シン・逆襲のクロト   作:皐月莢

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第四章 後 歌姫と火種

 アークエンジェルは生き残った。

 それを生還と呼べるかどうかは知らない。

 クロトはコクピットから降り、ヘルメットを抱えて格納庫を離れた。

 背後では整備兵の声が飛び、応急修理の指示が艦内放送に重なっている。

 

 救援に来たはずの先遣艦は、アークエンジェルを残して沈み、モントゴメリィに乗っていたジョージ・アルスターも死亡した。

 フレイ・アルスターの父親であり、クロトとレイダーの回収に触れた男。

 

 アークエンジェルが沈まずに済んだのは、ラクス・クラインの名前を使ったからだ。

 プラント最高評議会議長、シーゲル・クラインの娘。

 平和の歌姫。

 その名前を外へ示しただけで、ザフトの攻撃は止まった。

 間違った判断だとは思えない。だが、正しい判断だとも思えなかった。

 

 通路を進むと、人の流れが途切れた壁際にキラがいた。

 パイロットスーツ姿のまま立ち尽くし、疲労した顔で俯いている。

 その向かいで、フレイが肩を震わせていた。髪は乱れ、泣き腫らした目は赤かった。

 

「どうして、パパを助けられなかったの」

 

 細い声に、キラは何も返さなかった。

 

「アンタ、ストライクに乗ってたじゃない。なのに、どうしてパパは死んだの」

 

 キラの口が少し開くと、フレイが詰め寄った。

 

「パパは私を迎えに来てくれたの。助けに来たの。なのに、なんでアンタが生きてて、パパが死ななくちゃいけないのよ!」

「……ごめん」

「アンタ、コーディネイターだからって本気でやってないんでしょう!」

 

 その声で、周囲の足が止まった。誰も間に入れなかった。

 父を失った娘の前で、正しい言葉を選べるほど余裕のある人間は、この艦には誰もいなかった。止めたところで怒りの矛先が剥くだけだった。

 クロトは溜め息を吐いた。

 

「その辺にしとけ」

 

 フレイが振り返った。キラもクロトを見る。

 死んだやつは生き返らない。そう言いかけて、やめた。

 そんなことを口にしたところで、怒りの矛先がこちらに変わるだけだ。

 なら、最初から余計な言葉を足す必要もなかった。

 

「あなたなんかに何が分かるの」

「分かんないよ」

 

 クロトは薄く笑った。

 

「パパは、あなたのことも言ってた!」

 

 フレイの声が荒くなった。

 

「あの機体と一緒に、あなたを引き取るって。私だけじゃなくて、あなたのことも考えてたのに。なのにどうしてパパが死んだのに、あなたたちが生きてるのよ!」

 

 クロトは鼻で笑った。

 ブルーコスモスに近い男が、自分たちが造らせた機体と、その生体CPUを引き取りに来た。

 それだけだ。

 自分たちの所有物を、所有者である自分たちの手元へ戻す。

 保護でも、ましてや善意でもない。言い換えれば、その程度の話だった。

 それが何も知らない娘の口にかかると「あなたのことも考えていた」ことになるらしい。

 笑わない方が難しかった。

 

「何が可笑しいのよ!」

 

 フレイの目が濡れたまま吊り上がる。

 

「あなたにも、同じことが起こればいい。あなたの大事な人が目の前で死ねばいいわ!」

 

 通路の空気が詰まる中、クロトはフレイを見返した。

 それから、軽く笑った。

 

「残念だけど、僕にはそんな奴はいないんだよ」

 

 フレイの表情が止まった。

 

「あなたにだって親くらい……」

 

 キラが何か言いかけた。だが声にはならなかった。

 クロトは首を傾げた。

 

「もう死んだのか、それとも消えたのか」

 

 言いながら、指先で自分の前髪を払う。

 顔も知らない両親が、どんな人間だったのかは分からない。

 死んだのか、逃げたのか、最初から自分の存在など知らなかったのか。

 それさえ分からない。

 分かっているのは、自分の家族と呼べる人間はいないという事実だけだった。

 

「別に不幸自慢がしたいわけじゃない。ただ、僕にそれを言っても無駄ってだけ」

 

 フレイの口が開いたまま止まった。

 怒りが消えたわけではなかったが、振り上げた腕の置き場を失ったように、肩から力が抜けた。

 家族。親。大事な人。

 どれも言葉として知っているだけだ。

 そんなものを失えと言われても、まともに受け取りようがなかった。

 フレイの拳から力が抜ける。膝が折れかけたところを、近くにいた少女が慌てて支えた。

 嗚咽が漏れ、通路の空気がさらに重くなる。

 クロトはそれ以上見なかった。

 背を向けると、キラの視線が背中に刺さった。責めているのか、驚いているのか、分からない。分かったところで、どうする気もなかった。

 背後で、フレイの泣き声と足音が混ざって遠ざかっていく。

 クロトは自室へ戻った。

 

 

 自室の扉を閉めると、通路の声は壁越しの振動に変わった。

 クロトはヘルメットを机に置き、ベッドへ倒れ込む。身体は疲れていた。

 だが疲労や眠気とは違うものが、胸の奥に引っかかる。

 ジョージ・アルスターは死んだ。

 フレイを迎えに来た父親。クロトとレイダーの回収にも触れたブルーコスモスの男。

 どうせ、アズラエルの指示だ。

 あの癇癪持ちの命令で、レイダーとその生体CPUを回収しに来た。

 そんなところだろう。

 保護でも、ましてや善意でもない。

 自分たちの所有物を、自分たちの手元へ戻す。ただそれだけだ。

 そんな男が、娘の前では子煩悩な父親だったらしい。

 笑える話だった。

 笑えないのは、その娘が本当に泣いていたことくらいだ。

 

 しばらくすると、呼び出し音が鳴った。

 クロトはすぐには起きなかった。艦長がわざわざ来るとは思えない。

 ナタルか、ムウか、あるいはもっと面倒な誰かか。

 こんな状況で扉の向こうに立つ相手など、だいたいろくな用件を持っていない。

 

 二度目の音で、ようやく身体を起こした。

 扉を開けると、キラが立っていた。

 なぜかパイロットスーツ姿のままだった。

 顔色は悪いままだったが、さっき通路で謝っていたときのような頼りなさだけではなかった。

 

 その隣に、ラクス・クラインがいる。

 

 見慣れないパイロットスーツを着ていた。

 どこから持ってきたものか、誰が用意したものかは知らない。

 だが、人質を部屋から連れ出すための格好ではない。アークエンジェルの外へ出るための格好だった。

 

 クロトは二人を見た。

 

「何?」

 

 キラは一度、息を整えた。

 

「ラクスを返す」

 

 クロトはラクスへ視線を移した。

 彼女はキラに縋っているようにも、命じているようにも見えなかった。黙って立っているだけだった。だが、自分がこの格好でここにいる意味を、知らないふりはしていなかった。

 

「どうやって?」

「私が、ストライクで連れていく」

「なんで僕に言うの?」

 

 キラはすぐには答えなかった。

 

「……どっちみち、クロトさんに止められたら失敗するから」

 

 クロトはキラの顔を見た。

 一理ある。

 ストライクの脱走を止められる機体があるとすれば、レイダーだけだ。

 たかがメビウス・ゼロ一機でどうにかなるなら、連合軍は今頃、もう少し

 楽な戦争をしているだろう。

 

「ラクスを、このままにはできない」

「ま、ハルバートンがどう言おうと、その子はプラントのお姫様だからね。第八艦隊と合流すれば、さぞ大歓迎されるだろうね」

 

 キラの表情が硬くなった。

 

「でもさぁ。ザフトが信じると思う?」

 

 キラは答えなかった。

 

「あぁ、もしかして投降するの?」

「投降はしない」

 

「プラントのお姫様とストライクを手土産に逃げてきたら、そう簡単には撃てないと思うけど」

 

 相手から見れば、キラは中立国の民間人でしかない。

 彼女のクラスメートがアークエンジェルに残っていることも、彼女が抜ければこの艦の戦力が落ちることも、ザフトには関係ない。

 キラさえ確保してしまえば、あとはいくらでも切り捨てられる。

「投降はしない。私に考えがある」

 

 キラが同じ言葉を繰り返すと、クロトは舌打ちした。

 

「じゃあ条件」

「条件?」

「その子と二人で話させてよ」

 

 クロトはラクスを見た。

 

「それが済んだら、今の話は聞かなかったことにしてやる」

 

 キラの目が揺れた。

 

「……止めないの?」

「今ここで止められたら困るから、僕のところに来たんだろ」

 

 クロトは薄く笑った。

 

「嫌なら、今すぐ格納庫に行くけど」

 

 キラは唇を結ぶと、ラクスへ視線を向けた。

 

「ええ。わたくしも、最後にクロトさまとお話ししておきたいと思っておりましたから」

 

 ラクスは静かに頷いた。

 クロトはラクスだけを部屋へ入れ、キラを廊下に残して扉を閉めた。

 狭い部屋に、あのラクス・クラインが立っている。

 見慣れないパイロットスーツは、彼女には少し大きく見えた。

 だが、そのせいで頼りなく見えるかといえば、そうでもない。

 泣きも、怯えも怒りもしない。

 ただ、こちらの言葉を待っている。

 そんな思った通りの反応が、かえって目についた。

 クロトは扉の前から動かなかった。

 

「……君は誰なの?」

 

 ラクスはすぐには答えなかった。

 

「わたくしはラクスです。あなたには、何に見えるのですか?」

 

 とぼけているのか、それとも本気でそう返しているのか、クロトには分からなかった。

 万人に愛される平和の歌姫。

 プラント議長の娘。今はアークエンジェルの人質。

 それから、記憶の奥に引っかかる、ヤキン・ドゥーエに現れた女。

 今ここに立っているラクスと、記憶の中にいるラクス。

 そのどちらが本物のラクスなのか、クロトには判断できなかった。

 

「分からない。だから聞いてる」

 

 ラクスは視線を落とし、少しだけ考える間を置いた。

 

「不思議なことをおっしゃいますね。今ここにいるわたくしが、わたくしではないと?」

「さぁね。今の君が、君の全部じゃないことくらいはわかるけど」

 

 ラクスはすぐには否定しなかった。

 そこが気に入らなかった。

 何も知らない少女なら、もっと簡単に首を傾げればいい。

 怖がっている人質なら、帰りたいと口にすればいい。だがラクスは、問いの意味を探るようにクロトを見ていた。

 

「クロトさま。あなたが戦う理由はなんですか」

 

 クロトの表情が少し止まった。

 ラクスがクロトの何を知っているわけでもない。

 薬のことも、身体のことも、何も知らないはずだ。

 彼女に見えているのは、レイダーに乗って戦うクロトだけ。

 それなのに、それ以外の場所へ手を伸ばしてくる。

 

「あなたは、勲章にも、命令にも興味があるようには見えません。いったいあなたは何のために戦っているのですか?」

 

 クロトは笑った。

 

「そりゃ僕が強いからでしょ。遺伝子を弄って手に入れた力で調子に乗ってるコーディネイターの連中の誰よりも」

 

 わざと雑な言い方をした。

 ラクスがどう反応するか見たかった。怒るのか、眉をひそめるのか、それとも歌姫らしい顔で受け流すのか。

 だが、ラクスは声を荒げなかった。

 

「強いから戦うのと、強いから戦うよう求められるのは、同じではありません」

 

 静かな声だった。

 責めてもいない。決めつけてもいない。ただ、クロトが雑に投げた答えを、そのまま受け取る気はないらしい。

 それが不快だった。

 

「変なこと聞くね」

 

 軽く流したつもりだった。

 だが、思ったほど声は軽くならなかった。ラクスはそこを聞き逃さなかったのか、表情を変えないまま、クロトを見ていた。

 

「答えたくないのですか?」

 

 答えたくない。

 そう返せば、それで済んだ。適当にはぐらかして、話を切ればいい。

 だが、ラクスは急かさなかった。

 ただ黙って、クロトの返事を待っていた。その思わぬ沈黙が、少しだけやりにくかった。

 

「他に生きる方法を知らないから、だよ」

 

 言ってから、少し余計だったと思った。

 

 だからクロトは笑った。

 口の端だけを上げて、今の言葉をただの冗談の形に戻そうとした。

 

「満足?」

 

 ラクスはすぐには答えなかった。

 

「ええ。少しだけ、あなたのことが分かったような気がいたします」

 

 クロトは眉をひそめた。

 

「僕の何が分かったって?」

「分かった、とは申しません。ただ、そう感じただけですわ」

 

 その言い方が、また気に入らなかった。

 ラクスは、クロトの中身を暴こうとはしなかった。ただ、聞いた言葉を感じたまま、そこに置いている。

 思った通り、ただ守られるだけの少女ではない。

 それが分かれば十分だった。

 

 クロトは扉へ手を伸ばした。

 廊下には、キラが立っていた。

 待たされている間に脱走を考え直した様子はなかった。

 ラクスが部屋から出ると、キラは一度だけ彼女を見て、それからクロトを見る。

 何を話したのか聞きたそうな顔だった。だが、口にはしなかった。

 クロトも説明する気はなかった。

 

「僕は何も知らないし、聞いてない」

 

 キラの表情がわずかに動く。

 

「だから失敗しても、僕の知ったことじゃない」

 

 止めない、とは言わなかった。許可でもない。協力でもない。

 ただ、聞かなかったことにする。

 その程度の取引だった。

 キラは小さく頷いた。ラクスも静かに頭を下げる。礼を言われる前に、クロトは扉に手をかけた。

 

 キラとラクスは並んで通路を離れていく。クロトはその背を最後まで見なかった。

 

 扉を閉めると、部屋には艦の振動だけが戻った。

 止める理由なら、いくらでもある。

 ストライクはこの艦の戦力だ。

 敵に近づけば撃たれるかもしれない。

 捕まるかもしれない。機体ごと奪われるかもしれない。

 ラクスを返せば、もう同じ手は使えない。

 だが、そんなことはどうでもよくなり始めていた。

 

 壁の端末が赤く点滅した。

 格納庫区画にて、ストライクが突如起動。

 搭乗者、キラ・ヤマト。同乗者あり。

 

 部屋を去ってから、ほとんど時間は経っていなかった。

 最初から、脱走準備を整えていたのだろう。

 通信が入る。

 クロトは画面を見て、回線だけを開いた。

 こちらの音声は切ったままにする。

 

『少尉、何をしている。直ちにレイダーを起動し、ストライクの発進を阻止せよ! 繰り返す、ストライクの発進を阻止せよ!』

 

 ナタルの声に、クロトは通信を切らずに部屋を出た。

 通路は騒がしくなっていた。

 非常灯が床を赤く染め、整備兵や兵士が格納庫の方へ走っていく。

 誰かが何かを叫んでいたが、言葉までは拾わなかった。

 クロトは歩いた。

 急げば何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

 ただ、走る気にはならなかった。

 隔壁の向こうから、艦体を揺らすような低い震動が来た。

 

 ストライクが射出される音だった。

 キラもラクスも、もうこの艦の中にはいない。

 

 格納庫に入ると、カタパルトには何も残っていなかった。

 白い機体の姿はない。外れたケーブルが床で揺れ、赤い警告灯だけがまだ回っている。

 レイダーはその奥にいた。

 灰色の機体は固定具に縛られたまま、赤い光を受けている。

 クロトは機体の脚元まで歩き、装甲に手を置いた。

 

 もっと早く来れば、止められたかもしれない。

 だが、機体はここに残っている。

 外で何が起きるのか、ここからでは何も分からない。

 キラが何を考えているかも、ラクスがどこに行くのかも、ザフトがどうするのかも分からない。

 クロトに分かるのは、命令を受けたはずの自分とレイダーが、まだここにいるということだけだった。

 クロトはレイダーを見上げた。

 灰色の機体は、ただ沈黙していた。

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。
第四章はこれで完結です。
次回から第八艦隊合流、大気圏降下戦へと進みます。
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