シン・逆襲のクロト   作:皐月莢

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第五章 中 墜ちる大天使

 アークエンジェルへ戻ると、通路では移送準備の案内が繰り返されていた。

 格納庫を出た先には、荷物を抱えた民間人が並んでいる。

 誘導の兵が名簿を読み上げ、別の兵が移送艇の待機区画を指していた。

 

 小さな鞄を抱えた者。

 子どもの手を引く者。

 名前を呼ばれ、慌てて列の前へ出る者。

 表示灯を見上げ、荷物を持ち直す者。

 

「これで降りられる」

 

 誰かが小さく言った。

 列の中で、いくつも顔が上がった。

 

 助かった。

 もう終わる。

 この船から出られる。

 後ろの者たちも表示灯を確認し、少しずつ列を詰めていく。

 

 艦内放送は、移送準備の案内を繰り返していた。

 

『避難民は指定区画へ移動してください。手荷物は最小限にしてください』

 

 続けて、移送艇の待機区画と立ち入り禁止区域が読み上げられる。

 整備区画、弾薬庫、格納庫周辺。

 兵が通路の角に立ち、近づこうとした民間人を手で止めていた。

 

 名簿で人数を数え、手荷物を減らさせ、移送艇に乗せる。

 アークエンジェルから降りても、すぐに戦場の外へ出られるわけではない。

 避難民は、第八艦隊旗艦メネラオスへ移される。

 メネラオスには、避難民を受け入れる準備が整えられていた。

 水と食料、毛布。負傷者を診る医療班。

 

 ヘリオポリスから逃げる途中で民間人を収容したアークエンジェルには、そこまでの余裕はなかった。

 

 通路の先で、学生たちは移送待機の列に入らず、壁際に集まっていた。

 カズイは荷物を抱え、誘導表示と移送の列を何度も見比べていた。

 サイは案内端末を確認し、トールとミリアリアはその横で待っていた。

 キラは少し後ろに立っていた。

 

 クロトが近づくと、最初に顔を上げたのはカズイだった。

 目が合うとカズイはすぐに視線を落とし、荷物の持ち手を握り直した。

 

 その中で、フレイだけが何も持っていなかった。

 通路の壁際に立ったまま、誘導表示にも、移送を待つ列にも目を向けていない。

 兵が横を通っても、壁から背を離さなかった。

 

「フレイ」

 

 サイが声をかけた。

 

「準備は?」

「必要ないわ」

 

 フレイが短く返すと、サイの手が止まる。

 

「必要ないって、移送艇に乗るんだろ?」

 

 フレイはサイを見ることも、答えることもしなかった。

 サイはもう一度何かを言いかけたが、結局、口を閉じた。

 

 クロトは、手ぶらのまま動かないフレイを見た。

 そのまま横を通り過ぎようとしたところで、フレイが顔を上げた。

 青い目が、クロトの横顔から動かなかった。

 

「あなたは、どうするの?」

「僕?」

「あなたも移送艇に乗るの?」

 

 サイがフレイを見ると、キラも顔を上げた。

 その紫の目はフレイではなく、クロトの方へ向いていた。

 

「僕は乗らないよ」

「どうして」

 

 書類上、クロトは地球連合軍の少尉だった。

 レイダーのパイロットとして、アークエンジェルとともにアラスカ基地へ降りることになっている。

 サイたちのように、移送対象の民間人ではないのだ。

 

「そういう命令だから」

 

 フレイは黙った。

 クロトを見たまま、サイの方へ視線を戻さなかった。

 サイが一歩近づいた。

 

「フレイ、君は移送艇に乗るんだろ」

 

 フレイは、サイを見なかった。

 

「乗ってどうするの。パパはもういないのに」

 

 船を降りた先に、彼女の父親はいない。

 それどころか、彼女を待っている人間などいない。

 サイは口を閉じた。

 ミリアリアも、トールも、すぐには声を出さなかった。

 

 クロトはフレイを見た。

 何も持っていない手が、動かないまま垂れている。

 泣いているわけではないし、怒鳴っているわけでもない。

 だが、フレイの足は壁際から離れなかった。

 

「じゃあ、あなたは、まだこの船にいるのね?」

「アラスカまではね」

 

 前の世界でも、フレイ・アルスターは戦場にいた。

 ザフトの捕虜になって、メンデルで回収されて、そのままドミニオンに乗っていた。

 彼女がどういう経緯でザフトの捕虜になり、ドミニオンが沈むまで乗っていたのかは知らない。

 フレイがアークエンジェルに残りたいのであれば、勝手に残ればいい。

 わざわざクロトが止めることではない。

 

「そう。なら、安心だわ」

 

 フレイはそれ以上、何も言わなかった。

 クロトが足を進めようとすると、キラがこちらを見ていた。

 

 何かを言いたそうに唇が動いたが、言葉にはならなかった。

 

「何だよ」

 

 クロトが聞くと、キラは肩をわずかに震わせた。

 目が合う。

 責める顔でも、怒っている顔でもなかった。

 

「……いえ」

 

 キラは首を横に振った。

 

「何でも、ありません」

 

 クロトは眉をひそめた。

 

 フレイが残るかどうかと、キラがこの船を降りるかどうかは別の話だった。

 フレイは前の世界でも、ドミニオンにいた。

 父親を殺したザフトと戦いたいのなら、勝手に残ればいい。

 だが、キラは違う。

 

 あいつは、戦いたくてストライクに乗っているわけではない。

 自分のように、撃ちたくて撃っているわけでもない。

 降りられるなら、降りればいい。

 もう乗らなくて済むのなら、その方がいい。

 

 クロトは、そう思うことにした。

 

 その時、小さな足音が近づいてきた。

 

「お姉ちゃん」

 

 キラが振り向いた。

 エルが、両手に紙で作った花を持っていた。

 折り目のずれた、小さな花だった。

 

 エルはキラの前で止まり、その一つを差し出した。

 

「これ」

「……私に?」

「うん。守ってくれたから」

 

 キラの手が止まった。

 それから、両手で紙花を受け取る。

 

「……ありがとう」

 

 エルは笑った。

 残ったもう一つを、今度はクロトへ向けた。

 

「お兄ちゃんも」

「僕はいいよ」

「でも、お兄ちゃんも守ってくれた」

 

 クロトは黙った。

 

 近くにいた兵が、ちらりとクロトを見た。

 民間人の一人が、子どもの肩に手を置く。

 

 エルは紙花を引っ込めなかった。

 クロトの前に立ったまま、折り目のずれた花を差し出している。

 

 クロトは手を伸ばし、紙花を摘まんだ。

 

「……変な紙」

「お花」

「そう」

 

 エルは満足したように頷いた。

 

 紙花は軽かった。

 指に少し力を入れれば、すぐに潰れる。

 クロトは握らず、指先で持った。

 

 キラは、自分の手の中の紙花を見ていた。

 移送列では、誘導兵が名前を呼び続けている。

 それでも、キラは動かなかった。

 

「君は、戦いたくて乗ってるわけじゃないんだろ?」

 

 クロトが言うと、キラは顔を上げた。

 

「……え?」

「この船に残ったら、またストライクに乗れって言われるよ」

「でも……」

「でも、じゃない。残ったらどうなるか、分かってるだろ」

 

 キラは答えなかった。

 紙花を持ったまま、フレイの方を見た。

 フレイは壁際に立っていた。

 

 誘導兵が、次の名前を呼んだ。

 キラの名前ではなかった。

 

 クロトは紙花をポケットへ突っ込んだ。

 キラは紙花を胸元へしまった。

 

 移送列は前へ進んだ。

 誘導兵が最後尾を待機区画へ入れ、扉の脇に立つ。

 接続表示が変わり、移送艇のハッチが閉じた。

 艦内の表示から、移送艇の番号が一つ消える。

 

『避難民移送、最終艇離艦』

 

 兵士が名簿端末を畳み、誘導表示を消していく。

 通路から、荷物を抱えた民間人の列はなくなっていた。

 

 その時、艦内放送が切り替わった。

 

『第一戦闘配備。第一戦闘配備。左舷後方、熱源反応。ザフト艦隊と思われる影を確認』

 

 さっきまで移送列があった通路を、兵士が走り始めた。

 誘導兵が名簿端末を抱え、壁際へ退く。

 待機区画へ続く扉は閉じたままだった。

 

『繰り返す。第一戦闘配備。各員、配置につけ』

『クルーゼ隊の反応を確認。モビルスーツ隊、発進準備。繰り返す。モビルスーツ隊、発進準備』

 

 クロトは踵を返した。

 

「しつこいっての」

 

 振り返らず、格納庫へ向かう。

 

 格納庫では、レイダーの固定アームが外されていた。

 整備員が機体の足元からケーブルを抜き、別の整備員がカタパルト側へ腕を振っている。

 クロトはヘルメットを掴み、レイダーの昇降ワイヤへ向かった。

 

「少尉、出撃準備完了まであと二分です」

「もうちょっと早くしてよ」

 

 整備員は顔を上げなかった。

 手元の端末を叩き、次のロック解除へ移っている。

 

 クロトは鼻で笑い、ワイヤに足をかけた。

 ハッチが開く。

 コクピットの奥に、シートが見えた。

 

 身体を滑り込ませる。

 背中が硬いシートに当たった。

 ベルトを締め、ヘルメットを固定する。

 外の怒声が遠くなり、機体の低い振動が身体へ戻ってきた。

 

 正面のモニターが順に点灯する。

 

『カタパルト接続。発進シークエンスへ移行します』

 

 レイダーが前へ送られる。

 カタパルトの誘導灯が、モニターの中で一直線に伸びた。

 

 その時、左の補助モニターにストライクの脚部が映った。

 

 足元の昇降ワイヤが上がっている。

 整備員ではない。

 兵士でもない。

 

 パイロットスーツを着た人影が、ストライクのコクピットへ上がろうとしていた。

 

「……は?」

 

 クロトは補助モニターを睨んだ。

 人影は小さい。

 だが、見間違えるはずがなかった。

 

 キラだった。

 

 さっき移送艇に乗ったはずのキラが、ストライクへ上がっている。

 

「何してんの、あいつ」

 

 クロトは通信パネルへ指を伸ばした。

 

『レイダー、射出準備完了。進路クリア』

「ちょっと待って」

 

 返事を待たず、クロトはストライク側へ回線を繋いだ。

 

「キラ」

 

 返事はなかった。

 通信欄には、ストライクの機体番号だけが表示されている。

 

 レイダーが前へ送られる。

 カタパルトの固定具が噛み合い、機体全体に低い衝撃が走った。

 正面モニターの発進表示が一つ進む。

 

『少尉、発進シークエンスへ移行します』

「うるさい」

 

 クロトは補助モニターから目を離さなかった。

 

 ストライクの胸部ハッチが閉じていく。

 昇降ワイヤが下がった。

 白い機体の表示が、待機から起動準備へ変わる。

 

『ストライク、コクピットハッチ閉鎖確認』

『パイロット認証、進行中』

『登録パイロット確認。システム起動』

 

 回線に短いノイズが走った。

 浅い息が入る。

 

『……はい』

 

 キラの声だった。

 

「何やってんだよ。今すぐ降りろ」

 

 ストライクのツインアイに光が入った。

 内部電源が上がり、各部のチェック表示が走る。

 

『……できません』

『フレイも、サイたちも。アークエンジェルも、まだ戦うんですよね』

「だから?」

 

 返事はなかった。

 ストライクのチェック表示だけが埋まっていく。

 ハッチは閉じたまま開かない。

 

『なのに、ここで降りたら、私、ずっと逃げちゃうと思うんです』

 

 通信の向こうで、キラが息を吸った。

 

『だから、出ます』

 

 クロトは舌打ちした。

 ハッチは閉じたまま開かない。

 

『レイダー、射出タイミング合わせ。三、二、一』

 

 正面モニターの数字が落ちる。

 補助モニターの中で、ストライクの起動表示が完了に変わった。

『レイダー、発進』

 

 身体がシートに押しつけられた。

 

 カタパルトの光が後ろへ流れる。

 アークエンジェルの船体が、モニターの端へ下がっていった。

 

 正面モニターに、第八艦隊の艦影が映る。

 その向こうで、熱源表示が増えていく。

 ザフトの艦。

 モビルスーツの反応。

 

 通信が重なった。

 

『ストライク、発進準備完了』

『進路クリア。ストライク、発進』

 

 クロトは補助モニターを見た。

 白い機体が、アークエンジェルの甲板から射出される。

 

「……馬鹿」

 

 通信には乗せなかった。

 

 レイダーの照準表示が、前方の敵影を拾う。

 クロトは操縦桿を握り直した。

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

第5章中編でした。
降りられるはずだった船で、それぞれが残る理由を抱える回になりました。

次回、後編。
大気圏降下戦です。

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