シン・逆襲のクロト   作:皐月莢

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第五章 前 墜ちる大天使

 ヴェサリウスの士官用区画は静かだった。

 隔壁の向こうでは、合流を済ませたガモフとの通信音声が低く重なっている。

 アスランは、その一角にある応接室でラクスと向かい合っていた。

 

 報告は単純だった。

 ラクスを乗せた救命ポッドを、アークエンジェルが拾った。

 戦闘になり、アークエンジェルはラクスの名でクルーゼ隊を退かせた。

 その後、ストライクのパイロットがラクスを返しに来た。

 

 読めば分かる。

 だが、納得できることとは違った。

 

 ラクスはすでに簡単な診察を終えていた。外傷はない。

 汚れた衣服も替えられ、髪も整えられている。

 

 ラクスは無事だった。

 そのことに安堵するより先に、別の事実が頭から離れなかった。

 

 キラが来た。

 ストライクに乗って、ラクスを返しに来た。

 そして、戻ってしまった。

 

 手の届く距離にいたはずなのに、ヴェサリウスへ連れて来られなかった。

 

「ユニウスセブンへの追悼慰霊団の船が、地球軍の艦と接触した」

 

 アスランが言うと、ラクスは頷いた。

 

「はい。わたくしは、皆さまに逃がしていただきました」

「その救命ポッドを、アークエンジェルが回収したと」

「はい」

 

 ラクスの声は静かだった。疲れは残っている。だが、膝の上の手は動かなかった。

 

「その後、戦闘になった」

「はい」

「アークエンジェルは、君を人質として利用した」

 

 言葉にすると、喉の奥がわずかに詰まった。

 

 人質。

 

 その意味は誰にでも分かる。

 撃てばラクスを巻き込む。撃たなければアークエンジェルは生き残る。

 単純で、効果的な手段。だからこそ、不快だった。

 

 ラクスは少しだけ目を伏せた。

 

「わたくしが、あちらにおりましたから」

「君を盾にした」

 

 思わず、声が硬くなった。

 ラクスはすぐには答えなかった。

 

「そう思われた方も、いらしたと思いますわ」

 

 アスランは拳を握った。

 否定でも、責める声でもなかった。その分、余計に収まりが悪い。

 

「そして、キラが君を返しに来た」

「はい」

 

 名前を口にした瞬間、軍人として整えていたものが少し崩れた。

 キラ・ヤマト。

 ストライクのパイロット。

 ヘリオポリスで別れた幼なじみ。

 同じコーディネイターで、こちらへ来られるはずだった相手。

 報告書の中のキラは、ただのストライクのパイロットだった。

 だが、銃を向ける相手なのか。連れ戻す相手なのか。

 アスランには、まだ決められなかった。

 

「キラは、自分から君を返しに来たんだな」

「はい。わたくしを、こちらへ」

「なのに、あの艦へ戻った」

 

 ラクスは頷いた。

 

「アークエンジェルへ、お戻りになりました」

「なぜだ」

 

 問いはラクスに向けたものではなかった。

 答えを知っているはずもない。そう分かっていても、言葉が出てきた。

 ラクスは少しだけアスランを見た。

 それは責めるような視線でも、慰めるような視線でもなかった。

 

「キラさんには、キラさんのお考えがあったのだと思います」

「その考えが、連合に残ることか」

 

 語尾が強くなった。

 ラクスは黙った。

 沈黙は、肯定にも否定にもならなかった。

 

 アスランは視線を落とした。

 端末には、あの時の航跡と通信記録が残っている。

 

 ストライクは単独で接近し、ラクスを引き渡した後、反転してアークエンジェルへ帰投した。

 レイダーも、メビウス・ゼロも追ってこなかった。

 クルーゼのシグーは、ストライクを押さえられる位置にいた。

 

 見ていた。

 分かっていた。

 ラクスが止めなければ。あるいは、アスランがそれを無視していれば。

 

「先に卑怯な手を使ったのは地球軍だ。なら、あの場で……」

 

 キラを捕まえられた。そう続けるつもりだった。

 

 ストライクのパイロットを押さえれば、アークエンジェルの戦力は落ちる。

 キラを戦場から引き離すこともできる。

 軍人として考えれば、迷う理由はなかった。

 それでも、言い切れなかった。

 キラはラクスを返しに来た。

 ザフトに捕らえられるためではなく、ラクスを帰すために。

 ラクスは、責めなかった。ただ、静かに言った。

 

「キラさんは、わたくしを返してくださいました。ザフトに捕らえられるためではありませんわ」

 

 アスランは返せなかった。

 ラクスの声は柔らかい。だが、その短い一言に、彼は視線を逸らした。

 

「レイダーは」

 

 話題を変えたという自覚があった。それでも、聞かずにはいられなかった。

 

「君は、あの機体のパイロットと話したのか」

 

 ラクスはわずかに瞬きをした。

 

「クロトさま、ですわね」

 

 その名は、通信越しに聞いた名だった。

 ミゲルを殺したレイダーのパイロット。

 ヘリオポリス以来、クルーゼ隊の前に立ちはだかってきた連合兵。

 そして、今もキラの近くにいる男。

 

「どんな男だった」

 

 問う声に、自分でも棘が混じったのが分かった。

 

 ラクスはすぐには答えなかった。

 少し考えるように、視線をテーブルの端へ落とした。適切な表現を探しているようにも見えたが、アスランにはそれ以上は分からなかった。

 

「そうですね。面白い方でしたわ」

 

 アスランは眉を寄せた。

 

「面白い?」

「はい」

「面白い、で済む相手じゃない。あいつは俺たちの敵だ」

 

 声が低くなった。

 ラクスは否定しなかった。ただ、静かに微笑みながらアスランを見ていた。

 

「ええ。きっと、そうなのでしょうね」

 

 その答えに、アスランはかえって苛立った。

 恐ろしい男だった、と言われた方がまだ分かりやすかった。

 卑怯な男だった、と言われれば、迷わず敵として見られた。

 

 なのに、ラクスはそう言わなかった。

 面白い。その言葉が、アスランの抱いていた輪郭に余計な線を入れた。

 

 クロト・ブエル。

 

 あの男がなぜキラを止めなかったのか。なぜラクスを返すことを許したのか。

 考えても、答えは出なかった。

 ただ一つ、分かることはあった。

 キラを敵と決めるには、まだ迷いがあった。

 だが、あの男を敵と決めることには、迷いがなかった。

 次に戦場で会えば、あのレイダーは必ず前に出てくる。

 

 キラを連れ戻すにしても、止めるにしても、アークエンジェルを討つにしても。

 まず、あの男を排除しなければならない。

 

 扉の外で、短い電子音が鳴った。

 

『ラクス・クライン嬢の移送準備が整いました。護送艇は第二区画で待機中です』

 

 ラクスは驚かなかった。

 膝の上に置いていた手を、そっと重ね直しただけだった。

 

「……もう行くのか」

「はい。わたくしを乗せたままでは、この艦も動きにくくなってしまいますもの」

 

 ラクスは静かに立ち上がった。

 

「アスランは、ちっとも嬉しそうではありませんね」

 

 返す言葉が、一拍遅れた。

 

「……戦争は、笑ってするものではありませんよ」

「そうかもしれませんね」

 

 それだけ言って、ラクスは扉の向こうへ消えた。

 

 アスランは、しばらく閉じた扉を見ていた。

 

 護送艇が離れれば、ヴェサリウスは再び戦場へ戻る。

 キラは捕らえられなかった。

 そして、その近くにはクロト・ブエルがいる。

 

 まず、あの男を落とす。

 キラを連れ戻すのは、それからだ。

 

 *

 

 ストライクが戻ると、キラとクロトは作戦室へ呼び出された。

 

 まだ第八艦隊本隊とは合流していない。

 アークエンジェルは単艦のまま、損傷確認と航路修正を進めていた。

 

 その前に、片づけるべき問題があった。

 

 ラクス・クラインを乗せたストライクが、命令を受けずに発進した。

 保護対象だったラクスは、ザフトへ返還された。

 

 それを誰の責任として扱うのか。

 二人は、そのために呼ばれていた。

 

 作戦室には、マリュー、ナタル、ムウがいた。

 

「キラ・ヤマト」

 

 ナタルの声が落ちた。

 

「君は、無断でストライクを発進させた。しかも我々の保護対象であるラクス・クラインを乗せてだ」

「……はい」

「命令違反だ。状況によっては、本艦を危険にさらした」

 

 キラは俯いたまま、反論せずに頷いた。

 

「ラクスを、返すべきだと思いました」

「思っただけで、軍の機体を動かしたと?」

 

 ナタルが返すと、キラは黙り込んだ。

 ストライクは軍の機体で、ラクスはただの避難民ではない。

 彼女はプラント議長の娘であり、ザフトを退かせるために人質として使われた。

 

 正しかったかどうかは関係ない。

 だが、それを見たキラは命令を破り、彼女を返した。

 だから、その行為は誰の責任なのかを決めなければならない。

 

「ブエル少尉」

 

 今度は、ナタルの視線がこちらへ向いた。

 

「君にも確認することがある。ストライク発進時、君には阻止命令を出した。なぜ応答しなかった」

「撃墜していいなら、すぐ動いたかもね」

 

 キラが息を呑んだ。

 レイダーでストライクを止めること自体は難しくない。

 ただし、ストライクや中の人間の無事までは保証しない。

 

「誰が撃墜しろと言った」

「じゃあ、どうやって止めろって?」

 

 ナタルはすぐには返さなかった。

 命令を聞かなかった。

 その一点だけを見れば、クロトの責任になる。

 

 だが、撃墜していれば、もっと面倒な事態になったかもしれない。

 プラント議長の娘を乗せた機体を、ブルーコスモスを名乗る連合兵が撃墜した。

 それがどういう事態を引き起こすのかは明白だった。

 

「詭弁だな。君は、自分が何を言っているのか分かっているのか」

「分かってるよ」

 

 クロトは薄く笑った。

 

「地球連合軍がプラント議長の娘を拾いました。人質に使いました。そのあと、ヘリオポリスで拾った民間人が返しました。止めろと言われた奴は、動きませんでした」

 

 作戦室が静かになった。

 

「正直に書くなら、そうなるんじゃないの」

 

 ナタルは返さなかった。

 どれを正面から書いても、誰かが処分対象になる。

 

 沈黙を破ったのは、マリューだった。

 

「……この件は、彼女一人の責任にはしません」

 

 ナタルが顔を向けた。

 

「艦長」

「ラクス・クラインを本艦が抑止として使ったことも、事実です。彼女の独断だけを切り離して処分することはできません」

「しかし、命令違反は命令違反です」

「ええ」

 

 マリューはキラを見た。

 

「キラさん。あなたのしたことは、命令違反です」

「……はい」

 

「処分として、艦内清掃を命じます。戦闘配備時を除き、指示された区画の清掃を行ってください」

 

 キラは戸惑いながら頷いた。

 

「ブエル少尉」

「僕も?」

「あなたも同じです。阻止命令への不応答は記録します。処分として、艦内清掃を命じます」

 

 クロトは眉を上げた。

 

「やったことないんだけど」

「艦内清掃を、か?」

 

 ナタルの声が少し低くなった。

 

「少尉は、階級上先任になります。彼女に作業手順を教え、監督してください」

「だから、やったことないって言ってるんだけど」

「では、覚えてください」

 

 マリューは静かに言った。

 

「二人とも、この艦にいる以上、必要な作業には従ってもらいます」

「へえ」

 

 クロトは口の端を上げた。

 

「この艦って、変なことさせるね」

「命令違反よりは、よほど普通です」

 

 ナタルの視線が刺さったが、クロトは笑って受け流した。

 

 

 

 作戦室を出ると、通路の空気は少し冷たかった。

 キラが後ろからついてくるのが、足音で分かった。

 

「さっきの」

「言っとくけど、きみのためじゃないよ」

 

 クロトは振り返らず、歩きながら言った。

 

「僕はどっちでも良かった。……そんなことより」

 

 クロトは足を止めた。

 振り返ると、キラは少し遅れて立ち止まった。

 

「ラクスを返したかったんだろ」

「……うん」

「なら、渡してそのまま向こうに行けばよかったじゃん」

 

 キラはすぐには答えなかった。

 

「イージスのパイロットに返したんだろ。アスラン・ザラだっけ」

 

 キラの指がわずかに強張った。

 

「あんなの相手に、一機でのこのこ行って、よく撃たれなかったね」

「ラクスが、いたから」

「ああ、そりゃそうか」

 

 クロトはそこで一度言葉を切った。

 

 あの赤い機体は、何度もレイダーを殺しに来た。

 他の雑魚とは、明らかに格が違う。

 そんな危険な相手に、キラはストライク一機で近づいた。

 ラクス・クラインが乗っていなければ、どうなっていたか分からない。

 

「ザフトはラクスを受け取った。きみは撃たれなかった。なら、そのまま向こうに残ればよかった」

「でも」

「でも?」

 

 キラの喉が小さく動いた。

 

「ここに、戻らなきゃって」

「なんで」

「……分からない」

 

 答えがないことくらい、最初から分かっていた。

 それでも聞いた。

 分かっていて聞くのは、だいたい性格が悪い。

 

「分からないなら、分からないでいいけど」

 

 クロトは言った。

 

「それで怒られて、清掃まで押しつけられたんだろ。変なの」

「……ごめんなさい」

「僕に謝ることじゃないでしょ」

 

 キラは目を伏せた。

 泣きそうな顔ではなかった。

 ただ、何を言えばいいのか分からないような顔だった。

 

「戻ったら、こうなるのは分かってたでしょ」

「うん」

「向こうに行くよりまし?」

「分からない」

 

 その答えは少しだけ意外だったが、クロトはそれ以上聞かなかった。

 

 ほどなく、アークエンジェルは第八艦隊本隊と合流した。

 艦外モニターには、いくつもの艦影が映っていた。

 通信が増え、マリューの指示が飛び、通路を行き来する兵の数も増えた。

 

 避難民の区画では、空気が少し変わった。

 助かった、という声がどこかで漏れた。

 

 だが、クロトにとって、合流は解放ではなかった。

 

 レイダーの所属確認。

 パイロットの身元確認。

 今後の移管先。

 

 それを決める人間が、アークエンジェルの外にも増えただけに見えた。

 

 

 

 その日のうちに、クロトは呼び出された。

 

 指定された区画は、アークエンジェル内ではなかった。

 レイダーは格納庫に残され、クロトだけが連絡艇へ乗せられた。

 

 行き先は、第八艦隊旗艦メネラオス。

 地球連合軍の第八艦隊司令官、デュエイン・ハルバートン提督が座乗する艦だった。

 

 アークエンジェルが合流を目指していた相手。

 マリューたちに命令を出せる側の艦。

 そして、クロトとレイダーを第八艦隊の戦力として扱うのか、アラスカへ送る積み荷として扱うのかを決める場所だった。

 

 案内の兵は余計なことを言わなかった。

 クロトを見る目は、レイダーのパイロットを見る目でも、子どもを見る目でもなかった。

 書類上の階級と実物の年齢を、どう並べればいいか分からない目だった。

 

 通された部屋は広くなかった。

 机と椅子、壁面端末、艦隊章。

 余計な飾りはない。

 

 ハルバートン提督は、机の向こうで立っていた。

 クロトが入ると、同席していた士官へ目だけで合図を送る。

 士官は一礼し、部屋を出た。

 

 扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。

 

「クロト・ブエル少尉、だったな」

「書類上は、そうですね」

 

 ハルバートンは、その皮肉に眉を動かさなかった。

 机の上には、薄い端末が一枚置かれている。

 表示されている文字は、こちらからは読めない。だが、何の話をするために呼ばれたのかは分かった。

 

「君の書類を確認した」

 

 ハルバートンは、まっすぐに言った。

 

「地球連合軍第八十一独立機動群所属。階級は少尉待遇。GAT-X370レイダー、テストパイロット」

「よくできてるでしょ」

「ああ。よくできている。機体は本物だ。型式も登録もある。開発費の流れも、配備命令も、君の任官記録も存在する」

 

 褒めた声ではなかった。

 クロトは笑わなかった。

 

 よくできている。

 その言葉は、出来がいい兵器を眺める時の言い方に近かった。

 少なくとも、まともな少年兵に向ける声ではない。

 

「だが、レイダーは私の把握していた当初のG計画にはなかった」

 

 ハルバートンは端末へ目を落とした。

 画面の光が、提督の顔を下から薄く照らす。

 

「X300系の可変機。その発展案として、設計資料そのものは存在していた。だが、ヘリオポリスで製造する機体として、最初から組み込まれていたわけではない」

「じゃあ、後で追加されたんですね」

「そうだ。支援する代わりに、この機体を追加で造れとな」

 

 ハルバートンは端末から目を離した。

 その視線が、クロトの腕へ移る。

 

 袖口から覗く古い針跡。

 無理に整えた軍服。

 年齢に合わない階級。

 

 マリューたちのように、そこで目を逸らしはしなかった。

 だからといって、同情の色もなかった。

 ただ、確認している目だった。

 

「ムルタ・アズラエル」

 

 その名前が出た瞬間、部屋の空気が少し硬くなった。

 

 クロトは黙っていた。

 返事をすれば、何かを認めることになる。

 黙っていても、何かを認めたように見える。

 どちらでも大して変わらない。

 

「レイダーの追加配備。君の少尉待遇。アークエンジェル合流後の移管先。すべて、あの男が裏で関わっているようだな」

「よく知ってるじゃん」

「知っていなければ、この艦隊は預かれん」

 

 ハルバートンは淡々と言った。

 

「だが、知っているのは書類に残る範囲だけだ。君が何者なのか、までは知らん」

「知らない方がいいですよ」

「そうかもしれん」

 

 否定はしなかった。

 知らなくていい、と切り捨てるのでもなかった。

 

「だが、知らないままでは危うすぎる。だから、君を呼んだ」

 

 艦体を伝う低い振動が、床の下からかすかに響いていた。

 アークエンジェルではない艦の音。

 別の軍の、別の命令系統の中にいる音だった。

 

「アークエンジェルはこれから大気圏へ降下し、アラスカに向かう。ザフトが追ってくるなら、君とレイダーは必要になる」

「正直ですね」

「綺麗な言葉で包んだところで、君は信用せんだろう」

 

 クロトが口の端だけを上げると、ハルバートンは机の端末を消した。

 画面の光が消え、部屋の輪郭が少し暗くなる。

 

「君は、アークエンジェルを守る意思があるか」

「守る、ね」

 

 クロトはわざとらしく首を傾げた。

 

「そういう言い方、好きじゃないんだけど」

「では言い換えよう。アークエンジェルが沈めば、君も困るか」

「今は、ね」

 

 ハルバートンの声は変わらなかった。

 その答えで十分だと、最初から分かっていたような顔だった。

 

「君が何を考えているかは問わん。だが、今アークエンジェルが沈めば困る。なら、君は戦う。そう考えていいか」

「いいんじゃない」

「ならば、降下完了まで君をアークエンジェルの戦力として扱う」

 

 クロトは少しだけ目を細めた。

 

 戦力。

 便利な言葉だった。

 兵器も、人間も、その一語に入る。

 入れてしまえば、あとは配置するだけで済む。

 

「そこから先は?」

「君の処遇は、アラスカで改めて判断される」

「つまり、先送りすると?」

「そうだ」

 

 ハルバートンはあっさり認めた。

 

「君の処遇を、ここで私が勝手に決めることはできん。それに、今すぐアークエンジェルから引き剥がす必要もない」

「あのオッサン、怒るんじゃない?」

「だろうな」

 

 ハルバートンは短く息を吐いた。

 

「だが、戦場で必要な戦力を外すほど、私は余裕のある司令官ではない」

 

 言い訳ではなかった。

 綺麗な建前でもなかった。

 必要だから使う。

 ハルバートンは、そこを隠さなかった。

 

「私は君を戦場へ出す。必要なら命令もする。その前に、君が命令を受けるかを確認している」

「面倒ですね」

「命令系統とは、そういうものだ」

 

 つまらない答えだった。

 けれど、嘘ではなかった。

 

「ストライクの彼女も同じだ」

 

 キラの顔が浮かんだ。

 命令を破ってラクスを返し、戻ってきて、分からないと答えた顔。

 

 クロトはすぐに追い払った。

 

「あいつは関係ないでしょ」

「関係はある。書類でどう扱おうと、本来は民間人だ。だが、ストライクを動かせる」

「だから使うって?」

「彼女に戦う意思があれば、な」

 

 ハルバートンは目を逸らさなかった。

 使わないとは言わない。

 ただ、本人の意思を抜きにして使うとも言わなかった。

 

「あいつにそんなものはありませんよ」

「ならば、彼女には船を降りてもらおう」

 

 即答だった。

 クロトは笑い損ねた。

 否定されると思っていた。

 仕方がない。

 必要だ。

 彼女ならできる。

 そういう言葉で押し切ると思っていた。

 

 戦える人間を戦場へ出す。

 動かせる人間に機体を与える。

 軍なら、そうするはずだった。

 だが、ハルバートンはそれをしなかった。

 少なくとも、今この場では。

 

「君は、アークエンジェルがアラスカに到着するまで戦うか」

「さっき答えたでしょ」

「命令として受けるか」

 

 同じことを聞いているようで、少し違った。

 

 沈めば困るから戦う。

 命令だから戦う。

 その二つが、ハルバートンの中では別の場所に置かれているらしい。

 

 クロトは、ハルバートンを見た。

 

 この男は、レイダーを必要だと言った。

 クロトを戦場に出すとも言った。

 そのくせ、キラを無理に乗せるとは言わなかった。

 

 綺麗な大人ではない。

 だが、アズラエルの側にいる人間とも違う。

 

 どこまで知っているのか。

 どこまで知らないふりをしているのか。

 クロトには、まだ分からなかった。

 

 ただ、嘘で丸め込もうとしていないことだけは分かった。

 

「受けますよ」

 

 クロトは言った。

 

「今は、沈まれたら困るんで」

「十分だ」

 

 ハルバートンは頷いた。

 

「話は以上だ。アークエンジェルへ戻りたまえ。避難民の移送準備が始まる」

「僕も手伝うんですか」

「必要なら、ラミアス艦長代理が命じるだろう」

 

 クロトは顔をしかめた。

 戦闘より、そちらの方がよほど面倒に聞こえた。

 

 ハルバートンはそこで、初めてわずかに目元を緩めた。

 

「クロト・ブエル少尉」

「何ですか」

「今は、君もこの艦隊の戦力だ。勝手に死なれては困る」

 

 その言葉は命令だった。

 だから、まだ返しやすかった。

 

「……努力はしますよ」

 

 それだけ言って、クロトは部屋を出た。

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回はラクス返還後のザフト側と、第八艦隊合流後のアークエンジェル側の整理回でした。

キラを連れ戻せなかったアスラン、クロトを兵器ではなく戦力として扱うハルバートン、そしてまだ自分の立場を決めきれないキラ、という形で、次の大気圏降下戦へ向けた準備回でもあります。

次回は第八艦隊戦、大気圏降下です。
ここからまた戦場が大きく動きます。
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