「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
午後の授業の内容は、一切記憶にない。
覚えているのは、窓の外を流れる雲が自由で羨ましかったことと、時計の針が刻一刻と
そして、運命のチャイムが鳴った。
「起立、礼」
号令と共に、クラスメイトたちが解放感に満ちた声を上げて散らばっていく。
「ごめんトーマ、あたし今日は部活の助っ人あるんだった! また明日話そ!」
コハルは太陽さながらの眩しいスマイルを残し、去っていった。
他のクラスメイトもそんな感じだ。
部活へ向かう者、遊びに行く者、恋人と帰る者。
俺もまた、恋人(?)と帰る者の一人だ。ただし、その帰り道にあるのは、ロマンスよりもサスペンスである。
「……はぁ」
俺が重いため息をついてカバンを掴んだ、その瞬間だった。
ガラッ!
教室のドアが小気味よい音を立てて開き、教室中の視線が一点に集まる。
そこに立っていたのは、制服を折り目正しく着こなした、金髪碧眼の美少女。
月澄・フユミ・エインズワース。
彼女は教室に入ってくるなり、迷うことなく俺の席へと直行してきた。
「お待たせ、トーマ。行きましょう」
有無を言わせぬ声色。
閑散としつつあったクラスがざわつく。
「おい、特進の月澄さんだぞ」
「日村のやつ、今度は月澄さんと帰るのか?」
「一軍ギャル、文学少女、幼なじみ……美少女四天王の三人と接点を持つだなんて」
「クソうらやましい」
「あいつ前世で国でも救ったのか?」
「いや、外患誘致で死刑宣告された顔だぞアレ」
鋭いなクラスメイトよ。大正解だ。
俺はシミズからの『脳がオーバーヒートしました。ひどく眠いので今日はもう寝ます』というラインを確認してから、フユミに従い教室を出た。
◆◆◆
通学路は、夕暮れでオレンジ色に染まっていた。
カラスが鳴き、どこかの家からカレーの匂いが漂う。
本来ならノスタルジックで胸がキュンとなるシチュエーションだ。
だが、俺の胸はギュンと押しつぶされている。
俺とフユミの間にあるのは沈黙だけ。
フユミは俺の半歩後ろを歩いている。これが何を意味するか。
逃げたら背中から刺す、という意思表示だ(被害妄想)。
「……あのさ、フユミ」
耐えきれずに俺は口を開いた。
「話って、昔話? それなら小五の頃のさぁ」
「とぼけないで」
フユミの声は切り裂くように鋭かった。
「文芸部室から出てきたこと。制服についてた長い黒髪……状況証拠は真っ黒でしょ」
完全にフユミの言う通りだ。俺は押し黙るほかない。
「アンタいっつもそう。昔から、私の見ていないところで勝手に怪我したり、泥だらけになったり、人助けしたり……」
フユミが足を止めた。
つられて俺も止まる。
場所は、かつて俺たちが毎日のように遊んでいた小さな公園の前だった。
フユミは俺の前に回り込み、ジッと俺を見上げた。
夕日を背負った彼女の金髪が、燃えるように輝いている。
上目遣いの碧眼は、潤んでいた。
「……私の知らないところで、他の女の匂いをさせて帰ってくる」
「フユミ……?」
「一週間前もそうだった。貴方は急に様子がおかしくなって、私のことを避けて……問い詰めたら、泣きそうな顔で抱きついてきて……」
フユミが一歩、近づく。
「『フユミしかいない』って言ったじゃない」
え。
言ったの俺? そんな殺し文句を?
「言ったじゃない。『昔からずっと好きだった』って!」
「それはその……そうなんだけども……」
昔からフユミが好きだったのは本当だ。伝えた記憶こそ無いが。
「言ったじゃない! 『俺はフユミがいなきゃダメなんだ』って!」
「それもその……そうなんだけども……」
世話焼きで気が利くフユミがいなきゃダメなのは本当だ。
俺は一人っ子だ。親はほとんど家に帰らない。実質一人暮らし同然。そんな俺にフユミが寄り添ってくれたのも事実だ。
「言ったじゃない! 『体にわからせてやる』って!」
「待って俺そんなゲスいこと言ったの!!?」
公園で談笑していた奥様方が、唖然とした顔でこっちを見ている。
「言わせたじゃない! 私にあんな恥ずかしいことを!」
倒置法。
ってかやめて! 声がデカすぎる! そして内容がセンシティブに過ぎる!
「わ、わかった! わかったから声おさえて! ご近所のウワサになる!」
「望むところよ! 既成事実を増やしてやるわよ!」
フユミはカバンを地面に放り投げると、俺の胸ぐらを掴んだ。
その両手は小刻みに震えている。
「……悔しいのよ」
彼女はうつむき、俺の胸に額を押し付けた。
「小さい頃から、ずっと一緒だった。トーマのことは私が一番知ってると思ってた。好きなものも、苦手なものも、嘘つくときのクセも、寝相の悪さも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ……」
フユミの声が涙声に変わる。
「なのに、記憶がないなんて。あの夜のことも、約束も、全部忘れたなんて……そんなの、あんまりじゃない」
胸元に、温かい雫が染みていく。
俺の心臓が、ズキリと痛む。
怖いとか、重いとか、そんな感情が吹き飛ぶほど、彼女の悲しみは本物だった。
俺は……本当になんてことをしてしまったんだ。
記憶喪失という免罪符で逃げていいわけがない。この涙は、俺が流させたものだ。
「……ごめん。フユミ」
俺はおずおずと、彼女の背中に手を回した。
「記憶がないのは本当だ。でも……フユミを泣かせたいわけじゃない。それだけは信じてくれ」
フユミの肩が跳ねる。
しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げた。
濡れた瞳と、真っ赤な頬。
反則的なほど可愛いかった。
「……信じる」
フユミは鼻をすすり、ハンカチで目元を拭った。
「トーマは馬鹿でスケベでカスだけど、嘘つきじゃないものね」
「いろいろと余計だよ。反論できないけど」
「でも、許さない」
フユミはニッコリと笑った。
涙の跡が残る顔で、悪戯っぽく、そしてどこか不穏な光を孕んだ瞳で。
彼女は自分のスカートのポケットから、一枚の紙を取り出した。
綺麗に四つ折りにされたその紙を、俺の目の前に突きつける。
「な、なにこれ?」
「婚姻届よ」
「はい?」
「役所からもらってきたの。証人の欄は、おばさん……いえ、お
俺は紙を受け取り、固まった。
本当に、署名・捺印がある。母の名前も書いてある。マジかよマザー……俺にことわりなく署名しちゃダメだろがよ……。
「しょ、署名って十八歳からじゃ……」
「そうよ」
「ファンクラブの皆さんは、未成年なのでは……?」
「三年生や卒業生もいるわよ」
それもうファンクラブの組織規模じゃねえだろ。こいつナニモンなんだよ。
「記憶がないなら、形から入ればいいのよ。責任、取ってくれるわよね?」
フユミが再び上目遣いで俺を見る。
逃げ場はない。
公園の出口では、いつの間にか集まったカラスが黒い壁を築き、人の出入りを塞いでいるように見えた(幻覚)。
「あ、あくまで将来の約束……的な?」
「ええ。卒業したらすぐに出すわ。それまでは、この紙が私たちの『絆』……もし浮気したら、どうなるかわかってるわよね?」
フユミは俺の手から婚姻届をひったくると、大切そうに胸に抱いた。
そして、今日一番の輝く笑顔を見せた。
「さ、帰りましょっ、
俺は引きつった笑顔で頷くしかなかった。
ギャルゲとラブコメに詳しい俺にはわかる。
幼なじみは最強の属性である。
過去という共有財産と、深めに深めた相互理解。そして親公認という、埋め尽くされた外堀。
ギャルゲやラブコメで幼なじみが負けるのは、作家たちによる逆張りという名の創意工夫に過ぎない。
現にずっと、他ジャンルにおいて幼なじみ属性は常勝だ。
順当にやったら負けようがないのだ。幼なじみというヤツは。
俺はフユミの隣を歩きながら、空を見上げた。
夕陽。
世界を血の色に染める太陽の断末魔。
俺は、あと何度出会えるのだろう? この悲しい色に……。
「なに灰原哀ぶってんのよ」
フユミに突っ込まれた。口に出していたらしい。
「ポエミーな気分だったんだよ」
俺はテキトーに返した。
もうなんか、逆に落ち着いてきた。
起きた瞬間に遅刻確定してたから逆に穏やかに過ごせる、そういう朝の清々しさに似た気分だ。
今あれこれ考えても答えは出せない。
一旦ハンバーグ食ってから考えよう。
だが、俺はまだ知らなかった。
家に帰れば、フユミのこの『重い愛』どころではない、さらにカオスな事態が待ち受けていることを。
俺の家の前には、黒塗りの高級車が停まっていたのだから。