星降る温室のラストレター 〜消えゆく願いと、嘘つきな番人〜 作:くにゅたろ
欠片には、繋がりがある。
ユイがそれに気づいたのは、三日前のことだった。
ひとつの欠片に触れると、近くの欠片が微かに反応する。光が揺れる。温度が変わる。最初は気のせいだと思った。でも何度確認しても、同じことが起きた。
欠片同士が、呼応している。
まるで会話しているみたいに。
ユイは棚の前に立って、両手を広げた。左手で一つ、右手で一つ。同時に触れる。
普通の番人なら、一つ触れるだけで意識が飛ぶ。
ユイは二つ同時に触れた。
「——」
声が、二つ来た。
重なった。
ひとりは丘の上の記憶。もうひとりは——海の記憶だった。波の音。潮の匂い。遠くに灯台の光。
別々の人間の、別々の記憶。
でも、繋がっていた。
丘の人と、海の人は、同じ日に消えていた。
ユイにはそれが、指先からわかった。同じ時間に、同じ場所に近いどこかで。ふたりは別々に願いを使って、別々に消えた。でも欠片の中に残った記憶は、どこかで繋がっていた。
手を離す。
息を吐く。
頭が少し痛かった。二つ同時は、さすがに負荷がかかる。でも、できた。
繋がりがある。
欠片は孤立した記憶じゃない。消えた人たちの記憶は、温室の中でひっそりと繋がり続けている。
それが何を意味するのか、まだわからない。
でも——何かある。
確信に近いものが、胸の奥にあった。
「先輩、顔色悪いですよ」
レンが横から顔を覗き込んできた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ。また無茶したんですか」
「実験してた」
「実験って……また複数同時ですか」
ユイは答えなかった。
「やっぱり。なんでそんなことするんですか。欠片の同時接触って、理論上は不可能って教科書に書いてありますよ?」
「私には可能だった」
「そういう問題じゃなくて!」
レンは頭を抱えた。
「……何を調べてるんですか、先輩」
「欠片の繋がり」
「繋がり?」
「欠片同士が、呼応してる。触れるとわかる。同時に触れると、もっとよくわかる」
レンはしばらく黙っていた。
「……それって、何のために調べてるんですか」
ユイは少し間を置いた。
「誰も消えない方法があるかもしれない。その手がかりになるかもしれない」
「誰も消えない……?」
「願いを叶えながら、誰も消えない方法」
レンの目が丸くなった。
「そんなこと、できるんですか」
「わからない。でも、繋がりの中に何かある気がする」
「気がする、で両手同時接触するんですか先輩は……」
呆れた声だったけど、レンは笑っていた。
「応援してます。意味わかんないけど」
ユイは少しだけ、口の端が上がった。
その日の夕方、ミオが来た。
いつもより少し早い時間だった。
ユイは奥の作業台でノートを広げていた。欠片の反応記録。接触した時間、感知した内容、欠片同士の反応パターン。細かく書き込んだメモが、何ページも続いている。
「こんにちは」
「ん」
ユイは顔を上げずに返事をした。
ミオがいつものように棚の前を歩き始める。その気配を感じながら、ユイはノートを書き続けた。
しばらく静かだった。
ミオの足音が、止まった。
ユイは顔を上げた。
ミオが作業台の近くに来ていた。ノートを、見ていた。
遠くから、でも確かに見えてしまう距離で。
「……見ていい?」
ミオが聞いた。
ユイは少し考えた。
「好きに」
ミオはノートに近づいた。手を伸ばして、ページをめくった。
静かに読んでいた。
ユイはその横顔を見ていた。
ミオの目が、ゆっくりと動く。文字を追っている。数字を追っている。「欠片接触記録・第17回——左右同時接触・成功・繋がりの感知あり」「欠片C-7とC-12、同一日時に消滅した可能性——記憶の温度が一致」。
そういうことが、ずっと書いてある。
ミオはページを戻した。最初のページ。一番古い記録。
そこには日付があった。
ミオが温室に初めて来た日の、三日前。
「……ユイさん」
「何」
「これ、いつから調べてるんですか」
「三週間くらい前から、ちゃんと記録してる。感覚としては、もっと前から」
「三週間前」
「そう」
ミオはノートから目を離した。ユイを見た。
「私が来る前から、調べてたんですね」
「そう」
「私のためじゃなかった」
ユイは答えなかった。
そうだ、とは言えなかった。
嘘になるから。
最初は確かに、ミオのためじゃなかった。欠片の繋がりが気になっただけだ。でも今は——ミオのことを考えながら調べている。ミオが生きられる方法を探しながら、記録を書いている。
どちらも本当で、どちらも全部じゃない。
「……そう、とも言えない」
ユイは静かに言った。
ミオが少し目を細めた。
「そっか」
また、あの笑顔だった。
泣きそうな顔に似た笑顔。でも今日は、少し違った。
何かを、確認した顔だった。
「ミオ」
「はい」
「聞いていいか」
「はい」
「私が嘘をついてたとしたら」
ミオの表情が、止まった。
「誰も消えない方法が、まだ見つかってないとしたら。見つかる保証がないとしたら」
ユイはミオを見た。
「怒る?」
間があった。
長い間だった。
ミオはゆっくりと、ノートを閉じた。
「怒らないです」
「なんで」
「嘘だって、わかってたから」
ユイは何も言えなかった。
「わかってた。でも……嬉しかったです」
「何が」
「ユイさんが、そう言ってくれたこと」ミオは作業台に手を置いた。「誰かが、私のために何かしようとしてくれてること。それが、嬉しかった」
ユイは黙っていた。
「だから私も、嘘ついてました」
「……何を」
「もう十分生きた、って言ったこと」
ユイの胸の奥で、何かが静かに痛んだ。
「嘘です。生きたい。本当は、すごく生きたい」
ミオの声は震えていなかった。
でも、はっきりしていた。
「ただ、誰かが消えるのは嫌で。だから生きたくないふりをしてた。そのほうが、楽だったから」
ユイはミオを見ていた。
細い体。青白い肌。透けかけた手首。
生きたいと思っている目。
「ふたりとも、嘘つきだったね」
ユイが言った。
ミオが少し笑った。
「そうですね」
「……ごめん」
「謝らないでください」ミオは首を振った。「嬉しかったのは本当だから」
沈黙が来た。
でも、さっきまでと違う沈黙だった。
嘘がなくなったあとの、静けさだった。
その夜、ミオが帰ったあと。
ユイは作業台に向かった。
ノートを開く。最新のページ。記録の続きを書こうとした。
でも、ペンが止まった。
ミオの顔が浮かんだ。
「生きたい。本当は、すごく生きたい」
あの声が、耳に残っていた。
震えていなかった。だから余計に、重かった。
ユイは欠片の棚を見た。
無数の光。誰かの記憶。誰かの人生。
この中に、答えがある気がする。
まだわからない。でも、ある気がする。
ユイは立ち上がった。
棚の奥へ歩く。一番古い欠片のところへ。
両手を広げた。
左右、同時に触れる。
さらにもう一つ。三つ同時。
頭が痛くなる。でも止めなかった。
声が来る。記憶が来る。重なる。混ざる。
丘の人。海の人。もうひとり——川の記憶を持つ人。
三つの記憶が、同時に流れ込んでくる。
そして——見えた。
三つの記憶の、深いところ。繋がっている部分。そこに何かあった。記憶じゃない。感情でもない。もっと根本的な何か。
願いそのものの、残滓。
消えた人たちが最後に残した、純粋な意志。
まだ形がない。でも、確かにある。
手を離す。
床に片膝をついた。頭が割れそうに痛い。三つ同時は、限界に近かった。
でも、見えた。
「……ある」
ユイは呟いた。
誰も消えない方法への、最初の手がかり。
嘘じゃなくなるかもしれない。
ユイは痛む頭を抱えながら、それでも少しだけ——息をついた。
その夜遅く。
ユイは気づいた。
自分の右手が、光の当たり方によって、うっすらと透けて見えることに。
欠片に触れすぎた代償か。
それとも。
ユイはしばらく、自分の手を見ていた。
消えるのが怖いか、と自分に聞いた。
答えは出なかった。
ノートに、一行だけ書いた。
「手がかり、あり。時間がかかるかもしれない」
それから、一番下に小さく書いた。
「間に合わせる」
ペンを置いた。
欠片の光が、静かに揺れていた。
——第4話へ続く——
次回:ミオの体調が、急に悪化する。
残り時間が、思っていたより短かった。
決断の夜が来る。