ドアを開けた哲平の視界に飛び込んできたのは、あまりにも異様で、そして現実離れした光景だった。
薄暗い部屋の中に、自分の作品が載っているものとはまた違う、真新しい『少年ジャンプ』が山のように積まれている。
表紙を飾る年号は、どれも今からきっちり10年後──『2078年』のものばかりだ。
『チンッ』
呆然と立ち尽くす哲平の目の前で、黒焦げになったはずの電子レンジが間の抜けた電子音を鳴らした。そして、誰も触れていない扉がゆっくりと開き、中からまた新たな『未来のジャンプ』が吐き出される。
哲平が実家に帰り、浮かれて祝杯を挙げている間もずっと、この得体の知れない現象は続いていたのだ。
「……嘘だろ……」
哲平は震える声で呟いた。
あの日……落雷と共に現れた一冊のジャンプ。そこで読んだ新連載『ホワイトナイト』の圧倒的な面白さ。
哲平は都合よく解釈していた。
あれは過労が見せた幻覚か、あるいは夢の中で得た神からの啓示だと。だからこそ、その記憶を必死に手繰り寄せて読切用のネームとして描き上げた。
だが、目の前に積まれた物理的な『証拠』がその甘い逃避を容赦なく打ち砕いた。
これは夢ではない、幻覚でもない。未来から送られてきた本物の漫画雑誌だ。
そして、自分が描いた読切版『ホワイトナイト』は、未来のジャンプに掲載されていた第一話を読切用に形を削っただけで、中身としてはほぼそのままなぞっただけのもの。
「まさか……俺が描いたホワイトナイトはこの場合……」
乾いた唇から掠れた声が漏れる。その言葉を継ぐように、背後のベッドに腰掛けた影生が、いつもと変わらぬ平坦なトーンで結論を口にした。
「10年後のジャンプから盗作してしまったってことだね」
盗作。
その二文字が、重い鉄塊のように哲平の胃の腑に落ちた。
創作者にとってそれは何よりも重い罪だ、他人の血と汗と魂の結晶を掠め取り、自らの手柄として世に出す行為。万死に値するタブー。
物語の作劇において、主人公が後戻りできなくなる分岐点──『ポイント・オブ・ノーリターン』というものが必ず存在する。
しかし、佐々木哲平の場合は最悪だった。彼はそのポイントの存在にすら気付かず、全速力で崖から飛び降りてしまっていたのだ。
その証明が今や日本中で巻き起こっている『ホワイトナイト』の熱狂である。
アンケートはぶっちぎりのトップ。SNSのトレンドを席巻し、ニュースサイトでも「異例の天才新人現る」と大々的に報じられている。
もし今、これが『とある漫画の盗作』であると発覚したらどうなるか。
未来から来た……というものがどういう解釈をされるかによるが、もはや哲平一人が筆を折り、頭を下げて済むような次元はとうに超えている。
担当編集、編集長、集英社という大企業、そして何より、熱狂的な支持を寄せてくれた無数の読者たちを根底から裏切る、前代未聞の特大スキャンダルだ。
だが、事態の異常さはそれだけではなかった。
「哲平くん、今君は悩んでるよね。俺もそうなんだけど……」
影生は床に落ちていた最新の『未来のジャンプ』を拾い上げ、パラパラとページをめくった。
「どうして自分がホワイトナイトを公開したことになったのに、今も尚未来のジャンプが変わらず来ているのか」
「……え?」
「考えてもみてよ。この時代で『佐々木哲平』がホワイトナイトを発表して、これだけの大騒ぎになってるんだ。SF的には歴史は確実に変わってるはずだよね? だったら、10年後に『アイノイツキ』って無名の新人が、全く同じ漫画でデビューする未来なんて、消滅していなきゃおかしい」
影生の言う通りだった。
タイムパラドックスが起きているのなら、未来のジャンプの内容は書き換わるか、最悪の場合、ジャンプが送られてくる現象そのものが消滅していなければならない。
しかし、さっき電子レンジから吐き出されたばかりのジャンプにも、変わらず『アイノイツキ』名義のホワイトナイトが連載されていた。まるで、哲平の行動など未来には何の影響も与えていないかのように。
「ひとまず部屋に上がろう哲平くん」
立ち尽くしたまま動けない哲平に向かって、影生は静かに促した。
「今はひとまずこの中で冷静に振り返ろう……自分が一体どれだけのことしてしまったのか」
雷鳴の夜に始まった奇跡は、いつの間にか、足元すら見えない底なしの泥沼へと変貌していた。
哲平は重い足取りで、未来のジャンプが散乱する自室へと足を踏み入れた。背負ってしまった『罪の十字架』の重さに、押し潰されそうになりながら。
──
「確認だけど……俺が実家にいる間にも影生くんは未来のジャンプが転送されてるところ見てたんだよね」
「まあうん、哲平くんが帰ってきたやつで7話目かな」
「どうしてもっと早く俺に伝えてくれなかったんだよ!!」
「未来から少年ジャンプがホンワカパッパなんて読切超人気で浮かれムードの君にどう伝えろと?」
今の状況を振り返る、落雷事故でレンジからジャンプが絶えず送られてきている。
まさかこんなことになるなんて……と後悔してももう遅い、ホワイトナイトをどうするか……いや、考えてる余裕はないのかもしれない、アイノイツキの存在的には。
可能性としてはありえなくもない……アイノイツキが十年後どころか現代の時点で、同じく漫画制作を行なっていたら? 現代のアイノイツキは哲平のジャンプを見て異変に気付く、そしてあまりにも一致しすぎていることからイツキはこう考える。
「この佐々木哲平という男はどうやって自分の作品をパクったのか? とね」
「ああ……そうか、俺から見てもアイノイツキって会ったこともない人だから……」
検索してみてもジャンプルーキーなどの新人向けサイトにもアイノイツキの名前はない、もしホワイトナイトが彼女の脳内、あるいはデジタルに公開出来ない環境だとしたら哲平との作品の繋がりは皆無だ。
「でもね哲平くん、たとえ無関係でも世間は好きなだけこじつけられるものだよ、どこかのネットミームみたいにね」
しかしアイノイツキは『未来の作者』という強みがある、仮定として自身が真のホワイトナイトの作者であることをSNSで暴露したところで周囲は鼻で笑うかもしれないが、もし仮に……連載が通ったホワイトナイトの2話、3話を予言するような投稿をして、それが一致するようなことがあれば……?
「たとえ未来の作品だろうが作者は現代人、22世紀の未来から来たネコ型ロボットみたいな世代じゃない」
「アイノイツキはもう既に俺を脅せる状況にある……」
考えれば考えるほど首を絞めつけられる思いだ、しかしそこを影生がプリンを食べながら冷静に哲平に意味があるか分からないフォローを入れる。
「しかし、俺は盗作とは言い切れずとも哲平くんとホワイトナイトに何かしらの繋がりを持たせようとしているんじゃないかと思ってるんだよ」
「どうして?」
「未来ジャンプの出し方かな……」
影生が並べた未来ジャンプは現在7冊、最初がホワイトナイトの新連載から始まり最後に届いたもの……よく見ると4冊目と5冊目は年号が一つズレている。
真ん中の部分が載っていないということは……このジャンプを届ける必要なかった、その上で支障はない。
「あっ……もしかしてこの間のジャンプはホワイトナイトが休載していた?」
「まだ推測だけどね、ジャンプを見せるというよりはホワイトナイトを見せたかったのかな?」
しかしだからと言って、こんな状況を止めていいはずがない。
哲平は部屋の隅からハサミを取り出してレンジに手をかけようとするが……影生はその手を止める。
「落雷でどうにかなったのに元気に変な形で動いているものをそんなので止められると思う?」
「それは……よく分からない、でもこんなものあってはいけないだろ、ここで壊して未来のジャンプを出さないように……」
「……未来のジャンプが来なくなるだけで何が変わるの? 哲平くんのセーブデータがそれより前に消える理屈はないよ? それどころかヒントになりそうなものを失うだけ、これを壊したところで責任転嫁で終わるだけだ」
このレンジは何かしらの未来人からのメッセージであると影生は推測しているらしい、偶然か必然かも分からない宅配、ホワイトナイトを繋げるもの……しかしそれを絶ったところで哲平の罪まで止まるわけではない。
気付いたころで、やり直す範囲になるためには……。
「じゃあ……俺はこれからどうすればいい? どうやって世間に未来から来たジャンプを説明すれば……アイノイツキさんのことだって……」
しかし哲平達にはまだ考える余裕がないし、それを作る時間さえもなく罪を広げる魔の手は刻一刻と迫る。
哲平の元に電話が入る、相手は今回の件で縁が……ある意味で縁が出来た新しい編集者からだった、影生も普段の番号じゃないので不思議に思う。
「君の担当って菊瀬さんじゃなかったっけ」
「ホワイトナイトになってから担当編集が新しい人になったんだよ……はい、佐々木です」
『ああ佐々木くん、今手が空いてる? そろそろ連載ネームについて聞いておきませんとってことでね』
「れっ……れ、れ、連載ネーム」
そう、ホワイトナイトという新しいブランドの元をジャンプが安々逃がしてくれるはずもなく、本来なら早くて半年近くはかかってもおかしくない読切からの連載化を一ヶ月近く経ってないのに既に始めるなんて異例、それだけこの作品は人を惹きつけてやまないことだ。
しかしそれは佐々木哲平の作品ではなくアイノイツキが未来で作り出したもの……連載? つまりこれからもっとホワイトナイトを続けていくことになっていく? どうやって? これが通れば、ホワイトナイトは本格的にアイノイツキの作品ではなくなってしまう。
一通り社交辞令して電話を切る、少なくとも編集部にとってはもう既にホワイトナイト連載の打ち合わせまで向かっているところだ。
「連載……やっぱ決まるよねそりゃあ、面白いんだもの世間的には」
「……連載してどうなると思う?」
「連載する場合の道は2つ、1つは連載版の方を俺が描き始めることで本格的に『哲平版ホワイトナイト』を作り出す、俺の得意な二次創作だね、もう一つは……このまま送られてくる『アイノ版ホワイトナイト』を盗作することになるのか」
前者は明らかにクオリティが落ちる、そんな次元では済まないが哲平の出来栄えで読切とは全く違うものか作品になったらどういった事態になるのか……ホワイトナイトというものを汚すことにもなるが、影生から見れば傷は浅く見える。
後者はつまり、このまま罪を隠して作品を模倣し続けることになる。
未来からの盗作、いつか訪れるアイノイツキからの告発と引き換えに名作を完璧に届けられる。
2つに1つ……だが、まだ哲平は思いつかない、ここで連載しないという方向性。
ここで止まり、ただの漫画家として1から……。
「なれると思うの? 今更哲平くんがただの漫画家に……『ホワイトナイト』という夢を自分にも周囲にも見せて」
ただの漫画家? 違う、今の佐々木哲平は名作を作り出した稀代の天才。
ここでホワイトナイトを取り上げても地位や名誉は一生ついて回り、哲平が撤回しても今後周囲は『ホワイトナイト以上の作品』を期待されることになる。
下手すればこれまでの4年以上に実らなくなる、哲平自身も余計にハードルを上げることになる……。
甘い娯楽に溺れた人間はもう二度とそれ以下の生活を送れない。
影生は冷静にどれだけ哲平が漫画家として後がないか伝えてくる、盗作という罪以上に……身の丈に合わない物を手に入れたことに。
しかし影生にも責任がないわけではない。
「いやまあ俺も知ってて未来のジャンプは知ったかぶりしたんだよ? 哲平くんのネタを活性化させるいい素材になると思って……さすがにさ、これ見て〆切過ぎてる翌日に乗り込んだうえに、中身アレンジ抜きでそのままの姿で投稿するなんて思うわけないじゃん」
「うん……」
ではここで、漫画家を辞めてしまう?
だがそんなことになれば……ホワイトナイトはどうなってしまう?
哲平はこの間にも未来のジャンプを読んでいた……かなり面白くてあれからかなり引き込まれる大傑作だ、読めば読むほど続きが気になり、いつ未来のジャンプが来てくれるのかと期待したくもなる……絶対に来るとは限らないのに。
哲平は……決心して描き始めた。
この傑作を周囲に伝えなくてはならない、その姿を見ると影生は特に返事をせずにその姿を見届ける。
途中、哲平がアパートのポストを開けると沢山の手紙が入っている……全部、全部ホワイトナイトを見た読者からのファンレターである。
これを見て感動した人間が文字通り山ほどいるわけだ、それを見て……哲平が進む道は自然と決まった。
「影生くん……俺は決めた」
「うん、俺は哲平くんがどんな道を選ぼうが俺の知ったことではないし、俺は全ての行いを肯定してあげるよ」
「うん……なら、俺は描くんだ……描かなきゃいけないんだ!!」
──
その後、哲平は連載打ち合わせの際に……ホワイトナイトを連載することを発表し既にネットニュースに。
もう既に3話分のネームをあの数時間で完成させている、編集は異常レベルの達筆かつ面白すぎる内容と腰を抜かし、涙を流して出来栄えに圧倒される。
ああそうさ、早くて当たり前だ、
夢で見たと思っていた曖昧な記憶ですらホワイトナイトをあんなに真似してしまうんだ、意識すれば余裕だ。
そして純度100%アイノイツキである2068年版ホワイトナイトは満場一致で連載決定。
そして何かあった時のためにホワイトナイト既読7話まで保存してある、8話以降を迎える準備も。
(俺は覚悟を決めた……俺の手で、真相を隠したままこの作品を人々に送り続ける覚悟を)
この世界でアイノイツキがあの傑作を作る未来は既に失われてしまった、ホワイトナイトの続きを読者が見るにはもう哲平が描くしかないのだ。
ホワイトナイトが哲平の所に来たのは何かしらの運命なのかもしれない、自分がアイノイツキと無関係な以上、ここで巡り合ったのは1つの運命。
哲平は既にナプキンを取ったのだ。
始まった物語を投げ出さず最後まで描き切るという創作者の義務。
影生はジャンプを読みながらため息を吐く
「……マジかぁ、君って少しはアレンジして自分らしさを出そうとかしない? ホワイトナイトの二次創作みたいなものなんだから」
「俺が描いているのは二次創作じゃない、本物のホワイトナイトなんだ、俺自身の理想なんてものはここにない」
哲平は罪の十字架を背負って描き続けるしかない、ホワイトナイトが終わるその時まで……。
(なーんて、かっこつけてるのかなぁ哲平くんは)
影生は分かっている、哲平に悪意などはない、自分が漫画家として大成したいとか名作を利用したいみたいな下衆な勘ぐりが意味がないほどにこの行いが真っ当であると信じ込んで描いている。
彼は本当に『ホワイトナイトを自分が読者に届けないといけない』という使命感でマンガを描いている、彼の事を異常という人間も入るだろう、実際異常だ。
そうでもなければ、特に描きたいものも無い癖に漫画家になって多くの人を喜ばせるという目的をここまで真剣に唱えたりしない。
だがこれで佐々木哲平はこれから先の内容を全部2078年のホワイトナイトに頼ることになったが、影生箱の事だけは極めて不安視している、いつかホワイトナイトが来なくなるかもしれないとかじゃない、バランスが取れない。
面白いところで切らせてくれないかもしれない、この熱狂ぶりではイツキ版が完結しても描かされるかもしれないし、イツキ版がいつまでもここまでのぶっ飛んだ面白さを維持できるわけでもない。
「今の子供は知らないか~ジャンプを代表する海賊のマンガ、あれも爆発的にウレタンだけどねぇクライマックス辺りなんかこう、粗悪対応感謝祭とか言葉使いが妙だなとかめちゃくちゃ言われまくってたよ、多分これ重要なことだ」
「それ一体どんな評価なの……何にしても俺はどんな罰も受け入れて、どんなこんなにもくっしずホワイトナイトを」
ピンポーン。
話している最中にも拘らずアパートからインターホン、これまでこの部屋に客が来ることなんて一度もなかった、親や同僚もないし……担当編集は打ち合わせ後、独り立ちしてからの交友関係なんてたまたま知り合った影生以外これまで一切なかった。
それなのに何度もインターホンを連打してくる人がいる、影生が覗いた後には……。
「見たことない人がいるな」
「見たことない人なのはなんとなく分かるんだよ! どんな人が俺の家に来たの!?」
「そりゃ君ぃ……わざわざ家に来るくらい佐々木哲平に用がある人なんて心当たりしかないんじゃないの?」
実際哲平は凡そ察しがついている、この扉の正体……しかしこれを開けたらどうなる? いよいよ何もかも終わってしまうのか? このまま居留守を決め込んでもいい、しかし今はそれで解決しても今後どうなるか……。
決心して覗き込むと……そこに見えたのは水色の髪、セーラー服……? と、少しずつ特徴を捉えようとしたところ、ぎょろりと眼球がのぞき穴にアップになって写ってきたので哲平は声も出せず腰が抜けてしまう。
「ま……まずいまずいまずい!! めっちゃ怒ってる!! 開けないと……逆に命が危ない!!」
本能的に扉を開けた先にいたのは……先ほどの特徴通りの人だ。
水色の髪にセーラー服……普段なら佐々木哲平には何の縁もないはずの、少女。
「佐々木哲平先生……ですね? はじめまして、私……藍野伊月といいます」
運命は、綺麗には転がってくれない。