黒歌転生 死んだ姉は保健室にいる   作:好きな性癖発表ドラゴン

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第4話 魔王の事情聴取

 

 

 夜の森は、息をするたびに肺の奥まで冷えていくようだった。

 

 黒歌は白音を抱えたまま、枝の間を駆け抜ける。足元の土は湿り、踏み込むたびに泥が跳ねた。後ろから追ってくる気配は、まだ完全には消えていない。ナベリウス家の者たちは、主を失った直後だというのに動きが早かった。

 

「姉さま……」

 

 腕の中で白音が小さく呼ぶ。

 

 黒歌は足を止めず、笑うように息を吐いた。

 

「大丈夫にゃ。姉さま、逃げ足には自信があるにゃ」

 

 軽く言ったつもりだった。だが、喉の奥は焼けるように痛み、身体の内側では悪魔の魔力と妖気がぐちゃぐちゃに絡んでいる。眷属化したばかりの身体で主を殺し、そのまま白音を抱えて走り続けているのだから、限界が近いのは分かっていた。

 

 それでも止まれない。

 

 ここで捕まれば、白音はナベリウス家へ戻される。自分は処分されるか、もっと悪い形で利用される。逃げるだけなら、まだ道はいくつかあった。森へ潜る。遠い土地へ向かう。自分一人なら、闇に紛れて生きることもできるかもしれない。

 

 けれど、白音をそんな場所へ連れていくわけにはいかない。

 

 だから黒歌は、前世の記憶の底から一つの名前を掴み上げた。

 

 サーゼクス・ルシファー。

 

 グレモリー家。

 

 魔王に助けを求めるなど、普通なら無謀だ。しかも今の黒歌は、主殺しをしたばかりの眷属悪魔。事情を聞いてもらう前に拘束されてもおかしくない。

 

 それでも、ナベリウス家の檻へ戻るよりはましだった。

 

「白音、少し揺れるにゃ」

 

「うん」

 

 白音が首に回した腕に力を込める。黒歌は呼吸を整え、木々の間を抜けた。遠くに、結界の気配がある。ナベリウス家のものとは違う。もっと大きく、もっと整っていて、踏み込む者を静かに選別するような圧。

 

 グレモリー家の外縁だ。

 

 黒歌はそこで足を止めた。

 

 追手の気配は遠い。だが、この先へ無断で踏み込めば、グレモリー家の警備に敵と判断される。逃げ込むために来たのに、ここで戦闘になれば何の意味もない。

 

 黒歌は白音を抱えたまま、両手が見えるようにゆっくりと前へ出た。

 

「グレモリー家の方に取り次いでください」

 

 声は掠れていた。猫のような軽さを乗せる余裕はなかった。

 

 木陰から、複数の気配が現れる。黒い衣装をまとった悪魔たち。表情は硬く、全員が黒歌と白音を警戒していた。特に、黒歌の乱れた魔力と服についた血の痕を見た瞬間、空気が一段冷える。

 

「所属を名乗れ」

 

「ナベリウス家分家の眷属、黒歌」

 

 その名を口にした瞬間、警備の悪魔たちの目が鋭くなった。すでに何かしらの報告が届いているのだろう。主が死んだ。眷属が逃げた。幼い妹を連れている。自分がどう見られているか、黒歌にも分かっていた。

 

 白音が不安そうに黒歌の胸へ顔を寄せる。

 

 黒歌はほんの一瞬、いつものように笑って誤魔化そうとした。けれど、やめた。ここで挑発すれば、危険になるのは白音だ。

 

「魔王サーゼクス・ルシファー様に、話があります」

 

「魔王様に?」

 

「はい。妹の保護を、お願いしたいんです」

 

 警備の一人が目を細めた。

 

「武装を解除しろ。抵抗すれば、その子も含めて拘束する」

 

 黒歌の尻尾が反射的に膨らみかける。白音も含めて、という言葉に身体が勝手に反応した。

 

 だが、黒歌は動かなかった。

 

「分かりました」

 

 黒歌は白音を地面へ下ろそうとする。白音は慌てて首にしがみついた。

 

「いや……姉さま」

 

「大丈夫にゃ。すぐそばにいるにゃ」

 

 白音の手は離れない。黒歌は警備の悪魔たちへ視線を向けた。

 

「この子は何もしていません。怖がらせないでください。お願いします」

 

 語尾は出なかった。

 

 警備の悪魔たちは一瞬だけ顔を見合わせた。危険なはぐれ悪魔候補として構えていた相手が、最初に求めたのは自分の安全ではなく妹の扱いだったからだろう。

 

 それでも、警戒は解かれなかった。

 

 黒歌の手首に魔力を抑える拘束具がかけられる。喉の奥で息が詰まった。身体の中の流れが強引に細められ、足元がふらつく。白音が泣きそうな顔でこちらを見る。

 

「姉さま、痛い?」

 

「痛くないにゃ。ちょっと重いだけにゃ」

 

 また嘘をついた。

 

 けれど今は、それしかできなかった。

 

 通された部屋は、牢ではなかった。

 

 石造りの壁に、最低限の調度品。窓には術式が張られ、扉の外には護衛の気配がある。事情聴取のための部屋だとすぐに分かった。黒歌は椅子に座らされ、白音は少し離れた場所に置かれた椅子に座らせられる。

 

 白音は何度も黒歌を見た。

 

 そのたびに黒歌は小さく頷く。大丈夫だと伝えるために。だが本当は、何一つ大丈夫ではなかった。拘束具のせいで魔力の流れが鈍い。身体は重い。視界の端が時々揺れる。

 

 それでも、倒れるわけにはいかない。

 

 しばらくして、扉が開いた。

 

 入ってきた男を見た瞬間、部屋の空気が変わった。

 

 赤い髪。穏やかな顔立ち。柔らかな微笑み。けれど、その奥にある圧は、ナベリウス家の主とは比べものにならなかった。声を荒げる必要も、威圧する必要もない。ただそこにいるだけで、この場の全てが彼の判断に委ねられていると分かる。

 

 サーゼクス・ルシファー。

 

 魔王。

 

 黒歌は椅子から立とうとした。拘束具が鳴る。足元がふらつき、白音が息を呑んだ。それでも黒歌は姿勢を正し、頭を下げた。

 

「突然の無礼を、お許しください」

 

 サーゼクスは黒歌を見つめた。

 

「君が黒歌だね」

 

「はい」

 

「ナベリウス家分家の主を殺し、妹を連れて逃亡した。報告ではそうなっている」

 

「間違いありません」

 

 白音が小さく震える気配がした。

 

 黒歌は顔を上げない。言い訳を先にしてはいけない。まず、自分がしたことを認めなければならない。白音を守るためとはいえ、自分は主を殺した。それを曖昧にすれば、サーゼクスに話を聞いてもらう資格すらなくなる。

 

 サーゼクスは静かに続けた。

 

「なぜ殺したのかな」

 

「妹に、手を出そうとしたからです」

 

「具体的に」

 

「白音を研究区画へ連れていき、本人の意思を無視して測定の準備をしていました。以前から、妹の素質を確認する、成長すれば有用だという話を聞いていました。今日、主は私にこう言いました。私が従順であれば、妹を丁重に扱うと」

 

 言葉にすると、怒りがまた蘇りそうになった。

 

 黒歌は拳を握る。拘束具がかすかに音を立てた。

 

「それは、妹を人質にするという意味だと判断しました」

 

「証拠は?」

 

「研究区画の術式、白音の足元に描かれていた測定陣、部屋にいた研究者たち。私の記憶だけでは足りないことは分かっています。ですが、調べていただければ痕跡は残っているはずです」

 

 サーゼクスは白音へ視線を向けた。

 

 白音はびくりとしたが、黒歌を見る。黒歌は小さく頷いた。答えられるなら答えていい。怖ければ黙っていていい。そう伝えたつもりだった。

 

「白音ちゃん」

 

 サーゼクスの声は柔らかかった。

 

「怖いことを聞くけれど、君はその部屋に連れていかれたのかな」

 

 白音は膝の上で手を握りしめた。

 

「……はい」

 

「何をされた?」

 

「足元が光ってました。知らない人が、白音を見てました。姉さまを呼んだけど、姉さまはいないって言われました」

 

 声が震える。

 

「怖かったです」

 

 その一言で、黒歌の胸が痛んだ。

 

 サーゼクスは白音にそれ以上聞かなかった。視線を黒歌へ戻す。その表情は穏やかなままだが、部屋の空気は少しだけ重くなっていた。

 

「黒歌。君がしたことは、理由があっても簡単に許されるものではない」

 

「分かっています」

 

「主を殺した眷属悪魔は、危険な存在として扱われる。処分の対象になる可能性もある」

 

「はい」

 

「それを理解した上で、ここへ来たのかな」

 

「はい」

 

 黒歌は顔を上げた。

 

 魔王の目を見る。怖くないわけがない。サーゼクスがその気になれば、自分など抵抗もできずに終わるだろう。逃げてきた先が安全だと決まったわけではない。

 

 それでも、白音をナベリウスへ戻すよりはいい。

 

「私をどう扱っても構いません」

 

 白音が息を呑む。

 

「けれど、白音は何もしていません。あの子を、ナベリウス家に戻さないでください」

 

「姉さま……!」

 

 白音が椅子から立ち上がりかける。警備の悪魔が動きそうになった瞬間、サーゼクスが片手で制した。

 

 白音は黒歌のそばへ駆け寄り、服を掴んだ。

 

「姉さまも一緒がいい」

 

 黒歌は返事ができなかった。

 

 一緒にいたい。そんなことは決まっている。だが、その願いが叶うかどうかは自分では決められない。自分は罪を犯した。白音と同じ場所で守られる資格があるかどうかも分からない。

 

 それでも白音は、黒歌の服を離さなかった。

 

 サーゼクスはしばらく黙って二人を見ていた。

 

 やがて、静かに口を開く。

 

「君を信じるとは、まだ言えない」

 

 黒歌は頷いた。

 

「当然です」

 

「だが、君の話を聞く価値はあると思う。ナベリウス家については、こちらで調査する。白音ちゃんは、当面グレモリー家の保護下に置こう」

 

 白音の指が、黒歌の服をさらに強く掴む。

 

「そして君、黒歌については、監視対象兼保護対象とする」

 

 その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。

 

 処分ではない。

 

 引き渡しでもない。

 

 自由ではない。だが、白音と引き離されて終わるわけでもない。

 

 黒歌の全身から、少しだけ力が抜けた。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言うには早いよ。君の自由は制限される。白音ちゃんとの接触も、しばらくは監視付きになる。君が危険だと判断されれば、別の処置もあり得る」

 

「構いません」

 

 黒歌は即答した。

 

「白音が、あそこに戻らないなら」

 

 サーゼクスの目が、ほんの少しだけ細められた。怒りではない。何かを見定めるような目だった。

 

「分かった。まずは治療を受けるといい。かなり無理をしているようだ」

 

「治療は白音から――」

 

「君からだ」

 

 穏やかな声なのに、有無を言わせない響きがあった。

 

 黒歌は反論しようとして、そこで視界が大きく揺れた。緊張が切れたせいか、拘束具で抑えられていた疲労が一気に押し寄せてくる。膝が崩れ、白音の悲鳴が耳に届いた。

 

「姉さま!」

 

 倒れる直前、黒歌は白音の頭に手を伸ばした。

 

「大丈夫にゃ」

 

 指先が、白い髪に触れる。

 

「ほら、姉さま……ちゃんと、助けを呼べたにゃ」

 

 白音の顔が歪む。

 

 そこで、黒歌の意識はふっと遠のいた。

 

 次に目を覚ました時、天井は知らないものに変わっていた。

 

 柔らかな寝具。清潔な布の匂い。腕には治療用の術式が薄く光っている。手首の拘束具は外されていないが、きつくはなかった。すぐそばには白音が丸くなって眠っている。椅子に座ったまま、黒歌の手を握っていた。

 

 黒歌はしばらく、その小さな寝顔を見つめた。

 

 守れた。

 

 少なくとも、今だけは。

 

 部屋の外で、低い声がした。

 

「危険です」

 

 女性の声。冷静で、凛としている。グレイフィアだろう、と黒歌はぼんやり思った。

 

「分かっている」

 

 サーゼクスの声が答える。

 

「主を殺した眷属悪魔です。理由があったとしても、扱いを誤ればグレモリー家にも火種が及びます」

 

「そうだね」

 

「それでも保護なさるのですか」

 

「少なくとも、あの子は逃げ続ける道を選ばなかった。自分の命より妹の保護を優先した。危険であることと、話を聞く価値がないことは同じではないよ」

 

 黒歌は目を閉じた。

 

 助かったわけではない。信じられたわけでもない。サーゼクスは優しいだけの相手ではなく、魔王として状況を見ている。そこに甘えるつもりはなかった。

 

 それでも、話を聞いてもらえた。

 

 それが今は、信じられないほどありがたかった。

 

 数日が過ぎた。

 

 黒歌は治療を受けながら、グレモリー家の一室で過ごすことになった。部屋の外には監視がいる。白音と過ごす時間も、完全に自由ではない。それでも、ナベリウス家の屋敷とは違った。

 

 白音が怯えていない。

 

 それだけで、黒歌は呼吸が少し楽になった。

 

 その日、白音が別室で診察を受けている間、黒歌は寝台に腰かけていた。拘束具はまだ手首にある。窓の外には赤い花が咲いていた。グレモリー家の庭は明るく、静かで、妙に現実味がなかった。

 

 扉が小さく叩かれる。

 

「入っていいかしら」

 

 聞こえたのは、少女の声だった。

 

 黒歌は顔を上げる。

 

 扉の隙間から、赤い髪の少女が入ってきた。幼さの残る顔立ち。けれど背筋はまっすぐで、瞳には隠しきれない警戒と好奇心がある。

 

 リアス・グレモリー。

 

 未来で白音の主になる少女。

 

 黒歌は、その姿を見た瞬間、胸の奥で別の歯車が動き出す音を聞いた気がした。

 

 リアスはしばらく黒歌を見つめてから、真っ直ぐに尋ねた。

 

「あなたが、白音を守った人?」

 

 黒歌は笑った。

 

 いつものように軽く、猫のように。

 

「さてにゃ。守れたかどうかは、白音が決めることだにゃあ」

 

 リアスの眉が少しだけ寄る。

 

 その反応を見て、黒歌は思った。

 

 ああ、きっと最初から仲良くはなれない。

 

 けれど、ここから始めるしかないのだ。

 

 黒猫が逃げ込んだ魔王の家で、赤い髪の少女との最初の出会いが待っていた。

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