「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
去年の梅雨。
火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》が雨に濡れているのを見つけた俺は、思わず声をかけた。
すると彼女は、
「シャワー貸して? お願い! 光熱費と水道代は倍にして返すから!」
と言い出した。
仕方ないから家に上げ、シャワーと母の服と漫画を貸した。
ソファに寝転がり単行本を読んでいる彼女に、
「はい、ココア」
湯気を立てるマグカップを差し出す。
「ありがとー!」
彼女は単行本を机に置き、姿勢を正す。
火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》、育ちが良さそうだ。
俺は向かいのソファに腰を下ろす。
彼女はふーふーと息を吹きかけてから、小さく口をつけた。
「ん、おいしー。あったまるね」
「それは何より」
彼女はマグカップを両手で包み込むように持ちながら、部屋の中をきょろきょろと見回す。
「そーいや、親御さんいる? ご挨拶したいんだけど」
「ああ、うち親いないから」
俺が何気なくそう返すと、彼女の動きがピタリと止まった。
ぱっちりとした二重の目が少しだけ見開かれ、そして、すっと伏せられる。その表情に、さっきまでの能天気な明るさはなく、明確な『気まずさ』と『同情』の曇りが差していた。
しまった、言葉足らずだった。
「ああいや、
俺が慌てて付け足すと、彼女は「あ、そゆこと?」と、ほうっと安堵のため息をつく。そして、もう一口ココアを飲んでから、感心したように俺を見た。
「でもさ、一人暮らしみたいなもんなんでしょ? ご飯とか、掃除とか、全部自分でやってるワケじゃん」
「まあ、だいたいは」
たまにフユミが家に来てやってくれるが、それはあくまで『親に頼まれたし暇だったから』という程度のものだ。会話もなくて気まずいので、俺はフユミが家事をする必要のないよう、自分の事を普通以上に整えていた。
「日村くんは、エラいんだねぇ」
しみじみと呟く彼女の声には、素直な賞賛がこもっていた。
俺は少しだけ、むず痒い気持ちになった。
……意外だな。
学校での火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》は、いつもグループの中心で賑やかな『一軍ギャル』だ。
もっと我が強くて、他人のことなんて気にしないタイプだと思っていた。
だが、こうして話してみると、親への挨拶を気にしたり、他人の事情に配慮していたりと、すごく常識的で育ちの良さが窺《うかが》える。
俺が勝手に、彼女に対して偏見を持っていただけなのだ。反省しよう。
そう思いつつ、俺はマグカップに口をつけた。
その後は特に、会話らしい会話はなかった。
彼女はソファで漫画の続きを読みふけり、俺はスマホをいじったり、適当な雑誌をめくったりして過ごした。
不思議と、気まずさはなかった。雨音だけが、部屋の静寂を優しく包み込んでいた。
◆
夕方になり、雨が上がった。
窓の外が少しだけ明るくなり、雲の隙間から茜色の光が差し込んでくる。雨上がりの夕日は、それはそれは綺麗だった。
「あ、やんだね」
彼女は漫画を閉じ、伸びをした。
制服は……ドライヤーと部屋干しである程度乾かしたが、まだ少し湿り気が残っているかもしれない。それでも、帰るには十分だろう。
「んじゃ、アタシそろそろ帰るね。シャワーもココアも、ありがと」
「駅まで送るよ」
俺が立ち上がりながら言うと、彼女は目を丸くした。
「お、カッコいいこと言うね〜?」
にや〜っと笑う顔は、なるほどギャルらしい表情だった。
「カッコつけたがりなんですよ、俺は」
俺がわざとらしく肩をすくめてみせると、彼女は「あははっ」と声を上げて笑った。
「そっか。じゃ〜、お言葉に甘えちゃおっかな〜?」
コハルはひどく楽しげだった。
◆
それ以来だ。
火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》が、何かと理由をつけて、俺の家へ訪れるようになったのは。
「漫画の続き、読みに来たよー」
「はいはい」
「新作のゲーム買ったから、いっしょにやろ!」
「ぜひぜひ」
「いっしょに宅配ピザ食べよー!」
「ご相伴《しょうばん》に預かります」
火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》が家にいる風景は、俺の日常に少しずつ溶け込んでいった。
それでも、俺たちが学校で会話することはなかった。目が合うことすら無かった、と思う。
意識的に避けていたわけではない。恐らくは、お互いに。
ただ俺は何となく、放課後だけに仲良く過ごす関係性に、何か秘密基地のような、ささやかな
そんな日々が一年続いて、ゴールデンウィークが来た。
彼女と俺は隣り合ってコントローラーを握り、マリオパーティに興じていた。
「今日はさ〜」
彼女が言う。俺が横目で見る。火伏《ひぶせ》 琥春《こはる》は画面を見つめたまま続ける。
「カラオケ、行かない?」
「おー、いいね」
実は俺は、『コハルとカラオケに行ってみたい』と常々思っていた。
コハルはインフルエンサーである。YouTuberもやっている。歌ってみた動画もいくつも上げている。
どれも上手い。
生歌を聴いてみたい!
俺はそう思っていた。
が、自分からは、なかなか誘えなかった。
『カラオケ行こうぜ』
なんて、デートの誘い文句じゃないか。
放課後に話すだけの女性を相手に、一般オタクくんである俺が、デートの誘いなどかけられようか。いや、不可能である。
コハルから誘ってくれないかな〜なんて情けない期待を、俺は一年近く抱いていたのだ。
「じゃ、決まりね。フリータイムで入ろ」
「うん」
俺は平静を装って返事をした。
このときはまだ、ワクワクドキドキしているだけだった。
このときにはもう、俺はフユミとアキハ先輩に手を出してしまっていた。
このときは、俺は、自分の記憶障害について知らなかった。
あんなことになるなんて。
このときはまだ、想像だにしていなかった。