雨と地殻変動に耐え続けてきた旧文明の『地下構造物の天井』が、大型戦闘機械の三十メートル級の質量と、三日間に及ぶ執拗な追跡による振動、そしてプラズマ砲のエネルギー収束による重力干渉に耐えきれず、完全に限界を迎えた音だった。

 

「え……?」

 

リンが足元に視線を落とした瞬間。

重力が、消えた。

 

ドッゴォォォォォォォォォンッ!!!!!

 

広大なコンクリートの広場全体が、すり鉢状に一気に崩落した。

足場を失った大型戦闘機械が、警告音を鳴らす間もなく巨体を傾かせ、奈落の底へと落ちていく。

プラズマ砲のエネルギーが行き場を失い、空中で暴発して青白い火柱を上げた。

 

「う、わあああああああぁぁぁッ!?」

 

リンの身体もまた、瓦礫の雨と共に、底の見えない真っ暗な大穴へと飲み込まれていく。

落下する無重力感の中、リンの意識は激しい衝撃と浮遊感に耐えきれず、ついに暗黒へと沈んでいった。

辺境の少年の極限の逃走劇は、誰も予想し得なかった旧文明の遺構――地下深く眠る絶望と希望の狭間へと、文字通り転がり落ちていったのだった。

 

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