星降る温室のラストレター 〜消えゆく願いと、嘘つきな番人〜   作:くにゅたろ

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第2話「真実と嘘の始まり」

 欠片の中に、声があった。

 

 それは普通の声じゃない。

 

 音じゃない。でも、確かに聞こえる。温度みたいなものが、指先から肩に、胸に、じわじわと染み込んでくる。

 

 ユイはじっとしていた。

 

 目を閉じる。

 

 ——誰かがいる。

 

 その人は、笑っていた。

 

 どこかの丘の上で、誰かと並んで座っていた。風が吹いていた。草の匂いがした。隣にいる人の声が、遠くて近くて、でも聞き取れなかった。

 

 幸せだった。

 

 ただ、それだけが伝わってきた。

 

 この人は幸せだった。そしていつか、願いを使って、消えた。

 

 ユイは手を離した。

 

 温室の棚。並んだ欠片の光。夜の静けさ。

 

 胸の中に、誰かの幸せな記憶がまだ残っていた。すぐには消えない。いつもそうだった。触れたあとしばらくは、知らない誰かの感情が自分の中に溶けている。

 

 ユイはそれが嫌いじゃなかった。

 

 でも今夜は、少し重かった。

 

 

「先輩、また素手ですか」

 

 翌朝、レンが呆れた顔で言った。

 

「手袋どこやったんですか」

 

「棚の上」

 

「使ってください」

 

「面倒」

 

「面倒じゃないですよ! 普通の人は手袋なしで触ったら三日は寝込むんですよ? 先輩がおかしいんです」

 

 レンはこういうキャラだった。よく喋る。よく驚く。でも仕事は真面目だ。

 

「昨日、古い欠片に触ってましたよね」

 

 レンの声が、少し変わった。

 

「見てたの」

 

「たまたまです。あれ、C区画の最奥のやつですよね。誰も近づかないやつ」

 

「そう」

 

「なんで触ったんですか。あれ、カナさんでも『無理』って言ってた欠片ですよ」

 

 ユイは少し考えた。

 

「気になったから」

 

「気になったから、で触るんですか」

 

「触れたから、触った」

 

 レンが頭を抱えた。

 

「先輩の感覚、本当に理解できないです」

 

 ユイは答えなかった。

 

 理解できなくていい、と思った。自分でもうまく説明できないのだから。

 

 

 その日の午後、ミオが来た。

 

 閉館一時間前。ちゃんと開館時間内に来た。約束を守る子だ、とユイは思った。

 

「こんにちは」

 

 ミオは棚の前をゆっくり歩いていた。欠片をひとつひとつ、目で追いながら。

 

「昨日と同じ場所にいる」

 

 ユイが言うと、ミオは振り向いた。

 

「そうですか?」

 

「毎日来るつもり?」

 

「駄目ですか」

 

「別に」

 

 ユイは作業を続けた。棚の記録を更新する。欠片の状態を確認する。いつもの仕事だ。

 

 しばらく、静かだった。

 

 ミオが欠片を見ていた。ユイが仕事をしていた。それだけだった。

 

 悪くない静けさだった。

 

「ユイさん」

 

「何」

 

「これ、全部、願いですか」

 

 ミオが棚を見ながら言った。

 

「そう」

 

「全部、誰かが願ったもの」

 

「そう」

 

「誰かが……消えて、残ったもの」

 

 ユイは手を止めた。

 

 振り向く。

 

 ミオは欠片をじっと見ていた。悲しそうな顔じゃない。ただ、静かに、確認するような目だった。

 

「よく知ってるね」

 

「調べました。願いの仕組み」

 

「……そう」

 

「消えた人の、記憶が残るって本に書いてあって」ミオは欠片のひとつを指さした。触れなかった。「これも、誰かの記憶ですか」

 

「全部そう」

 

 ミオの指が、空中で止まった。

 

「そっか」

 

 小さく言って、手を下ろした。

 

 ユイはミオを見ていた。

 

 何かを確認した顔だった。何かを決めた顔に、少し似ていた。

 

 

「ミオ」

 

 ユイは珍しく、名前で呼んだ。

 

 ミオが振り向く。

 

「願い、使うつもりないの? 本当に」

 

 少し間があった。

 

「はい」

 

「余命、一年くらい?」

 

 ミオは驚いた顔をしなかった。

 

「……わかるんですか」

 

「透け方でだいたいわかる。願いを使った量と、残り時間は比例しない。でも体の状態と透明度でだいたい」

 

「すごいですね」

 

「答えて」

 

 ミオは少し笑った。

 

「だいたい、そのくらいです」

 

「使えば助かる」

 

「はい」

 

「でも使わない」

 

「はい」

 

 ユイはミオを見た。真っ直ぐに。

 

「なんで」

 

 ミオは欠片の棚を見た。

 

「さっき確認できたから」

 

「何を」

 

「願いを使うと、誰かがここに来る」ミオは静かに言った。「誰かの記憶が、ここに積み上がる。私が生きるために、誰かの人生がここに来る」

 

 ユイは黙っていた。

 

「それが嫌です」

 

 ミオの声は、震えていなかった。

 

 泣いてもいなかった。

 

 ただ、静かに、はっきりと言った。

 

「私のために誰かが消えるのが、嫌です」

 

 

 ユイは何も言えなかった。

 

 言えなかったのじゃない。

 

 何を言うべきか、わからなかった。

 

 番人として、正しい答えはある。「願いを使うかどうかは本人の自由です」「代償があることは周知されています」。そういうことは言える。

 

 でも今、ミオに向かって、それを言う気にならなかった。

 

 なんでだろう、と思った。

 

「……誰も消えない方法を、探している」

 

 気づいたら、口に出していた。

 

 ミオが振り向いた。

 

「え」

 

「私が、探してる。欠片に触れ続けてきたから、見えてきたことがある。誰も消えずに願いを叶える方法が、もしかしたらあるかもしれない」

 

 ミオはしばらく、ユイを見ていた。

 

 それから、静かに言った。

 

「……本当ですか」

 

「まだわからない。でも、調べてる」

 

 また間があった。

 

 ミオの目が、少し揺れた。

 

 信じたいと思っている目だった。

 

 でも——ユイには見えた。

 

 ミオは知っている。

 

 この話が、簡単じゃないことを。「誰も消えない方法」なんて、そんなに簡単に見つかるものじゃないことを。

 

 それでもミオは言った。

 

「そうですか」

 

 笑っていた。

 

 さっきと同じ、泣きそうな顔に似た笑顔で。

 

「なら、楽しみにしてます」

 

 

 閉館の時間になった。

 

 ミオが帰り際に振り向いた。

 

「ユイさん」

 

「何」

 

「欠片って、触るとどんな感じですか」

 

 ユイは少し考えた。

 

「温かい」

 

「温かい?」

 

「誰かの記憶だから。誰かが大切にしてたものだから。怖くない。ただ、温かい」

 

 ミオはそれを聞いて、また少し笑った。

 

 今度は、泣きそうじゃなかった。

 

 少しだけ、本物の笑顔に近かった。

 

「そっか」

 

 それだけ言って、出ていった。

 

 

 ユイはひとりになった。

 

 温室の棚。無数の欠片。誰かの記憶。

 

 さっき自分が言ったことを、頭の中で繰り返した。

 

 ——誰も消えない方法を、探している。

 

 嘘じゃない。本当に探している。ただ、まだ何もわかっていない。可能性があると思っているだけだ。

 

 でもミオはそれを聞いて、「楽しみにしてます」と言った。

 

 信じてくれた。

 

 ……本当に、信じたのか?

 

 ユイはミオの目を思い出した。

 

 揺れていた。

 

 信じたいけど、信じ切れない。そういう目だった。

 

 つまりミオは知っている。「簡単じゃないかもしれない」と気づいている。

 

 それでも笑った。

 

 ユイが言ったことを、受け取った。

 

 なぜ?

 

 ユイにはわからなかった。

 

 ただ、一番古い欠片の前に戻った。昨夜触れた欠片。誰かの幸せな記憶が入っているもの。

 

 もう一度、触れる。

 

 声が来る。記憶が来る。

 

 丘の上。風。笑い声。

 

 でもその奥に、もっと深いところに、何かあった。

 

 昨夜は気づかなかった何かが、今夜は少しだけ見えた。

 

 この欠片は——ただの記憶じゃない。

 

 何かを、伝えようとしている。

 

 

        ——第3話へ続く——

 




次回:ユイが複数の欠片を同時に読み、見えてきた「繋がり」。
そしてミオが、ユイの研究ノートを見つける。
互いの嘘が、静かに交差する夜が来る。
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