星降る温室のラストレター 〜消えゆく願いと、嘘つきな番人〜   作:くにゅたろ

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第4話「決断の夜」

ミオが倒れたのは、雨の日だった。

 

 温室の入り口で、突然座り込んだ。

 

 ユイが気づいたのは、レンの声が聞こえたからだった。

 

「ユイさん! ミオさんが——」

 

 走った。

 

 入り口のドアのそばに、ミオがいた。壁に背を預けて、膝を抱えていた。顔が青い。いつもより、ずっと青い。

 

 ユイはミオの前にしゃがんだ。

 

「ミオ」

 

「……すみません」

 

「謝らなくていい。どこが痛い」

 

「胸、が」ミオは浅く息をした。「少し、苦しくて」

 

 ユイはミオの手首を見た。

 

 透けていた。

 

 三日前より、明らかに透けていた。

 

 一週間で、これだけ進むのか。

 

 ユイは胸の中で、何かが冷えるのを感じた。計算が、合わない。余命一年と思っていた。でも今の透け方は、一年じゃない。

 

 もっと、短い。

 

「レン」

 

「は、はい」

 

「水。それと毛布、奥の棚から」

 

「わかりました」

 

 レンが走った。

 

 ユイはミオを見た。

 

「余命、一年じゃないね」

 

 ミオは少し間を置いた。

 

「……三ヶ月、くらいって言われてました」

 

「なんで言わなかった」

 

「言ったら、ユイさんが焦ると思って」

 

 ユイは何も言えなかった。

 

「急かせたくなかった。研究、急かしたくなかったんです」

 

 ミオの声は苦しそうなのに、穏やかだった。

 

「馬鹿」

 

 ユイは言った。

 

「すみません」

 

「謝るな」

 

 レンが毛布と水を持って戻ってきた。ユイはミオの肩に毛布をかけた。水を渡す。ミオが少しずつ飲んだ。

 

 雨の音が、屋根を叩いていた。

 

 

 その夜、ミオは温室の奥の休憩室で横になった。

 

 帰れる状態じゃなかった。レンが「泊まっていってください」と半ば強引に決めた。ミオは少し困った顔をしたけど、断らなかった。

 

 夜が深くなって、レンは帰った。

 

 温室にユイとミオだけになった。

 

 ユイは作業台に向かっていた。ノートを開いていた。でも、ペンは動かなかった。

 

 三ヶ月。

 

 頭の中で、その数字が繰り返されていた。

 

 三ヶ月で、今の透け方。このまま進めば、実際はもっと早いかもしれない。

 

 手がかりは、ある。

 

 三つの記憶の深いところに、消えた人たちの「純粋な意志の残滓」がある。それが何かはまだわからない。でも、そこに答えがある気がする。

 

 気がする、だけだ。

 

 確証がない。時間もない。

 

「ユイさん」

 

 奥から声がした。

 

 ユイは立ち上がった。休憩室のドアを開ける。

 

 ミオが横になったまま、こちらを見ていた。

 

「起きてたの」

 

「眠れなくて」

 

 ユイは部屋に入った。壁際に置いてある椅子を引いて、ミオのそばに座った。

 

「体、どう」

 

「さっきよりはいいです」ミオは少し笑った。「心配かけてすみません」

 

「謝るなって言った」

 

「癖なので」

 

 しばらく、ふたりとも黙っていた。

 

 雨はまだ降っていた。

 

「ユイさん」

 

「何」

 

「正直に教えてください」

 

 ミオの声が、静かになった。

 

「研究、どのくらいですか」

 

 ユイは答えなかった。

 

「手がかりは、ある。でもまだわからない」

 

「間に合いますか」

 

 間があった。

 

 正直に言うなら——わからない、だ。可能性はある。でも保証はない。三ヶ月で答えが出るかどうか、今の段階では言えない。

 

「……わからない」

 

 ユイは言った。

 

「そうですか」

 

 ミオは天井を見た。

 

「正直に言ってくれてありがとうございます」

 

「嘘はもうつかない」

 

「うん」ミオが小さく頷いた。「私も、ちゃんと言います」

 

「何を」

 

「怖い」

 

 ユイはミオを見た。

 

「消えるのが、怖い。いなくなるのが、怖い」ミオの声は静かだった。震えていなかった。でも、はっきりしていた。「でも、それよりもっと怖いのは——誰かが消えることです」

 

「……」

 

「誰かの記憶が、あの棚に増えることが、怖い。私のために誰かがいなくなることが、怖い」

 

 ユイは黙っていた。

 

「だから願いは使いません。それは変わらない」ミオはユイを見た。「でも、生きたい。本当に、生きたい」

 

 その目が、真っ直ぐだった。

 

 泣いていなかった。

 

 ただ、真っ直ぐに、ユイを見ていた。

 

「……わかった」

 

 ユイは言った。

 

「わかった。間に合わせる」

 

「さっきわからないって——」

 

「わからなくても、間に合わせる」

 

 ミオが少し黙った。

 

 それから、また笑った。

 

「無茶苦茶ですね」

 

「番人の仕事は無茶が多い」

 

「そうなんですか」

 

「今日からそういうことにした」

 

 ミオがくすっと笑った。

 

 本物の笑い声だった。泣きそうじゃない、ただの笑い声。

 

 ユイはそれを聞いて、胸の奥で何かが決まった気がした。

 

 

 ミオが眠ったのは、それから一時間後だった。

 

 寝顔を見た。

 

 穏やかだった。細い体。薄い色の髪が枕に広がっている。手首は、暗い中でもうっすら光って見えた。透けている証拠だ。

 

 ユイはしばらく、その顔を見ていた。

 

 動かなかった。

 

 消えるのが怖いか、とまた自分に聞いた。

 

 今度は、少し答えが近かった。

 

 怖い。

 

 怖いけど。

 

 ユイは自分の右手を見た。光の角度によっては、うっすら透けている。三つ同時接触を繰り返しているせいか、少しずつ進んでいる。

 

 このままいけばどうなるか、わかっていた。

 

 欠片に触れ続けた人間が、欠片の側に引っ張られていく。番人の古い記録にそういう話があった。「深く触れすぎた者は、やがて欠片になる」。

 

 なる前に答えを出せばいい。

 

 そう思っていた。

 

 でも——もし間に合わなかったら。

 

 ユイは考えた。

 

 正直に考えた。

 

 もし研究が間に合わなくて、ミオの時間が尽きそうになったら。

 

 そのとき、自分は何をするか。

 

 答えは、すぐ出た。

 

 出てしまった。

 

 ユイは目を閉じた。

 

 その答えを、まだ言葉にしたくなかった。言葉にしたら、本当になる気がした。

 

 でも、胸の中ではもう決まっていた。

 

 静かに、はっきりと、決まっていた。

 

 

 ユイは温室に戻った。

 

 一番古い欠片の前に立った。

 

 夜中の温室。欠片の光だけが揺れている。雨の音。静けさ。

 

 両手を伸ばした。

 

 触れる。

 

 左右、同時。さらにもう一つ——三つ。

 

 頭が痛くなる。でも止めない。

 

 声が来る。記憶が来る。丘の人、海の人、川の人。

 

 その奥。もっと深いところ。

 

 さらに手を伸ばした。

 

 四つ目の欠片に触れた。

 

 四つ同時。

 

 頭が割れるように痛かった。目の奥が白くなった。でも、手を離さなかった。

 

 見える。

 

 深いところ。「純粋な意志の残滓」が集まっているところ。

 

 そこに——形があった。

 

 記憶じゃない。感情でもない。

 

 もっと根本的な何か。

 

 消えた人たちが最後に持っていたもの。願いを使って、消えていく瞬間に、それでも誰かのために思ったこと。

 

 それが、欠片の中に眠っていた。

 

 形になっていた。

 

 ユイは息を飲んだ。

 

 ——これだ。

 

 これを使えば。

 

 この「意志の残滓」を、正しく繋げることができれば。

 

 新しい願いの形が、作れるかもしれない。

 

 誰も消えない願いの、形が。

 

 手を離した。

 

 床に倒れ込んだ。

 

 頭が痛い。視界がぼやける。右手を見たら、肘のあたりまで透けていた。

 

 四つ同時は、やりすぎだった。

 

 でも。

 

「……見えた」

 

 ユイは呟いた。

 

 天井の欠片の光が、遠くに見えた。

 

 答えが、見えた。

 

 あとは、形にするだけだ。

 

 時間が要る。でも、ある。

 

 ユイは起き上がった。

 

 ゆっくりと、作業台に戻った。

 

 ノートを開く。

 

 見えたものを、全部書いた。図を描いた。繋がりの構造を書いた。手が震えていたけど、止めなかった。

 

 書きながら、思った。

 

 間に合う。

 

 たぶん、間に合う。

 

 でももし間に合わなかったときの答えも、もう出ていた。

 

 ユイはノートの端に、小さく書いた。

 

 宛名のない、一文。

 

「君が生きていてくれて嬉しい」

 

 書いてから、少し止まった。

 

 早い、と思った。まだミオは生きている。まだ諦めていない。これを使う必要はない。

 

 でも、消さなかった。

 

 破らなかった。

 

 ただ、ノートをそっと閉じた。

 

 欠片の光が揺れていた。

 

 雨の音が、少しずつ遠くなっていた。

 

 

        ——第5話へ続く——

 

 




次回:春が来た。
温室に、花が咲いている。
ミオは元気になった。
でも、何かが足りない気がする。
それが何かを、ミオはまだ知らない。
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