シン・逆襲のクロト   作:皐月莢

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第三章 アルテミスの檻

 白い光が消えたあと、ヘリオポリスはもう見慣れた場所ではなかった。

 ストライクのモニターには、裂けた外壁と居住区だった破片が漂っていた。

 キラは操縦桿を握ったまま、息を止めた。

 アークエンジェルは生きている。ストライクもまだ動く。

 だが、助かったとは思えなかった。

 

 残骸の中に、黒い機体がいた。

 レイダー。

 クロト・ブエルの機体。

 

 地球軍の少尉で、たぶんアークエンジェル側の人間。

 それでも味方という表現には収まりきらない。

 命令を聞いているようで、誰にも縛られていない。

 怖い人だ、と思う。

 だが、戦っているときのレイダーは、確かにこちら側にいるように見えた。

 

 その機体が、今は動いていなかった。

 あちこち損傷しており、識別信号は出ているが、途切れかけていた。

 

 このまま見なかったことにすれば、もう関わらずに済むのかもしれない。

 そう思ってしまった自分に、息が詰まった。

 

 キラは通信回線を開いた。

 

 *

 

 赤い警告灯が、コクピットの内壁を染めている。

 裂ける機体。

 動かない操縦桿。

 

 ヤキンか。

 

 違う。

 これはヘリオポリスの残骸だ。

 レイダーのモニターは半分死んでいた。

 

 クロトは歯を噛み合わせた。

 息が浅かった。

 指先が痺れて、操縦桿の感覚がほとんどなかった。

 薬が切れている。

 

「……クソ」

 

 左手を操縦桿から剥がし、薬品ケースを引き寄せる。

 冷たいものが喉を通った瞬間、白い火花が頭の奥で弾けた。

 心臓が乱暴に動き始める。

 それは回復というより、再起動だった。

 

 警告表示がまた増える。

 推進系、応答遅延。

 姿勢制御、片側不安定。

 外部通信、断続。

 バッテリー残量、危険域。

 右腕部装甲、損傷。

 脚部フレーム、歪み多数。

 変形機構、ロック不全。

 

 動けないわけではないが、無理に動かそうとすれば壊れる。

 少なくとも母艦を探し回るだけの余裕はなかった。

 

「寝てろってか、このまま」

 

 舌打ちすると、直後に通信が届いた。

 

『……聞こえますか』

 

 細い声に、クロトは眉を寄せた。

 

「聞こえてるよ。うるさい」

『動けますか?』

「お前は船を見てろって言っただろ」

『でも、反応が途切れて──』

「そりゃ、途切れることもあるだろ」

 

 視界の端にストライクが入る。

 片腕を空けたまま、残骸の間を抜けてくる。

 その動きは意外なほど滑らかだった。

 

 そりゃ、身体を弄られなきゃ動かせないこっちとは出来が違うってか。

 ストライクがレイダーの近くで姿勢を合わせる。

 

『曳航します。アークエンジェルに戻らないと』

「命令でもされたか、民間人」

『放っておけないので』

 

 クロトは喉の奥で笑った。

 

「あのままやられてたら楽だったかもな」

『……ワイヤー、つなぎます』

「聞けよ」

『聞いてます』

 

 ストライクの腕が伸び、レイダーの肩部フレーム近くにワイヤーが固定される。

 

 あれだけ大口を叩いておいて、あの少女に助けられている。

 その有り様が、ひどく気に食わなかった。

 

 レイダーは、この不自由な身体を閉じ込める檻だった。

 それでも、乗っていれば自由だった。

 なのに今は、身動きできず白い機体に引かれている。

 

 ワイヤーが張ると、レイダーの巨体がゆっくり引かれ始める。

 周囲を漂っていた残骸がコクピット近くに当たった。

 

「下手くそ」

『すみません』

「謝ってんじゃねえよ。余計ムカつく」

 

 返事はなかった。

 クロトもそれ以上は言わなかった。

 喋れば喋るほど、ろくでもないことを口にしてしまいそうだった。

 薬が血管の中を走り、視界が鮮明になる。

 

 アークエンジェルの白い船体が、残骸の向こうに浮かんでいた。

 無傷にはほど遠いが、それでも船は生きていた。

 

 帰る場所。

 クロトはその言葉を噛み潰した。

 あれは帰る場所じゃない。

 ただの足だ。

 

 ストライクはレイダーを引いたまま、格納庫へ滑り込んだ。

 固定アームがレイダーを掴み、機体が軋む。

 ハッチを開けると、整備班の怒鳴り声と足音が流れ込んだ。

 

「少尉、動けますか!」

 

 下にナタルがいて、目でクロトを確認した。

 その隣でマリューが口を閉じた。

 少し離れて、ムウが損傷したレイダーを見上げている。

 

「機体の状況は?」

「見たまんま。動くけど、無理すりゃバラける」

「身体の確認は?」

「いらねぇよ」

「艦長命令だ」

「そういうのは、こいつを直してからにしろよ」

 

 クロトはヘルメットを外した。

 薬は効き始めている。

 なのに、身体のどこかが遅れる。

 梯子を降りる途中で膝が一度抜けかけ、手すりを掴んだ。

 

 マリューが一歩前に出た。

 

「少尉、最低限の確認だけでも──」

「触んな」

 

 クロトはその横を抜けた。

 

 視界の先に、ストライクから降りてくるキラがいた。

 彼女はヘルメットを抱え、立ち止まっていた。

 

 レイダーの損傷。

 ナタルたちの硬い空気。

 手すりを掴んだクロトの手。

 

 その全部を見て、細い肩がわずかに強張った。

 それがまた、無性に腹が立った。

 

「何見てんだよ」

 

 キラは一瞬だけ唇を動かすと、ヘルメットの縁を握り直した。

 

「……すみません」

「謝んな。余計ムカつく」

 

 クロトは格納されたレイダーを見た。

 右肩、脚部、推進、変形機構。

 どれもひどい有様だったが、完全に死んではいない。修理できる範囲だ。

 それだけが救いだった。

 

 クロトは格納庫を出た。

 

 救命ボート発見の報が入ったのは、それから少し後だった。

 船内は休む間もなく動き続けた。

 レイダーとストライクの応急処置。

 アークエンジェルの損傷確認。残骸が広がるヘリオポリス宙域からの離脱準備。

 そこへ、救命ボートの収容が加わった。

 

 救命ボートから、避難民が降ろされた。

 

 キラの周りに、何人かの若い民間人が集まった。

 その中に赤い髪の少女がいた。

 

 フレイ、と誰かが呼んだ。

 

 名前と顔に、少しだけ覚えがあった。

 たしか、どこかのポッドに乗っていて、ドミニオンに拾われた女だ。

 そんな記憶の断片だけが頭の奥に引っかかる。

 

 今は、どうでもいい。

 

 彼女はキラを見つけるなり近づき、何かを言った。

 キラは動きを止めていた。

 友人たちに囲まれ、何かを話している。

 ここはもう、ヘリオポリスの中ではないというのに。

 

 クロトはすぐに視線を外した。

 増えたのは避難民だ。キラの関係者だ。

 それ以上でも以下でもない。

 

 そこから先の時間は、うまく繋がらなかった。

 応急修理。残骸宙域からの離脱。クルーゼ隊からの逃走。進路変更。

 眠った覚えはない。

 ただ、いつのまにか意識が落ちていた。

 

 次に意識が戻ったとき、アークエンジェルはすでに地球連合の宇宙要塞、アルテミスへ向かっていた。

 同じ地球連合に属しているとはいえ、アークエンジェルは大西洋連邦の艦だ。

 一方、アルテミスはユーラシア連邦が管轄する拠点である。

 味方の港へ向かっているはずなのに、艦内に流れる空気はどこか硬かった。

 やがて、前方の闇に巨大な構造物が浮かび上がった。

 アルテミス要塞。

 それは宇宙に浮かぶ巨大な殻のように見えた。

 鉄壁の防御を誇る光波防御帯が、傘のように要塞全体を覆い、星の光をかすかに歪ませている。

 クロトには、透明な鳥籠に見えた。

 外敵は入って来れないが、中のものも出られない。

 

 アークエンジェルは傘の内側へ誘導された。

 損傷艦の受け入れ、乗員の保護、兵装の確認、機体の安全管理。

 管制の口調は整っていたが、敵意は隠していなかった。

 

 格納庫では整備班がレイダーとストライクを動かせないよう固定し、ストライクはキラが起動系統を閉じていた。

 彼女が開けなければ、操縦系統も記録も覗けない。

 だが、存在まで隠せるわけではない。

 レイダーもストライクも大きすぎる。アークエンジェルも。

 

 到着後、艦内の空気は硬くなった。

 要塞の中から現れたアルテミス兵は銃を下げていた。

 流石に構えてはいなかったが、安全装置に掛けられた指は隠していなかった。

 

 先頭に立つ男は、アルテミス司令官ジェラード・ガルシアと名乗った。

 ユーラシア連邦軍の制服を隙なく着込んだ、禿頭の男。

 声は落ち着いていた。

 

「よくぞ無事に辿り着かれた。損傷艦と乗員は、当要塞が責任をもって保護します。もっとも、確認すべきことは多いがね」

 

 言葉だけ聞けば、正しい。

 医療班、区画、被害報告。ひとつひとつは通常の軍務と変わらない。

 だが、ユーラシア連邦と大西洋連邦は犬猿の仲だ。

 プラントという共通の敵がいなければ、戦争が起こっても不思議ではないくらいに。

 クロトはブリーフィングルームの壁際に立っていた。

 座れと言われたが座らなかった。

 腰を下ろせば、服の内側に忍ばせた拳銃を抜くのが遅れる。

 

 キラは少し離れていた。

 民間人の友人たちとは引き離され、ストライクのパイロットとしてマリューの近くに置かれている。

 

 ガルシアの視線がマリュー、ナタル、ムウを撫で、最後に格納庫の方角へ向いた。

 

「貴艦は到着をもって、当要塞の管轄下に入る。艦、兵装、搭載機、戦闘記録は、ユーラシア連邦軍が接収する」

「本艦は第八艦隊所属です。貴官への指揮権移譲には、正式な命令系統の確認が必要です」

「同じ地球連合軍だ。ならば、要塞司令官である私が預かっても問題はあるまい?」

「正式な命令なしに、本艦の指揮権を渡すことはできません」

「渡す、ではない」

 

 ガルシアは薄く笑った。

 

「こちらで預かると言っている。貴艦は損傷し、乗員も疲弊している。判断能力に疑義がある以上、要塞側が安全を確保するのは当然だ」

 

 マリューの声が低くなった。

 

「それは拿捕ということですか?」

「言葉は選びたまえ、艦長代理。ここは混乱した前線ではない。ユーラシア連邦軍の誇るアルテミス要塞だ」

 

 ガルシアの視線がまた格納庫の方角へ向いた。

 

「ストライク、レイダー。どちらも極めて重要な機体だ。操縦系統、戦闘記録、登録データはすべてこちらで確認する」

「両機の整備は本艦の整備班が継続中です」

「引き渡してもらう」

 

 ガルシアは、そこで初めて笑みを消した。

 

「これは要請ではない」

 

 引き渡す。

 その言葉で、クロトの指が止まった。

 

「クロト・ブエル少尉、だったな」

「だったら?」

「若いな。だが少尉で、あの機体の専任パイロットだ。確認すべきものはいくらでもある」

 

 部屋の空気が一段冷えた。

 クロトの指が服の内側を掴みかけて止まった。

 

「確認?」

「どうやら興奮状態にあるらしい。適切な処置が必要だ」

「処置ね」

「君の身柄も保護下に置く。あの機体を扱える以上、放置できる対象ではない」

 

 保護。クロトは笑った。

 

「僕の何を保護すんだよ?」

「君の精神状態はこの要塞の安全に関わる。本人の申告で済む話ではない」

 

 兵士の一人が半歩前に出た。

 クロトは力を抜いた。すぐ動けるように。

 ムウが横から軽く手を上げた。

 

「まあまあ、そう急がなくてもいいんじゃないの。こっちも着いたばっかりで、みんな気が立ってる」

「だからこそ管理が必要なのだ、フラガ大尉」

 

 ガルシアの声は、アークエンジェルの逃げ道を削っていく。

 

「ストライクのパイロットについても同様だ」

 

 キラの肩が動いた。

 

「民間人で、しかも少女。にもかかわらずG兵器を稼働させた。非常に興味深い」

 

 ガルシアの視線が、キラの顔から胸元へと落ちる。

 一瞬だったが、隠す気すらないようだった。

 

「地球軍に与する、裏切り者のコーディネイター。貴重な例だ。機体だけでなく、君自身も調べる価値がある」

 

 キラの肩が硬くなった。

 

「彼女は協力者です。強制的な扱いは認められません」

 

 マリューが一歩前に出た。

 

「強制ではない。保護と確認だ」

 

 同じ言葉がまた来た。

 ガルシアの視線が再びキラに止まった。

 

「ストライクを動かせるのは彼女だけだ。機体を接収する以上、彼女だけを別扱いにはできん」

「彼女は人間です」

 

 マリューの声が硬くなった。

 

「機体ではありません」

「当然だ。だから丁重に扱うと言っている」

 

 キラは唇を引き結んだ。

 

「でも、私は……」

「心配はいらん。別室で私自らじっくりと調べさせてもらうとしよう」

 

 キラは顔を上げ、マリューとナタルを見た。

 

 ガルシアが兵士に目配せをした。

 

「連れて行け。丁重にな」

 

 兵士がキラに近づいた。

 

「でも、私は──」

 

 キラの足が半歩下がった。

 兵士の手が、逃がさないと言わんばかりにキラの腕を掴んだ。

 

 その瞬間、クロトは自分が動いたことに一拍遅れて気づいた。

 兵士の手首を掴むと、振り向くよりも一瞬早く、関節を逆方向へ捻った。

 折るほどの勢いはなかったが、銃を抜く余裕を奪うには十分だった。

 

「貴様っ……!」

 

 もう一人が銃に手を伸ばすと、乾いた音がした。

 

 クロトの手には、懐に隠していた拳銃が収まっていた。

 銃が床を跳ねた。

 手を撃ち抜かれた兵士が、遅れて悲鳴を上げる。

 

「次、動いたら頭」

 

 クロトは悲鳴を上げた兵士の手首を捻ったまま、ガルシアを見た。

 ナタルが鋭く名を呼んだ。

 

「少尉!」

「うるさい」

 

 銃口がガルシアへ向く。

 ガルシアの顔から柔らかさが剥がれた。

 

「何のつもりだ、少尉。武器を下ろしたまえ」

「僕に命令すんな」

 

 短い銃声がもう一度響いた。

 

 ガルシアの横の壁が弾けた。

 破片が頬を掠め、ガルシアが初めて息を止める。

 

「次は外さない」

 

 キラを掴んでいた兵士の手は、もう離れていた。

 キラは腕を抱えたまま固まっている。

 

 それが、なぜか腹立たしかった。

 

 クロトは見返さなかった。

 銃口はガルシアに向けたままだった。

 

 ユーラシア兵の一人が、銃を上げようとする。

 クロトの指が、引き金に沈む。

 

「動くな」

 

 声は自分でも平らに聞こえた。

 

 ユーラシア兵の銃口は止まらなかった。

 ゆっくりではない。訓練どおりの速さで、クロトの胸へ狙いを付ける。

 

 クロトも銃を下げなかった。

 ガルシアの顔から外さないまま、引き金にかけた指を沈める。

 

 マリューが息を呑む気配がした。

 ナタルの靴底が床を擦る。

 アルテミス兵の肩が固まり、クロトの視界の端で、銃口がもう一つ増えた。

 

 その線を切るように、ムウが滑り込んだ。

 

 クロトとガルシアの間だった。

 真正面というよりも、撃てば反撃できる場所へ自分の身体を置く。

 片手をクロトへ向け、もう片方をユーラシア兵へ向けた。

 

「はい、そこまで。ここでそいつを撃ったら、大西洋連邦とユーラシア連邦で戦争だぜ」

 

 マリューはキラの前へ半歩入った。

 ナタルはクロトを睨んでいた。

 だが、視界の端ではアルテミス兵の位置も拾っている。

 

 ガルシアは、すぐには答えなかった。

 クロトの銃口はまだ下がっていない。

 誰も、先には動けなかった。

 

 そのとき、床が跳ねた。

 

 遠くで何かが爆ぜる音がした。

 照明が赤に落ち、壁のスピーカーが割れた声を吐き出す。

 

『防御帯内に敵影。繰り返す、防御帯内に敵影。第三隔壁、損傷』

 

 アルテミス兵の銃口が揺れた。

 ガルシアの顔から、初めて余裕が消えた。

 

「馬鹿な。傘の内側だと!?」

 

 二度目の衝撃が来た。

 天井のパネルが鳴り、細かな埃が落ちる。

 

 誰も、もうそれどころではなかった。

 

 *

 

 アルテミスの通信は、途切れるより先に次の報告を重ねてきた。

 

『外部防御システムに損傷! アルテミスの傘、部分消失!』

『未確認機、内側に侵入!』

『光学捕捉不能の機体を確認!』

『外周に敵MS! クルーゼ隊と思われるモビルスーツ隊を確認!』

 

 壁のスピーカーは割れた音を吐き続けている。

 足元から、要塞全体の震えが伝わってきた。

 さっきまでクロトの銃口とガルシアの顔に張りついていた空気が、別の形に歪む。

 アルテミス兵の目が、クロトから通信端末の赤く染まった表示へ散った。

 クロトは笑った。

 

「ここは安全、なんだっけ?」

 

 ガルシアが睨んだ。

 だが、もうクロトだけを見ていられる状況ではなかった。

 傘の内側に敵がいる。

 その言葉だけで、要塞司令官の声から余裕が削れていく。

 

 ムウがマリューへ顔を向けた。

 

「艦長、今のうちだ」

「アークエンジェルへ戻ります。全員、急いで!」

 

「待ちたまえ!」

 

 ガルシアの声が追った。

 

「貴艦はまだ当要塞の管理下に──」

 また衝撃が来た。

 床が沈むように揺れ、天井のパネルが細く鳴った。

 兵士の一人がバランスを崩し、銃口がわずかに下がる。

 誰も、それを咎める余裕はなかった。

 

 クロトは銃口を下げた。

 引き金にかけていた指を外し、拳銃を服の内側へ戻す。

 今は撃ち合っている状況ではなかった。

 

 通路に出ると、そこはもう要塞の中というよりも、壊れかけた巣の中だった。

 アルテミス兵が逆方向へ走り、隔壁の前で怒鳴り合っている。

 非常灯が壁を赤く照らし、足音と警報が重なって、アルテミスは完全に統制を失っていた。

 

 キラはマリューの後ろを走っていた。

 掴まれていた腕を、反対の手で押さえている。

 

 クロトは舌打ちして、腕ではなく首根っこを掴んだ。

 

「もたもたすんな」

「え──」

「戻りたいなら一人で戻れ」

 

 無理やり引っ張ると、キラの身体が遅れてついてきた。

 数歩遅れて、キラがこちらを見た。

 

「レイダーは……ロックしなくて良かったんですか」

「勝手に覗いてくれた方がいいんだよ」

 

 キラは口を閉ざした。それ以上、説明する気はなかった。

 説明しなくても、すぐに分かることだ。

 

 格納庫の扉が開いた。

 

 最初に見えたのは、ストライクの前で立ち往生しているアルテミス兵だった。

 端末を抱え、外部接続を試している。

 だが起動系統は閉じていた。

 キラが解除しなければ、たとえ他の整備兵でも動かせない。

 目的の機体はそこにあるのに、鍵穴の前で手をこまねくしかなかった。

 

 その隣で、レイダーには外部端末のケーブルが刺さっていた。

 端末の画面に文字が走る。

 

 機体ロック、なし。

 操縦系統、外部照会可能。

 登録データ、照合中。

 

 繋いだ。

 覗いた。

 記録は残った。

 

 それで十分だった。

 

 アルテミス兵の一人が、コクピットハッチへ手を伸ばす。

 開いた機体を、さらに中まで覗くつもりで。

 

 そこから先は別料金だ。

 

「触んな」

 

 クロトは背後から兵士の手首を掴んだ。

 振り向くより早く、肘を逆方向へ押し込みながら膝裏を蹴る。

 兵士の身体が折れ、床へ落ちた。

 

 もう一人が銃に手を伸ばす。

 クロトは半歩踏み込んで手首を払うと、喉元に肘を入れる。

 息の詰まる音がして、兵士が後ろへ崩れた。

 

「そこまで見りゃ十分だろ」

 

 キラはストライクの足元で見ていた。

 クロトは見返さなかった。

 

「また少尉は……!」

 

 遅れて格納庫に戻ってきたナタルの声が飛んだ。

 

「だったら先に止めとけよ」

 

 返事を待つ前に、爆発が起きた。

 格納庫の奥で光が弾け、開きかけたハッチの向こうから白い閃光が差し込む。

 整備員が伏せ、アルテミス兵が外を振り返った。

 もう誰も、ガルシアの接収命令だけで動ける状況ではなかった。

 

「起動準備! すぐに出られますか!」

 

 警報と通信の乱れを縫うように、マリューの声が響いた。

 

「このまま出す」

 

 クロトはレイダーを見上げた。

 まだまともに動かせる機体ではない。けれど、ここに置いていけば、また誰かが触ろうとする。

 

 キラはストライクへ上がっていた。

 クロトは視界の端でそれを見ただけで、レイダーへ乗り込んだ。

 

 シートに身体を沈める。

 起動前の機体はまだ沈黙していた。

 それでも、どこが死んでいて、どこがまだ動くかはすぐに分かった。

 

「こんなとこでくたばるのはゴメンだよな」

 

 起動。

 警告。

 拒否。

 再入力。

 

 モニターが戻った。

 格納庫のハッチが開くと、アルテミスの傘は破れていた。

 

 戦艦の主砲すら通さない光の膜に、巨大な穴が空いている。

 そこから敵が入ってくるのではない。

 もう中に侵入していた。

 見えない機体が内側から砲台を切り裂く。

 残った砲台が応射するが、火線は虚空へ逸れるだけだった。

 

『未確認機、なお捕捉不能!』

『砲台四番、応答なし!』

『第三隔壁、損傷!』

 

 声だけが増える。

 命令にはならない。

 

 外縁ではバスターの火線が走った。

 太い光が防御帯の端を焼き、破れた膜をさらに広げる。そこへ別のMSが取りつき、要塞の外殻へ火を叩き込む。アルテミスの管制は叫んでいた。だが、叫びは次の警報に潰されていった。

 

 守るための光が、壊れるたびに内側を照らした。

 

 アークエンジェルの係留が外れる。

 白い船体が、ゆっくりと動き出した。

 

 ガルシアの声が通信の奥で何かを命じている。

 だが混線に呑まれて、言葉の意味は分からなかった。

 

 安全な場所とは笑わせる。

 

 レイダーのモニターに、破れたアルテミスの輪郭が映っている。

 その内側へ入った途端、守るはずの傘は檻になった。

 その檻を破ったのは、味方ではない。

 外の敵だった。

 

 敵に破られた檻から、敵のいる外へ逃げただけだ。

 

 まだ終わっていない。

 あるのは、どこかに身を隠すためのわずかな時間だけだった。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

次回は、アークエンジェルに新たな火種が持ち込まれる話になります。
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