佐々木哲平という男の人生は、一体なんだったのだろうか?
突然の落雷事故。未来人が送ってきたという10年後の『週刊少年ジャンプ』。そして、藍野伊月自身の死を伝える不吉なメッセージ。
何がしたくて、未来の人々は佐々木哲平という一人の凡人に、こんなものを送り届けてきたのか?
かつての藍野は、哲平の言葉から謎の完成度の高い原稿を佐々木哲平に送り込んでくる『黒幕』が存在すると考え、その真相を追及すべく密かに調査を続けていた。
アシスタントとして彼の側に潜り込み、彼自身には直接問いただすことなく、あの原稿がどこから来たのか、どうやって手に入れたのかを探り続けた。
そしたら、あまりにも分かりやすい形で謎に一歩近づいてしまったのだ。
あの謎に満ちた未来から来た少年ジャンプ。そして、ただ無心にそれを描きなぞる佐々木哲平の姿。
それは、今回のしっぺ返しのような凄惨な末路に至る、大どんでん返しの幕開けに過ぎなかった。
ここまでやって明白に分かったのは、『ホワイトナイト』はやはり佐々木哲平が考えたものではないという残酷な事実。そして彼が自らの手で生み出した完全新作は、世間に対して己の「本当の実力(無さ)」を公開するだけの結果に終わってしまったということだ。
だが、藍野の中で一つの疑問が膨れ上がっていく。
将来自分が何らかの理由で死ぬにしても、あるいは哲平が未来からの盗作に手を染めたにしても、彼を巻き込み、ここまで徹底的に破滅させる報復は、あまりにも理不尽ではないか?
存在しないルームメイトと会話をさせ、存在しない宝くじの当選金で生きていると思い込ませるほどの精神崩壊。これは単なる偶然の連鎖や、盗作への罰という範疇を超えている。
そこまで考えを巡らせ、藍野は『未来のジャンプを送り込んだ真の原因』について思考を深めていく。
……だって、そうだ。
もし未来人が「藍野伊月を救いたい」という純粋な目的を持っているのなら、直接10年前の現在の自分に何かしら干渉すればいいはずだ。たとえそれが時間的・物理的な制約で上手くいかなかったとしても、遠く離れた赤の他人であり、なんの接点もない佐々木哲平にわざわざ接触する理由が全く分からない。
そうなれば、一度発想を変える必要がある。
未来からの干渉の狙いが『自分(藍野伊月)』ではなく、『佐々木哲平』の方こそが本筋だったとしたら?
哲平と藍野に繋がりがない以上、未来人は哲平単体に「何か」をさせて、その結果を観察していたのではないか。
……いや、『試す』事自体が動機だったのではないか?
未来のジャンプという、漫画家にとってこれ以上ない劇的なチートアイテムを与えることで、佐々木哲平がどう行動するのかを試していたと考えられる。
そもそもの話がおかしいのだ。
藍野伊月の死の未来を変えてほしいと本気で伝えるのであれば、1話から遺作回となる号まで、毎週少しずつ時間をかけてジャンプを送るなんて回りくどいことをする必要はない。本当に救いたいなら、第1話が届いた時点で、未来の危機について何かしらの明確なアプローチや警告を全て伝えた方がよほど自然だ。
少しずつ餌を与えるようにジャンプを送り続けたのは、自分(藍野)を救うためではなく、哲平に「何か」をさせたかったからだ。
彼にどうしてほしかったのか、未来人の真意はまだ完全には分からない。
だが、そう仮定すれば、これまでの残酷な結果にもすべて辻褄が合う。
何故なら、ずっと真実を調べるために彼の側に居た藍野には、はっきりと分かっているのだ。
未来の叡智を与えられ、途方もない奇跡を手にしたはずの佐々木哲平は、ここまで結局「何もしていない」ということに。
彼はただ与えられたものを書き写し、自分の実力と錯覚していたがどうかはともかくこの名作を届けるという謎の義務感に従い、幻覚の友人に縋り、空虚な栄光の中で自爆しただけだった。彼自身の意志で何かを変革することも、死の源流を変える何かに立ち向かうこともなく、ただ状況に流されて破滅していった。
未来人が『試した』結果がこれなのだとすれば、あまりにも皮肉で、そして必然的な結末だった。
……何故、藍野がここまで真相を知ったのか? それは他でもない、自分が見つけた過去のジャンプによるもの。
そしてそれは未来人の意図でもない、物語通りに遂行した……あのおじいさんが繋いだ奇跡的な噛み合わせだ。
──
そして哲平はこれで3度目になるが……目を覚ますと未来人と邂逅したあの本のような空間にまた来ていた。
眠るように目覚め、今度はいつもより調子が悪いがなんとか起きて……その先に居たのは、なんと……影生の姿だった。
「影生くん! まさか……」
「そう! と言いたいが、実際哲平くんのそばにいたのは99%君の幻覚だ、俺は殆ど出ていない」
「え? いやでも、実際俺は……」
「まあそんなことどうでもいいよ、俺は特別せっかちってわけじゃないんだけどこの結果にびっくりしてるんだよね」
向かうように座っている影生はその手に少年ジャンプを握っている、しかしそのジャンプは珍しいことに真っ白……何かしらのキャラクターも特集も記載されておらずロゴ以外に何も描いてない真っ白なもの、それを開いて読んでいるように話す。
「哲平くん、もう21話にもなって何も進んでいませんはちょっとまずいから答え合わせの時間だ、君の物語は前もって決まっているものを多少沿わないようにしつつも誘導していた形になる、つまりは……俺の得意な二次創作だね」
影生が語る佐々木哲平の物語。
未来からホワイトナイトが届き……その真相を知るため藍野伊月が現れ、哲平がホワイトナイトを世に伝えていくために盗作を続け、45話の遺作で藍野が死ぬことを知り、持ちかけられてくるのが……その時藍野が新たに連載を持ちかけて連載で勝てというメッセージ、勝てなければ死。
「ちょ……ちょっと待って! 一旦影生くんがそうなるように仕向けたと仮定して、じゃあなんで藍野さんが連載も持たずに、勝負みたいな話の流れになっていないんだ!?」
「だって本筋だと君負けるんだもん、まあそりゃそうだよね、俺みたいに既存のコピーしてた奴が急に46話からオリジナルいきましょうで勝てると思う? そりゃもう惨敗だし!」
「だ……だとして、俺はその、雪吹さんがそうなんだけど!! 時が止まった世界でアレだけの漫画を……」
「ああうん? それね、本来なら藍野伊月がこの時代で死んだあとにやる予定だったって聞いてない?」
「な……なんかそれっぽいことを聞いた気がする」
改めて本筋の続きをすると、藍野がよりによって過労で亡くなるという最悪すぎる方向へ落ちたことでこの空間で真実を知る……ということになっている。
つまりこの世界線は影生が見ていたものと比較すると、憂き目を見るのが哲平か藍野か程度の違いしかないらしい。
「え──ー? 何その顔、俺が悪いの? 俺はただ、物語の『主人公』のそばにいて何かしら面白いことしたいなーってノリだったんだよ、前の時なんててんで見当外れな舞台に来て萎えてたっていうんだから気合い入れたんだよこれでも?」
「……それでつまり、今の俺は?」
「一応本来の話に比べたら全然進めず、この間に何かしらしてほしかったんだけど……日が経っても、日が経っても経っても!! 君はホワイトナイトをただなぞるだけの生活から一向に進展しない!! あいつが俺の邪魔したくて一気に送ってくれたのがこっちとしてはラッキーだったけど、それ無かったら餌を待つひな鳥みたいになってたよ!!」
「そ……そんな事言われても俺だってちゃんと藍野さんが何故死ぬのかとか、原因を調べたりとか色々とやってたよ! でも全然何をすればいいのか分からなかったんだからしょうがないじゃないか!」
「でも結局君、藍野に真実を伝えず一人で抱え込もうとしたよね、その結果迂闊なことをして、一方的に彼女に疑われる立場になって、このまま漫画描きなぞりながらダラダラとされたら俺待てないよ」
「……俺があんなことになったのは、影生くんの仕業なの?」
「いーや全然、全く進歩していない君が状況に追い付けずに自爆しただけ、でも何もしなかったわけでもない、コテージでちゃんと落雷落してやったじゃないの」
「あれ影生くんがやったの!? 全然わからなかった……」
「嘘だろあんなにヒント見せつけたのに!? そ……そりゃ進まないわ!!」
影生は頭を抱えるようにわざとらしく言う、ここまで複数回主人公と呼ばれるものを見てきたが……主人公というものにも適性がある事が分かった、びっくりするくらい何か出来る気もしない。
なので仕方ないが、急遽として一気に話を進めることにした……つまり、本来この世界に来てやるべき選択肢を取る。
その態度はあまりにもめんどくさそうで、さっさと終わらせたいみたいな振る舞いだ。
「……せめてもうちょっとやる気出してくれない?」
「そうは言われてもなぁ、今回ばかりは俺がいるのにアイツがさっさとこの時代から消えた理由が分かるというか、匙投げちゃったんだね」
「なんて身勝手な……それで、選択肢というのは?」
「本来君に話されるやつと同じだね」
1つは時間を24歳まで戻す……つまり、藍野伊月と完全に無縁な生活まで戻るが、哲平はなんの魅力も人気もない新人未満に戻る。
2つ目は藍野が死んだ状態で歴史が上書きされ、現在の哲平にとって少し未来に飛び、そこそこの失敗した歴史へ飛ぶことになる。
そして3つ目……哲平が提案した新たな選択肢。
「もしかしてこの時に、俺がここで時を止めて漫画が上手くなった上で直前まで戻って藍野さんを超える予定だったとか?」
「そう、何千日もここで過ごして勝って大団円」
「何千日か……もしかしなくても1500日分じゃ足りなかった……? 頼む影生くん! 最後のチャンスをくれないか!!」
「あっはははは!! 最後!? チャンス!!? ここに来てそんなこと言えるんだ! ここまで色々あって!? 面白いからいいよ、時間を止めてほしいんでしょ?」
かくして哲平はもう一度だけ、漫画の技術を向上させるためにもう一回だけ全ての時間が止まった空間を用意してもらえることになったのだが……哲平はこの選択が本当に正しいかどうかなど理解する事もできなかった。
「でもこれだけは言っておくよ、時が止まってから俺とは本当にお別れになるし、も〜今度こそ君の助けになるものは何一つなくなるよ?」
「構わない、俺が藍野さんを救うためには……もっと、もっと漫画が上手くならないといけないんだ!」
「まあいいか、もちろん2回目も普通に止めてもらうなんて都合のいいことはないからハンデは付けるよ、いいね?」
「う、うん……」
「あっ、そうだ……これは個人的な話なんだけど、蜘蛛となめくじと狸って話知ってる? 好きなだけなんだけど」
「え? うーん……知らない」
「そう、知らないならそれでいいんだ、じゃあ準備を始めるよ」
──
「それでは、二回目のボーナスタイムのルールの説明だ。俺一応雪吹……あいつのやってた一回目と同じだと思ったら大間違いだからね、どんな感じだったのか知らないけど」
真っ白なジャンプを片手に、影生は悪戯っぽく笑いながら指を立てた。
「まず一つ目。今回は、哲平くんの任意のタイミングで現実時間に戻ることはできない。制限時間は俺が決めた。それがいつになるかは哲平くんには絶対に分からないようになっているけど、まあ、相当長く設計してあるから安心しなよ」
「いつ終わるか分からない……?」
「そう。だから毎日を無駄にしないことだね。そして二つ目……この空間に、定期的に藍野伊月を招き入れることにした」
「藍野さんを!? どういうことだ、彼女はこの世界に関係ないだろ!」
「まあ落ち着いて。彼女自身はこれを『ちょっとリアルな夢』程度にしか認識しない。彼女の体感で一日五時間だけ、この止まった世界を好きに歩き回れるように設定する。ただし、哲平くんと藍野伊月は、この空間において互いを認識することは絶対にできない。触れ合うことも、声を聞くことも、姿を見ることもね」
「そんなことをして、何の意味があるんだ……」
「さあ? 俺の趣味かな? ……それに哲平くん、考えてもみなよ、人間の時間は有限、1年365日1日24時間、これを創作に充てられる余裕は全然無いんだよ、そんな中で君は1500日以上無限の創作時間を持った上でまた同じことをしようっていうんだよ?」
「天才相手に同じ環境を少しでも与えなくちゃ物語として面白味に欠ける」
「そして最後、三つ目。これが一番重要だ」
影生は空中に一枚の羊皮紙のようなスクロールを出現させ、哲平の前にフワリと落とした。そこには、びっしりと不可解な文字列が並んでいた。
「『やってほしいことリスト』だ。制限時間が来るまでに、出来ればこれを果たしてほしい。これがこの空間に居座るための家賃みたいなものだから、呑むしかないよ」
「……『星の海の底で巨大な影をスケッチしろ』? 『次元の狭間に咲く花を採取しろ』……? なんだこれ、漫画を描くこととなんの関係があるんだ! こんな現実離れしたこと、俺にできるわけがない!」
「できるできないじゃない、やるんだよ。まあ、気晴らしにはちょうどいいでしょ? それじゃあ、俺はもう行くよ、君なら素質がある……俺と同じ『創造者こそが常に正しい』存在に!」
影生は立ち上がり、背を向けた。その姿が徐々に薄れていく。
「それではごきげんよう哲平くん、まあ色々言いながらも眺めている分にはスマホの放置ゲーみたいで暇つぶしにはなったよ、また先の歴史で会おうね、君ははたし蜘蛛かなめくじか狸か……」
それが、影生との本当に最後の会話だった。
彼が消えた後に残った空間の歪みのような、渦のようなものを追いかけるように見つめていると、不意に周囲の空気がピタリと静止した。
同じだ。本当に同じ。
一度目に入った時と同じように、風の音も、街の喧騒も、鳥の羽ばたきも、全てが停止した灰色の世界。
「……やるしかない。またここで、漫画のストックを大量に作って……アイノイツキに匹敵する、いや、超える漫画家になるんだ」
哲平は強く拳を握りしめた。
とはいえ、一回目の停止の際に、この世に存在するおよそ読める範囲の漫画や資料は読み尽くし、知識やネタのインプットは既に飽和状態にあった。新たに取り入れるべきものは少ない。だからこそ、今回はひたすら「描くこと」に全神経を集中させることにした。
前回は、ただ闇雲に描き続けた結果、作り出した原稿を保管する場所が足りなくなり、新たなアイデアを形にできないという物理的な制約に苦しんだ。だから今回は、出し惜しみは一切しない。描けるものを全て描き出す。
さらに、前回なぜか自分の描いた原稿が現実のネット上に流出するという不可解な現象が起きた。その轍は踏まない。
哲平は、描き上げた現物の原稿たちを、絶対に誰の目にも触れない、外部からは干渉不可能な場所を厳選して隠し、保管することにした。
「『ANIMA』の連載も、今後読者の反応や編集部の意向でどんな変更を強いられても即座に挽回できるように……」
あらゆる展開を想定し、数え切れないほどの分岐パターンを描き上げる。Aルート、Bルート、Cルート……どんな無茶振りが来ても対応できるだけの圧倒的な物量。それを、誰にも見つからない場所に封印していく。
静寂の世界で、ペンを走らせる摩擦音だけが哲平の孤独な戦いを証明していた。二度目の時間停止。失われた時間を取り戻し、未来を変えるための狂気じみた制作が再び幕を開けた。
──そして、その夜から。
現実世界で眠りについた藍野伊月は、夢の中で静止した世界へと降り立っていた。
彼女の体感で五時間。誰の姿も見えない、音のない灰色の街。
すぐそばで、血を吐くような思いでペンを握り続ける佐々木哲平がいることも知らずに。
哲平もまた、自分が作り上げた原稿のすぐ横を、夢を彷徨う藍野が通り過ぎていることに気づかない。
互いに認識できない二人が、この閉ざされた静寂の空間で交差する。
果たして、彼らがこの世界でもたらすものと、その果てに待つ変化とは一体何なのか。制限時間という見えない砂時計の砂が、静かに落ち始めていた。
「あれ?」
藍野の方も夢にしては少し現実味がある奇妙な状態に気がついた、見えない哲平とすれ違い……意味もわからず歩き回る。
藍野の方も哲平のようにどんなネタでも取り放題の状況だが、藍野は何も分からない状況だったことも含めて率先してネタ探しを行わなかった。
1時間かけて街を歩き回り、2時間かけて脱出の方法を模索し……2時間後に哲平の痕跡になんとなく気付いて一夜を終える。
彼女の場合はあくまで『夢』と認識されて、奇妙な体験を全く気付かないことだろう。
だがそんな彼女でも……こんな夢を毎日見続けたら違和感にも気付くだろう。
そして藍野だけが気付くことになる、雪吹が哲平に本来贈ったものとして用意した時間停止と、影生が作り出したものは大きく異なることに……。
砂時計がぐるぐる回り、こぼれたり戻ったりを繰り返す。
進まない世界の中で哲平はもう一度リトライ、もっと時間をかけて、もっと作品を作れば彼女の作品を継承出来ることを信じて……そうやって日が経っていく。
そして……気が付けば哲平、ホワイトナイトをこの世界で作り出してから、487話経過。
透明な名作は止まらない、描いたそばから続きが浮かんでくるようになってきた。