シン・逆襲のクロト   作:皐月莢

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旧作『逆襲のクロト』SEED編のリメイク版です。
クロト・ブエル主人公、キラ・ヤマト女性化、原作改変あり。
旧版とは展開・設定・本文を大きく見直しています。


第一章 全ての始まり

 喉が裂けるほど渇いていた。

 コクピットのどこかで警告音が鳴り続けていた。

 

 指が動かなかった。

 

 いや、動いているのかもしれない。

 だが、操縦桿を握る感覚しか残っていなかった。

 身体の奥が、内側から壊れていく。

 薬が切れる。

 足りない。

 足りない。足りない。

 

 機体はもう息をしていない。

 上も下も、どこにいるのかも分からない。

 遠くで誰かが叫んでいたような気もする。

 

 これで全てが終わるのだと思った。

 

 あいつらの声も、白い光も、黒い宇宙も、薬切れの痛みも、全部まとめて終わる。

 ざまあみろ、と笑いたかったが、誰に対してなのかも分からなかった。

 世界か。

 それとも、自分の運命か。

 

 最後に笑おうとしたが、喉から発せられたのは、小さな叫びだった。

 

 僕はただ、自由が欲しかっただけなのに。

 

 それが自分の声か、誰かの声か、もう分からなかった。

 赤い光が視界を塗り潰した。

 その瞬間、全てが途切れた。

 

 *

 

 クロト・ブエルは、しばらく白い面を天井だと認識できなかった。

 宇宙なのか、装甲の裏なのか、死んだ後に見る何かなのか、判別がつかなかった。

 冷たい空気と消毒液の臭いが鼻に入った。

 

 生きている。

 

 そう思った瞬間、全身が痙攣した。

 

「っ、が……」

 

 声にならない音が喉から漏れた。

 腕を動かそうとしたが、動かなかった。

 手首、肘、肩、胸、腿、足首。

 身体のあちこちが固定されている。

 拘束具だと分かった途端、視界の端が暗くなった。

 ベッド。照明。電子音。センサー。腕の針跡。

 まるで檻だった。

 死んだはずなのに、また檻の中にいる。

 腹の底から笑いがこみ上げたが、出てきたのはひび割れた呼吸だけだった。

 喉が焼ける。

 皮膚の下を虫が這うように神経がざわめいた。

 薬。

 その一語が、思考の真ん中に穴を開けた。

 

 ここがどこか。

 なぜ生きているのか。

 何が起きたのか。

 そんなものは後でいい。薬が先だ。

 

 薬を入れなければ、ばらばらになった身体が戻らない。

 クロトは視線だけで周囲を探った。

 

 チューブ。点滴台。棚。閉じた扉。

 観察窓の向こうは暗く、人影はない。

 モニターでは警告が赤く点滅していた。

 遠い爆発音が響き、部屋が揺れた。照明が落ちては戻る。

 天井に細い亀裂が走っていた。

 

 どこだ、ここは。

 

 見覚えのない施設だが、檻であることだけは分かった。

 何かが起こっている。外で何かが暴れている。

 

 クロトは右手に力を込めた。

 金属が軋んだ。

 手首の拘束具が皮膚に食い込み、古い針跡が開いた。

 もう一度力を入れると、骨が鳴ると同時に薄い金属片が曲がった。

 拘束具は外れたのではない。

 壊れた。

 手首を無理に抜くと、血がシーツに落ちた。

 クロトはその血を見て、ようやく自分の腕を見た。

 痩せて、注射痕だらけで、見覚えのある腕。

 死んだはずの腕が、まだ動いている。

 

「……なんだよ、これ」

 

 左手の拘束を外し、胸のベルトを裂いた。

 足首の固定具を蹴り飛ばし、身体を起こした。

 吐き気が込み上げたが、何も出なかった。

 床に足をつけると、膝から力が抜けた。

 クロトはベッドの縁を掴んだ。

 白い部屋が歪み、別の白い部屋と重なった。

 ガラス越しに見下ろす目。記録を取る手。冷たい声。

 次の投与までの時間。命令。訓練。痛み。笑い声。

 誰のものか分からない叫び。

 記憶ではなく、焼け残った断片が脳の中で勝手に蠢いている。

 

 クロトは点滴の針を乱暴に抜いた。

 腕のセンサーを剥がし、よろめきながら扉へ向かう。

 裸足の裏にガラス片が刺さったが、薬への渇きに比べれば小さかった。

 扉の脇のパネルは死んでいた。

 クロトは拳を叩きつけた。反応しない。もう一度。

 パネルが割れ、配線が露出した。指を突っ込み、何本かを引き千切る。

 火花が散った。

 扉のロックが中途半端に外れ、隙間が開く。

 そこへ肩をねじ込むと、金属が悲鳴を上げながら動いた。

 

 通路は赤い非常灯に照らされていた。

 動く人間はいなかった。ただ警報だけが鳴っていた。

 天井から粉塵が落ちてきた。

 表示板は避難経路を示していたが、すぐに消えた。

 クロトは壁に手をつきながら歩いた。

 白い廊下はところどころ黒く焼けていた。

 開きっぱなしの扉。倒れた椅子。割れた薬瓶。壁に引きずった血の跡。

 靴の跡は複数あったが、足音はない。

 

 死体が一つあった。

 研究員らしい白衣の男が、通路の角にうつ伏せで倒れていた。

 死体は喋らない。クロトはしゃがみもしなかった。

 

 身体が道を覚えているようだった。

 右ではなく、左。長い通路の奥。

 どうして知っているのかは分からない。けれど足は迷わなかった。

 飼われた獣が、餌の場所を忘れないように。

 また爆発があった。

 床が揺れ、天井のパネルが落ちてきた。

 クロトは咄嗟に身を引いた。

 粉塵を吸い込み、咳き込む。

 薬が足りない。足りない。足りない。

 

「うるせぇな……分かってるっての」

 

 保管区画の扉は半分開いていた。

 隙間から身体を滑り込ませると、冷却装置の一部が生きていたのか、中は冷たかった。

 棚は崩れ、ケースが散乱していた。

 クロトは乱暴に箱を掴んでは投げた。

 違う。違う。これじゃない。

 手が震え、耳鳴りが強くなった。

 棚の奥、半分潰れた保冷ケースの中に、それはあった。

 見慣れた色のラベルが貼られた、細長いアンプル。

 

 γ-グリフェプタン。

 クロトの口角が勝手に上がった。

 

「見っけ」

 

 封を切る時間さえ煩わしい。

 クロトは歯で先端を噛み切り、薬液を喉へ流し込んだ。

 苦い。焼ける。

 舌が痺れ、喉の奥が熱を持った。

 次の瞬間、脳の奥で硬い蓋が開いた。

 耳鳴りが薄れ、警報の音が輪郭を取り戻した。

 痛みは消えないが、邪魔ではなくなった。

 視界が澄んだ。

 

 その向こうに、別の景色が重なった。

 コロニーの内部。人工の空。崩れる天井。黒煙。ジン。強奪。G兵器。

 意味の噛み合わない破片だけが流れ込んでくる。

 

 ヘリオポリス。

 

 その単語が頭の奥へ引っかかった。

 クロトはアンプルを握ったまま動かなかった。

 

 あれは夢だ。

 

 そう思えば片づけられた。

 動かない機体も、壊れていく身体も、薬が見せた悪夢で済む。

 今聞こえる警報は違う。

 血の臭いも、足裏の痛みも、腕に残る注射痕も、ここにある。

 

「……クソみてえだな」

 

 クロトは笑った。

 あれが悪夢でも、薬があればいい。

 今が現実なら、なおさら薬がいる。

 敵がその邪魔をするなら潰す。

 ただ、それだけだった。

 

 もう一本、薬を確保した。

 さらに数本、ケースごと抱えた。

 近くのロッカーから軍服を引きずり出す。

 サイズは合わないが、裸でなければいい。

 足元に転がっていた誰かのブーツを奪い、無理やり履いた。

 

 向かうべき場所だけは、なぜか分かっていた。

 

 格納庫。

 

 そこに何があるのか、名前までは思い出せない。

 だが、保管区画から格納庫へ向かう道を、この身体は覚えていた。

 クロトは保管区画を出た。

 遠くで銃声。人の悲鳴。

 隔壁の向こうで、何か巨大なものが歩く音がする。

 ヘリオポリスの中が、戦場に変わっていく音だった。

 途中で倒れていた兵士の銃を拾った。

 弾数は見なかった。

 持っていないよりはましだ。

 クロトは半開きの隔壁を越えた。

 格納庫は暗かった。

 非常灯が広い空間を赤く照らしている。

 足元には工具、ケーブル、破片、血の跡。

 その奥に、機体が立っていた。

 灰色の装甲。

 獣のような肩。

 畳まれた翼。

 武器を抱えた腕。

 人の姿でありながら、人を拒絶するような歪んだ輪郭。

 

 クロトは足を止めた。

 ここへ来る道は、この身体が知っていた。

 だが、この機体は違う。

 少なくとも、先ほどまでのクロト・ブエルは知らない。

 この機体の名前も、翼の開いた姿も、武装の癖も、コクピットの狭さも、知っているはずがなかった。

 なのに、喉の奥で勝手に名前が形になった。

 

 レイダー。

 

 触れる前から名前を知っている。

 乗る前から殺し方を知っている。

 悪夢を見ただけなら、そんなものまで分かるはずがない。

 

 あれは檻だ。

 薬と命令と憎悪を詰め込み、戦場へ放り出すための棺桶だ。

 乗れば固定具が身体を締め、脳をぐちゃぐちゃにする。

 それを理解していることが、何より気持ち悪かった。

 それでも、今のクロトには必要だった。

 

 生きるために。壊すために。

 邪魔なやつを排除するために。

 

 近づくと、足元の整備ハッチが開いたままになっていた。

 機体は未起動。

 だが死んではいない。眠っているだけだ。

 クロトはリフトの操作盤を叩き、反応が遅いのを見て舌打ちした。

 銃床で叩き割り、手動レバーを引く。

 リフトがぎこちなく上がった。

 

 コクピットハッチへ身体を滑り込ませる。

 狭い。

 だが、息が詰まるほど馴染む。

 シートに背中を押しつけると、固定具のような装置が自動で動いた。

 首筋から頭蓋へ、熱い線が走った。

 吐き気。痛み。脳を直接掻き回される感覚。

 モニターが次々に起動し、機体情報が流れ込む。

 姿勢制御。推力。武装ステータス。

 損傷なし。反応良好。神経接続、不安定。

 

「お前も……」

 

 クロトは口の端を吊り上げた。

 薬が神経を無理やり開く。

 痛いのに、視界が冴える。

 気持ち悪いのに、まるで自分の身体のように自然だった。

 何十トンもの金属が、手足の延長みたいに反応する。

 その馴染み方が、一番気に入らなかった。

 

 初めてのはずだった。

 この身体は、この機体の名前も、癖も、殺し方も知らないはずだった。

 なのに、指は迷わず機体を起動させる。

 視線は必要な数値を拾う。

 知っているのは、肉体ではない。

 もっと奥の魂にこびりついた記憶だった。

 

「起きろよ」

 

 メインカメラが開いた。

 赤く濁った格納庫が、モビルスーツの視界に変わった。

 ツインアイに緑の光が入った。

 眠っていた灰色の獣が、目を開ける。

 表示が走った。

 フェイズシフト装甲、起動。

 灰色だった装甲に、黒と鈍い赤が差していく。

 

 武装照合。

 頭部一〇〇ミリエネルギー砲、ツォーン。

 短距離プラズマ砲、アフラマズダ。

 二連装五十二ミリ超高初速防盾砲。

 破砕球、ミョルニル。

 腰部近接装備、アーマーシュナイダー。

 文字を読む前に、どれが何を殺すためのものかだいたい分かった。

 

 距離。温度。動体反応。

 ジンの反応。爆発。コロニー内壁の損傷。

 避難区画へ流れていく小さな熱源の群れ。

 必要な情報だけが、勝手に目に入る。

 

 クロトが操縦桿を握ると、レイダーが一歩踏み出した。

 床が沈む。身体に振動が返ってくる。

 通路の先で、人工の青空が黒煙に汚れている。

 警告表示が立ち上がる。

 コロニー内部での戦闘行動制限。

 友軍識別未確認。

 待機命令。

 

「知らねーよ」

 

 クロトはそれらをまとめて切った。

 レイダーが走り出した。

 通路を抜けた瞬間、人工の青い空が視界いっぱいに開いた。

 遠くで人が走っている。

 小さな熱源が群れになり、散っていく。

 煙の向こうでジンが動いていた。

 暗緑の装甲。重斬刀。76mm重突撃機銃。

 一機で連合の主力MA三機分の戦力とされる、ザフトの量産型MS。

 見慣れないモビルスーツの出現に、ジンが反応した。

 

 正面の一機がライフルを向ける。

 発砲。

 弾が空気を裂き、レイダーの前面へ飛んできた。

 クロトは機体を跳躍させ、センサーで捉えた獲物を撃った。

 

 2連装52mm超高初速防盾砲が火を噴いた。

 MS用としては小口径。それでも超高初速の二連装なら、ジンの装甲を抜くには十分だ。

 ジンの胸部に着弾。

 二射目で頭部が跳ね、機体が仰向けに倒れた。

 

 一機。

 

 別のジンが、煙の向こうから低く飛び込んできた。

 こちらの進行方向を見て、崩れた建物を盾にして接近してくる。

 悪くない。

 

「へぇ」

 

 クロトは機体を半歩だけ下げた。

 刃が届く寸前、レイダーの腕部クローが開き、肘関節ごと掴む。

 腕部クローの内側で、短距離プラズマ砲アフラマズダの照準が重なった。

 

 発射。

 

 青白い光がジンの胴を焼いた。

 クロトは爆発に巻き込まれない距離へ、蹴り飛ばすように離れた。

 

 二機。

 

 量産型とはいえ、コロニー内ではそれだけで十分な災害になる。

 

 だが、遅い。

 踏み込みも、照準も。

 殺すと決めるまでの判断も。

 笑いがこぼれた。

 薬の熱が脳を照らし、戦場の動きがよく見えた。

 

 その中で、一つだけ動きの違う機体がいた。

 黄色がかったジン。

 そいつは白いモビルスーツと交戦しながら、こちらの動きも見ていた。

 クロトが二機目を落とした瞬間、その銃口がこちらへ向いた。

 発砲。

 

 牽制ではない。レイダーの武装を狙った射撃だった。

 

 クロトは舌打ちした。

 黄色い装甲。

 専用カラーを許されるだけの腕はあるらしい。

 

 防盾だけでは受け切れない。

 レイダーを横へ滑らせると、黄色いジンは撃ち直してくる。

 次の弾が肩口をかすめ、警告表示が赤く表示された。

 

「こいつ……」

 

 他のジンとは違う。

 こちらの動きを見て、攻撃を仕掛けてくる。

 

 クロトはミョルニルを解放した。

 猛烈な速度で破砕球が射出され、それを繋ぐワイヤーが唸る。

 クロトはミョルニルを振り抜かず、前面へ回した。

 破砕球と高分子ワイヤーが弾を受けた。

 

 そのままクロトは、腕を振り抜いた。

 ミョルニルが弧を描く。

 

 黄色い機体は身を捻ったが、完全には躱しきれなかった。

 破砕球が左肩をかすめ、機体ごと横へ吹き飛ばす。

 そいつは建物の外壁を削りながら滑った。

 壁面が砕け、粉塵が舞い上がる。

 

 まだ落ちてはいない。

 

 黄色い機体はすぐに姿勢を戻した。

 片腕の動きが鈍い。

 それでもライフルを捨て、重斬刀を抜いて距離を詰めてくる。

 さっきより速い。

 

 悪くない。

 だが、良くもない。

 

 ミョルニルは戻り切っていない。

 盾砲だけでは止まらない。

 アフラマズダの射角も合わない。

 

 黄色いジンが跳んだ。

 重斬刀が振り下ろされる。

 クロトの指が、考えるより先に変形シークエンスを叩いた。

 レイダーの装甲が開き、人型の輪郭から猛禽類じみた強襲形態へ移る。

 一瞬前まで胴があった場所を、刃が通過した。

 それでも完全には避けきれない。

 重斬刀が外装を掠めた。

 警告音と衝撃。

 だが、刃は入っていない。

 エネルギーと引き換えに物理衝撃を無効化するフェイズシフト装甲が、実体剣を弾いていた。

 

 近い。

 手を伸ばせば届きそうなほど。

 

 クロトは笑った。

 この距離なら、外しようがない。

 レイダーは変形の勢いを殺さず、黄色いジンの側面へ機首を向ける。

 照準が重なる。

 重斬刀が上がる。

 受けるつもりか。

 

 ツォーン。

 頭部口腔部に内蔵されたエネルギー砲の充填音が鳴った。

 複数のビームを並列に生成し、それぞれの拡散する力を一本の射線へ収束させて叩き込むレイダーの最大火力だ。

 

 発射。

 

 閃光が至近距離で走った。

 重斬刀ごと、黄色いジンの胴体を貫いた。

 装甲が内側から膨れ、中心が白く爆ぜる。

 腕が千切れ、脚部が崩れ、折れた重斬刀が地面へ突き刺さった。

 熱源消失。機体反応停止。

 黄色い機体は、前に出ようとした姿勢のまま炎の中で崩れていった。

 

 名前も、顔も、知らない。

 邪魔だったから撃った。

 それだけだった。

 黄色いジンとやり合っていた白い機体は、膝をつきかけたまま停止していた。

 反応はある。損傷は軽い。まだ動ける。

 識別表示が揺れた。

 GAT-X105。ストライク。

 ヘリオポリスで奪われず、民間人のコーディネイターが乗っていたとされる機体。

 知っているのは、その程度だった。

 今そこに誰が乗っているのかまでは知らない。

 

「チッ……面倒くせえ」

 

 介入するつもりはなかった。

 あの黄色いジンが邪魔だっただけだ。

 だが、ストライクの母艦は必要だった。

 地球へ戻るにも、戦争の中心へ進むにも、足がいる。

 

 クロトは地球連合軍の識別信号を送った。

 

 反応はすぐには返ってこなかった。

 アークエンジェル。

 その名前も、頭の奥に引っかかっている。

 地球軍の船だったはずの、裏切り者の船。

 それでも、このコロニーで一番まともな足だ。

 通信にノイズが走った。

 

『……所属不明機、地球軍識別信号を確認。GAT-X三七〇……照合中。そちらの所属と目的を述べろ』

 声は硬かった。

 どこかで聞いたような女の声。

 クロトは返答を少し置いた。

 喉が乾き、舌がうまく回らない。

 

「地球連合軍、第81独立機動群。GAT-X370、レイダー。テストパイロット、クロト・ブエル」

 

 所属も階級も、薬漬けの実験動物には薄っぺらいものだった。

 だが肩書が必要な場所では、それを見せておけばいい。

 

『本艦は現在戦闘中だ。着艦を許可するが、こちらの指示に従え。妙な動きをすれば撃つ』

「撃てんの?」

 

 返事はなかった。

 クロトはレイダーを旋回させた。

 ストライクが遅れて動き出す。機体はまだ死んでいなかった。

 

 アークエンジェルの格納庫へレイダーが着艦した。

 整備員や兵士が距離を取り、銃口が向けられていた。

 クロトは鼻で笑うと、シートから身を起こした。

 

 ラダーを降りる一歩目で足が滑りかけたが、腕で支えた。

 下では兵士たちが銃を構えている。

 誰も近づいてこない。

 正しい。

 こんな機体から降りてきたやつに、素手で近づく馬鹿はいない。

 背筋を伸ばし、息を整えた。

 身体の震えを、顔の奥へ押し込めた。

 

 兵士たちの間から、女が一人近づいてきた。

 

 軍服。硬い目。

 声と態度だけは平静を保っている。

 顔には見覚えがあった。

 

「……艦長さん?」

 

 女の眉がわずかに寄った。

 ここはドミニオンじゃない。

 こいつは、この船の艦長じゃない。

 

「所属と氏名を」

「さっき言ったろ。地球連合軍、第81独立機動群所属。クロト・ブエル」

「階級は?」

「少尉扱い、だったっけ? そういうのはそっちで確認しろよ」

 

 女の眉は戻らなかった。

 

「地球連合軍所属、ナタル・バジルール少尉だ。本艦では我々の指示系統に従ってもらう」

「……そりゃ大変だな」

 

 銃口の数が増えた気がした。

 

 クロトは口だけで笑った。

 ナタルは笑わなかった。

 視線がクロトの腕の注射痕、乱れた軍服と血痕、レイダーへ走る。

 何かを察しても、今は飲み込んだらしい。

 

 格納庫の奥で、別の騒ぎが起きていた。

 

 ストライクが着艦している。

 白い機体の足元に、兵士と整備員。負傷者。民間人らしい若者たちが集まっていた。

 

「ストライクに乗っていた民間人について、知っていることはあるか?」

「そっちの方が詳しいんじゃねえの」

「さぁな。事情は知らんが、コーディネイターらしい」

 

 クロトは目を細めた。

 民間人。コーディネイター。ストライクに乗った誰か。

 そこまでは、記憶の断片と噛み合う。

 だが、名前も顔も知らない。

 

「確認する」

「待て。勝手に──」

「見りゃ分かんだろ」

 

 ナタルの制止を最後まで聞かず、クロトは歩き出した。

 銃口が追ってくる。

 負傷者が担架で運ばれている。誰かが泣いている。誰かが怒鳴っている。

 ストライクの足元に近づくほど、人の声がはっきりした。

 

「民間人をこのまま拘束するのか」

「コーディネイターなら、なおさら確認が必要です」

「でも、キラは──」

 

 クロトの足が、わずかに遅れた。

 キラ。

 知らない名前だった。

 ストライクの足元で、人垣が割れた。

 最初に見えたのは、兵士が構える銃口だった。

 その向こうに、煤と埃に汚れた民間人の服。

 細い肩。握りしめた指。

 クロトは足を止めた。

 

「キラ・ヤマト」

 

 ナタルの声が、背後から飛んだ。

 

「君がストライクを動かした。間違いないな」

 

 呼ばれた相手が、肩を震わせた。

 キラ・ヤマト。

 その名前に覚えはなかった。

 だが、全てが噛み合った。

 民間人。コーディネイター。ストライクを動かしたパイロット。

 ザフトに殺された。

 コーディネイターだから隠蔽された。

 それ以上のことは知らなかった。

 キラが顔を上げた。

 視線が合った。

 ついさっき、そいつの前で黄色いジンを撃ち抜いた。

 照準を合わせ、撃って、殺した。

 

 だが、キラは何も言わなかった。

 銃口を向けられたまま、唇を噛んでいる。

 クロトを見て、ただ震えていた。

 

 ストライクを動かしたパイロット。

 コーディネイターの生意気なガキ。

 そんな決め付けが、一目で崩れた。

 

 あの機体を動かしていたのは、女の子だった。




旧版『逆襲のクロト』SEED編は、新版投稿開始に合わせていったん完全非公開にしています。
削除はしていません。

新版『シン・逆襲のクロト』は、旧版をベースに構成・描写・展開を見直したリメイク版です。
旧版については、要望が多ければ後日、お気に入りユーザー限定などで公開する可能性があります。
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