藍野伊月から残された『目覚めた先にある最終回で貴方を待ってます』という不可解なメッセージ。そして、その傍らに突如として置かれていた謎の本──『5億年ボタン』。
その本の物語は極めてシンプルで、残酷なものだった。ボタンを押せば100万円が手に入る。しかしその代償として、意識だけが何もない真っ暗な空間へと飛ばされ、そこで「5億年」という途方もない時間をたった一人で過ごさなければならないという内容だ。
哲平が今いるこの空間は、時間が完全に停止しているとはいえ、物語のような「何もない空間」ではない。自分の足で歩き、物に触れることもできる。
しかし……「いつ終わるのか全く分からない」という絶対的な共通点に、哲平は今更ながら気がついてしまったのだ。影生から告げられた「制限時間がいつになるかは哲平に決められないし、分からない」という無慈悲なルールが、重くのしかかる。
哲平は、自身の腕に巻かれていた腕時計をゆっくりと外した。
時間経過を測ることをやめるためだ。時の流れがひどく遅く感じてしまう最大の原因は、頻繁に時計を見てしまうことにあると聞いたことがある。
まずは「いつ終わるのか?」を意識しないところから始めなければならない。
どの道、どれだけ悩んでいても時間が過ぎていくだけだ。哲平はとにかく行動した。いや、行動というよりは、止まることなくひたすら「進み続ける」ことを選んだのだ。
しかし、哲平はここで大きな問題に直面していた。
彼には、「漫画を描くこと」と「ネタを考えること」以外に、この世界での過ごし方が全く分からないのである。
(まさか実際に、自分も5億年もの時間をここで過ごすわけではないだろう……)
そう楽観視しようとしても、哲平の心の奥底で、一抹の不安の種が確実に芽生え始めていた……。
──停止した空間で5000日が経過した。
とうの昔に時間感覚は麻痺しているが、すでに10年以上はこの世界で暮らしている感覚がしていた。
ここまで様々な過ごし方を模索してみたものの、肝心の漫画を作るペースは伸び悩む一方だった。かつてのように、描いたそばから続きが浮かんでくるような常軌を逸した没入感はない。
「もっと新しいことにも目を向けるべきなのだろうか……?」
ふと、そんな疑問がよぎる。それと同時に、ひとつの違和感にも気がついていた。これほどの長い年月をたった一人で過ごしているというのに、「淋しい」という感情が湧いてこないのだ。
この空間は、物理的な疲労や空腹がないだけでなく、精神が完全に壊れてしまわないように何かしらの保護が働いているのだろうか?
相変わらず元に戻る兆しは一切見えてこないが、哲平はそれでも発狂することなく、ただひたすらにいつも通りの生活を送り続けていた。
──停止した空間で9999日が経過した。
時間で言えば、人間の「一生分」に匹敵するほどの漫画を描き続けたかもしれない。それでも、描くことはもはや哲平にとって「呼吸」や「本能」のようなものへと昇華しており、その手が止まることはなかった。
しかし、物理的な限界が再び訪れる。自らの手で製本し、コミックスの形にまとめてコンパクトにしたにもかかわらず、それすらも収納スペースを圧迫し始めたのだ。
哲平はついにアパートや買い足した本棚だけでは足りなくなり、街にある使用されていない巨大な倉庫を見つけては、そこに完成した原稿や本を詰め込み始めていた。
試せそうな事は一通りやり尽くした。描けそうな物語も、大方思いついて形にした。
「……あとは、何が出来るだろうか?」
行き詰まりを感じた哲平は、気分転換に「一人遊び」をするようになった。身の回りの物を使ったバランス遊びや、街の造形を利用したパルクールのようなもの……。何千日という果てしない反復によって、そういった無意味な経験ばかりが職人芸のように熟達していく。
いつしか、「いつ終わるのか?」という意識は完全に薄れ去っていた。むしろ、「もうこの生活のまま、元の世界には戻らないのではないか」という認識の方が強くなっていた。
それは、現実世界で過ごした時間よりも、この静止した空間で過ごした時間の方が圧倒的に長くなってしまったからだろうか。
(だが、今の自分は……果たして生きていると言えるのだろうか?)
空腹も感じず、睡眠をとる必要もない。病気にもならず、この命が尽きるような気配すら全くしない。
生と死の境界線すら曖昧になったこの無限の箱庭で、哲平はぼんやりと思う。
(もしかしたら、このままでも……何故だか悪くない気がしてきた)
──停止した空間で65535日目。
それは、約180年という途方もない時間が経過した日。
ついに、佐々木哲平の境地は「目に見えるもの」を大きく変化させるに至った。
脳内に蓄積され続けた限界突破の想像力が、静止した現実世界を鮮やかに上書きしていく。
哲平の目の前には、自分が生み出し続けた『ホワイトナイト』の世界が、確かな質量を持って広がっていた。
「……カズマ」
そこには、剣を構える主人公・カズマの姿があった。
そして対峙するのは、おぞましい形相でうごめく敵であるゴースト達。
停止した世界の静寂を切り裂くように、哲平の眼前にだけ、彼らの繰り広げる激戦が、血湧き肉躍る鮮明な現実として映し出されていた──。
「テッペイ!」
「え?」
人に名前を呼ばれたのはいつぶりか? そんなことさえも忘れていたが、なんとか自分が哲平であることを再認識した上で……カズマが自分に向かって話しかけていたことに気付く。
「この世界の危機を救うにはテッペイの力が必要なんだ! 手を貸してくれ!」
「俺の……力?」
カズマが哲平の手を握り、共に進みながらゴーストを倒していく。
まるで本当にホワイトナイトの世界に迷い込んだ……いや、ホワイトナイトその物の登場人物に変わっていたような感覚……今自分は、現実離れした世界にある。
しかしカズマはどこに向かっているのか……気付いたら大きな部屋に来ていた、神聖な大書庫のように広がる空間、それがかつては哲平の漫画を多く収納していたアパートだったとは知る由もない。
扉を開けるとそこにはあちこちに本棚が大きく広がる、分厚い本をカズマが開くと飛び出す絵本のように、色んなキャラクターやエナジーが目の前で広がっては本の中に消えていく。
「これは……もしかして俺の描いた漫画!?」
「ああ、テッペイの作り出したストーリーが今、この次元を超えて反映されようとしている……だが、それを止めようとする伝説の魔獣霊キークセーがいるんだ」
「キークセー!?」
「更にキークセーはそれだけじゃなく、テッペイに匹敵する力を持っていた不思議なプリンセスのアイーノ姫までさらってしまい。この力を自分だけが独占しようとしているんだ!」
聞けば聞くほど現実離れした言葉が飛んでくるのだが哲平はそういうものとして受け入れていき……カズマが指を指す本を手に取る、それはかつて影生がやってほしいリストとして残していたのだがあまりにも現実離れしていたのでずっと気に留めずにいた……だが今は違う! 内容が分かる……その全てが果たせる気がする。
「……わかったよ、コレを望んでいたんだね、影生くん!」
こうして哲平の中で……止まっていた物語が動き出すように、止まり続けた時の、終わらない夜のゴーストとの戦いに乗り出し……本物そっくりの『ホワイトナイト』の世界へ、カズマと共に駆け抜けていった。
そして果ての無い大冒険の舞台へ……飽きる事も挫折も無い、哲平が描き続けていた大長編のシナリオの通りに進行する……!
──
その一方、現実では後先考えずにじゃぶじゃぶと消費したこともあってか、哲平が家に残したホワイトナイトの印税はあっという間に尽きて……藍野は一生分満喫したようにやり切って……呼吸を整えて、準備を整える。
ここまでやってきたことは言うならば非常に壮大な最後の晩餐だ、哲平に会いに行って大勝負、物語の最終決戦を行う為にもここでやっておかないといけないことがある。
ホワイトナイトというしがらみを経つためにあの作品が生み出した遺産を消し去り、得るはずだった未来の思い出と決別する……そうして藍野は、白革県に向かいホワイト・レボルシオンへ向かう。
あの大総統シエルが今となっては同胞、あるいは共謀者のようにすら見える、藍野は彼女への手土産として……あの『タイムパラドクスゴーストライター』が載っているジャンプを手渡す。
「前にあなたが危惧していた通りでした、今回の件の黒幕は……貴方が恐れていた存在、それらと同一存在と見て間違いありません!!」
「ああ……それどころか最悪すぎる形での顕現だな、どこにでもありふれた凡才他人行事男のイマジナリーフレンドなんて形で現れては私とてどうする事も出来ない」
冥道影生こそがずっとシエルが探っていた世界を荒らすこの世の終わりのような化け物……ということが分かったことはともかく、こんな結果とあってはもう既に影生に手出しができない。
特に……もう既に影生は哲平から離れているかもしれないし、哲平の方もどこにいるのか見当もつかない、いや
場所は分かっているし何かしら手を出せるかもしれないが藍野のやり方で上手くいくかもわからない。
「この漫画の通りなら、佐々木先生は時が止まった世界にいるはずなんですけど……この場合、外部の私たちとしてはどういう認識なんでしょうかね?」
「知らん、で済ましていいような立場ではないからな……そうだな、その佐々木哲平とやらが止まった時間で何かを壊したり消費すれば必然的に『未来』となる我々にも影響があるはずだ」
シエルは即座に日本全土の情報を解析していくが、食料などが消えていない……何日過ごしても食糧難は起きない。
しかし減ってないものが無いわけではない……この世界から消しゴムとノートと鉛筆が、部分的に消失している。
印刷機に使うインクもだ。
シエルから見ても哲平は仕事熱心に漫画を描いていたと判断が出来る形になる。
では、哲平がいる場所は?
「佐々木先生をよく表しているものだと思います……佐々木先生は別次元、私たちと遠く離れた場所でずっと足踏みをしている、ぼーっとしている間も動いているときも、同じ時間が変わらないスピードで流れているのに」
「漫画家のそういった表現は私には縁がない、ざっくりとしたカタチに翻訳する機械を作るべきか?」
「まあその、簡潔に言いますと……佐々木先生の居る世界は時間が止まっていません、スピードまでは判断できませんが佐々木先生以外のものが止まっているだけ、そういう風になっているだけでフツーに時間は動いているんです!」
「じゃあそこで10年過ごせば?」
「佐々木先生がそこで全く影響が及んでいないだけで、実際は35歳になってますし周りのものも10年分劣化してます!」
「なるほど……しかしそんな別次元となると、経験がないわけではないがどうやってそんなものを攻略する? しかも奴が過ごせばちょっとずつ物語に影響は……」
「いえ、その点に関して言えばシエルさんはもう既に王手をかけてますよ、覚えてますか? ……佐々木先生のアパートに忍び込んだとき、原稿をすり替えましたよね?」
それは初めて佐々木のアパートに忍び込んで、正真正銘の未来のジャンプを目撃した時のこと……シエルはその内のホワイトナイトのエピソードをすり替えて、ホワイト・レボルシオンへのプロパガンダを交えた物へと替えている。
その影響が大きく出ているという……ホワイトナイトはドパガキ向けと揶揄されたぐらいには脳裏に情報を叩き込んでくる作品だ、もしもそれがプロパガンダの要素を含めば……無意識のうちに内容を意識するようになる。
しかも哲平はホワイトナイトの内容を2度、3度と幾度となく繰り返している……そうなれば思想が次第に染まっていき、オリジナルにも影響を及ぼすだろう。
大総統シエル・ローレンスの想像以上に哲平の中身は変化しているわけだ。
「つ……つまりだ、佐々木哲平は当人も知らぬところでホワイト・レボルシオンに賛同しているようなヤバ人間となって漫画にプロパガンダを意図さず混ぜる危険人間になったのか?」
「自分の組織危険と言っていいんですか?」
「一応テロ組織と言われたら否定できん自覚はある……だが、それがどう決定打になる?」
「どうって……この流れを作った大総統様のほうが、これからどうなるか理解できるんじゃないんですか? ということで……これから私と一緒に!! ホワイトナイトを読むんですよ!!」
「な、何ィ゙ー!? 私はもうそろそろアラサーになるかもしれないんだぞ!? あんな超大作を読む気力なぞあると思うか!?」
などと文句は言いつつも……最終決戦のため、ホワイトナイトを理解していくことに。
藍野伊月がラスボスとなって迫るまで……後少し。
──
佐々木哲平の目に映る世界が、自らが描き続けた『ホワイトナイト』そのものに変貌してから、すでにどれほどの時間が経っただろうか。
過去に何度も読み返し、ペンでなぞってきたあの出来事が、今や息遣いすら感じられる現実として彼のすぐ側にある。
様々な激闘を繰り広げ、出会いと別れが繰り返され、物語は哲平自身が練り上げた通り……より味わい深い方向へと進んでいた。
かつて少年ジャンプの誌面で見た夢のようなストーリーが現実になっているだけではない。今や彼は、主人公・カズマ達の頼れる仲間の一人、「イッペイ=ササキ」としてこの世界に存在していた。
カズマの隣に立ちながらも、決して主人公の座を奪うことはない。
あくまで「傍観者ではないが、物語を導くサポート役」という絶妙な立ち位置を維持しながら、哲平は熱いストーリーを肌で感じつつ、かつて影生が残した「やってほしいことリスト」を次々と埋めていた……彼はこの舞台が異世界に
(本当に、最高だ……!)
彼の物語も、ホワイトナイトの進行も、極めて順調だった。
自分が心血を注いだキャラクターたちと共に笑い、共に戦う。哲平は、無限とも思える停止した時間の中で、かつてないほどの充実感と幸福に包まれていた。
──しかし、そんな彼に大きな試練が訪れる。
物語は佳境へと差し掛かり、ゴースト達との戦いは熾烈を極めていた。
現在対峙しているのは、強大な力を持つ強敵『時空の刑死者』。
その圧倒的な力の前に、カズマ達は地に伏し、絶望的な状況に追い込まれていた。
だが、仲間たちが諦めかけたその時、カズマの瞳に再び強い光が宿る。彼が新たな力に目覚め、放った渾身の一撃が、遂に時空の刑死者の堅牢な装甲を切り裂き、一太刀を入れたのだ!
「いけるぞ、カズマ!」
哲平はこの一連の流れを、一言一句、一コマの構図に至るまで完璧に記憶していた。
なぜならここは、彼にとっての『ホワイトナイト』最大の転換点であり、未来で本来の作者であったアイノイツキが最後に描いたエピソード──第45話【覚醒】そのものだったからだ。
オリジナルであれば、この一撃を受けた直後に時空の刑死者もまた底知れぬ力を解放し、絶望感の中で45話が幕を閉じる。
そして、そこから続く第46話こそが、哲平が何十回、何百回とネームを描き直し、己の全てを絞り出して導き出した「その先の物語」なのだ。
(アイノイツキの意思は、俺が継ぐ! 『ホワイトナイト』が本当に全人類を喜ばせる物語になるのは、ここからだ!)
これより始まる46話の幕開けに、哲平は熱く胸を震わせた。カズマと共に最大の壁を乗り越えるため、剣を握る手に力を込める。
──そう哲平が意気込んだ、その時だった。
『ピンポンパンポーン♪』
突如として、張り詰めた戦場にはおよそ不釣り合いな、気の抜けた館内アナウンスのような電子音が響き渡った。
「え?」
哲平が間の抜けた声を漏らした瞬間、カズマの一撃を受けてよろめいていた『時空の刑死者』の背後から、ズブリ、と何かが突き出た。
それは、華奢な少女の「腕」だった。
時空の刑死者の額を内側からぶち破るように貫いて伸びたその腕が、そのまま左右に力任せに引き裂く。
「ノリノリで主人公役の友達やってる所悪いのですが」
パカーン、と真っ二つに割れた大ボスの残骸から、一人の少女が姿を現した。
その姿は、哲平のよく知る人物に酷似していた。しかし、未来から来た存在でもなければ、過去の記憶にある彼女でもない。
静止した世界でただ一人、佐々木哲平にとっての「ラスボス」となるためだけに構築されたような、異様なオーラを放つ存在。
「この『佐々木哲平劇場』は第23話を以て閉幕となります」
そう告げて大ボスを蹴り飛ばした彼女は、不敵な笑みを浮かべて哲平を指差した。
「私こそスーパーアイノイツキX! この世界に終止符を打って変わり果てた夜に区切りをつけるもの!」
その宣言は、哲平が愛してやまないこの完璧な世界を根本からひっくり返すような、強烈なバグの発生を意味していた。
しかし、突然の超展開を前にしても、哲平の心は奇妙なほどに落ち着いていた。彼は静かに剣を構え直し、目の前の「スーパーアイノイツキX」を見据える。
(なるほど……分かったぞ。彼女は本物の藍野さんじゃない)
何千日も一人で漫画を描き続けた哲平の脳髄は、瞬時にある「答え」を弾き出していた。
(あれは、俺の精神が作り出した幻影だ。未来から送られてきた『ホワイトナイト』という圧倒的な才能に対するプレッシャー……本物のアイノイツキに負けられないという俺の深層心理にある重圧が、具現化して姿を現した存在なんだ!)
哲平の思考は、限界を超えたイマジネーションによって、完全に彼だけの熱い解釈へとシフトしていた。現実の藍野がどのような意図を持って彼に干渉しようとしているのかなど、露知らず。
(このプレッシャーを……俺自身の弱さを乗り越えなければ、本当の意味で『ホワイトナイト』を完成させることはできない。この存在を超えること、それこそが、この世界における俺の最後の役割なんだ……!)
「来てみろ、スーパーアイノイツキX……! 俺は、俺の創った物語で君を越えてみせる!」
「……えっ、なんかすごく納得してる顔してますけど、本気でかかってきていいんですよ?」
互いの壮大な「勘違い」と「思惑」が交差する中、止まり続けた世界における最後の戦い。
佐々木哲平とスーパーアイノイツキXによる、前代未聞の最終決戦の幕が、今ここに切って落とされた!