「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
前回までのあらすじ!
すべての記憶を取り戻した俺。
フユミが体を張って叱咤激励してくれたおかげで、決意を固めた俺。
四人全員を幸せにしてみせると誓った俺。
アキハ先輩の使用人筆頭・タカさんから『あなたは木南秋葉に並び立つのだから』との言葉を頂き、若旦那として承認を受けた俺。
ナツキやコハルと話すために、学園へ向かっている俺。
タカさんの運転する黒塗り高級車の中、アキハ先輩と一緒にいる俺。
そんな俺は今、
「髪を手で梳くの、気持ちいいです」
「あ、ありがとうございます……?」
アキハ先輩に膝枕をしつつ、彼女を撫でていた。
「もっと、喉元も撫でてください」
「はいっ」
白磁の首筋に、そっと指を這わせる。
「んん……」
悩ましげな吐息を漏らすアキハ先輩。
濡烏色の長髪の滑らかなことと言ったら、アロマオイルか何かを弄んでいるような感触だった。
目を閉じたアキハ先輩は、まるで日向ぼっこをする猫のように、俺に身を委ねていた。
すっと通った鼻筋、微かに上向いた薄薔薇色の唇、閉じられたまぶた、上向きの睫毛は細く、長く、美々しく……。
そして時々、
「ふふっ」
くすぐったそうに小さく笑い、身をよじる。そのたびにダマスクローズの甘く上品な香りがふうわり広がる。
無邪気な笑顔は、普段の完璧な微笑とは違う。
今いるのは、ただ無防備にくつろぐ、一人の女の子だった。
……しかし、こうして見ると、アキハ先輩は猫みたいだ。
そういえば、フユミもアキハ先輩のことを『この泥棒猫』と呼んでいたっけ。いや、それはちょっと違うか。
猫は猫でも、ただの猫じゃない。こんなに美しくて、しなやかで、圧倒的な存在感を持つ、おっきな黒猫……。
そう、黒豹だ。
一見すると華奢なアキハ先輩の身体は、実は驚くほど引き締まっている。あの夜、俺に見せてくれた彼女の引き締まった腹筋のライン、みなぎる背中の立体感……それこそ女豹のポーズまで取ってもらって、
ヤバイはっきり思い出しちゃった。
俺の心臓が警鐘を打ち鳴らし、血が熱を帯び腰の下へ集う。
鎮まれ俺、鎮まれ!
今はそういう時間じゃない!
これから
素数を数えろ!
2、3、5、7、11、13……くそっダメだ、煩悩の数が多すぎて全然追いつかない!
「あら」
不意に、アキハ先輩が薄く目を開けた。
黒曜石から切り出したような鋭い瞳が、妖しい煌めきを湛えて俺を見上げる。
「やにわに
「う……返す言葉もございません」
図星を突かれた俺は、右へ左へ視線を逃がす。
しかし、運転席のルームミラー越しに──タカさんと、バッチリ目が合ってしまった。
ツルなしメガネの奥から放たれる、猛禽類のような鋭い眼光。
終わった。
お嬢様を膝枕した挙句、よからぬことを思い出して興奮しているのがバレた。今度こそ首を圧し折られる。それか頭を殴り砕かれる。南無三!
俺は絶望に目をギュッとつむろうとした。
しかし。
タカさんは表情一つ変えず、一瞬だけ片目をつむり、すぐに道順へと視線を戻した。
……え?
いまの、ウィンクだったのか?
あの
まさか、『若いっていいですね』的な?
俺は予想外すぎるリアクションに脳の処理が追いつかず、処理落ちで固まったまま。
ただ呆然と、膝の上の黒豹を見つめ直すしかない。
当のアキハ先輩はと言うと、
「到着まで、まだ少し時間がありますね」
そう呟くやいなや、
ころん。
寝返りを打ち、うつぶせになった。
なんとも危ういポジショニング!!
「ちょっ」
「すぅうううう──!」
「嗅がんでください!」
「すぅうううう──!」
アキハ先輩は俺をガン無視し、鼻から空気を吸い込み続ける。超人的肺活量である。
「フユミさんの香りがしますね」
超人的嗅覚である。俺の背中に悪寒が走る。
「ずいぶんと入れ込んだようで」
ダブルミーニング。超人的な下ネタである。
「やは」
俺は愛想笑いで媚びを売ることしかできない。
「ん〜……」
アキハ先輩は、ぐりぐりと頭を押しつける。ちょっとほんとに色々ヤバいのだが、猫みたいで愛らしくて抵抗できない。
「あら、こんなとこに歯型が。いやはや、フユミさんも相変わらず、独占欲が強いというか、なんというか……」
ふうん。
ははあ。
アキハ先輩はうつぶせのまま吐息を放つ。どこと言わんが俺のそこを生暖かい風が吹き抜ける。
「な、なんでわかるんです?」
服の上から歯型がわかるなんて、アキハ先輩はナニモノなんだ?
「匂いと反応です。ほんのり血の香りがしたのと、押したときに少し痛そうだったので」
どういう洞察力してるんだよ、このお嬢様は……。
「次の機会に
アキハ先輩の低声が俺の恥骨に響く。いろいろな意味でゾクゾクする。
「ときに、トーマさん」
言いながら、アキハ先輩が寝返りを打ち、仰向けになる。
「伊藤博文はいくつか『日本初』を果たしています。内閣総理大臣、枢密院議長、兵庫県知事、韓国総監、ほかにもあるのですが、ご存じですね?」
「えぇ、まぁ……」
俺は動揺を隠せない。
伊藤博文は、当時珍しかった自動車の中で、芸者とコトに及んでいたらしい。
つまり、日本初のカー◯ッ◯◯をした人である。
つまり、とどのつまりは、今のアキハ先輩の発言は、
アキハ先輩は、じーっと俺を見つめている。
いつもの鋭い目つきではない。猫や赤子が人を見るときのような、無垢な眼差し。
不思議な感覚だ。
アキハ先輩を見下ろしているのに、アキハ先輩に見下されているように感じる。
黒曜の瞳に吸い込まれていくように感じる。
視界の端に映る窓の外、車や通行人は見えない。人けのない道を進んでいるようだ。
アキハ先輩はただ俺を見つめている。
俺の視界から、次第に、アキハ先輩以外の全てが消え失せていく。
アキハ先輩の手が、俺の顔を撫でた。
そして、
「美形とは言えませんよね、お世辞にも……」
「急に何です」
か、と問う間もなく。
アキハ先輩は俺のうなじを抱えて引き寄せ、唇を重ねた。
数秒間の永遠の後、
「もう着きましたかね」
アキハ先輩はそう呟いた。
俺がフロントガラスへ視線を送ると、学園が見えてきたところだった。
「って、そうじゃなくて!」
物言いをつけようとした俺の口元へ、ハンカチが添えられる。アキハ先輩は、丁寧な手つきで湿り気を拭ってくれる。シルクの優しく滑らかな感触。
「失礼しました」
白々しく透き通った声。
アキハ先輩は俺を見つめながら、
「あんまり愛しかったので、つい溢れてしまって」
そう言って笑った。