「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
アキハ先輩は俺にキスをして、
「失礼いたしました。あんまり愛しかったので、つい溢れてしまって」
そう言って笑った。
そうこうしているうちに車は、七曜学園の裏門に着いていた。
普段は業者のトラックが出入りする搬入口の前に、黒塗りの高級車で乗りつけた。
「運転ありがとうございました」
俺は礼を言い、降車する。
俺は今、指定の制服姿じゃない。
車内で着替えた、灰青色の地味な作業着。
帽子を深く被り、伊達メガネをかけ、口の中には詰め物、つけヒゲまで着けている。
完璧な『用務員さん』のスタイルである。
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「いえいえ。では」
後部座席のアキハ先輩は、ひらひら手を振る。
「行ってらっしゃいませ、旦那様?」
アキハ先輩の瞳が細められる。蠱惑的に挑発的に、少々サディスティックに俺をからかっている。
「う、い、行ってきます!」
でも、俺は、負けない!
どうせ旦那様と呼ばれる立場になるのだ。今のうちに慣れるべきだろう。
全身をこわばらせる俺。運転席の窓がスィーッと下がり、タカさんが鋭い眼光をこちらへ向ける。
「ご武運を」
木南家筆頭使用人からの、短くも重いエール。
俺は改めて一礼したのち、学園という名の戦地へ足を踏み入れた。
アキハ先輩の作戦は、まさに完璧だった。
まず彼女の配下の生徒を使い、「正門付近で
これにより、俺を八つ裂きにしようと血走っているフユミファンクラブとコハルファンクラブの集団は、見事に正門側へと誘導されている。
そして、この変装。
文化祭最終日。校内は浮き足立った生徒や一般客でごった返している。皆の意識は『ハデな出し物』や『すれ違う知人』に向いており、黙々と備品を運ぶ『裏方の作業員』なんて、誰も気にとめない。
心理的な盲点を突いた、完全なステルス迷彩だ。
俺は誰の目にも留まることなく、生徒の立ち入りが禁止されている教職員専用通路を歩いていた。
目指すは、旧校舎にある文芸部室。
まずは、そこで泣きじゃくっているというナツキのもとへ向かい、俺の想いを伝える。
……やっぱり、アキハ先輩はスゴい。
すれ違う少数の生徒も、俺を完全に『風景の一部』と見なしてスルーする。
俺は段ボール箱を抱え直しながら、知恵の女神の完璧な采配に舌を巻いていた。
部室棟へと続く、薄暗い渡り廊下。
ここを抜ければ、文芸部室はすぐそこだ。
──その、踊り場だった。
「おつかれ、トーマ」
壁に背を預けスマホをいじっていた少女が、顔を上げてそう言った。
「えっ!?」
俺の心臓が、ドクンと跳ね上がった。
プラチナブロンドの長髪。緩く着崩した制服。健康的な肌色。
文化祭の喧騒から離れた静かな裏通路には似つかわしくない。
絢爛豪華な一軍ギャル。
美少女四天王が一人。
「な、なんで……」
俺は声のトーンを落としつつ、後ずさる。
変装は完璧だったはずだ。なんでバレたんだ!?
しかしコハルは、スマホをポケットにしまいながら、呆れたように笑った。
「何が『なんで』なんだっちゅーの! ゼッタイこーなるに決まってんじゃんよ!」
「こうなるって……このルートのことか?」
「それもあるけど」
コハルは、コツ、コツ、とローファーを鳴らして距離を詰めてくる。
「アキハ先輩は完璧主義だから、絶対にリスクを取らない。まずはガセネタ流して正門に人を集めて、一番安全な裏口からトーマを入れる。ここまでは基本じゃん?」
「おぉ…………」
俺が頭をヒネって何とかたどり着けそうな結論が、
ビビる俺をよそにコハルは続ける。
「で、今のトーマが最初に誰に会いに行くか。そもそも、気絶してからのトーマは誰と過ごしてたのか。まあ、フユちゃんからだよね。近くにいるし。──いろいろあったでしょ?」
コハルのあどけない美貌が、曰くありげな笑みを形作る。
「……うん。俺は、」
コハルは小さな手で制する。
「まだ解答編だよ」
俺はとりあえず口を閉じた。
「フユちゃんの次は、アキハ先輩。何でも知ってて何でも出来るからね。で、そんなアキハ先輩が、トーマを誰のところへ行かせるか? ……そんなの、昨日からずっと泣きっぱなしで、一番たいへんなナッちゃんに決まってる」
俺は息を呑んだ。
コハルは、アキハ先輩の思考回路を完璧にトレースしている。
「つまり目的地は文芸部室。ルートは教職員用通路の裏階段。……でも、生徒の格好でここを歩いてたら、逆に目立っちゃう。だから、絶対に業者か用務員に変装させるはず」
コハルは俺の目の前で立ち止まり、俺の被っている帽子のつばを、指先でクイッと持ち上げた。
「つまり、この時間にこの裏通路を歩いてる用務員は、チョー高確率で、トーマだってこと」
背筋が凍った。
コハルは、アキハ先輩の『完璧な論理』を、感情と人間関係の力学から完全に逆算してトレースしていたのだ。
アキハ先輩は理論で盤面を支配する天才。
コハルは感覚でプレイヤーを読み解く天才だ。
「……でも、それだけじゃないだろ」
俺は緊張に干上がった喉を鳴らし、無理やり固唾を飲み込んだ。
いくら論理で絞り込めても、
コハルは悪戯っぽく、そしてどこか寂しげに、ふんわりと微笑んだ。
「恋する乙女をナメすぎだよー。アキハ先輩は賢いから『システム』でトーマを隠そうとするけど……あたしはずっと、トーマのことが好きで見てるんだから」
コハルは一歩踏み込む。ネイルチップの先端が、俺の作業着の胸元をツンツン突いた。
「歩き方。ささいな仕草。……あと、ちょっとだけ、甘くて上品なベルガモットとサンダルウッドの匂い。アタシが買ったげた香水、まだ使ってくれてるんだね」
コハルは指先で慈しむように、俺の胸骨からみぞおちをなぞった。
「──トーマが着ぐるみ着てたって、アタシはすぐに見つけられるよ」
コハルはえへんと胸を張る。
俺は、圧倒されていた。
アキハ先輩の完璧なシステム構築としての愛。
フユミの生々しく清濁あわせ飲む包容としての愛。
そして、コハルのこの、人間離れした直感と洞察力としての愛。
やはり四天王は全員ヤベー女の子たちだ。
俺なんかの器で、こんなに凄い女の子たちを受け止めきることができるのか?
一瞬だけ不安が鎌首をもたげた。
だが。
できるのかじゃない、やるんだ。
俺が、やりたいんだ。
「……見つかっちゃったなら、仕方ないな」
俺は被っていた帽子を取り、メガネを外した。