その日、世界はまた一変した。
これから先、どんな風にでも変わるかもしれない。すでに異世界ファンタジーのような全く別のジャンルへ路線変更するための布石は、世界のそこここに積まれていたのかもしれない。
いや、きっとそれだけではない。この世界そのものが、誰かの手による壮大な漫画のようなものであり、ここから先の展開がどう転ぶかなど、もはや誰にも予測はつかなかった。
しかし、今確かな事実として言えることは……おそらくもう二度と、あの時が止まった空間での「夢」を見ることはできないということだ。
止まっていた時が動き出した。状態はそのままに、佐々木哲平が過ごした180年分、あるいはそれ以上もの途方もない停滞が、一気にこの現実に降りかかったのだ。周囲の人間はそれに気付かないまま、ただ日常を生きている。
しかし、意識を取り戻した藍野伊月には、明確かつ決定的な「変化」が突きつけられていた。
……喪失と加速する終局の幕が開く。
目覚めた藍野が真っ先に確認したのは、未来から持ち込まれたはずの『過去の少年ジャンプ』だった。
だが、そこに描かれていた漫画は全て、中身が全く別のものにすり替わっていた。それは文字通り、未来の概念が「消えてしまった」ことを意味している。
それはあのコンテンツショックのように冥道影生が、また去ってしまったことを表していた。
この時代から撤退した彼が、次にいつ現れるのかは分からない。歴史の流れによっては、藍野が生きているうちに、今度は全く違う形……全く違う名前のキャラクターとして台頭してくることだってあり得るだろう、過去に彼と相対した人たちの例のように。
だが、藍野にはもう、影生の思惑にかまけている余裕など残されていなかった。
『終わり』に向けて、時の流れは残酷なほど急速に進み始めていたのだ。
それはまるで、終わることが突然決まった少年ジャンプの連載作品が、最終回に向けて無理やり物語を畳み掛け、一気に年代を飛ばして進むかのような、暴力的で性急な時間の流れだった。
佐々木哲平は、最近になってようやく「見つかったらしい」という話を耳にした。
あくまで「らしい」というのは、目まぐるしく変わる状況の中で、藍野はどうしても彼に直接会う時間を見つけることができなかったからだ。現実の時間の流れに帰還した哲平が、あの100年の果てにどうなってしまったのか、今の藍野には知る由もなかった。
歪められる歴史の帳尻合わせが……直ぐ側まで迫っていたから。
あれから、藍野自身の身にも怒涛の展開が押し寄せた。
まず世間を揺るがせたのは、『ホワイトナイト』の販売停止という特大のニュースだった。
水面下で目前まで進んでいたアニメ化の制作も即座にストップし、各方面に甚大な影響を及ぼしている。問題なのはその理由だ。
まだ藍野自身は『ホワイトナイト』の真実を誰にも伝えておらず、彼女の作品もこの時代では商業用に作られたものではないにも関わらず、『藍野伊月から盗作した作品である』という情報が、どこからともなく出回ってしまったのだ。
まるで「物語の強制力」が、真実を無理やり白日の下に晒したかのように。
そして奇妙なことに、その強制力は藍野自身にも牙を剥いた。
藍野もこの後、独立してついに自身の連載を持つ予定だった。
しかし、提出したそのネームの内容が、あろうことか『佐々木哲平が最後に残した漫画』と完全に一致するという、盗作返しのような構図に陥ってしまったのだ。
連載のタイトルは『ANIMA』
確かにそれは、本来の歴史において自分が連載する際に描いていた漫画のタイトルだ。だが、今のこの歪んだ歴史の状況においては、ただタイトルが被っただけの別物……何せ哲平の描いたANIMAはこれまで描いた連載作品を一つのカタチに詰め込んだ闇鍋みたいな作品だ、これをパクったとしてほぼ似てるほうが逆に凄い。
紛れもなく今の『ANIMA』は、哲平が彼自身の脳で考えたものであり、自分とは無縁の作品のはずだった。
藍野には全く身に覚えがない。しかし、世間から見れば「全部間違いだ」と言い切れない証拠が揃ってしまっている。
まるで、本来の歴史と今の歴史の帳尻を無理やり合わせるかのように、世界が、物語が、彼女をその結末へと押し込んでいるのだ。
まるで 避けられない「運命」のように……。
この一連の騒動により、少年ジャンプ編集部にもかつてない危機が訪れた。
大混乱と喧騒の中で、この場所で居場所を失いそうな藍野は、もはや逃げるように地元へと戻るしか選択肢がなかった。
遠く離れた故郷の空を見上げながら、藍野は静かに悟る。
一つの歴史が全26話で終わるという、定められた物語のカウントダウン。
残された時間は、もうほとんどない。
1つだけ、確かなことがある。
これからまもなく、藍野伊月は──ある意味で本来の歴史通り、『人としての死』 を迎えることになるのだ。
……
「本当にいいんだな?」
「はい、私は元から複製してもらうために貴方に近づきましたし」
高知県、今では静かな一室でシエルに連絡をする……藍野伊月は人として死ぬ、いや……超越する。
遺伝子や細胞をホワイト・レボルシオンに提供することでいくらでもクローンを製造し、脳のデータを特定のものを作るためのソフトとしてシエルの個人用作品として流用する事を条件に、無限にどのタイミングでも生きられるように約束したのだ。
シエルも自分の漫画への貪欲ゆえに利用したことは気に入らなかったことはあるが、影生やそれに連なるものへの対抗や挑戦という『同盟者』としての共同なら引き受けてくれた……もちろん、覚悟もあるが。
「佐々木哲平にはもう会えなくなるかもしれないぞ?
「それはまあ……元々無関係とはいえ、さみしい気持ちもありますよ、でも考えちゃうんです、私は最終回のその後〜とかは思いつきませんけど」
確かに佐々木哲平は今回の物語の中で何かしらトラブルや問題も見えたかもしれない、しかし彼のような誰とも分からない目線でここまでのことをされる覚えなどない、被害者の被害者の被害者と良くない形のループを生み出したこと自体が悪でもあるのだ。
アイノイツキは人から、概念となる。
「しかし、まさか奴がここまでなんでもありとなるとはな……次、奴がどんな形で現れるか推測もできない、特にな……数年前は『地下』に独自の環境を作り出して、その中で暮らしていたとなると……」
「貴方の件も含めてわりとなんでもありですね……」
しかし問題なのは、これからどうなっていくのかだが……藍野はしばらく漫画を描くことをどうしようかと悩んでいた。
ほとぼりが冷めるまでは表舞台で描くこともままならない、しかし片腕が使えなくなってももう片方の腕で描いていたぐらいの執念で……というところで、藍野は右手の変化に気付く。
「……治っている?」
右手で漫画が描けるようになっている、リハビリはちょっとずつしていたがまるで事故なんてなかったかのように右手でペンを持ってペン入れまで出来る……全部、元通り、色々と手遅れになった中で着々とやり直しがされているような状態だ。
それにクローン状態も、近いうちにと思っていたがもう少し成人してからということになったのでまだ余裕があるが、ホワイトナイトの印税は使い切り、漫画の連載の話もほぼ無くなりかけて……はっきり言って退屈していたところだ。
これから何をして生きていこうか……?
だが、その時だった……藍野の『人としての死』が、突然訪れた。
かつて雪吹は一度哲平に対して時を止めたときに様々な制約を残した、数々の禁止事項……哲平はそれらを忠実に守った、ただし1回目の時だけ。
2回目の場合は巻き込まれるカタチで入り込んだ藍野共々、ルールのうち唯一で最も重要な物を破ってしまった、それは……。
どんなに長く滞在したとしても、人間の寿命を超える時間は超えてはならないこと。
哲平は余裕で100年以上も過ごしてしまった、藍野は5時間越しで影響は少ないのだが……スーパーアイノイツキXが今でもあの場所にいることが原因だろう。
進みすぎた場合、どうなると思う……? 時の流れを、巻き戻すことになる、ビデオを巻き戻すかのように……。
約180年ということは……普通の人間の寿命感覚からして藍野伊月と佐々木哲平は……通常の人生から80年分遡る!! しかし現在の藍野は17歳ということは……。
……
「そして、現在に至るわけですばぶー」
「お前……肉体が赤子で止まったから良しとして卵子まで戻らなくて良かったな……」
この日、『藍野伊月だった物』は亡くなった……というより、生まれる遥か前まで身体の時が戻ってしまった。
元・藍野伊月だった赤子……現在、マイナス63歳。
何故か流暢に喋れる赤子になって転生? 生まれ変わり? どちらにしてもこれまでの人生通り過ごせなくなったので、なんだかんだで白革県、ホワイト・レボルシオンの研究ラボで隔離されることになった。
「はあ……呑気にしてられないぞ、お前が時が遡ったとしてだ……私が手配したスーパーアイノイツキXの計測期間からしておよそ80年のズレと判断したが」
「もしかしたらお前、ここから63年経つまで永遠に年取らず赤子のまま人類の半生を過ごすことになるかもしれんぞ」
「!!?」
「じゃあ漫画はどうやって描けばいいんですか!? この手だとスプーンを持つことさえもままならないんですよ!?」
白革県、ホワイト・レボルシオンの研究ラボ。無機質で静まり返った隔離室に、甲高くもどこか理知的な響きを持った赤ん坊の叫び声が響き渡った。
「言語能力に異常がないだけ奇跡だと思え。赤子が一丁前に自立した行動を取れると思うな」
モニター越しに、大総統シエルが呆れたような、しかしどこか安堵したような冷徹な声で言い放つ。
かくして……佐々木哲平が過ごした約180年以上という途方もない時間停止の反動は、巻き込まれていた藍野伊月の肉体に致命的なエラーをもたらした……赤子を通り越して実年齢が「マイナス63歳」という、人体における究極の異常事態。
表向きには彼女は「死んだ」と言っていい状態であり、事実、世間的にはアイノイツキは未来で予言された通りに命を落としたことになっている。生きている直前まで急激に時間が巻き戻っただけの存在──それが今の彼女だった。
「普通、漫画のクライマックスと言えば一気に年代が進んで大人の姿を描いておしまいのはずなのに、逆に赤ちゃんになって終わりなんて前代未聞ですよ!」
「最後に死んだり赤子に生まれ変わったりする作品はいくらでもあるだろう」
「これはちょっと違くないです!?」
ベビーベッドの上で、ぷにぷにとした短い手足をバタつかせながら藍野は抗議する。
しかし、いくらメタ的な文句を垂れたところで、失われた肉体が元に戻る保証も、この先正常に成長する保証も何一つない。
今はこの狭い研究施設の中で、一般的な人類の半生に等しい時間を「赤子」のまま過ごさなくてはならないのだ。そもそも、63年以上もの果てしない時間をこの隔離空間で無事にやり過ごせるのかさえ未知数である。
そして何より彼女を絶望させていたのは、自分の人生の象徴であり、魂そのものである「漫画」を……物理的に描くことができない**という残酷な現実だった。
だが、紡がれる反逆のプロットは今でも天才の脳裏に浮かび続けている。
(……本当に、何一つできないまま終わるの?)
自問自答する藍野の脳裏に、かつて自分たちを翻弄した冥道影生の嗤う顔がよぎる。
だが、その時ふと、藍野の中に一筋の光明が差し込んだ。
(私が動かせなくても……『作る』ことはできるのではないか?)
確かに手は動かせない。ペンは握れない。だが、言葉を話すことはできる。脳内のイマジネーションや思考力は、漫画にすべてを捧げていたあの10代の頃から何一つ劣化していないのだ。
現在、ホワイト・レボルシオンは冥道影生と雪吹編集──この歪んだ歴史の中で幾度となく名前や経歴を変え、暗躍し続ける『主人公』と『宿敵』を日夜監視し続けている。
歴史が変わろうと、世界観がファンタジーに書き換わろうと、彼らの存在を決して見逃さないために。
これ以上、彼らの描く都合の良い物語の「犠牲者」を増やさないために、全人類規模での警戒態勢が敷かれている。
今の自分に、ただの赤ん坊の肉体しか持たない自分にできること。それは──。
「……それでも私は、漫画を作りたい」
藍野の声色が、子供の癇癪から、一人の創作者としての静かで熱い決意へと変わった。
「伝えたい思いがあるんです。神のような理不尽が襲いかかってきても、決して人々が挫けないように」
「その身体でどうやって?」
シエルの問いかけに、藍野は力強い視線をモニターへ向けた。
「誰でもいいです。絵が下手でも、漫画の作法がまったくわからなくても構いません。私が63年かけてでも、徹底的に指導します。そして……冥道影生、いや、世界を歪めて自身の色に染め上げる『ブラックシャドウ』の痕跡を、漫画という形にして世界中へ発信し続けます!」
影生は言っていた。この世界に顕現した作品たちは、彼が描く壮大な歴史の道筋の「ほんのひとかけら」に過ぎないと。自分たちの存在も、その切れ端でしかないのだと。
だが、だからこそ意味がある。この初期段階で自分たちが撒いた警戒の種が、百年、千年先……あるいは人類の歴史が何度やり直されたその向こう側で、誰かが「物語の強制力」に立ち向かうためのきっかけになるかもしれない。
世界を、あの男の好きにさせてたまるか。
こうして、 新たな概念が誕生する。
時は経ち、かつて「アイノイツキ」と呼ばれた天才は、その名と姿を捨てた。
手間を惜しまず、手段も選ばず、彼女は自らのイマジネーションを代筆者の手を通して具現化し、再び広大なインターネットの海へと漫画を公開し始めた。
配信されたその作品は、一見すると非現実的で突拍子もない、痛快なエンターテインメント・ドラマであった。しかし、その根底には確実にひとつのメッセージが刻み込まれていた。
世界を裏で操る「神のような存在」に対する、人類への痛烈な用心と啓発の要素。
物語に抗うための新たな『概念』が、今、マイナスの地点から産声を上げたのだった。
……そういえば、佐々木哲平はどうなっているのだろうか?
もしかして自分がこの調子なので、彼もまた赤ちゃんになっているのではないか? もしそうだとしたら彼も不安だ。
「あの、念のため東京で身元不明の赤ちゃんがいないか……」
「とっくに調べているに決まってるだろうそんなもの、お前と同じ調子なら貴重な研究サンプルだ、何より……奴が何を作っていたのか、どんな影響を及ぼすのか不安でしょうがない!」
影生は哲平に対して何かとんでもないことをしていたように見える……特に、藍野は明確に協力者になった以上、打ち明けておいていい頃合いだろう。
「前にお前と巨大生物に乗せていったな」
「ああ、もしかして地下で発見してこの組織で管理している生物とかいう」
「あれは元々私の同僚だったものだ……桃の園事件のことは奴から聞いただろう? その頃はベビー・キャロルなんて呼ばれて、今では『ももいろさま』なんか呼ばれたか……呼んでいたが奴の娘であるベリー・キャロルぐらいだったが、奴がなんやかんやあって特殊生物のポケモン種という生物を作り出していた」
「な……なんでそんなことに……」
「お前みたいなことが私の若い頃にもあった、それだけだ……ふむ、出来れば奴の力も借りたいが私のことを忌み嫌っているだろうな……それに新世代人類も気がかりだ」
「え? それってダザクさんが言ってたエレボス人ですか?」
「違う、さっきのベビー絡みの新生物だ、厄介な進化をしてな……双性人間エレボス人の発展型……細胞自在人間、通称ジガルデ人……お前にかまけて忘れていたが地下から逃げ出したジガルデ人の追跡を忘れていたな」
「それって忘れたらめちゃくちゃヤバイやつです?」
「ああ、ヤバいな……そこから更に哲平が異世界を作らされそうになっていたと考えると毎日油断ならん、だからこそベビーを懐柔したかったのだが……ええい奴め、何を勝手に独立するような真似を……」
「世界征服してる大総統の台詞ではないと思われますが……他には?」
「他……他か、相田……いや、今は『アマノガワカオル』か、サルファだかなんだかそんな名前の魔法少女由来のサーカスをしているのは聞いたが何をしていたか……あともう一人魔法が使えるやつもいたがそっちも行方知れず……全く、日本の状況わかってるのか? 一度は別の危機を食い止めた仲だというのに……いや、こんな時は奴がいれば……」
「もしかしてシエル大総統って友達とかいないタイプなんですか……私も人のこと言えないですが」
「やめろ、赤子の分際で同情なんかするんじゃない無駄に惨めになってしまう……」
こうして奇妙な天才赤子の元漫画家と、日本にそびえ立つ幻の49個目の都道府県の大総統という奇妙な交友関係が生まれつつある、これが繋がっていく『歴史』によるものだろうか?
──
そして……完全な佐々木哲平はどうなったのかというと、藍野の予想に反して哲平は赤子になっていなかった、かといって老人になっていたわけでもない……そのままの姿で登場していたわけでもない。
彼に何が起きたのか……? それは自ずと理解できる、空が見えるが自分は白黒。
「えっ、えっ、ええ──ーっ!?」
哲平もまた、人間を辞めていた……しかもこれは完全に、人の姿ですらなくなった上でだ。