「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
コハルがフユミに任せたことは、言ってしまえばシンプルだった。
『ナツキちゃんのそばにいてあげて』
ただ、それだけである。
LINEにて送った文面は、もっと長い。しかし、本質は『寄り添って』の一言に尽きる。
本当はコハルが寄り添うべきなのかもしれない。コハルとナツキは互いにとって、一番の女友達である。
コハルは覚えている。
フユミとトーマとナツキとの四人で、カラオケに行った日のことを。
コハルの方から、ナツキに持ちかけたのだ。
『私と手ぇ組まない?』
一緒に二人で、トーマとの仲を深めないか、と。
それから、色々なことがあった。トーマを交えて三人で、何回もランチを食べた。文芸部室にトーマを招いて三人で泊まったこともあった。トーマのいない休日も、何度も何度も二人で遊んだ。
コハルはナツキが大好きである。
だからこそ、フユミに任せたのだ。
(アタシじゃ今のナッちゃんの辛さを癒してあげれない。きっとトーマが会いに行っても、余計にこじれちゃう。フユちゃんじゃなきゃ、今のナッちゃんを変えられない)
みんな大事だから、誰かに任せる。
コハルはそういう決断をした。
「人を好きになるって、むずかしーねー」
言いながら、コハルはベッドに寝転んだ。
トーマは少し考え込み、アンニュイな表情を浮かべる。
「……そっとしてあげるのも、無理を言って触れ合うのも、同じくらい大事なんだろうな」
どっちがいいのか、わからないときばかりたけど。
トーマの言葉を聞いて、コハルは体を起こす。
「なーんか、オトナっぽいこと言うね〜?」
「大人になったんだよ、少しだけ」
トーマは頬をかいて笑う。
フユミやアキハ、
「オトナにしてもらったもんね、改めて。フユちゃんに」
「なっ、ちが、違わないけど、そういう意味で言ったんじゃねーよ!!」
「あっはっはっは、いいねいいねー! やっぱトーマはそんくらいがかわいいよ」
ほらおいで、撫でたげる。
コハルがそう言って手招き、トーマはぶつくさ言いつつ歩み寄った
「おー、よしよし。えらいえらい」
コハルは優しく頭を撫でる。
そして、思う。
ここまで来たんだから、と。
(もう五人で幸せになるっきゃないでしょ。あとは、ナッちゃん次第かな……)
照れるトーマを見つめつつ、コハルは未来を案じていた。
◇
「……なんで、あなたが来るんですか」
硬く張り詰め、かすれた小声は、静かな文芸部室の中ですら響かなかった。
本来であれば目を引くはずの端正な顔立ちは、ひどく青ざめ、目の下には濃い疲れの影が落ちている。
「別に。どんな顔してんのか見に来ただけよ」
対するフユミは、悠然と立ち尽くしていた。
「帰ってください」
「イヤ」
「…………」
ナツキの唇が微かに震え、何かを言い返そうと開かれたが、結局、きゅっと引き結ばれた。
諦めの溜息が、湿った空気に溶けていく。
フユミは室内を見渡す。あちこちにプリントや原稿用紙やが散乱している。
散らかってはいるが、生活感が欠落している。
飲みかけのペットボトルも、食べかけのパンの袋もない。
丸一日、ナツキがまともな食事も睡眠もとらず、ただ罪悪感に引きこもっていたことは、想像に難くなかった。
やがて、ナツキが苦しげに、喉の奥から血を絞り出すように言った。
「……あなたのことが、嫌いです」
「そう。気が合うわね」
フユミが涼やかな声で即答すると、ナツキは目を見張り、そして、また深くうつむいた。
フユミは壁際の本棚へと歩み寄る。
ふと『失われた時を求めて』というタイトルに目が留まる。分厚いそれを引き抜くと、ナツキの斜向かいの席に静かに腰を下ろした。
(……古い版のわりに綺麗ね)
ページの端の折れ目一つすらない。
ナツキがどれほどこの場所と本を大切に管理してきたかが伝わってくる。
フユミがページをめくる乾いた音だけが聞こえる。
どれくらいの時間が経っただろうか。不意に、ナツキがぽつりと口を開いた。
「……何で、会いに来てくれたんですか?」
さっきよりも、柔らかな声だった。
「会いたいと思ったからよ」
短い返答に、ナツキは再び押し黙る。
フユミは再び、視線を書面に落とす。『失われた時を求めて』は既読だが、とにかく長い作品なので、細部までは思い出しきれない。
しかし、その核心を成すモチーフ――『匂いと記憶』については覚えていた。
甘い香りとともによみがえる、鮮烈な過去。
それは必ずしも幸せではない、とフユミは思う。
匂いを嗅ぐたびに過去を追体験させられるのは、時として残酷な呪いになる。忘れたい過去が事あるごとにフラッシュバックし、今を生きる気力すら奪っていく。
その過去が幸せで、甘美であればあるほど。
現在との落差に、心は切り刻まれる。
フユミ自身がそうだったから、よく分かる。
少しばかり姿勢を変えようとフユミが座り直した、そのときだった。
足先で、床に転がっていたリモコンを踏んだ。
「あ。ごめんなさい」
テレビのリモコンだった。
ナツキが反応するより早く、テレビが起動する。画面には直前まで開かれていたであろうYouTube動画が流れる。
『TikTokで流行りの楽曲プレイリスト』
イントロが唐突に流れ出す。
「その……」
ナツキが不意に、顔を上げないまま口を開いた。
「
思い出のプレイリストなのね。
フユミはそう察したが、あえて口には出さず、ただ静かに続きを待った。
「……私、一番じゃなくても良いって、本気で思ってたんです」
ナツキの声は、独り言のようだった。
「皆の前でキスをして、ほんの少しの間だけ、恋人気分を味わえたら……それで満足するつもりだったんです。二番手でも、三番手でも、十分だって思ってたんです」
うつむいた彼女の顔は前髪の陰に隠れて、表情までは
「でも、ダメでした。私、一番になりたいと思っちゃったんです。
ナツキは両手で、スカートの裾を握りしめる。
「だから、忘れようとしたんです。先輩のこと、全部。舞台の上で、皆の前でキスをして、アキハ先輩やコハルさんや……フユミさんと少しだけ話して。そしたらもう、二度とここへは戻らずに、どこか遠くへ逃げるつもりでした」
ぽた、と。
床に一粒、染みが落ちた。
「でも、先輩は倒れちゃって。無理をさせた私のせいで……! だから、せめてちゃんと謝ってから、お別れしようと思ってたんです。もう先輩のことも、皆さんのことも、全部、キレイに忘れようと思ったのに……」
ぽた、ぽた、と。
ナツキの前髪の隙間から、
「でも、ダメでした……っ。流行りの歌を聞くと先輩と聴いたときのことを思い出します。好きな食べ物の匂いを嗅ぐと先輩との昼食を思い出します。道端に咲いた
ナツキは身をすくめ、顔を覆った。
その両手も、震えるその身体も、あまりに小さく細い。フユミは、痛ましさに胸を締めつけられた。
「もうダメなんです……私の人生、先輩でいっぱいなんです……! どこまで逃げたって絶対に逃げ切れないのに、先輩を私の隣だけにつなぎとめることはできない。私だけのものになんて出来ない。そんなこと、最初からわかってるのに……! だから、一瞬だけで満足しようとしたのに、二番目でも良いって、言い聞かせてたのに……っ!」
すすりなく声は、ひどく小さい。
肩を激しく震わせ、子供のようにしゃくり上げるナツキは、ほとんど泣き声を上げていない。
ナツキがこの一日、一人きりの文芸部室でどれほど泣きわめき、体力をすり減らしてきたのだろう。
テレビはプレイリストが再生し続けている。
たった今、別の曲に切り替わった。
曲のタイトルは『イチゴの片思い』。
原題は“Tonight You Belong to Me”。
フユミは、皮肉な偶然に顔をしかめた。
(……運命なんて信じないけど、底意地の悪さに反吐が出るわ)
フユミは曲の歌詞を、頭の中で和訳する。
『私は知っています。あなたがもう、誰かのものだってことくらい』
『けれど、今夜だけは、あなたは私のものです』
『夜が明けたら私たちは別れてしまうけれど、あなたは私の心の支え』
『今夜だけは、あなたは私のもの』
薄暗い文芸部室。
ナツキのかすれた啜り泣きと、場違いに無邪気で軽快なピアノの弾き語りだけが、いつまでも響いていた。