星降る温室のラストレター 〜消えゆく願いと、嘘つきな番人〜 作:くにゅたろ
空が、また割れた。
ユイは温室の天井ガラス越しに、それを見た。
夜空に亀裂が入るような光。細い筋が、白く、鋭く、地平線に向かって落ちていく。
星の欠片だ。
今夜で、三つ目。
「……多いな」
誰に言うでもなく、呟く。
ここ最近、欠片が降る頻度が上がっていた。世界が終わりに近づいている証拠だと、年寄りの番人たちは言う。ユイにはよくわからない。ただ、仕事が増えることは確かだった。
温室の中は、いつも静かだ。
棚が何列も並んでいる。その上に、小さな光の粒が並んでいる。丸いもの、細長いもの、砕けかけたもの。ひとつひとつが、誰かの願いを内包した星の欠片だ。
ユイの仕事は、それを管理すること。
欠片は不安定だ。放っておくと暴走する。正しく扱わないと砕ける。砕けた欠片は、中の記憶ごと消える。だから番人が必要だった。
この温室には、ユイを含めて五人の番人がいる。
でも実質、ユイひとりで回っていた。
「ユイさん、棚C-7の欠片がまた不安定になってて……」
後輩番人のレンが、青い顔で駆け込んできた。十五歳。まだ半年しか経っていない。
「どのくらい?」
「光が赤くなってます。このままだと……」
「わかった」
ユイは道具も持たず歩いた。
C-7の棚。確かに赤い。振動している。このまま放置すれば十分以内に砕ける。
ユイは右手を伸ばした。
欠片に、触れる。
普通の番人は素手で触れない。専用の手袋が必要だ。触れただけで欠片の意志に飲まれる。意識が持っていかれる。だから道具が要る。
でもユイには、必要なかった。
欠片の中に、声がある。誰かの記憶が、感情が、ぎゅっと圧縮されて詰まっている。ユイにはそれが聞こえた。声として、温度として、指先から直接流れ込んでくる。
怖くない。ただ、悲しかった。
誰かが必死に願ったものだから。
「……大丈夫」
低く、静かに言う。
光が、落ち着いた。赤から白へ。振動が止まる。
十秒も要らなかった。
「え」
レンが目を見開いていた。
「どうやったんですか。手袋もなしに……」
「慣れ」
「慣れで済む話じゃないですよそれ! 先週、ベテランのカナさんが同じことやって意識飛ばされてたのに……」
「カナさんは優しすぎる。欠片に引っ張られる」
ユイは手を下ろした。
「私は、引っ張られない」
それだけ言って、次の棚へ向かう。
レンが何か言いたそうにしていたけれど、ユイは聞かなかった。
その子が来たのは、その夜だった。
閉館時間を過ぎた温室に、人影が入ってきた。
ユイは振り向く。
小柄な少女だった。薄い色の髪。青白い肌。目だけが、異様に大きく、暗い。
十六歳くらい。体が、細すぎた。
「ここ、まだ開いてますか」
声は静かだった。弱々しくはない。ただ、静かだ。
「閉館です」
ユイは言った。
「そうですか」
少女は出ていかなかった。ドアのそばに立ったまま、棚の欠片を見ていた。
「……何か用ですか」
「見てただけです。綺麗だなと思って」
ユイは少女を見た。
手首が見えた。うっすらと、透けている。
わかった。この子は、願いを使った。使いかけている。つまり、もう始まっている。少しずつ、消えていく途中だ。
「願い、使いましたね」
少女の目が動いた。
「……わかるんですか」
「番人なので」
「そうですか」
また沈黙。
少女はユイを見た。真っ直ぐに。
「あなたは、ここで働いてるんですか」
「そうです」
「どうして」
どうして。ユイは少し考えた。
「誰かの願いを、壊したくないから」
少女は何かを考えるように目を伏せた。
それから、静かに言った。
「私はミオといいます」
「ユイです」
「ユイさん」ミオは繰り返した。「ひとつ、聞いていいですか」
「何を」
「もし誰かが、願いを使わないって決めたとして」ミオは少し間を置いた。「その人は、ただ死ぬだけですか」
ユイは答えなかった。
答えられなかったのではない。答えを、持っていなかった。
今まで誰も、そんなことを聞かなかった。みんな願いを使いたかった。使えなかった。使いすぎた。でも使わないと決めた人を、ユイは知らなかった。
「……なんで使わないんですか」
思わず聞いた。
ミオは少し笑った。
笑顔だった。でも、泣きそうな顔に似ていた。
「誰かが消えるのが嫌だから」
ユイは黙った。
欠片の光が、ミオの横顔を照らしていた。
白くて、細くて、透けかけていて。
でも、綺麗だった。
「また来てもいいですか」
ミオが聞いた。
「……閉館後は駄目です」
「閉館前なら」
「……好きにしてください」
ミオはもう一度、小さく笑った。
それから、ドアを出ていった。
ひとりになった温室で、ユイは棚の欠片を見た。
無数の光。無数の願い。無数の誰か。
誰かが消えることで、誰かが生きる。
それがこの温室のルールだった。ずっとそうだった。ユイもそれを当然だと思っていた。
でも。
——誰かが消えるのが嫌だから。
ミオの声が、耳に残っていた。
ユイは右手を見た。欠片に触れた手。誰の意志にも引っ張られない、この手。
何かが、引っかかった。
うまく言葉にできない。ただ、引っかかった。
もしかしたら。
ユイは思った。
もしかしたら、誰も消えなくていい方法が、あるんじゃないか。
今まで誰も考えなかっただけで。
欠片に触れ続けた自分なら、気づけることがあるんじゃないか。
まだわからない。
でも、調べる価値はある。
ユイは棚の一番古い欠片の前で立ち止まった。この温室に来て一番長い、誰も引き取りにこない欠片。いつか調べようと思って、ずっと後回しにしていたもの。
手を伸ばす。
触れる。
流れ込んでくる。記憶が、感情が、声が。
その中に、何かがあった。
次回:欠片の中に眠っていたのは、消えた人間の記憶だった。
ユイはその記憶の中に、信じられないものを見つける。
そして、ミオが本当のことを話し始める。