哲平版『ホワイトナイト』第11話がジャンプ本誌に掲載された頃。
佐々木哲平が抱える、未来の『ホワイトナイト』のストックが尽きるまで──あと34話。
都心の喧騒から遠く離れた、木々のざわめきと清流の音が響く大自然。その中にひっそりと佇む貸し切りの大型コテージへと、哲平たちは足を踏み入れていた。
表向きの理由は「連載が軌道に乗ったお祝いと、アシスタント達との親睦を深めるための慰安旅行」である。だが、哲平の胸中にある真の目的はただ一つ。未来で過労か、あるいは別の要因で命を落とす運命にある藍野伊月──彼女の『死の源流』となるストレスやトラブルの種を見つけ出し、摘み取ることだった。
しかし、哲平は知らない。
守るべき対象である藍野伊月自身もまた、鋭い観察眼を持って哲平を、そして彼が隠し持つ『未来のジャンプ』の秘密を突き止めようと静かに牙を研いでいることを。
(現在が2068年で、あのジャンプの発行年が2078年。つまり10年後の未来……その時、恐らく私は27歳)
コテージのテラスで荷解きの手を休めながら、藍野は澄んだ空気を胸に吸い込んだ。
あの時、菊瀬から聞かされた常軌を逸した事実。そこから導き出される仮説は、すでに藍野の中で確信へと変わりつつある。
未来の自分が『ホワイトナイト』を描き上げ、連載していた。しかし、今回の騒動の黒幕となる何者か──悪意か、恨みか、あるいは佐々木哲平に対する歪んだ救世主気取りか──が、その未来のジャンプをこの時代に持ち込み、彼に与えたのだ。
曖昧な推測を確固たる真実の形にするためにも、哲平が何を抱え、何に怯えているのかを突き止める必要がある。
だが、ここまで彼を観察し、自分なりに調査を進めてきたことで、藍野自身の中にも意外な心境の変化が起きていた。
(……不思議。自分が考えた設定を読切で先に発表されたと知った時より、今のほうがずっと冷静になっています)
未来の自分が描いたであろう『ホワイトナイト』。
それは間違いなく傑作だ。しかし、第三者である哲平のフィルターを通し、完成された原稿として客観的に読み込んだことで、藍野は自分の構想にあった『欠陥』や『作品の脆さ』に気づくことができたのだ。
まだ時間も、圧倒的な若さもある。今の自分なら、未来の自分が描いたその傑作の弱点を補い、全く新しい、それを凌駕する作品を生み出すことができる。皮肉にも、盗作されたこと自体が藍野伊月という天才をさらに進化させる起爆剤となっていた。
それでも、罪は罪だ。
だが、どうやって?
(……まさか未来人は、この手段で私が佐々木先生を裁きようがないことを理解していて、こんなことを?)
盗作だ、と世間に訴えたところで誰も信じない。「未来の自分から盗まれた」などと主張すれば、正気を疑われるのは藍野の方だ。
佐々木哲平が一人で背負い込み、苦悩している『盗作の罪』は、彼自身が思っている以上に、現実の法律や常識では裁きようのない軽い──いや、実態のないものだ。
逆に言えば、誰も証明できないからこそ、佐々木哲平はスケープゴートとして選ばれたのではないか? 彼は真の黒幕の思惑の上で踊らされている、何かしら錯覚させて突き動かされているだけのただの哀れな代行者に過ぎないのではないか。
少しずつ見えてきた事件の輪郭。その深淵に触れかけた藍野の思考は──唐突な、ひどく軽薄な声によって現実に引き戻された。
「しかし佐々木先生、一応東京のバリ勝ちさんなんだからカーの足くらい用意してたらどうなんです、俺も藍野先生の付き合いの一貫なんだけど」
「は、はは……すみません。免許は持ってるんですけど、ずっとペーパーでして……」
レンタカーのワンボックスカーのキーを指で回しながら、呆れたように肩をすくめる長身の男。
彼こそが、今後の鍵を握るであろう人物──集英社編集部から藍野の持ち込み担当として新しく付いた新人編集者、『
藍野の担当でありながら、なぜか「親睦を深めるビッグウェーブには乗るしかないっしょ」と謎のノリで慰安旅行の運転手役に立候補し、ちゃっかり付いてきてしまったのだ。
申し訳なさそうに頭を下げる哲平の横で、藍野はそっとこめかみを押さえた。彼女の脳裏に、菊瀬から渡されたメモの文面がフラッシュバックする。
『彼、少し造語症なところがあるから気になる発言は片っ端からまとめないと追いつけなくなるよ』
(バリ勝ちさん……大成功してる勝ち組、みたいな意味? カーの足……ただの車でいいじゃない!)
藍野は心の中で激しくツッコミを入れながら、戦場の次の言葉に備えて無意識に身構えた。
「まあノープロブレムっすよ! これからのジャンプを背負うササキ・オブ・ザ・イヤーと、未来の超新星アイノ・ギャラクシーを運ぶのは編集の誇りッスからね。ここでマイナスイオンをフルチャージして、ネームのバイブスをバチボコに上げていきましょうや!」
「……えっと、はい。バイブス、上げます」
「……善処します」
困惑して引きつった笑いを浮かべる哲平と、真顔で相槌を打つ藍野。
哲平は藍野のストレスの原因を探ろうと彼女の横顔を盗み見し、藍野は哲平のボロを引き出そうと彼の挙動を観察している。
そんな二人のヒリついた水面下の探り合いを、戦場雪吹という劇薬のノイズが容赦なくかき乱していく。
(もう不安だ……!)
未来の謎、黒幕の正体、そして目の前で次々と繰り出される未知の日本語。
藍野伊月の慰安旅行は、かつてないほど情報量の多い、別の意味で頭を悩ませる波乱の幕開けとなっていた。
──
「雪吹さん寝ているダザクさん持ち上げるの手伝ってください」
「えっ起こしたほうが早くない?」
「ダザクさん本当に寝たら数時間くらいこの調子なので」
「よくそれでAなパートナーが務まるな……」
変な口ぶりの雪吹ですら造語症混じりの真面目なツッコミが飛んできながら席の後ろ部分を全部独占するダザクを持ち上げ……コテージに辿り着いた哲平達。
ここでどれだけのことをするのか……前もって念入りに仲良くなれそうなイベントは一通りメモしておいたので出来る限りやっておたいと哲平はメモを見ながら荷物を下ろしていると聞き覚えのある声が飛んでくる。
「哲平くんってゲームとかプラモ買っても詰んで終わるタイプみたいに見えてくるね」
「ギャッ……か、影生くん!? なんでここに!?」
「哲平くんにとって大事なイベントだからこっそりついてきちゃった、移動手段は聞かないで」
なんとどうやって来たのか分からないが影生が先回りしていた、相変わらずの立っているだけでカモフラージュになる技術によって藍野達は全く気付かないが、影生はこっそりとスマホを哲平に見せる。
「あれマジで当たったよ」
「え!? あ……当たった、当たったって、もしかしてあのメッセージ!?」
この間未来から送られてきた数字のみが書かれたメッセージ、影生はそれを宝くじの番号だと判断していた、影生の方から買ってみて……結果が出たらしいのだが、なんと当たってるクジが一つ出てきたという。
番号が1種類だけなので当たるのは一つだけだが……問題なのは、クジのなかで一番高い大当たりを引き当てている。
「あっ大丈夫気にしないで、君のホワイトナイトの最終的な印税に比べたら少ない方だから」
「いやでも……これ、なんか桁が何億とかぐらいに見えるんだけど」
「もう既に哲平くんの口座に全部いれておいたから」
「何してるの!? 確かに必要なときもあるけど影生くんが買ったんだから影生くんが管理してよ!」
「俺の脳みそは二次創作に使えそうなことしか管理出来ないからな」
哲平と影生がお金の事でちょっと揉めていたその時のことだった。
「ギャーッ!!」
聞き覚えのある悲鳴を感じて哲平が振り向く、蓮の声だ、影生が振り向いてよく見えるのか瞬きもせず目を見開いている、怖い。
「どうやら君のアシスタントの方も思わぬ先客がいたっぽいね」
「えっこれ以上まだ何かいるの!? 言っておくけど変なことしないでよ影生くん!」
「俺が君のいるところで変なことするように見える?」
一体何が起きたのか……どんな形にしてもトラブルの種は避けたいと蓮のところへ向かい、残された影生は今回の舞台となるコテージを見る。
「さて、そろそろあいつも動く頃かな……持ってきてよかった、サンダーくん」
影生は懐に哲平のアパートにあったほぼ溶解しているロボットの玩具を懐に入れて……一人、誰にも気付かない間にコテージの中に入っていった。
──
「……え、お、お」
「なんだ? こんなところでオレに会うのがそんなに不満か?」
「ど……どうしたの蓮くん……って」
蓮達のところに急いで向かってみると……本当にまた見覚えのない人がいた、いや見たことはないのだがどこか似ているような、蓮に……まさかこの人物は。
少なくとも藍野は知ってそうだ。
「あっ! 貴方もしかして『白卓』の……」
「ああ、蓮の奴が世話になっているようだからな……『能登來暇』、そこにいる能登蓮の、母です」
なんと……インディー界隈では日本でかなり名の知られたゲームサークル『白卓』の顔でありメインディレクター、数々のアイデアをゲームとして売り出してコンテンツショックの際にはゲーム界隈で一躍貢献した、能登蓮の母がこの場所にいた。
蓮の髪の一部分が継承元であることを感じさせる長くて白い髪、女性ながら女受けがありそうな洗練された顔そして……藍野と同じくらいの年の息子がいるとは思えない、本当にアニメみたいに少し小柄で若々しい外見。
「なんでこんなところにいるんだよ母さん!!」
蓮の鬱陶しいような当然の叫び、しかし來暇は悪びれる様子もなく言い放つ。
「お前がなんか休もうとしてるから便乗して乗り込んできた、オレも休みたかったし」
(僕らの情報網はガバガバ)
もう既に嫌な予感を察知しているように冷や汗をかく蓮に藍野が駆け寄って耳打ちをする。
(もしかして佐々木先生の件を受けて心配で来てくれたんじゃ……)
(それだったらいいけど母さんのことだよ、絶対ただ休みたいだけで俺についてきただけだから! 親父もよく言ってたけど昔っから目的の為に手段選ばない人だから!)
よく分からない言語を振りまく藍野の担当編集に、もう既に型破りの傾向が見える蓮の母親、そして何故かついてきた影生。
哲平がせこせこと考えたコテージでの親睦休暇はもう既に互解の兆しを見せていた……。
──コテージ内の夜。
藍野伊月は、雪吹戦場の奇妙な
「ねえ俺の寝床急ごしらえにしては酷くないと思ったらビックリくらいしっくり来るんだけど俺って前世人間以上ミノガ科未満?」
(一旦これでこの人と話すのは後回しにするか……)
雪吹が宙吊りにされた寝袋の中で、ぼんやりとそんなことを呟いた直後だった。
藍野は無言で寝袋の口をさらに固く縛り、手足の自由を完全に奪う。文字通り「手も足も出ない」状態に仕上げると、軽く息を吐いた。
戦場雪吹という人間は情報量が多すぎる、味方としてはまあ信用できそうかもしれないが今はそれ以上に、佐々木哲平の「本当の目的」を探るほうが優先だった。
この慰安旅行はただのアシスタントとの親睦などではない……哲平は何か企んでいる。藍野はそう確信していた。
これまでの彼の行動を見ていれば、計画性が皆無に近い人間であることは明らかだった。
それなのに今回に限ってコテージの手配から参加者の調整まで妙に用意周到だ。そばにいればいるほど、彼が「何をしたいのか」は不思議と透けて見える。
──自分達に何か用があって、露骨に何か調べたい?
それが哲平の行動原理の根底にあることだけは、彼女にも感じ取れていた。
藍野は雪吹の入った寝袋を壁際に寄せ、静かにリビングへ戻った。そこではすでに……哲平にとって予想外の来客によって空気が変わり始めていた。
「よう、お前レンと同じとこにいるやつだろ」
能登來暇──能登蓮の母であり、『白卓』の顔役である女性は、ソファに腰を下ろして優雅に紅茶を飲んでいた。
小柄で若々しい外見は、息子と同じ白い髪の束が印象的で。改めて自分と同じくらいの年齢の息子がいるとは、とても思えない。
藍野は迷わず來暇の隣に座った、ゲームクリエイターとはいえ大物と話せる機会なんて早々無いからこそ無駄にしたくない。
「蓮さんが漫画のアシスタントになると決めた際に、止めたりはしなかったんですか?」
來暇はカップを置くと、わずかに目を細めて微笑んだ。
「オレもあいつぐらいの頃には甘えた環境でゲームを作っていたからな。あいつに余計な重圧を与えたところで、面白いものが出来るわけでもない」
「やっぱり期待していたんですか? 自分の子供にもゲームを作る事を……」
「さあな。オレの夢とレンの夢は似て異なるだろうと、生まれたときから考えてはいた。だからせめて作りたいものは作らせてる。あいつはオレと違って、人並みの物以上を作れるだけの開発力はあったからな」
藍野は少し驚いて目を瞬いた。
「えっ、でも能登さん、これまで何個かゲームを……」
「考えたのはオレじゃない」
來暇の声は淡々としていたが、そこに僅かな自嘲が混じっていた。
──十七歳の能登來暇。学業も友人関係も投げ捨て、ただゲームを作り続けた。かつて見た多くの人間を熱狂させる景色に、自分が立つことを夢見て。
だが、肝心なところで何度も行き詰まった。そのとき彼女は悟った。「才能がない」と呼ぶべきは、アイデアの欠如ではなく「自分の理想を形にする力」の欠如だと。
だから彼女は選んだ。手の届く範囲にいる、埋もれた発想力の持ち主たちと組むことを。
自分はそれを形にし、磨き、世に送り出す役割に徹した。それが『白卓』というサークルを、ここまでの地位に押し上げた理由だった。
「……もしかしてその人が、蓮さんのおとうさ」
「あまり余計なことは詮索するなよ子娘」
蓮に自分と同じ景色を見せる気はない。
白卓を継ぐのも、どこかのゲーム会社に就職するのも、アシスタントから漫画家の道を突き進むのも──本人が面白いものを作りたいと言うなら、それでいいと思っていた。
だが。
「ホワイトナイトが始まってすぐに、レンは連絡を入れてきた。あの作者がホワイトナイトを作ったようには見えないと」
來暇は藍野の顔をまっすぐに見つめた。視線は鋭く、探るような光を帯びている。藍野の心臓が、一瞬強く脈打った。
(……蓮くんも、気づいていた?)
「だって実際そうだろ? 何が『僕は作りたいテーマも表現したいものもないです』だ、何が『それでも多くの人を喜ばせたらそれでいい』だ、なんだ? オレの時代のマンガだがコーラとハンバーガーが一番売れてるから一番美味いみたいな理論はあったがそれと同じか?」
「……それくらいのことは佐々木先生充分言われてるんじゃないですかね、少なくとも4年間」
「……あー、そうか、そういうやつか、まあそれはそれとしてよ、オレはレンからホワイトナイトのことは聞いた……盗作の可能性ってマジなのか」
「まだその……複雑な事情があってはっきりと言えませんが、もしかしたら蓮くんは、それに加担させられたがしらなくて」
「だろうな、あいつは昔から色んな作品を見せてきたサブカルグルメだからあの手の審美眼は上手い、そもそもの話オレは透明な無個性作品理論には反対だ」
「え!!?」
元々自分の持論だっただけに思いっきりダメ出しされたことにビックリするが、來暇はちょっと何かあったことにも気付くが、気にせずそのまま答える。
「無個性な作品……要するに、何かしらの嫌悪者を寄せ付けないんだろ、だがオレはゲームをやった上でわざわざその内容にグチグチ文句を言う奴はクソ喰らえだと思っている、何のためにホラーゲームが子供や心臓がデリケートな奴が見るなど警告している、ちょっとパンツが見えるくらいでも年齢制限がかかるんだぞ? そういうの嫌なら無理は言わんからやめとけつってんのにそれを無視して勝手に嫌な思いしたのはてめぇらの都合で……ああ悪い、愚痴っぽくなった、それにゲームと違ってマンガはそういうの出せないしな」
「はあ……でも私も結構諦めきれなくて、多くの人を喜ばせたい夢を一緒に叶えたくて、だから……」
「多くの人に気を使う作品でトップに立つのか? オレはその辺の事情はレンに聞いた程度だが……文句を言う奴なんかにわざわざ合わせた作品作っても窮屈なだけだぞ」
「そんな人たちでも大事な読者です、私は全ての読者に……」
「違う、作品の事を気に入らないやつは読者でもプレイヤーでもないし、そういう奴がいたって構わない、誰だって触れるのがキツイやつくらいあるだろ……けどな、それで作る側が逃げることを恐れて弱腰の臆病者になるのは違うだろ、面白くてもそれがバレたら……お前やその作品どうなると思う?」
どんな人でも気に入る……それはあくまで読者目線、まるで何かに恐れるようにひたすら読む側に気を遣って、見えないものに怯えている、來暇はそういう風に藍野やホワイトナイトを解釈したのだろう。
しかしそれはまるで、編集者に作品の問題点を指摘されるというよりは人格を否定されるような、心を抉られるような気持ちだった。
「痛えか? 心臓の辺りが、専門とは少し違うからあまり参考にはなるか分からんが覚えておけ、オレもそういう経験はした」
「クリエイターとして表に出るってことはそういう心の痛みと戦うことだ、それを受けたくねえで読者にペコペコするのは、わりと最低な事だぞ」
その夜、藍野は苦悩した。
自分は誰にでも受け入れられる作品を作れば、全人類が面白いと思える作品を作れると信じていた、しかしそれは、実際はただ見えないものを恐れて、誰の目線にも立ってなかったのか?
しかしホワイトナイトは面白い、実際に面白いのだ、しかしそれは未来の話、それだけ洗練させたのか?
どれが……何が、正しい?
覗いていた哲平は……見えた気がする、藍野伊月の『死の源流』
(まさか……藍野さんを生かすためには、あの人に漫画家になるのを諦めさせないといかないのか……?)