黒歌転生 死んだ姉は保健室にいる   作:好きな性癖発表ドラゴン

7 / 8
第7話 また会うための別れ

 

 朱璃を救った夜から、黒歌は眠りが浅くなった。

 

 目を閉じるたびに、泣きじゃくる朱乃の声が耳の奥で蘇る。母は生きている。けれど、今は会えない。そう伝えた時の幼い瞳が、どうしても忘れられなかった。

 

 命を繋げば、それで終わりだと思っていたわけではない。それでも、救えた命のすぐそばで、救いきれない涙があることを、黒歌は初めて知った。守るために隠す。守るために離す。その言葉は、思っていたよりずっと冷たかった。

 

 白音は、今日も黒歌の隣で眠っている。

 

 小さな身体を丸め、黒歌の袖を掴んだまま離さない。少し前よりは落ち着いてきた。リアスと庭へ出られるようにもなった。けれど、眠る時だけは、まだ黒歌の服を握る。

 

 黒歌はその指先を見つめた。

 

 このままずっと、そばにいたい。白音が目を覚ました時、一番近くにいられる姉でいたい。何かに怯えた時、すぐ抱きしめられる距離にいたい。

 

 だが、自分がそばにいる限り、白音へ向く危険も消えない。

 

 ナベリウス家の恨み。主殺しの罪。悪魔社会の警戒。姫島の件で見えた、子どもや家族を狙う何者かの気配。それらがいつ白音へ伸びるか分からない。

 

 一緒にいることが、必ずしも守ることではない。

 

 そう考えた瞬間、胸の奥が軋んだ。

 

「君はまた、一人で決めようとしているね」

 

 背後から声がした。

 

 黒歌は振り返る。扉のそばにサーゼクスが立っていた。いつからいたのか分からない。だが、その穏やかな目は、こちらの考えを見透かしているようだった。

 

「魔王様は、猫の考えまで読めるのかにゃ」

 

「読めるわけではないよ。ただ、君は白音ちゃんを見る時、いつも何かを決めようとしている顔をする」

 

「嫌な観察力にゃ」

 

「必要な観察だと思っている」

 

 黒歌は苦笑し、眠る白音の髪を撫でた。

 

「私が近くにいると、白音に危険が集まるにゃ。ナベリウス家のことも、まだ終わってない。朱璃さんの件もそうにゃ。ああいう連中が、白音を知らないままでいてくれる保証はないにゃ」

 

「だから離れる?」

 

「白音から危険を遠ざけるには、それが一番だと思ったにゃ」

 

 サーゼクスはすぐには頷かなかった。

 

「白音ちゃんは、それを望むかな」

 

「望まないにゃ」

 

「君がいなくなれば、傷つく」

 

「分かってるにゃ」

 

 黒歌は白音の手をそっと布団に戻した。だが、白音の指は眠ったまま黒歌の袖を探すように動く。それを見て、喉の奥が詰まった。

 

「でも、生きていれば会えるにゃ。近くにいて白音を巻き込むより、少し離れて危険を引き受けた方がいい」

 

「その“会える”を、君は必ず守れるのかな」

 

 返事は出なかった。

 

 約束を守れる保証など、どこにもない。それでも約束しなければ、白音は泣く。約束しても、泣く。どちらにしても傷つけるなら、せめて生きている可能性を残したかった。

 

 サーゼクスは静かに息を吐いた。

 

「条件をつける。定期的にこちらへ連絡を入れること。白音ちゃんの保護はグレモリー家が引き受ける。ナベリウス家への調査も続ける。君を完全な自由行動にはしない」

 

「十分にゃ」

 

「それから」

 

 サーゼクスの声が少しだけ強くなる。

 

「必ず帰りなさい」

 

 黒歌は目を伏せた。

 

「魔王様に命令されると、断れないにゃ」

 

「命令ではないよ」

 

「なら?」

 

「願いだ」

 

 その言葉に、黒歌はうまく笑えなかった。

 

 リアスは、黒歌の話を聞くなり怒った。

 

「あなた、白音を置いていくつもりなの?」

 

 赤い髪が揺れる。まだ幼い顔には、隠しきれない怒りがあった。黒歌が予想していたよりもずっと真剣な怒りだった。

 

「置いていく、という言い方は刺さるにゃ」

 

「同じでしょう。白音がどれだけあなたを必要としているか、分かっているの?」

 

「分かってるにゃ。分かってるから、離れるにゃ」

 

「意味が分からないわ」

 

 リアスの声が震えた。

 

「あなたは白音を守るために、全部背負ったのでしょう? それなのに、どうして一番そばにいてあげないの」

 

 黒歌は言い返せなかった。

 

 正論だった。白音は黒歌を必要としている。黒歌も白音のそばにいたい。それを誰より分かっているから、リアスの言葉は痛かった。

 

「私がそばにいると、白音の周りに危険が集まるにゃ」

 

「なら、みんなで守ればいいじゃない」

 

「お嬢様の言葉にゃ」

 

「またそれを言うの?」

 

「でも、嫌いじゃないにゃ」

 

 リアスが眉を寄せる。

 

 黒歌は少しだけ笑い、すぐに頭を下げた。

 

「白音を、お願いしたいにゃ」

 

 リアスが息を呑む気配がした。

 

 黒歌は頭を下げたまま続ける。

 

「あなたは未熟にゃ。すぐ怒るし、真っ直ぐすぎるし、綺麗な場所にいる。でも、白音を怖がらせないように距離を取れる。約束を守れる。白音の涙を、見ないふりはしない」

 

「……褒めているの、それ」

 

「黒歌なりには」

 

 リアスはしばらく黙っていた。

 

「勝手よ、あなた」

 

「そうだにゃ」

 

「白音を泣かせるわ」

 

「もう泣かせることは決まってるにゃ」

 

「なら、ちゃんと帰ってきなさい」

 

 黒歌は顔を上げた。

 

 リアスは怒っていた。けれど、その怒りの奥に、白音を守る覚悟が少しだけ見えた。

 

「白音を泣かせたままにしたら、許さないわ」

 

「怖いお嬢様にゃ」

 

「お嬢様じゃなくて、リアスよ」

 

 黒歌は少しだけ目を細めた。

 

「頼んだにゃ、リアス」

 

 白音に話すのが、一番難しかった。

 

 部屋には、黒歌と白音とリアスだけがいた。サーゼクスはあえて同席しなかった。これは黒歌が白音へ話すべきことだと、分かっていたのだろう。

 

 白音は黒歌の顔を見た瞬間、何かを察したようだった。小さな耳が伏せられる。袖を掴む手が、いつもより強くなる。

 

「姉さま、どこか行くの?」

 

 黒歌は膝をつき、白音と目線を合わせた。

 

「少しだけ、離れるにゃ」

 

「いや」

 

 即答だった。

 

 黒歌の胸が詰まる。

 

「白音も行く」

 

「危ないかもしれないにゃ」

 

「なら、白音も一緒に危ないところに行く」

 

「それは駄目にゃ」

 

「姉さま、置いていかないって言った」

 

 その言葉に、黒歌は何も返せなかった。

 

 確かに言った。あの夜も、逃げる途中も、何度も言った。白音を置いていかない。いなくならない。そう言わなければ、白音が壊れてしまいそうだったから。

 

 けれど、その約束が今、白音をさらに傷つけている。

 

「置いていくんじゃないにゃ」

 

「同じ」

 

 白音の目に涙が浮かぶ。

 

「姉さまがいないなら、同じ」

 

 黒歌は白音を抱きしめた。白音は抵抗せず、すぐにしがみついてくる。小さな手が背中の服を掴んだ。

 

「白音のそばにいたいにゃ。ずっと一緒にいたい。でも、姉さまがそばにいると、白音を狙う人が増えるかもしれないにゃ」

 

「白音、狙われてもいい」

 

「よくないにゃ」

 

「姉さまがいない方がいや」

 

 黒歌は目を閉じた。

 

 白音は何も間違っていない。子どもが姉と一緒にいたいと願うことの、何が悪いのか。守るためだと言いながら、その当然の願いを踏みにじっているのは自分だ。

 

「ごめんにゃ」

 

 白音の肩が震えた。

 

「謝らないで」

 

「ごめんにゃ」

 

「姉さま、行かないで」

 

 黒歌は白音の額に、自分の額をそっと寄せた。

 

「また会うにゃ」

 

「いつ?」

 

「分からないにゃ」

 

 白音が息を詰まらせる。

 

 黒歌は嘘をつけなかった。すぐ戻ると、簡単に言いたかった。明日には会える。来週には帰る。そう言えば、白音は少し安心したかもしれない。

 

 けれど、守れないかもしれない約束をこれ以上重ねたくなかった。

 

「でも、絶対に会うにゃ。白音がここで待っていてくれるなら、姉さまは必ず帰ってくる」

 

「ほんと?」

 

「ほんとにゃ」

 

 白音は泣きながら黒歌の服を握った。

 

「嘘だったら、いや」

 

「嘘にしないにゃ」

 

 黒歌は白音をリアスの方へ連れていった。

 

 白音は最後まで離れようとしなかった。リアスも、無理に引き剥がそうとはしない。ただ、白音の前に立ち、まっすぐに言った。

 

「あなたが黒歌を待つ場所を、私が守るわ」

 

 白音は涙で濡れた目でリアスを見る。

 

「姉さま、帰ってくる?」

 

「帰ってこさせるわ」

 

 リアスの声は強かった。

 

「黒歌が約束を破ったら、私が怒る。だから、あなたはここで待っていなさい」

 

 白音は何度も黒歌を見た。黒歌は笑った。いつものように軽く、猫のように。だが、うまく笑えている自信はなかった。

 

「白音」

 

「……なに」

 

「また会うにゃ」

 

 白音は泣きながら頷いた。

 

 その夜、黒歌はグレモリー家を出た。

 

 見送りは少なかった。サーゼクスとグレイフィア。そして、少し離れた場所にリアス。白音は部屋にいる。顔を見れば、黒歌は動けなくなる。だから、最後の最後だけは会わなかった。

 

 サーゼクスは黒歌へ小さな術式具を渡した。

 

「定期連絡用だ。無理に遠くへ行きすぎないこと。何かあれば必ず知らせなさい」

 

「監視付きの家出にゃ」

 

「家出というには、少し物騒だけれどね」

 

 グレイフィアは相変わらず厳しい顔をしていた。

 

「無謀な行動は控えてください。あなたの身に何かあれば、白音様が傷つきます」

 

「分かってるにゃ」

 

 リアスは腕を組んだまま、黒歌を睨むように見ていた。

 

「白音を泣かせた分、ちゃんと帰ってきなさい」

 

「怖いにゃあ」

 

「本気よ」

 

「知ってるにゃ」

 

 黒歌は最後に、白音のいる部屋の窓を見上げた。灯りがついている。カーテンは閉まっている。そこに白音がいる。泣いているかもしれない。眠れずにいるかもしれない。

 

 今すぐ駆け戻りたかった。

 

 けれど、戻らなかった。

 

「また会うにゃ、白音」

 

 小さく呟き、黒歌は歩き出した。

 

 数日後、黒歌は山間の道を進んでいた。

 

 身を隠しながら、ナベリウス家の残党の動きと、朱璃を襲った者たちの痕跡を追っていた。いくつかの情報は拾えた。だが、妙なことに、追えば追うほど気配が薄くなる。

 

 悪魔の魔力だけではない。退魔師とも違う。妖怪の気配でもない。まるで世界の隙間に染み込んだ影のように、認識しようとするほど輪郭がぼやける。

 

「嫌な感じにゃ」

 

 崖沿いの道で、黒歌は足を止めた。

 

 風が止まっている。

 

 次の瞬間、背後の空間が歪んだ。

 

 黒歌は横へ跳ぶ。さっきまで立っていた場所に、黒い刃のようなものが突き刺さった。土が抉れ、岩肌に細い亀裂が走る。

 

「やっぱり来たにゃ」

 

 黒歌は尻尾を膨らませ、黒い炎を足元へ走らせた。だが、炎は途中で不自然に揺らぎ、霧のように散る。

 

 影の中から、何者かが現れた。

 

 顔は見えない。黒い外套のようなものに覆われ、声も歪んでいる。だが、こちらを知っている気配だけはあった。

 

「妹から離れたのは正解だったな」

 

 黒歌の中で、温度が消えた。

 

「白音の名前を、知ってるのかにゃ」

 

「知っているとも。お前が何を守ろうとしているのかも」

 

 黒歌は踏み込んだ。

 

 黒い炎を囮に、影へ爪を走らせる。だが相手は半歩だけずれ、黒歌の妖術の発動点を正確に潰してきた。悪魔の魔力を流そうとした瞬間、内側から流れが乱される。

 

 こちらの力を知っている。

 

 いや、知っているだけではない。対策されている。

 

 黒歌は距離を取ろうとした。だが、足元の影が不自然に伸び、足首に絡みつく。一瞬の遅れ。その隙に、黒い刃が視界の外から走った。

 

 衝撃。

 

 痛みより先に、身体の奥の魔力が途切れる感覚があった。

 

「あ……」

 

 黒歌は膝をつく。

 

 熱いものが身体から抜けていく。視界が揺れた。耳鳴りがする。自分がどこを斬られたのか、すぐには分からなかった。ただ、致命的だということだけは分かった。

 

 影が近づいてくる。

 

 黒歌は爪を立てようとした。だが、指がうまく動かない。

 

「まだ……」

 

 白音との約束が脳裏に浮かぶ。

 

 また会うと言った。絶対に帰ると言った。嘘にしないと、泣いている妹に誓った。

 

 ここで終われば、白音はまた置いていかれる。

 

 そんなのは嫌だ。

 

 黒歌は最後の力で立ち上がろうとした。その瞬間、足元の崖が崩れた。あるいは、崩されたのかもしれない。踏みしめる場所が消え、身体が後ろへ傾く。

 

 落ちる。

 

 黒歌は影の顔を見ようとした。だが、闇に覆われて何も見えない。

 

 崖下へ身体が投げ出される。

 

 冷たい風が耳を裂く。空が遠ざかる。岩肌が流れる。痛みも恐怖も、どこか遠い。残ったのは、白音の泣き顔だけだった。

 

 まだ、帰ってない。

 

 心の中でそう呟いた瞬間、落下する先の闇が歪んだ。

 

 地面ではない。水でもない。空間そのものが裂けたような暗がりが、黒歌の身体を呑み込もうとしている。魔力とは違う流れ。妖気とも違う。知らない世界の匂いがした。

 

 黒歌は手を伸ばした。

 

 届くはずのない誰かへ。

 

 白音。

 

 また会うって、言ったのに。

 

 その思いだけを握りしめたまま、黒歌の意識は闇に沈んだ。

 

 同じ夜、グレモリー家に報告が届いた。

 

 サーゼクスは執務室でそれを聞いた。報告者の顔色は悪く、声も硬い。

 

「黒歌が襲撃を受けました。崖下へ落下。周辺を捜索しましたが、生存反応は確認できません」

 

 サーゼクスの表情から、わずかに温度が消える。

 

「襲撃者は」

 

「不明です。ナベリウス家の残党とは断定できません。魔力の痕跡も、通常の悪魔のものとは違います」

 

「……そうか」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 報告者が続ける。

 

「白音様には、どうお伝えしますか」

 

 サーゼクスは目を閉じた。

 

 黒歌は帰ると言った。必ず戻ると約束した。白音はそれを信じて待っている。だが、今この時点で、黒歌が生きている証拠はない。

 

 伝えなければならない。

 

 その残酷さを理解しながら、サーゼクスは静かに息を吐いた。

 

 その夜、黒猫は世界から消えた。

 

 白い妹との約束だけを、果たせないまま残して。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。