「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
第1話 不仲なはずの幼なじみが俺の家で味噌汁を作っている件
目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。一人暮らしの俺の家のリビングだ。昨夜の俺は寝室ではなく、リビングのソファで寝てしまったようだ。それ自体はいつものことだ。
だが、決定的な違和感が一つある。
――いい匂いがする。
男の一人暮らしにあるまじき、ダシの効いた味噌汁の香り。それに、トントントンという軽快な包丁の音。
俺はガバっと上半身を起こした。
「あら、やっと起きたの? おはよう、トーマ」
台所からひょっこりと顔を出したのは、制服にエプロン姿の美少女だった。
黄金色のツインテールを揺らし、切れ長だが大きな瞳でこちらを見ている。
腐れ縁の幼馴染。金髪碧眼、英語ペラペラ。我が校が誇る【美少女四天王】の一角。
傲然と咲き誇る高嶺の花である。
「……なんでいるんだよ」
「なによ。おばさんに許可取ってるんだから入ってきてもいいでしょ。それに、トーマが昨日あんなこと……ううん、なんでもないわ。ご飯できてるから顔洗ってきなさい」
フユミは頬をほんのり赤らめ、プイっと顔を背けて台所へ戻っていく。
なんだ今の反応は。
アイツはもっとこう、会えば開口一番「学校で私の話しないで」とか「なるべく私の視界に入らないで」とか罵倒してくるタイプの、クラシックなツンデレ(ツン99割)じゃなかったか?
あんな『新婚さん』みたいな空気を出されると、背筋が寒くなるんだが。
俺はふらつく足取りで洗面所へ向かい、顔を洗った。
鏡に映る自分を見る。黒髪、中肉中背、特徴のない顔。
俺、日村トーマ。17歳。
どこにでもいる平凡な高校生だ。美少女四天王の一角と関わり合う理由なんて、幼馴染という腐れ縁以外には何もない。
「……それにしても、体が重い」
全身が鉛のように気だるい。まるでフルマラソンを走った翌日のようだ。
俺はリビングに戻り、ちゃぶ台の前に座った。
湯気を立てる味噌汁、焼き魚、ふっくらとした白米。ゴキゲンな朝食だ。
向かい側に座ったフユミが、
「はい。熱いから気をつけてね」
「お、おう。サンキュー……」
優しい言葉と箸を受け取る。俺はポケットに入っていたスマホを取り出した。
とりあえず時間を確認しよう。
画面をタップする。
『5月7日(木) 08:30』
……ん?
俺は一度目をこすり、もう一度画面を見た。
5月7日。
おかしい。俺の記憶にある最後の日付は、確か4月30日の夜だ。
GWの宿題に追われ、夜遅くまでペンを走らせ、「よし、終わった!」と伸びをしたところまでは覚えている。
「なあ月澄」
死刑囚を見るような視線が返ってきた。
「名前で呼びなさいよ。
凄まじい怒りを買っているので、とりあえず命令に従う。
「フユミ、今日って5月7日か?」
「そうよ? ボケてるの?」
「……マジか」
一週間。
まるまる一週間分の記憶がない。
宿題を提出した記憶もなければ、その後どう過ごしたかの記憶もない。
俺は青ざめた。若年性健忘症か? それとも何かの事故に遭ったのか?
「どうしたのよ、トーマ。顔色が悪いわよ」
「いや……実は、ここ一週間のこと思い出せなくてさ」
俺が正直に告げると、フユミの箸がピタリと止まった。
端正な顔が、スッと真顔になる。
「記憶が、ない……?」
「ああ。30日の夜から、今朝目覚めるまでの記憶がスッポリ抜けてるんだ。俺、なんか変なことしてなかったか? 事故に遭ったとか、病気で寝込んでたとか」
フユミは無言で俺を凝視している。
その瞳の奥に、色とりどりに揺らめくような感情の光が見えた。怒り? 悲しみ? それとも呆れ?
彼女はゆっくりと箸を置き、食器が吹き飛びそうな勢いでため息をついた。
「……信じられない。最低」
「え?」
「あんなに激しかったのに。この私に、あんなことまでさせといて……全部忘れたっていうの!?」
フユミの声が震えている。
激しかった? あんなこと? この俺がフユミに? この天敵のような幼馴染に?
混乱する俺を置いて、フユミは身を乗り出した。その瞳が潤み、頬が真っ赤に染まる。
普段の高圧的な態度はどこへやら、そこには『女』の顔があった。
「責任、取ってくれるって言ったじゃない」
「せ、責任?」
「そうよ。だってトーマ……」
フユミは一度言葉を切り、意を決したように俺を指差した。
その指先は震えていたが、声はハッキリと、我が家の静寂を切り裂いた。
「私で童貞捨てたくせに、記憶がないなんて言わせないから!」
――は?
時が止まった。
味噌汁の湯気も、壁の時計の秒針も、俺の心臓すらも止まった気がした。
童貞を、捨てた?
俺が?
この、学内カースト頂点に君臨する美少女四天王の一人、月澄・フユミ・エインズワースを相手に?
「ちょ、ちょっと待てフユミ! 冗談だろ!?」
「冗談でこんなこと言うわけないでしょ! ……初めてだったんだから」
「ぶっ!!」
最後の消え入りそうな一言が、破壊力抜群すぎて俺はむせ返った。
嘘だろ。いや、ありえない。
俺とフユミの関係は『腐れ縁』以上でも以下でもなかったはずだ。
それが、空白の一週間の間に、そんな大人の階段を全速力で駆け上がるようなイベントが発生していたというのか?
俺は慌てて自分の体を確認した。
特に変わった様子はない。痛みもない。当たり前と言えば当たり前だが。
だが、フユミの様子は尋常ではない。あのプライドの高いフユミが、こんな嘘をつくメリットがどこにある?
「ま、ま、マジ……?」
「証拠ならあるわよ」
「証拠!?」
フユミはカバンから一枚の紙を取り出し、バンとテーブルに叩きつけた。
それは、ラブレターだった。
「トーマが書いたのよ。『俺の愛を形にしたいから』って泣きながら」
「俺の筆跡だ……」
間違いない。このミミズがのたうち回ったような字は、確かに俺のものだ。
「しかもハンコまで押してあるじゃねーか!」
「そうよ」
「しかも実印じゃねーか!」
「そうよ」
記憶がない。全くない。
だが、状況証拠は真っ黒だ。
俺は、空白の一週間の間に、幼馴染の純潔を奪い、ラブレターまで渡してしまったらしい。
「お、落ち着け俺。まずは状況を整理しよう」
「整理なんて必要ないわ。私たち付き合ってるんだから……。とりあえず高校に行きましょ。そろそろ出ないと遅刻しちゃう」
フユミは妖艶な微笑みを浮かべ、俺の味噌汁に粗挽き胡椒を大量に振っている。
彼女なりの照れ隠しなのか、それとも『逃げたら殺す』という警告なのか。
暗黒に染まる味噌汁を見つめながら、俺は戦慄した。
この時の俺はまだ知らなかったのだ。
失われた記憶と「童貞喪失(?)」の容疑をかけてくる相手が、フユミ一人だけではないということに。
そう、これは悪夢のような日々の、ほんの幕開けに過ぎなかった。