シン・逆襲のクロト   作:皐月莢

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第四章 中 歌姫と火種

 ヴェサリウスの艦長室は、静かだった。

 艦橋の喧騒は隔壁の向こうにあり、ここに届くのは艦体を伝う低い振動と、端末が更新されるかすかな電子音だけだった。

 壁面モニターには現在の索敵図が映されている。青白い光が、机上の資料とクルーゼの仮面を細く照らしていた。

 索敵図の中央には、第八艦隊先遣隊の航跡が残っていた。

 先遣隊はアークエンジェルの救援へ向かっている。ならば、その航跡を追えばいい。

 救援に向かう艦は、救援される艦の近くへ向かう。

 アークエンジェルが第八艦隊との合流を望む以上、先遣隊は白い艦の位置を示す目印になる。

 クルーゼは索敵図を残したまま、机上に置いた報告書の控えへ視線を落とした。

 ヘリオポリス襲撃後、プラントへ提出した戦果報告書だった。

 すでに送られた文書であり、そこにあるのは軍務上必要な事実だけだった。

 G兵器奪取作戦は一部成功。

 ストライクの奪取には失敗。レイダーと呼称される正体不明機も確保に至らず。

 アークエンジェルは当該機体を伴って逃走。

 両機は現在、地球連合軍側で運用中と推定。

 書面に残るのは、そこまでだった。

 

 誰がストライクを動かしたのか。

 誰がレイダーを操っているのか。

 なぜ、ストライクの奪取に失敗したのか。

 そうしたものは報告書には入れていないし、入れる必要もなかった。公式に残すべき情報と、手元に置いておくべき情報は違う。

 だが、クルーゼは知っていた。

 ヘリオポリスの直後、アスランが伝えた少女の名を。

 

 キラ・ヤマト。

 

 その名は、クルーゼにとって単なる少女の名ではなかった。

 忌まわしき名を捨て、ナチュラルでありながらプラントへ渡る理由になった少女の名だった。

 コーディネイターの国に渡ってなお、その痕跡すら見つけられなかった。

 

 だから、もう死んだものだと思っていた。

 

 ブルーコスモスに殺されたか、混乱の中で失われたか。

 どこを探しても見つからなかった以上、そう判断するしかなかった。

 だが、彼女は生きていた。女であることを隠し、男として。

 アスランがコペルニクスで別れるまで、キラ・ヤマトは男として生きていたらしい。

 隣家で育ったアスランでさえ、彼女を男と認識していたほどに。

 だからこそ、誰も見つけられなかった。

 喪ったと思っていた因縁が、まだ生きている。

 しかも、単に生きているだけではない。

 民間人でありながらストライクを動かし、今ではアークエンジェルの貴重な戦力だ。

 ただ撃ち落としてしまうには惜しい存在だった。

 

 アスラン・ザラは有能だった。

 彼女を地球連合軍から救い出したいなどと、馬鹿げたことを本気で考えている。

 だが、その執着はクルーゼにとって都合が良かった。

 エリート揃いのアカデミーにおいて、歴代最高成績を修めた天才。

 キラを連れ戻すだけの能力があり、それを実行できる機体もある。

 そして何より、本人がそのための大義を持っている。

 

 だが、それはキラを確保するまでの話だ。

 彼が望むのはかつての幼馴染を地球連合軍から救い出すことであって、その先の扱いをクルーゼに委ねることではない。

 キラの行き先が自分の望みと違うと知れば、その執着はこちらの妨げになるかもしれない。

 

 そして、もう一つ無視できない障害があった。

 

 クルーゼは端末の戦闘記録を開いた。

 レイダーの交戦映像が、短い断片と数値で並んでいく。

 ヘリオポリスでのミゲル機撃破。

 イージスとの交戦。

 そしてアルテミス宙域での戦闘。

 ブリッツ、デュエル、バスターを含む複数機が投入されたが、レイダーは仕留められなかった。

 

 報告書には、レイダーは地球連合軍側で運用中としか書いていない。

 だが、そのパイロットの名も、クルーゼの耳には届いている。

 

 クロト・ブエル。

 

 レイダーの動きは、通常の兵士のものではなかった。

 被弾の危険も、機体への負荷も、恐れていない。

 恐れていないというより、最初から計算に入れていないように見える。

 

 しかし、ただ無謀なだけのパイロットが、アスランに対抗できるはずもない。

 ザフトの中でもすでにトップエース級にあるアスランと交戦しながら、押し潰されるどころか、なお余力を残していた。

 

 イザークやディアッカを当てても、苦戦は避けられない。

 あれは同等の力を持った相手を当てなければ、こちらの損耗が増えるだけだ。

 

 コーディネイターではない。連合の暗部が作った強化兵の類。

 その推測は、ほとんど確信に近かった。

 薬物か、調整か、精神処置か、詳細までは分からない。

 だが、死を恐れない反応と、攻撃に特化した判断は、普通の訓練で身につくものではない。

 優秀な兵士として育てられたというより、ただ戦うための兵器に近い。

 

 クロト・ブエルとは、いったい何者なのか。

 興味がないわけではなかったが、それ以上に取り除くべき障害だった。

 アークエンジェルを狙えば、白い艦はストライクを出さざるを得ない。

 ストライクが出れば、キラ・ヤマトも戦場に出る。

 そして、白い艦を守るためにレイダーも出る。

 通常戦力では抑えきれない。

 あの機体を止めるなら、選択肢は一つに限られる。

 

 イージス。

 アスラン・ザラなら、あの得体の知れない強化兵にも届きうる。

 

 クルーゼは再び索敵図を見た。

 先遣隊にとって、その航跡は救援の道だろう。

 アークエンジェルにとっても、希望に見えるはずだった。

 だが、追う側から見れば違う。

 救援に向かう進路は、待ち伏せる位置を教えている。

 索敵図の端で、第八艦隊先遣隊の航跡とは別の微かな反応が重なった。

 

 アークエンジェルは近い。クルーゼは仮面に映る小さな光点を見つめた。

 白い艦は、救援を求めて罠に近づいていた。

 

 *

 

 レイダーはカタパルトを蹴り、アークエンジェルの白い船体を後方へ流した。

 隔壁灯の赤が視界の端に焼きつき、次の瞬間、黒い宇宙と戦闘光だけがモニターを埋めた。

 

 慣性を殺す前に、警告音が三つ重なった。

 戦術モニターの左上に友軍識別が浮かぶ。

 第八艦隊先遣隊。

 モントゴメリィ。バーナード。ロー。

 モントゴメリィの艦影には損傷表示が走り、バーナードとローの識別枠は赤く点滅していた。

 

 その周囲に、ジンの反応が複数。

 さらに奥、重い熱源が一つ。

 

 ヴェサリウス。

 クルーゼ隊だ。

 

 見失っていたアークエンジェルを再捕捉するため、先遣艦隊を追っていたらしい。

 救援艦を追えば、救援される艦に辿り着く。

 馬鹿みたいに単純で、だからこそ厄介な手だった。

 

「面倒だな」

 

 艦橋から指示が飛んだ。

 敵機の位置。数。母艦との距離。

 クロトは必要な情報だけを聞き取り、残りは切った。

 

 ストライクが遅れて射出され、メビウス・ゼロが艦の前面へ出る。

 右舷側で、青白い噴射光が弧を描いた。

 シグー。

 メビウス・ゼロがそちらへ向かい、ストライクは艦の近くでジンの接近を抑える。

 

『この感じは──』

 

 ムウの声が一瞬だけ通信に割り込み、すぐノイズに沈んだ。

 詳しく見る暇はなかった。

 先遣隊の外縁で、赤い機体が光束の間をすり抜けた。

 

 イージス。

 

 すでに一艦の側面を裂いた後らしく、背後で白い船体が火を噴いていた。

 切り裂かれた舷側へ、ジンの機銃とミサイルが集中する。

 艦腹の識別灯が明滅し、救難信号が断続的に発信されていた。

 

「もう一仕事したってか」

 

 クロトはレイダーを巡航形態へ畳んだ。

 黒い機体が猛禽類のように変形し、加速の唸りがコクピットを満たす。

 イージスは次の艦へ向きを変えていた。

 先遣隊の砲撃を避け、ジンの火線の隙間を縫いながら、モントゴメリィの懐へ入ろうとしている。

 赤い軌道が、妙に腹に障った。

 

「ふざけやがって」

 

 ツォーンの照準を、イージスの進路の少し先に置く。

 撃つ。

 強烈な光が赤い機体の鼻先を焼いた。

 イージスは寸前で機体をひねり、盾でビームを弾きながらさらに踏み込んでくる。

 近い。

 

 クロトはミョルニルを放った。

 ワイヤーに繋がれた鉄塊が弧を描く。

 イージスは上へ逃げると見せて、逆に沈んだ。

 鉄塊が空を切り、ビームサーベルの光がレイダーの腹へ伸びる。

 

「ちっ」

 

 クロトはレイダーを強引に横滑りさせた。

 白い刃が腹部装甲の前を流れる。戻しかけていたミョルニルを、至近距離で叩きつけた。

 敵機の盾に鉄塊が衝突し、火花が散った。

 イージスは下がらない。

 機体を歪ませるように変形し、掴むような軌道で踏み込んでくる。

 クロトはスラスターを噴かし、赤い爪のような斬撃をかわした。

 その向こうで、モントゴメリィが揺れた。

 ヴェサリウスの砲撃が、崩れた先遣隊の隙間を抜けて艦体を叩く。

 周囲ではジンの火線が重なり、救難信号と損傷報告が錯綜した。

 

『左舷被弾、隔壁閉鎖!』

『機関区炎上!』

『応急班、急げ!』

『敵機、再接近!』

 

 クロトは舌打ちした。

 まずい。

 モントゴメリィが落ちれば、先遣艦隊は壊滅だ。

 ヴェサリウスは陣形を食い破り、次にアークエンジェルへ来る。

 それに、目の前で好き放題やられるのも癪だった。

 

『レイダー、イージスを抑えろ!』

「やってるよ!」

 

 クロトはイージスへツォーンを撃ち、同時にミョルニルを斜め上へ走らせた。

 赤い機体は後退する。

 だが下がっただけで、モントゴメリィへの攻撃を諦めてはいない。

 ジンの一機がその陰から抜けようとした。

 クロトは照準をずらし、一射を叩き込む。

 ジンは散った。落ちはしなかったが、先遣隊への追撃は外れた。

 だが、足りない。

 火力も、数も、時間も足りていなかった。

 先遣隊の通信が開いた。

 

『こちらモントゴメリィ、被弾、機関区損傷! 護衛を、至急──』

 

 救援要請は途中でノイズに潰れた。

 クロトは視線をモニターの端へ投げた。

 

 モントゴメリィの識別が、赤く点滅している。

 その向こうで、ヴェサリウスの艦首がゆっくりと向きを変えた。

 大きな熱源が膨らむ。

 艦砲の集束光。

 

 イージスがその瞬間を狙って、レイダーの正面へ入ってきた。

 

「邪魔なんだよ!」

 

 クロトはツォーンを撃った。

 イージスは盾で受ける。

 粒子が散り、赤い機体の輪郭が白く灼けた。

 その奥で、ヴェサリウスの砲火が放たれた。

 光が走った。

 モニター端で、モントゴメリィが白く膨らむ。

 艦体中央を太い光が貫き、遅れて内側から火が吹き出した。

 船体が裂け、破片が扇状に散る。識別信号が乱れ、二度瞬いて消えた。

 

 その無音を、女の叫びが破った。

 

『パパ──!』

 

 アークエンジェルの艦内回線が、開きっぱなしになっていたらしい。

 叫びはすぐに途切れた。

 誰かが止めたのか、通信士が回線を切ったのか、そこまでは分からない。

 

 クロトは消えた識別信号を一度だけ見た。

 ついさっき、あの男はクロトとレイダーを引き取ると言っていた。

 艦橋の画面越しに、当たり前のような顔で。

 その男は、もういない。

 

「……バーカ」

 

 声は小さかった。

 自分でも、誰に向けたのか分からなかった。

 イージスが迫る。

 今は泣き声を気にする状況ではない。

 クロトは音量を一段落とし、イージスの反応へ視線を戻した。

 目の前の赤い機体を抜かせれば、次に撃たれるのはアークエンジェルだ。

 

 赤い機体が距離を詰め、サーベルを振り下ろす。

 クロトは半身で外した。

 熱が胸部装甲をかすめる。

 代わりにアフラマズダで斬り付け、イージスの追撃を潰した。

 

 後方で、アークエンジェルの主砲が閃いた。

 

『敵艦、再照準!』

『ヴェサリウス、砲口こちらへ向けています!』

『左舷へジンが回り込みます!』

『ストライク、左舷の敵を押さえて!』

『無理です、数が──』

 

 キラの声が混じった。息が上がっている。

 それでもストライクの識別は、アークエンジェルの近くに残っていた。

 前へ出てはいない。艦から離れてもいない。

 

 なら、まだこちらよりマシだ。

 

 クロトはイージスへ照準を戻した。

 赤い機体は退かない。

 こちらを押さえながら、残存艦とアークエンジェルの間へ射線を開けようとしている。

 

「行かせるかよ」

 

 ミョルニルを戻さず、そのまま斜め後方へ放った。

 鉄塊がイージスの退路を塞ぐ。

 赤い機体が一瞬だけ止まる。

 クロトはその隙にツォーンを撃った。

 光は盾に受けられたが、イージスの進路は外れた。

 

 アークエンジェルの支援砲撃が先遣隊の残骸の間を抜ける。

 ヴェサリウスには届かない。

 だがジンの一群を散らし、メビウス・ゼロの有線砲がシグーの射線を少し押し返した。

 

 向こうは向こうで、勝手にやっている。

 

 クロトは正面を見た。イージスがまだいる。

 赤い装甲が、こちらの邪魔をするためだけにそこへ留まっているように見えた。

 

「しつこいんだよ、お前」

 

 返事はない。

 代わりに、イージスのサーベルが下から跳ね上がった。

 

 クロトはレイダーをひねる。

 刃が肩の装甲をかすめ、熱と振動がコクピットへ跳ねた。

 口の中に鉄の味がまた広がる。

 クロトは舌打ちし、ミョルニルを至近距離で叩きつけた。

 敵機の盾に鉄塊が衝突する。

 その瞬間、アークエンジェルの艦橋回線が閉じた。

 すぐに、外部へ向けた優先回線が開く。

 

『ザフト軍へ告げる』

 

 ナタルの声だった。

 

『本艦はラクス・クライン嬢を保護している。これ以上本艦および救援艦隊への攻撃を継続するなら、彼女の安全は保証できない』

 

 宇宙が一瞬、遠くなった。

 

 クロトはイージスへ牽制を撃った。

 赤い機体は避けた。だが、反応が遅れる。

 ラクスの名前が出た途端、ザフトの動きが明らかに鈍った。

 

 人質。

 

 そう呼ぶには少し違うのかもしれない。

 けれど結局、価値のある何かを盾にしていることには変わりなかった。

 

 クロトは舌打ちした。

 

「……クソみてえだな」

 

 ヴェサリウスの砲火が止まった。

 ジンの射線が揺れ、シグーの噴射光が角度を変える。

 イージスだけは、まだこちらを向いていた。

 だが、推進器の動きは鈍っている。

 

『貴様ら……どこまで卑怯なんだ!』

 

 イージスから怒鳴り声が通信に割り込んだ。

 

「僕に言うなよ。やったのは、あの船だ」

 

 止まったイージスを、このまま撃ち抜くこともできたかもしれない。

 だが、ここで撃てば止まった砲火がまた動く。

 クロトは舌打ちし、引き金から指を離した。

 

 ザフト側の動きは乱れていた。

 ジンは散ったまま、距離を測っている。

 シグーはメビウス・ゼロの向こうで、攻撃を止めきらない姿勢のまま漂っていた。

 ヴェサリウスの砲口はまだこちらを向いている。

 イージスだけが正面に残り、赤い装甲をこちらへ向けていた。

 

 敵母艦から回線が走った。

 声は聞こえない。

 暗号化された指示の断片だけがセンサーに引っかかる。

 

 直後、ジンが引き始めた。

 シグーがその背後へ戻る。

 イージスは最後までこちらを向いたまま、じりじりと後退した。

 

『……引くぞ、あいつら』

 

 ムウの声に、艦橋の誰かが息を吐いた。

 

 クロトは追わなかった。追えば落とせるかもしれない。

 だがレイダーの警告表示は増えている。

 バッテリー残量。左肩フレーム。姿勢制御。

 どれも黄色から赤へ寄りかけていた。

 

 通信の奥で、誰かがすすり泣いていた。

 クロトは音量をさらに絞った。

 

 もうモントゴメリィの識別反応は戻らない。

 ジョージ・アルスターも、もういない。

 だが、ラクス・クラインはまだ艦内にいる。

 新たな火種として。

 クロトは赤い機体が遠ざかるのを見送った。

 

「……ほんと、クソみてえだ」

 

 返事はなかった。

 宇宙には、散った破片と、消えた信号の残骸だけが残っていた。

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回は第八艦隊先遣隊、ジョージ・アルスター、ラクス・クラインの扱いを中心に、アークエンジェルがさらに面倒な状況へ沈む回になりました。

次回は戦闘後の艦内と、ラクス返還の話になります。
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