「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第23話 コハル「覚えてる? きっかけのこと」(後編)

 去年の梅雨。

 

 火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》が雨に濡れているのを見つけた俺は、思わず声をかけた。

 

 すると彼女は、

 

「シャワー貸して? お願い! 光熱費と水道代は倍にして返すから!」

 

 と言い出した。

 

 仕方ないから家に上げ、シャワーと母の服と漫画を貸した。

 

 ソファに寝転がり単行本を読んでいる彼女に、

 

「はい、ココア」

 

 湯気を立てるマグカップを差し出す。

 

「ありがとー!」

 

 彼女は単行本を机に置き、姿勢を正す。

 火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》、育ちが良さそうだ。

 

 俺は向かいのソファに腰を下ろす。

 彼女はふーふーと息を吹きかけてから、小さく口をつけた。

 

「ん、おいしー。あったまるね」

 

「それは何より」

 

 彼女はマグカップを両手で包み込むように持ちながら、部屋の中をきょろきょろと見回す。

 

「そーいや、親御さんいる? ご挨拶したいんだけど」

 

「ああ、うち親いないから」

 

 俺が何気なくそう返すと、彼女の動きがピタリと止まった。

 ぱっちりとした二重の目が少しだけ見開かれ、そして、すっと伏せられる。その表情に、さっきまでの能天気な明るさはなく、明確な『気まずさ』と『同情』の曇りが差していた。

 

 しまった、言葉足らずだった。

 

「ああいや、()()()()んじゃないんだ。ただ、仕事が忙しくて、ほとんど家にいないってだけ!」

 

 俺が慌てて付け足すと、彼女は「あ、そゆこと?」と、ほうっと安堵のため息をつく。そして、もう一口ココアを飲んでから、感心したように俺を見た。

 

「でもさ、一人暮らしみたいなもんなんでしょ? ご飯とか、掃除とか、全部自分でやってるワケじゃん」

 

「まあ、だいたいは」

 

 たまにフユミが家に来てやってくれるが、それはあくまで『親に頼まれたし暇だったから』という程度のものだ。会話もなくて気まずいので、俺はフユミが家事をする必要のないよう、自分の事を普通以上に整えていた。

 

「日村くんは、エラいんだねぇ」

 

 しみじみと呟く彼女の声には、素直な賞賛がこもっていた。

 

 俺は少しだけ、むず痒い気持ちになった。

 

 ……意外だな。

 

 学校での火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》は、いつもグループの中心で賑やかな『一軍ギャル』だ。

 もっと我が強くて、他人のことなんて気にしないタイプだと思っていた。

 

 だが、こうして話してみると、親への挨拶を気にしたり、他人の事情に配慮していたりと、すごく常識的で育ちの良さが窺《うかが》える。

 

 俺が勝手に、彼女に対して偏見を持っていただけなのだ。反省しよう。

 

 そう思いつつ、俺はマグカップに口をつけた。

 その後は特に、会話らしい会話はなかった。

 彼女はソファで漫画の続きを読みふけり、俺はスマホをいじったり、適当な雑誌をめくったりして過ごした。

 

 不思議と、気まずさはなかった。雨音だけが、部屋の静寂を優しく包み込んでいた。

 

   ◆

 

 夕方になり、雨が上がった。

 窓の外が少しだけ明るくなり、雲の隙間から茜色の光が差し込んでくる。雨上がりの夕日は、それはそれは綺麗だった。

 

「あ、やんだね」

 

 彼女は漫画を閉じ、伸びをした。

 制服は……ドライヤーと部屋干しである程度乾かしたが、まだ少し湿り気が残っているかもしれない。それでも、帰るには十分だろう。

 

「んじゃ、アタシそろそろ帰るね。シャワーもココアも、ありがと」

 

「駅まで送るよ」

 

 俺が立ち上がりながら言うと、彼女は目を丸くした。

 

「お、カッコいいこと言うね〜?」

 

 にや〜っと笑う顔は、なるほどギャルらしい表情だった。

 

「カッコつけたがりなんですよ、俺は」

 

 俺がわざとらしく肩をすくめてみせると、彼女は「あははっ」と声を上げて笑った。

 

「そっか。じゃ〜、お言葉に甘えちゃおっかな〜?」

 

 コハルはひどく楽しげだった。

 

   ◆

 

 それ以来だ。

 火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》が、何かと理由をつけて、俺の家へ訪れるようになったのは。

 

「漫画の続き、読みに来たよー」

 

「はいはい」

 

「新作のゲーム買ったから、いっしょにやろ!」

 

「ぜひぜひ」

 

「いっしょに宅配ピザ食べよー!」

 

「ご相伴《しょうばん》に預かります」

 

 火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》が家にいる風景は、俺の日常に少しずつ溶け込んでいった。

 

 それでも、俺たちが学校で会話することはなかった。目が合うことすら無かった、と思う。

 

 意識的に避けていたわけではない。恐らくは、お互いに。

 ただ俺は何となく、放課後だけに仲良く過ごす関係性に、何か秘密基地のような、ささやかな()()を感じていた。

 

 そんな日々が一年続いて、ゴールデンウィークが来た。

 

 彼女と俺は隣り合ってコントローラーを握り、マリオパーティに興じていた。

 

「今日はさ〜」

 

 彼女が言う。俺が横目で見る。火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》は画面を見つめたまま続ける。

 

「カラオケ、行かない?」

 

「おー、いいね」

 

 実は俺は、『コハルとカラオケに行ってみたい』と常々思っていた。

 コハルはインフルエンサーである。YouTuberもやっている。歌ってみた動画もいくつも上げている。

 

 どれも上手い。

 生歌を聴いてみたい!

 

 俺はそう思っていた。

 

 が、自分からは、なかなか誘えなかった。

 

『カラオケ行こうぜ』

 

 なんて、デートの誘い文句じゃないか。

 放課後に話すだけの女性を相手に、一般オタクくんである俺が、デートの誘いなどかけられようか。いや、不可能である。

 

 コハルから誘ってくれないかな〜なんて情けない期待を、俺は一年近く抱いていたのだ。

 

「じゃ、決まりね。フリータイムで入ろ」

 

「うん」

 

 俺は平静を装って返事をした。

 

 このときはまだ、ワクワクドキドキしているだけだった。

 このときにはもう、俺はフユミとアキハ先輩に手を出してしまっていた。

 このときは、俺は、自分の記憶障害について知らなかった。

 

 あんなことになるなんて。

 

 このときはまだ、想像だにしていなかった。

 

 

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